キャルの工房
(だ……大発見だ!)
その夜、マリエラは台所の魔道具の前でぷるぷると震えていた。
「どうした?マリエラ」
マリエラの様子にジークが魔道具を覗き込む。
マリエラが扉を開け放して覗き込んでいるのは、冷凍の魔道具。オーク肉などの食材を凍らせて長期保存を可能とする、マリエラにとっては画期的なものだ。マリエラが引っ越してくる前からあったものだから業務用の巨大な冷凍魔道庫で、中はいくつかの部屋に分かれていて部屋ごとに温度調節機能までついている。
マリエラはこんな便利な道具を知らなかった。200年間の進歩というのは凄いものだとマリエラは改めて感じていた。
なにしろ、『オーロラの氷果』の栽培ができてしまったのだから。
オーロラの氷果はポリモーフ薬の材料の一つで、白夜の間に成長し極夜の間に実を熟させる薬草だ。オーロラの氷果と名が付けられた理由は、オーロラの下で良く見つかること、変身の機能がたなびき姿が定まらないオーロラを思わせること、その実がオーロラのような色合いであること等諸説あるらしい。マリエラの愛読書『薬草薬効大辞典』に書いてあった。
迷宮ならば32階層で採取できるそうだ。
ジークらが迷宮32階層でオーロラの氷果を採取してきた日、みなでホクホクのポトフを食べながら、どれほど32階層が寒かったのかリンクスが熱弁をふるってくれた。オーロラの氷果が取れる場所だから、きっとオーロラがでていてきれいな場所なんだろうと思っていたのに、オーロラは見えなかったらしい。
「迷宮の空って、空に見えても違うもんだろ?」
オーロラなんて見えるわけ無いというリンクスの言い分を聞いて、マリエラは閃いてしまったのだ。
“オーロラの氷果の生育にオーロラ関係ないんじゃね?”と。
32階層の空については、ガーク爺に聞けば簡単に知ることができた。
白夜の間は照明石と呼ばれる石が光り、極夜の間は月光石が光っているらしい。
照明石は一般家庭の照明の魔道具に使われている魔力で光る石で、月光石は魔力の割に明るさが低いから一般家庭用に出回ってはいないが、帝都のルナマギア栽培農家などで需要があるから簡単に手に入れることができた。
32階層の白夜と同じ温度に設定した冷蔵魔道庫内に照明石を、極夜と同じ温度設定にした冷凍魔道庫内に月光石を設置して栽培環境を整える。
オーロラの氷果の種はポリモーフ薬を作ったときにより分けてあるから、土を薄く敷いたトレイに撒いてまずは冷蔵魔道庫内においておく。
すると、たった5日で実をつけてしまった。その後トレイを冷凍魔道庫に移して5日間。冷凍魔道庫のなかでしっかりと熟したオーロラの氷果が実っていた。
ポリモーフ薬1本分で銀貨2枚の高級薬草がご家庭でこんなに簡単に。
冷凍魔道庫の前でえらいこっちゃとぷるぷるしているマリエラと、マリエラの手元にあるオーロラの氷果を見て驚くジーク。
「ジーク、オーロラの氷果が栽培できちゃったよ……」
「ということは、次からは採取しに行かなくていいんだな」
オーロラの氷果の採取はよほどきつかったらしい。ジークは珍しくぐっと拳を握り締めている。
前回は材料の都合でポリモーフ薬を30本しか納品できなかった。
もしかしたら、追加で注文が来るかもしれない。そのためにもオーロラの氷果を沢山栽培しておこう。
マリエラは、有り余る財源でもって大型の冷蔵、冷凍の魔道庫を買い求め、地下室でオーロラの氷果を大量栽培した。
残念なことにポリモーフ薬の追加注文は来ず、オーロラの氷果はそのまま冷凍魔道庫の肥やしになってしまったのだが、大容量の冷凍魔道庫のお陰で『木漏れ日』は夏場に冷たい飲み物と氷菓子を提供することができ、ますます茶のみ客で賑わったので、よしとしよう。
(それにしても、魔道具って凄く便利……)
200年の間の進歩にマリエラは付いていけていない。
魔道具が無くても昔ながらの手動や錬金術スキルで何とかできてしまうから、魔道具を偶然見つけるか「どうして魔道具を使わないのか?」と提案されるまで便利な魔道具があることに気が付かないのだ。
きっとマリエラが知らないだけで、薬を作るのに便利な魔道具が沢山有るのだろう。魔道具だけではなくて、200年の間に新たに作られた技術や道具があるに違いない。
美白クリームを自動で練り混ぜる攪拌機を眺めながら、ある日マリエラはキャル様に聞いてみた。
「私、辺鄙な村で育ったから、こんな便利なもの有るって知らなくて。他にどんな魔道具があるんですかねぇ?」
「まぁ、マリエラさん。それならば、一度私の工房へいらっしゃいませんか?屋敷の一室を改装したものなんですけれど、必要な道具は一通りそろえてありますのよ。それがいいですわ。是非遊びに来てくださいまし。いつもお邪魔してばかりで心苦しく思っていましたの」
にこにこと提案してくるキャロライン嬢。
物凄く断りづらい雰囲気だ。
キャル様の押しの強さに「それじゃぁ、今度」などとあいまいな返事をしなければ、マリエラは何も知らないまま、今まで通り暮らしていけたのかも知れない。
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その日、急に降り出した雨は街行く人を近くの店へと誘った。
冬の曇天の下、風に吹かれて叩きつけられる雨はみぞれ混じりで酷く冷たい。
急な雨に傘を持たない人々は、屋根のある近くの店で雨が降り止むのを待っていた。
マリエラとジークもそんな人々の中にいた。ジニアクリームをまとめ買いするために迷宮都市の北東部、外壁付近にあるシール商会へ出かけていたのだ。
シール商会に駆け込んだ頃には、マリエラもジークも雨に濡れ冷え切っていた。
生活魔法の《乾燥》で服を乾かしはしたものの、冷えたからだはなかなか温まらない。
注文を済ませ、ぷるぷると震えながら雨止みを待つマリエラ。しかし雨脚は強くなる一方で、いつ帰れるかも分からない。
そこへ一台の馬車が通りかかる。
「マリエラさんじゃありませんの」
これは天の配剤か、はたまた日ごろの行いか。偶然通りかかったキャル嬢がマリエラを見つけて馬車を止めてくれたのだ。
「どうぞ、乗っていってくださいまし」
マリエラの手を取り馬車へいざなうキャル嬢は、マリエラの手が冷え切っていることに気がつくと、
「まぁ、こんなに冷え切って。このままではお風邪を召してしまいますわ。ここからでしたら私の屋敷の方が近いですわね。どうぞ温まっていって下さいまし」
と、アグウィナス家へと誘うのだった。
アグウィナス家は迷宮都市でポーションの管理を行なう家柄。
そしてマリエラは、迷宮都市で恐らく唯一ポーションを作成できる錬金術師。
キャロライン嬢に悪意ある意図が無いことは分かっているが、そんな危険がある場所にやすやすと出向くわけには行かない。
急にお邪魔するのは悪いから、自分は庶民で礼儀作法も分からないからと、マリエラは断ろうとするのだが。
「ですが、風邪を引いてもいけませんし。それに、以前工房へお招きするとお約束いたしましたわ。工房でしたら一緒にお仕事をしておりますもの、気兼ねなくおいでいただけますわ」
貴族の令嬢と庶民の娘。二人の会話に何事かと集まる視線もあいまって、ついに断る口実を失ったマリエラは、ジークと二人キャロラインの馬車に乗り込み、アグウィナス家の屋敷へと連れられていくのだった。
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雨はますます酷くなり、ジャック・ニーレンバーグのコートを濡らす。
『海に浮ぶ柱』の討伐で重傷者は出なかったから、ここ数日は早くに帰ることができている。
今にも降り出しそうな空模様に、いつもよりさらに早く家路を急いだニーレンバーグだったが、彼が家にたどり着くより先に、雨は降り出してしまった。
こんな雨は好きではない。服の隙間から忍び込む冷たい雨に体温を奪われていく様は、治療が間に合わず冷たく熱を失っていった同胞たちを思い出させる。
ニーレンバーグに治癒魔法の才はない。彼ができるのは、生物の体内を探査することと、生物を捌くこと。あとは鍛え上げられた体術があるだけだ。どちらかと言うと対人向け、暗殺者向けの能力だ。人と大差ないサイズの魔物であるならば、弱点を探査しその一点を攻撃することで一撃で葬ることも可能だろう。
ニーレンバーグの手はいつも彼が葬ってきた敵の血に濡れていた。どれほどの命をその手で刈り取ってきたか分からない。数えることなどとうに辞めてしまった。
けれど、ウェイスハルトにその能力を見出され、治療技師に任命されてからは、仲間の血に濡れている。
ニーレンバーグの手が仲間の血に濡れるほど、彼の仲間は一命を取り留めた。どれほどの命を彼の両手が助けてきたのか、彼は数えていない。
一つだけニーレンバーグが自覚していることは、愛娘シェリーに触れることを躊躇わなくなったということだ。愛娘が生まれたとき、彼は娘を抱くことを躊躇った。血塗られた手で穢してしまうのではないか、自らの業罪で汚してしまうのではないかと。
頭を撫でられたシェリーが、「パパの手は大きいね、温かいね」と微笑む度に、ジャック・ニーレンバーグは治療技師としての職務を与えてくれたレオンハルトら兄弟に感謝する。
自らの手荒い治療に文句と殺意を抱きながらも、先生、先生と慕ってくれる兵士たちに自らも迷宮討伐軍の一員であると仲間としての意識を覚える。
誰一人失うことなく、迷宮の最深部へたどり着きたいと強く願う。
「あぁ、嫌な雨だ……」
ジャック・ニーレンバーグはポツリとつぶやく。柄にも無いことを考えてしまう。衣服もずいぶん濡れてしまった。さっさと帰って着替えなければ。
雨が、彼の熱を奪い去る前に。
彼が家にたどり着いたとき、家に人影は無く、愛娘シェリーは奪い去られた後だった。




