ライン
とぷん
地面の上に立っていた筈なのに、マリエラとその子は薄暗い場所にいた。なんだか水の中に似ているけれど、ちっとも息は苦しくない。
上を見ると師匠が地面の上に立っている。ここは地面の中らしい。
その子はマリエラの手をしっかりと握ってくれていて、大丈夫だよと言いたげに微笑んでいる。この子は精霊だったのかと、マリエラはようやく気がついた。こんなに不思議な場所なのに、ちっとも恐くない。きっと足元の深いところにやさしい光が見えるからだと思う。
夜空に浮ぶ星の川に似ているとマリエラは思った。でも光はずっと沢山あって、大きな川のようにも見える。ふわふわとそこから幾筋もの光が立ち上っては消えていき、時折上からさらさらと光の粒が光の川に流れ込んでいく。とてもきれいだな、とマリエラは思った。
その子に連れられて光の川のほうへ降りていく。上から見るとまるで光る水のように見えたのに、近くに寄ると光る細かい粒子のようにも思える。
すでに光の川に入っているのに水に入る時の様に境目がない。ただ足元は酷く明るく暖かく、上に行くほど光が弱くなる。その子に手を引かれるままに、どんどん奥へと進んで行くうちに周りはもう、上も下も光がたくさん満ちていて自分と光の境界さえあやふやに感じてくる。それでもその子がしっかりと手を握ってくれているから、自分とその子と光は別々のものだとちゃんとわかる。光がとても"大きい存在"だとわかる。
「マリエラちゃん、ここが地脈の中心だよ。地脈に真名を教えてあげて。そうしたら、地脈も真名を教えてくれる。地脈と繋がることができるよ」
ほんの少し、心配そうな顔をしてその子は言う。でもこれが師匠の言っていた"地脈とラインを結ぶ"ということなんだろう。マリエラは光に向かって真名を名乗る。
「私、マリエラ。あなたはだあれ?」
『******』
それは声だったのだろうか。その瞬間、マリエラは地脈と繋がった。
なんて、なんて暖かい。マリエラはすべてが満たされているように感じた。
今までずっと一人だった。マリエラは特に器量が良いわけでも、すごい才能があるわけでも、スキルに恵まれているわけでもない。錬金術のスキル持ちはたくさんいたし、錬金術スキルに加え他の便利なスキルをもっている子供のほうが多かった。
器量の良い子、才能やスキルに恵まれた子、労働力になりやすい男の子は早くに貰い手が見つかり、孤児院を後にしていった。マリエラはいつも選ばれなかった。幼心に自分が価値のない子供だとわかっていた。だからいい子になった。
お手伝いをたくさんした。下の子供の面倒を一生懸命にみた。
「いい子ね」、「助かるわ」、「ありがとう」
孤児院の先生たちはそう言ってくれた。けれど、マリエラを迎えてくれる人はいなかった。
寂しいと、孤独だと、そんな気持ちは物心付いた時から常にマリエラと共にあった。それが地脈と繋がったとたん、溶けるように消えていた。
いや違う、この寂しさは、孤独は、もっと昔から、この世にたった一人で生まれた瞬間から感じていたものだ。それが癒された。還ってきたんだと本能的に察した。地脈が命の源なんだと。地脈から自分は生まれ、そして還っていく場所なんだと。自分もようやく一つに戻れたと。
あったかいな、ゆるゆるとした微睡みの中でとろけて混じってしまいそうだ。
「マリエラ――――」
とおくでこえがする。だれかが、わたしをよんでいる。
「マリエラ――――」
このこえは、ししょーだ。
「この子がいい」誰にも選ばれなかったマリエラを師匠は選んでくれた。他に選択肢が無かったのではない。錬金術スキルを持っている子は他にもたくさんいたのに、師匠は他の誰でもなくマリエラを選んでくれた。ぎゅっと抱きしめてくれた。
地脈は命の源で、還る場所で、世界と隔てる肉のくびきから解き放たれ、癒され、満たされ、一つに還ることができる場所だ。
でも、自分はまだ『マリエラ』だ。マリエラの魂に根付いた錬金術のスキルを確かに感じる。錬金術のスキルが師匠に繋がっているのだと『マリエラ』にはわかる。
「いくの?」
その子が聞く。ずっと手を握ってくれていた。その手のぬくもりが、存在が、マリエラがまだ地脈に還っていないのだとずっと教えてくれていた。
「うん。ししょーが呼んでるから、帰んなきゃ。ししょーは一人じゃなんにもできないからね。私がいないと部屋が物凄いことになるんだよ。」
マリエラは笑う。ここはとても居心地がいいけれど、マリエラが帰る場所は別にある。
「じゃあね」と、その子は言う。
「また遊ぼうね」とマリエラが答えると、そのこは嬉しそうに笑って、
「またね」と言った。
帰らなきゃ。そう思うと不思議なことにマリエラはぐんぐん上へと昇っていった。地上に近づくにつれ、何かが流れ込んでくるのがわかる。何かに引き上げられているのを感じる。マリエラの錬金術のスキルに師匠の錬金術の経験値が流れ込んでいるんだと気づいた時、マリエラは自分の体の中にいた。
ずっと手を握ってくれていたあの子は何処にもいなくて、代わりに師匠がマリエラの手を握っている。
まるで世界に溶け混んでしまったように、あんなに自分が曖昧でひどく満たされていたというのに、肉の体に戻ったとたんにすっかり切り離されてしまった。個に戻ってしまった。
けれどあの場所を覚えている。心の奥底でつながっているのがわかる。錬金術のスキルが地脈に繋げてくれている。自分が世界の一部であると、今では理解できる。
「ぶはー、お前どんだけ深く潜ってんだよ。帰ってこれねーかと焦ったわ!錬金術の経験、根こそぎもってかれるとこだったわ。」
師匠が怒ったような、安心したような顔をして、最後に一言こう言った。
「おかえり、マリエラ」
「ただいま、ししょー」
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「私の時は、地脈とのライン契約はこんな感じでした。
錬金術師は、精霊の導きで肉体を捨て精神体となって地脈へ潜ります。そこで地脈と真名を交換することでラインは形成される。肉の体をもたない状態で地脈と繋がる行為は大変な危険を伴うそうです。心地いいんです。地脈はこの地に生きる生命の大元で大いなる流れ。その一部に戻る喜びは、個として生まれたときから付きまとう孤独を取り払う抗いがたい衝動なんです。
よほど現世に強い思いを持つ者でない限り、それを振り切って一人で肉体へ戻ることはできません。だから師が立ち会います。師匠は自らの錬金術の経験の一部を犠牲にして弟子に帰り道を指し示すんです。現世に帰るべき場所が、自分の居場所があるんだと。
子供のころに契約が行なわれるのは、子供のころの方が希望に満ちていて地脈にとらわれにくいからだそうです。」
精霊に連れられて地脈へ潜った弟子たちは、師匠の導きで現世へ戻る。その工程は再誕にも似る。だからこそ、錬金術師の師弟の絆は深い。
この儀式で使われた師匠の錬金術の経験値は弟子に移り、師から受け継いだ経験でもって弟子は地脈から命の雫をくみ出すことが可能となる。師弟間の経験値譲渡の際にできたつながりで《ライブラリ》が共有されるといわれている。
「地脈とのライン契約はこんな感じなんで、錬金術師の師弟の絆は血よりも濃いとか言われますが、ラインさえできちゃえば《ライブラリ》がありますからね、あとは独学でも何とかなるわけで、5年ほど師匠に面倒見てもらったのか、世話させられたのかわかんない感じで師匠と暮らしていたんですけど、いきなりどっか行っちゃうんだから、ウチのアホ師匠はもう」
マリエラはせっせと師匠を罵ってみる。何しろマリエラの向かいでは大きな瞳に涙を一杯に溜めてキャロライン嬢がマリエラを見つめているのだ。
「マリエラさんっ」
がばりとマリエラに抱きつくキャル様。
「感動しましたわっ。わたくしも、わたくしも居りますわっ。マリエラさんは一人じゃありませんことよ」
うん、あったかい。ついでに柔らかい。
それはマリエラの二の腕とかお腹辺りも同じなのだが。ぷにぷに。
キャル様や、なぜか両手を微妙に広げてわきわきさせているジークを見ながら、ここはとても暖かいな、とマリエラは思った。
館の外はすっかり冷え込んで、雨は雪に変わっていた。
明日はお休みでやんす。
マリエラ(ロリエラ?)成分補給後の次回はロバート劇場再開です。




