ロバート・アグウィナス
「いるのでしょう?貴方は気付いているはずだ。迷宮討伐軍が錬金術師を捕えていることに!」
ロバート・アグウィナスはジャック・ニーレンバーグに言い放つ。
自らが錬金術師の管理者だと信じて疑わないロバートの言動は、もはや狂人のそれに近い。
「助け出すのです。アグウィナス家へと連れ戻すのです。この地脈の新たな世界のために!
迷宮討伐軍に置いて何になるというのです。これほど忠誠を誓った貴方のために、何の罪も無い貴方の娘の為に、たった一本のポーションも与えない!私ならば救えます。貴方を!貴方の娘を!
新たな世界へ共に行きましょう!仮死の魔法陣はまだあるのです。
何度も!何度でも!眠らせればいい!たった一度で消費してはいけないのですよ、その錬金術師は!
わかるでしょう?理解できるはずだ。迷宮攻略にいかにポーションが必要か!今までだって我々の新薬でどれ程の兵士が助かったことか!貴方ならば!何人もの兵士を助けた貴方ならば!」
「話にならん。シェリーを返せ」
ニーレンバーグが冷たく言い放つ。
「なぜだ?なぜだなぜだなぜだ!?
必要でしょう?不可欠でしょう?だから使ってきたのでしょう?私の新薬を!赤と黒の魔法薬を!
あなたは!使ったのだ!!あれを、だからっ、だから同罪なのだ!あなたは、私と共に行かねばならないのだ!!!」
狂乱のただ中で目を見開き声を張り上げるロバート。付き合いきれないとばかりにニーレンバーグはロバートを拘束しようと動く。
その時。
「おっと、そこまでだ」
下卑た声がニーレンバーグを制した。
「お嬢ちゃんがどうなってもいいのかい?ハンブンだけでもキレイな方がいいんじゃねぇか?」
いかにも盗賊と言った風貌の男が、顔に包帯を巻きつけた黒髪の少女にカットラスを突きつけて奥の部屋から出てきた。
「パパァ……」
その顔はまさしく。
「シェリー……」
動きをとめるジャック・ニーレンバーグ。
「貴方は、我々と共に行くしか無いのですよ」
誘うようにジャック・ニーレンバーグの方へ手を伸ばし、ロバートは言う。何ももっていないはずのロバートの手のひらから、黒いナニカが滴り落ちると、部屋中が薄暗く、温度が数度下がったような感覚に襲われた。
ジャック・ニーレンバーグの足元の絨毯に、ぐちぐちと黒い染みが湧き上がる。
包帯を替えても替えても傷口から染み出す血膿のように、黒い染みは床から湧き上がるように絨毯を黒く汚し、錆のような澱が毛足の短い敷物の上にわだかまる。
この澱をニーレンバーグは見たことがある。『呪い蛇の王』の体に浮んでいた『呪い』だ。
『呪術系魔術』の行使に特定のスキルは必要が無い。またその特性上、使用だけでなく研究すらも帝国の法律によって禁止されている。
ジャック・ニーレンバーグの周囲に湧き出た呪いは、まるで生きているもののようにうごうごと蠢動していた。
「う、動くなよ、娘がどうなってもしらねぇぜ」
シェリーにカットラスを突きつけ脅す盗賊の声は、しかし何かに怯えるように震えていて、視線はちらちらとロバートを見ている。
「恐れることはありませんよ。少しだけ『つながり』を作るだけです。この離れで働く者たちと同じですから」
くふふふふ、と笑いながらロバートは呪いを練り上げる。
呪いの澱は、切り落とされたトカゲの尻尾のように、あるいは潰されて尚息絶えぬ虫の手足のようにのたくって、ジャック・ニーレンバーグへとその輪を狭めていった。
「違法な呪術系魔術の行使を確認。しかも強制支配系で当然、奴隷商人資格も契約術者資格もなし。少女誘拐、恐喝に、迷宮討伐軍への背信行為と。こんくらい揃えば十分だろうヨ。な、パパァ?」
「シェリーの顔で、間延びした気持ち悪い呼び方をするんじゃない」
カットラスを突きつけられていた可憐な少女の豹変に、盗賊はとっさに少女の首を掻き切ろうと右手に力を込め、カットラスを握っていた右手の手首から先が無いことに気が付いた。
「ヒッ、ヒェアアアアァァァ、手ッ、手がアッ!」
痛みすらなく自分の右手首を切断されたことに気付いた盗賊は、無様に叫び声を上げる。
盗賊がもっていたはずのカットラスは、包帯を巻いた少女の手にあった。
「よっと」
カットラスの柄を盗賊の腹にめり込ませる少女。盗賊は右手首をつかんだままの体勢で「ぐぅ」と呻くと、前のめりに倒れ気を失った。
「なっ、なっ、なっ」
ジャック・ニーレンバーグを取り囲んでいた呪いも、鋭い蹴りで霧散している。カットラスを片手にすとんとニーレンバーグの隣に着地する包帯の少女。
「まったく、貴族相手ってのは面倒だね。ま、こんだけ証拠がありゃ十分だヨ」
ごそごそと少女(?)がポケットから記録の魔道具を取り出す。会話は勿論発動した魔力と術式の種類まで記録可能な魔道具だ。
状況を悟ったロバートは、じりじりと盗賊の入ってきた離れの奥の間に続く扉の方へにじり寄る。
「諦めろ。この屋敷は既に包囲されている」
冷たく言い放つニーレンバーグ。
「こんな……、こんなところで……」
ロバートはぎりりと歯噛みをすると、右手首を抱えるようにうつ伏せで倒れる盗賊にありったけの魔力を篭めて叫んだ。
「《起きろ、そしてアイツラを殺せ!!!》」
その瞬間、盗賊はクワッと目を剥き、床に伏した状態から四足の獣のようにニーレンバーグらに飛び掛った。
「アアアアアアア!」
白眼をむいたまま、四足の獣さながらに飛び掛る盗賊を、ニーレンバーグは蹴りの一撃で地面に叩きつける。今度こそ血泡を吹いて動かなくなった盗賊を見て、少女(?)は言う。
「酷い隷属紋の使い方するよね。起きたとき、元どおりに体が動くといいんだけど」
盗賊は少女(?)に暫らくは起き上がれないように打ち倒されていたのに、ロバートの《命令》で無理やり起こされ、身体機能の限界を超える動きを強いられた。血泡を吹いて倒れる盗賊の四肢は時折びくびくと痙攣をしている。盗賊が目覚めたとき、その体ははたして元通りの機能を有しているのだろうか。
使い潰すような盗賊の攻撃の合間に、ロバートは離れの奥の間に逃げ延びたようだ。
「ボクは外にいる副将軍サマに報告して帰るヨ。これ以上は契約外だからね」
「あぁ、ご苦労さん。……、いつまでシェリーの顔でいるつもりだ?」
「ふふ……、じゃあね、パパァ」
ジャック・ニーレンバーグのじっとりとした視線をさらりと躱すと包帯を巻いた少女(?)は、離れの入り口へと歩いていった。
離れは既に迷宮討伐軍によって取り囲まれていて、アグウィナス家の家令も捕えられている様だ。
入り口付近で待機していたウェイスハルトに少女(?)は記録の魔道具を渡すと、何事かを報告しそのままアグウィナス家の屋敷を後にした。
雪の降るアグウィナス家の広大な庭をくるくると包帯を外しながら少女(?)は歩く。包帯の下から現れた顔には、確かにむごい傷跡が残っていたはずなのに、木々の合間を曲がったときには傷はきれいに消えていた。それどころか面立ちが違う。重厚な門扉にたどり着いたときにはすそが長めのワンピースは脱いで丸めて鞄に入れられていて、ズボンをはいた少年が立っていた。
門を守護する兵士に印を見せて屋敷を出ると、少年は商業地区へと帰っていった。
雪の夜道を商業区へ急ぐ少年は、どこかの商店の配達員だろう。
彼をいぶかしむものはいない。少年は自分の店へと帰り着く。
「ただいま、オバちゃん。配達終わったヨ」
いつものように少年が言うと、店主もいつもの調子で返事を返す。
「店じゃメルルさんて呼んどくれって言ってるだろ。で、どうだったんだい?」
「オバちゃん、粗漉し糖だけじゃなくて噂も好きだよね。オークみたいな貪欲さだヨ」
「顔しか変えられないひよっ子が生意気言うんじゃないよ!」
特定の誰かそっくりに変身し、あんなことやこんなことができてしまうポーションはないけれど、特定の誰かそっくりに変身できるスキルは存在する。極めて稀少なそのスキルを持つ者が、どんな職に就くのかは想像に難くない。
貴族や豊かな商人が好む高級茶葉や白砂糖、珍しい香辛料などの高級品から、庶民にも手が出る手頃な茶葉や粗漉し糖まで取り扱う薬味草店の気のいい女店主は、奥様たちの顔役で、シューゼンワルド辺境伯家専属の情報部隊の一員でもある。
昇給や荒稼ぎを狙う冒険者ならばまだしも、迷宮都市の外からやってきた非力な娘が広い住居に高い改築費を費やして住まうなど、迷宮都市でそうあることではない。訳有りの人物の監視と調査も彼女らの仕事であった。後に『帝都辺りの錬金術師』で『幼馴染を助けるためにやって来た』という、聞こえがよく今までの言動から違和感が無いうわさを流し、マリエラ達を違和感の無い住人として街に溶け込ませたのも彼女らの手腕だ。もちろん黒鉄輸送隊のなじみであるということから、ウェイスハルトが命じた情報操作であるのだが。
明日もまたメルルはウェイスハルトを訪ねるのだろう。新しい茶葉を納品し『代金』を清算するために。今日手に入れたばかりの街中の情報を携えて。
ウェイスハルトが錬金術師の情報さえ押さえていないはずは無いと思うんですよね。魔の手が伸びる前に対処出来るようにしている筈だと。そんな彼も、まっさか今アグウィナス家にマリエラがいるとは思うまい。




