時騙しの花蜜
「これでオーロラの氷果と魚人の鰓石が揃いましたね。」
リンクス達がオーロラの氷果を採取した数日後に、マルロー副隊長がオーロラの氷果に見合った数の魚人の鰓石を届けにきた。魚人の鰓石は宝飾品なのにこんなにあっさり手に入れるなんてと、マリエラが驚いていると、
「魚人の鰓石はマーマンやサハギンから手に入りますからね。入手した冒険者が何処へ持ち込むか考えればたやすいものです。」
と種明かしをしてくれた。
なんと、娼館を周ったらしい。市価よりも高い買取価格を提示すると、娼婦達は客から貢がれた魚人の鰓石を我先に売ってくれたという。
「オーロラの氷果が安価で入手できたぶん、魚人の鰓石に予算を回せて助かりましたよ。」
と笑うマルロー副隊長の後ろでリンクスが、「ずりぃ、ずりぃ。すっげー寒かったのに。」とぶつくさ言っていた。
余談ではあるが、数日後、双剣使いのエドガンがジークを訪ねてきたと思ったら、
「『ヤグーの跳ね橋亭』のベリーサちゃんがさ、オレがあげた魚人の鰓石のペンダントつけてないんだ……。いっつもオレが行くと着けててくれるのにさ。」
と店の隅っこの一番日当たりの悪い場所でジークに零していた。
「きっと失くしたんだろう。そのうち見つかるんじゃないかな。」
きのこが生えそうなエドガンを慰めにかかるジーク。
「お前、イイヤツだな……。」
オーロラの氷果を採取しに行って以来、ジークはエドガンとも仲良くなったらしい。
さらに数日後、
「ベリーサちゃん、魚人の鰓石着けてたよ!やっぱ、失くしてたんだな。」
とエドガンがジークに報告に来たのだが。
「ネックレスのチェーンが切れたみたいでさ。チェーンが変わってたよ。なーんか魚人の鰓石の形も違う気ぃすんだけど、魚人の鰓石は柔らかいから形も変わるんだな。」
と言っていたとか。
「あ……、あぁ、そうだな。魚人の鰓石だし、色や形や大きさくらい変わるよな。」
とジークが無理のあるフォローをする。それを見たリンクスは、
「マリエラは、オレの土産のペンダント、いつも着けてくれてるよな!」
とエドガンとジークを見ながら余計なことを言っていた。オーロラの氷果を採取しに行って、3人の仲は深まったんだと思う。たぶん。
魚人の因子を有する鰓石に、変身を促すオーロラの氷果は手に入った。変形に伴う身体機能の調整をしてくれるクラーケンの粘液は、マリエラのペットのスラーケンが毎日だばだばと分泌してくれているし、基材となるルナマギアは上級ポーションに必須だから大量に常備してある。あとは変身の効果を維持するための『時騙しの花蜜』だけ。
時騙しの花蜜を入手すべく、マリエラはジークと二人、地下大水道を抜けてマリエラが住んでいた魔の森の小屋の跡地に向かった。
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「この辺に埋めたハズなんだよね。」
すっかり低級薬草に埋もれてしまった小屋の跡地の片隅を、マリエラはせっせと掘り起こす。
「あったあった。結構駄目になっちゃってるけど、これだけ残ってれば何とかなりそう。」
マリエラが掘り返した穴には、両手で持てるくらいの蓋の付いた陶器の壷が埋めてあった。中には小さなガラス瓶が緩衝用の布に包んで幾つも収められている。壷は割れてしまっていてガラス瓶も3割くらいは割れている。瓶からこぼれた内容物はすっかり劣化して土に還ってしまっているが、無事なガラス瓶に収められた植物の種は200年の時を経て尚、形を保っている。
マリエラはゴム手袋をした手で無事な瓶を慎重に取り出していく。1つ1つ中身を確認しては、使えるものは新しい壷に移し変えていく。割れてしまったり、中身が駄目になった種はまとめて燃やして処分する。
ここに納められている種は、どれも毒性が強く常植できない危険なものだ。土に落ちて芽が出るのではなく、生物の亡骸を、あるいは生きたままの生物を苗床にして生育するものばかりを集めてある。こうして土の中に埋めておけば、万一瓶が割れて種がこぼれても、長い時を経て土に還るから倉庫などで保管するより余程安全な保管方法だ。
こういった生物を苗床にする種子は、苗床となる生物が訪れるまで長期間耐えるよう、厚い表皮の中で休眠している。さすがに土の湿気や微生物の腐食作用に200年耐えることはできなかったようで、瓶が割れてしまった種は朽ちてしまっていたが、瓶の中で密封していたもののうち、1割くらいは発芽できそうだ。
マリエラは生き残った種子の中から目当ての種を見つけると、道中でジークが倒したゴブリンの死体の傷口にいくつか植え付けた。
パキョリ
ゴブリンの血を吸った種は表面に血管のような筋を浮かびあがらせると、分厚い皮を割り広げて伸びた根が、たちまちゴブリンの体内へと広がっていく。
余分な種を新しい瓶に移したり、繁茂しすぎた低級薬草を刈り取って乾燥させたりしながら1刻ほどすると、ゴブリンの死体を苗床にした『時騙し草』はマリエラの膝丈くらいまで成長していた。
時騙し草の葉をいくつか摘み取ると、指で潰して団子を2つ作る。
「ジーク、これ、奥歯に噛んでおいて。急に空腹を感じたら強く噛んでね。解毒剤になるから。」
マリエラは自分も葉の団子を奥歯に噛むと、口元を布で覆う。
時騙し草は既に蕾をつけ始めている。
もってきたクリーパーゴムの袋に水を入れると、時騙し草の蕾一つ一つにかぶせ、蕾を包むように口を縛る。水の重さで茎が折れないように縛った紐の端を立てておいた支柱に結びつける。
時騙し花は1苗に付き2~3個。1つも見逃すわけには行かない。全ての蕾に袋を取り付け見逃しが無いか何度も確認を終えた頃、時騙しの花が開いた。
種をまいてからたった2刻程度の時間で開花したとは思えない、多重の花弁を持つ赤みがかったオレンジ色の花は、熟れた果実のようにも見える。開花した瞬間に飛び散った花粉も花の匂いも袋にさえぎられて外に漏れることは無いけれど、もしも袋をつけていなかったら、花弁が放つたまらない甘い匂いは森の生き物を引き寄せただろうし、飛び散る花粉を吸ったなら花粉に含まれる毒の効果で、耐え難い空腹感を感じただろう。そして目の前の甘い果実を思わせる花弁にかじりつき、花蜜の毒で眠りに就くのだ。花弁にまぎれて既に成熟している種子を体に取り込んで。
時騙し草は生物の血と魔力で生育する。眠りに就いた生物の体を突き破り、時騙しの花は美しく咲き乱れる。苗床が生きている方が長く繁殖できる。そのためだろうか、時騙しの花蜜で眠りに就いた生物は時が止まったかのように、血と魔力が尽きるまで老いることも劣化することも無いという。
この花に『時騙し』と名がつけられた由縁でもある。
この花蜜から眠りの毒を取り除いた蜜の配合量でポリモーフ薬の変身時間を最大1時間まで調整できる。
花がしっかり咲ききると、マリエラは花にかぶせた水袋をしゃばしゃばと振って蜜を水に溶かしだす。蜜と花粉とこぼれた種子が混ざった洗い水を錬金術スキルの《練成空間》に移し変えると、その場で無毒な蜜に精製する。ついでに採取した種は、乾かした後、瓶に密閉して他の種と共に壷に入れ地中に埋め直しておく。
得られた時騙しの花蜜は大匙に1杯程度。他の材料にあわせた最小量だ。
時騙しの花蜜は高値で売れる蜜だけれど、苗床になり血を吸われて萎びてしまったゴブリンを見ると必要以上に作ろうとはマリエラは思えない。マリエラとジークは時騙しの草ごとゴブリンの亡骸を燃やして埋めると、地下大水道を通って家へと帰っていった。
「師匠にね、言われたんだ。」
帰り道、マリエラはジークに話す。
「時騙しの花蜜は貴重で高価なものだけど、必要以上に作っちゃ駄目だって。狩人が必要な分だけ獲物を狩るのと同じだって。それでね……、」
いいかげんな師匠だったが、《ライブラリ》の知識だけで取り扱うには危険な植物の取扱いについては、きちんと指導をしてくれた。ポリモーフ薬は作ったことが無いが、時騙しの花蜜の作り方を教わっていて助かった。
マリエラの口から、『師匠』のきちんとした面を聞くのは初めてかもしれない。続きを口ごもるマリエラをジークは見つめ、続きを促す。
「それでね、必要以上に作ると、おへそから時騙し草が生えてくるって言うんだけど、ホントかな!?」
「生えてくるかもしれないな。」
マリエラの師匠の安定っぷりに安堵しつつも、師匠の嘘に乗っかるジーク。
マリエラは、おへその辺りをぎゅっと両手で押さえている。嘘だと分かっていても、こういう話をするとお腹が痛い気がしてくる。
その日の晩御飯に、うっかり豆のスープを作ってしまったマリエラは、
「豆も種だよね……。」
といいながら、何時もよりもぐもぐ沢山咀嚼してスープを食べていた。
別に豆を丸呑みしてもへそから芽は出てこないのに。
「今日はもう寝る。」
そう言って早くに部屋に上がっていったマリエラは、寝室に消えるまでおへそを押さえていたという。
クリスマスなどの後にオークションサイトでアクセサリーが大量に出回るのはなぜなんでしょうか。
あと、西瓜の種を飲み込むと、へそから芽が出るってお母さん言ってた。




