エスターリア
――――彼女を目覚めさせてはならない。
仮死の眠りから覚めた錬金術師達は、皆口をそろえて言い残した。
「新たな世界の錬金術師を誕生させるためには彼女が必要だ」
その言葉に嘘偽りはない。けれどエスターリアが『最初の錬金術師』に選ばれた理由はその若さゆえだったのだろう。
エスターリアが錬金術師となったのは、魔の森の氾濫の直前。当時まだ6歳の幼子であったという。師である錬金術師に抱かれ、ヤグーの背に乗り山脈へ逃げ延びた彼女を待っていたのは、過酷な復興の日々だった。
満足な食べ物も無く、温かな寝床もない。薄い板壁の向こうに魔物の息遣いを感じながら、息を殺して夜を過ごす。昼は魔物の目をかいくぐりながら薬草を集め、ただひたすらにポーションを練成し続ける日々。
エスターリアは幼子らしく遊ぶことも甘えることさえ知らずに育ち、少女らしく笑いさざめくこともなかった。
エスターリアが美しく成長すればするほど、食べるものの粗末さに、身に纏う衣装の倹しさに、その境遇の哀れさに人々は心を痛めたという。
これほど美しい女性なのだ。生まれた時代が異なれば、いや、帝都にさえ生まれていれば、どれほど美しい衣装に身を包み、皆に愛されて豊かで幸福な人生が送れたことだろうと。
けれどそんな彼女にも幸福な時間が訪れた。愛する人ができたのだ。厳しい暮らしの最中にあって、幸福そうに微笑む彼女に人々は明るい未来を描いた。この娘が幸せになれたのならば、迷宮都市の未来もきっと明るいだろうと。
けれどそれをあざ笑うかのごとく、エスターリアの愛する人は魔物に襲われあっけなく世を去った。
失意に沈むエスターリア。けれど彼女はポーションを作る手を止めない。毎日毎日魔力が尽きるまでポーションを作り続ける。
この地を再び人の手に。
愛した男の志を継いだエスターリアができることは、ポーションを作ることだけ。
魔の森の氾濫から十数年の時が過ぎた頃、迷宮都市はかろうじて町としての機能を取り戻した。帝都で最も優秀な研究者たちは、迷宮の規模と討伐に要する期間を、魔の森の氾濫からおよそ200年で最大50階層に到達するだろうと予測した。また別の研究者たちは、200年に渡ってポーションの保管が可能な保管設備の計画を打ち出した。
彼らは口々にこう言った。「理論上は可能です」と。
その理論に従って、アグウィナス家の地下には巨大な保管設備が建造され、錬金術師たちは保管設備に収められた巨大なポーションタンクを満たすべく、魔力の限りポーションを作った。
迷宮都市を治めることとなったシューゼンワルド辺境伯家を始め、志を同じくこの魔物の大地に生きることを決意した貴族の家々にも、小規模ながらポーションの保管設備は建造され、全ての保管設備にポーションが満たされた。
けれどアグウィナスを初めとした錬金術師達の懸念は消えない。
もし、200年で迷宮の討伐が叶わなかったら?
もし、迷宮の規模が50階層を超えていたら?
もし、途中でポーションを使い切ってしまったら?
もし、ポーション保管設備が200年もたなかったら?
永遠に続くと思われた栄光のエンダルジア王国が一夜にして滅んだのだ。
どれほど優秀な学者であろうと、帝都から一歩も出てきていない者の「理論上は」などという言葉を信用できるほど、彼らは暗愚ではなかった。
何よりも、錬金術師が地脈とラインを結ぶ儀式には錬金術師の『師』となる者が必要だ。
だから生き残った錬金術師たちはアグウィナスが持ち出した一枚の魔法陣に全てをゆだねた。
アグウィナスがかつて何処かから借り受けた『仮死の魔法陣』の精密模写。
錬金術師たちは『仮死の魔法陣』を複製した。『仮死の魔法陣』は複雑で作業は困難を極めたが、それでも複製の複製。おそらくオリジナルほどの効果は得られまい。
目覚めたとして元通りの身体機能を維持できるか分からないし、眠ったきり二度と目覚めないかもしれない。
けれど彼らは未来に賭けた。
建造された全てのポーション保管設備は何処も満杯で、彼らがやれることはもうない。
『アグウィナス家がポーション保管設備とは別に秘密裏に建造したもう一つの地下室で、仮死の魔法陣によって眠りにつこう。仮死の魔法陣が正しく機能したならば、棺を密閉し酸素を絶っておけば、棺が開くその日まで目を覚ますことはないだろう。』
決意した錬金術師たちは、全ての準備を整えたその日、アグウィナス家の地下室で最後の言葉を交わした。
「この地を再び人の手に」
「新たな大地に錬金術師の誕生を」
その中にエスターリアもいた。
身に纏う薔薇色のドレスは錬金術師達からの心づくしの贈り物だ。美しく化粧を施されたかんばせはエンダルジアの美妃と謳われた王妃殿下にも劣りはしないだろう。
初めて袖を通す美しい衣装、初めて施された化粧、初めて女性らしく着飾ったその場が、仮死の眠りに就く棺の前であったとは。
錬金術師たちはガラスの棺に横たわるエスターリアに告げる。
「次に目覚めたときは、新しい世界が待っているよ。その装いに相応しい、その美しさに相応しい、輝かしい幸運な世界が。新たな世界で幸せにおなり、エスターリア」
彼らにとってエスターリアは娘も同じ。
過酷な生活の中、ポーションを作り続ける幼い姿にどれほど励まされたことだろう。
その境遇にどれほど心を痛めただろう。
『不憫な愛しい我等が娘よ。きっと我々が新たな人の世界までポーションを繋いで見せるから、だから、目覚めたその時こそは、幸せになっておくれ』
エスターリアは錬金術師たちに答える。
「ありがとう、お父様たち。私は幸せでした。お父様たちに出会えて。あの人と共に生きることができて」
エスターリアが眠りに着くのを見守った後、錬金術師達も棺の中で眠りに付いた。
一人残ったアグウィナスは彼らの志を継ぐ。子へ、その子へと。
時折目覚める錬金術師と共に、彼らの棺を守り、ポーションを守り続ける。
エスターリアを、始まりの錬金術師を新たな世界へ届けるために。




