キャルの友人
「ポーションの運び人は黒鉄輸送隊か」
ロバート・アグウィナスは年老いた家令の報告を聞いていた。
「それで、彼らの行きつけで怪しいと思われる場所は?」
家令はロバートの質問に手に持った書類をめくり順に名前と特徴を挙げていく。
黒鉄輸送隊が定宿にしていたという『ヤグーの跳ね橋亭』、武器の整備を任せている武器屋、帝都に運ぶ素材を仕入れる幾つもの商会に、各メンバーがひいきにしている食堂。家令の報告は店舗の概要だけでなく、店員の経歴まで仔細に及んでいた。
「爺の説明では、その『木漏れ日』という薬屋が最も怪しいではないですか。黒鉄輸送隊がポーションを取扱い始めたのと前後して迷宮都市に外からやってきたなどと……」
家令の報告を一通り聞いたロバートは、あからさまとも思える新しい住人について意見を述べる。
「それが、ロバート様。その店はキャロライン様が懇意にしておりまして……」
「は?キャルが?」
思いも付かぬ展開にロバートはしばらく瞑目してから、家令に命じた。
「少し、キャルと話をしてみましょう。お茶の用意をしてください」
食堂にお茶の準備が整った頃合に、妹キャロラインがやってきた。昔はこの食堂で家族で夕食を取ったものだが、家督を継いで以来ロバートは食事も自室か研究室に運ばせて済ませているから、お茶とは言え妹と食卓を囲むのはずいぶんと久しぶりだ。
キャロラインも同じように感じていたらしい。
「お兄様と、こうしてご一緒するなんて嬉しいですわ。最近は夕食にもいらしてくださらないから」と、にこにこと微笑んでいる。
「研究が忙しくてね。だが息災な様で何よりだ。そういえば、最近市井に気に入りの店ができたとか?」
「まぁ、お兄様、お耳が早いですわ」
兄の思惑など知る由も無く、キャロラインは楽しげにマリエラの店について語って聞かせた。
「……、それで私、マリエラさんと共同でお薬を作っておりますの。マリエラさんのお薬はライナス麦の効果を使っておりますのよ。昔お兄様も着目なさっていたでしょう。しかも、その作り方を街の薬師さんに教えて差し上げて、今では皆さん前よりもずっと効果の高い様々なお薬を作ってらっしゃるのよ」
嬉しそうに話すキャロライン。ロバートは妹の話を笑顔で聞きつつ考える。
(優秀な薬師のようだが、錬金術師だとすれば納得はできる。だが、キャルと同じ年頃?若すぎる。最年少だったエスターリアよりも若いなど……)
「キャル、ずいぶんと優秀なお友達のようだが、迷宮都市の外から来た方だ、何か隠し事があったりはしないのかな。あぁ、彼女がとても良い人だということは十分に分かっているよ。だが彼女の知り合いまでは分からなくてね。君は婚約者のいる令嬢なのだ、兄として心配なのだよ」
妹の感情を損ねることなく、それとなく聞き出そうとするロバート。
「マリエラさんの周りの、隠し事、ですか?……、ありますわ!お兄様!マリエラさんをめぐる、ジークさんとリンクスさんの秘めた思いと友情が!あぁ、でも駄目ですわお兄様。いくらお兄様でも、こんなお話をするなんて、そんなはしたないことできませんわ!私、マリエラさんのお友達ですもの。マリエラさんのお気持ちを一番に考えなくてはいけませんもの」
けれど、キャロラインの思考はロバートの思惑とはかけ離れたところへ突っ走って行ったようだ。やはりマリエラと意気投合するだけはある。似たもの因子をもっているに違いない。
「えー……、こほん、キャル?み、皆良い方のようだね。安心したよ。そういえば、最近不思議なうわさを耳にするのだけれど、その店で何か見慣れぬ物は見なかったのかい?」
ロバートのキャルに対する質問が不自然だ。久しぶりにあった妹の暴走振りに気圧されてしまったのかもしれない。キャルはと言うと、兄の質問の不自然さよりも、その内容に食いついてしまった。
「まぁ、お兄様。お兄様もお聞きになっておりましたのね。ご安心下さいまし、お兄様。私、ちゃあんと習得して参りましたのよ。これが、ポーションのような神秘に満ちた、光るお茶ですわ!」
キャロラインはすっくと立ち上がるとティーポットを右手につかむ。親指で蓋を押さえ、中指と薬指で持ち手をもつ。人差し指と小指はぴんと伸ばしているからなかなかの握力だ。伊達に毎日マリエラと一緒に練り練り薬を練っていない。
左手にソーサーごとカップをもつと、ポット内部を《ライト》で光らせたお茶が、つとーっとカップに注がれる。お茶がこぼれないようポットをもつ右手を高く上げ、光るお茶をロバートに見せ付けるようにカップに注ぐ。光るお茶はまるで神秘の滝のようだ。
ダンスの素養もあるキャロラインの姿勢は良く、優雅な姿勢が素晴らしい。満点だ。
お茶がこぼれないようにこっそり水魔法で調整までしているところが、キャロラインの上級者っぷりをうかがわせるのだが、スタイリッシュ・ティーパーティーを知らないロバートは複数の魔法を駆使して視覚効果だけ充実させて注がれるお茶と、『いかがでして、お兄様!』とばかりに自慢げな妹の顔を、あんぐりと口をあけて交互に見た。
「さぁ、どうぞ。お兄様」
高い位置から注いだせいで、微妙に冷めて飲みやすくなったお茶を受け取ったロバートは、
「毎日楽しく過ごしているようだね」
と妹に向けてにっこりと笑った。妹の淹れたお茶は、なかなかに美味しかった。
キャロラインとのお茶会を終えたロバートは、自室で一人考える。
(『木漏れ日』はシロだな……)
マリエラの無自覚なずれっぷりは、賢さ5を誇るロバートの頭脳さえ欺いてしまったようだ。そうと知らないロバートは考える。
冷静に考えれば分かりそうなことだと。黒鉄輸送隊がポーションを扱いだしたタイミングで迷宮都市に現れるなど、あからさま過ぎる。黒鉄輸送隊は迷宮討伐軍の元兵士らからなる輸送隊だ。その程度の頭が回らないはずはない、彼らがフェイクとして用意したと考えるのが妥当だろう。マリエラという少女はおそらくは迷宮都市の外から呼ばれた錬金術師。そう考えれば納得がいく。喫茶店を思わせる店舗を構え常に人目につくことで、フェイクと気付かぬ愚か者の手が伸びる危険を減らしているのだろう。薬の製法を広げたのだって、安全を買うためと思えば納得がいく。知り合いが増え、重用されるほど、生半可に手を出しづらくなるものだから。
そもそも、迷宮都市の錬金術師が未だ市井にいるなどという考えのほうがどうかしていた。
黒鉄輸送隊のポーション輸送自体が『埋蔵品を運び込んでいる』と思わせるためのフェイクだろう。
肝心の錬金術師は、とうに確保されているに違いない。場所は、迷宮討伐軍の基地か、シューゼンワルド辺境伯邸か。
(なんということだ。錬金術師を確保されてしまうとは。
我がアグウィナス家こそが彼らを保護しなければならないのに。
取り戻さなければ。助け出さなければ。手遅れになる前に。
この土地の未来のためにも、必要なのだ。
だがどうする……。)
ロバート・アグウィナスは思案する。
迷宮討伐軍やシューゼンワルド辺境伯家にどうやって入り込むべきか。
情報が必要だ。
ロバートは迷宮討伐軍の近況に関する報告書を紐解いた。
その中に、『スラム街における巨大スライム被害状況報告書』があった。
「これは?」
「はい。先の巨大スライム騒動の被害者リストが添付されております。新しい『材料』の入手先としても活用できるかと準備させていただきました」
ロバートに老いた家令が答える。
2週間ほど前の小遠征では『黒の新薬』の使い方が荒かった。今までは時間を空けて1本ずつ使っていたのに、まるで安い薬を使うかのように立て続けに使用していた。お陰でずいぶんと損耗してしまった。今ある材料で次回の分は賄えるが、いくら質の低い『材料』だとはいえ、安いものではない。
より安価な材料の調達方法として、家令が手配したらしい。
巨大スライム騒動の被害者は、迷宮討伐軍の治療部隊が治療を施しているが、溶解液で溶かされた傷跡は深い火傷のように引き攣れているから、負傷の酷い者は一度の治療で従来通りまで回復したりはしないだろう。ロバートにとっては幸いというべきか、負傷者の大半はスラムの住人で治癒魔法使いに掛かるどころか薬を買う金も満足にもたない、しかも身寄りのないものばかりだ。治療と偽り連れ出すことはたやすいだろう。
「これは……」
ロバートは負傷者リストから一人の名前を見つけ出した。
『シェリー・ニーレンバーグ 12歳 女性』
ニーレンバーグ、それは迷宮討伐軍の治癒部隊長の名ではなかったか。
シェリー・ニーレンバーグの負傷部位は左顔面から側頭部とある。12歳の少女にはむごい傷跡が残されたことがうかがえる。
「ふっ、ふふふ……」
ロバートは笑う。迷宮討伐軍に隠されてしまった錬金術師への手がかりを見つけたと。口の端を大きくゆがめるように笑うと、ロバートは老いた家令に計画を命ずるのだった。




