風に舞う
その日は風が強かった。
迷宮都市を吹き抜ける風は冷たく、冬がそこまで迫っていることを感じさせる。
道行く人もヤグーの毛から作られた厚手の衣類に衣替えをしている。
マリエラのお店『木漏れ日』はこんな日でもぽかぽかと暖かく、常連客たちで賑わっていた。
台所ではジークとリンクスが遅めの昼食を食べていて、先に食事を済ませたマリエラが店番をしながらキャル嬢と一緒にライナス麦を使った飲み薬を作っていた。
「マリエラさんの飲み薬は、ライナス麦で効果を高めていますのね。そういえば、お兄様もライナス麦を買い求めて何やら研究をなさっておいででしたわ。」
マリエラの飲み薬は殻を剥いたライナス麦を炊いた後、潰して糊状にしたものに粉にした薬草や薬草から抽出した薬効成分を練り混ぜることで、ライナス麦に含まれる命の雫の効果で薬草の効果をかさ上げしている。初めて卸売市場に行った時、アグウィナス家がライナス麦を買い漁って在庫が殆ど無かったけれど、キャル様のお兄さんが買っていたのか。
ちなみに今使っているのは最近収穫された新物だ。アグウィナス家の大量買いを期待して大量に仕入れたのに、今回は買いに来なかったそうだ。在庫をかかえて困っていたそうで、マリエラのまとめ買いを歓迎してくれた。
ライナス麦を炊かずに粉のまま混ぜたり、命の雫が多く宿る胚芽の部分だけ使ってみたり、茹でたり、炊いたり、煮込んでみたり、温度も低温から高温まで色々試してみたけれど、普通に料理をするように炊いたものが一番効果が高かった。
あと、ライナス麦も潰した後、薬草や薬草から抽出した成分とせっせと練り合わせないといけない。混ぜただけではライナス麦に含まれる命の雫と馴染まないのは理解できるが、そんなに練り練りさせたいのか。
閉店後に作る場合は、錬金術スキルでちゃっちゃと練り混ぜるのだが、最近はお店のカウンターでキャル様と一緒に作ることもある。その時は当然すり鉢とスリコギで練らないといけない。
オークとオークキングの脂を練りまくって作る、ジェネラルオイルを思い出す気の長くなる作業だ。
二の腕が逞しくなったらどうしてくれる。マリエラがふんぬと力瘤を作って見せると、リンクスが台所からひょっこり顔を出して、マリエラの二の腕をぷにりと摘んで「ハハッ」と笑って台所に戻っていった。
なんなの?と思っていると、ジークにもぷにりとやられる。
「くっ……」笑ったよね、今笑ったよね。
台所に消えるジークにじっとりとした視線を送っていると、後ろからキャル様にまでぷにりとされた。
「うふっ」
美少女スマイルかわいい。
陽だまりでたむろするドワーフ3人組と一緒に、キャル様の美少女スマイルに癒されていると、メルル薬味草店のメルルさんが駆け込んできた。
「マリエラちゃん、洗濯物とんでたよ。物干し綱が外れたんじゃないかい?だいぶん舞ってるよ。」
そう言って、メルルさんがマリエラに渡したのはマリエラのパンツだった。
「うえぇっ。ジジジ、ジークたいへん!急いで!緊急事態が大至急だよ!」
大慌てで風に舞い散る洗濯物を拾いに行くマリエラとジーク。マリエラのパンツはメルルさんが救出してくれたけれど、ジークのパンツは行方不明だ。
ぱたぱたと洗濯物を拾いに出て行くマリエラとジークを、キャロラインが見つめる。
「あの2人、一緒に暮らしていますのよね。恋人同士……なのかしら?」
ぽつりとつぶやくキャロラインにメルルさんが食いつく。メルルさんはこの界隈の奥様方の顔役。噂センサーの精度は並ではない。メルル薬味草店で取り扱っている薬味草やお茶の葉以上に得意分野だ。
「なんでもね、同じ村の出身で幼馴染らしいよ。ジークが冒険者になって村を出てってから、ちょっとばかしヤンチャしたらしくてね。迷宮都市へ送られるハメになったところを、マリエラちゃんが追っかけてきて助けたんだって。」
「まぁ。」
上品に口元に手をやるキャロライン。メルルさんの漠然とした言い回しが想像を掻き立てる。
「マリエラちゃんは幼馴染だって言ってるけどあの年の差だろ?それで、迷宮都市まで追っかけてくるとかねぇ。この家だってキャル様からすりゃ庶民の家だろうけど、なかなか住めるもんじゃない。
マリエラちゃんは他に家族もいないようだし、きっと親御さんから受け継いだもの一切合財つぎ込んで、こうして暮らしてるんだろうさ。」
「んまぁ、んまぁっ。」
令嬢とはいえキャロラインも年頃の娘。この手の話題は大好物だ。
ジークは常にマリエラを警護するような位置にいて、初めは護衛かと思っていた。キャロラインにも小さい頃から護衛は付いている。単なる護衛ではないと気付いたのは、マリエラを見つめるジークのまなざし。護衛が護衛対象から目を離さないのは当然だが、自分の護衛とは視線に宿る熱が違うと思った。
キャロラインから見て、マリエラのジークに対する態度は自然で家族に対する様だと思う。むしろ、リンクスのほうが仲がよさげに見えて三人の関係が気になってしまう。
きっと2人は幼馴染以上で恋人未満。リンクスの入り込む余地もあるのかもしれない。そんな想像に、きゃっきゃと盛り上がるキャロライン。
キャロラインには帝都に錬金術師の婚約者がいる。相手と会ったことは一度も無い。年齢は20歳も上だという。ずいぶん年上だが、上級ポーションを作れ、弟子を幾人か持つ高位の錬金術師だと聞いている。
アグウィナス家は代々ポーションの研究を行なっている。迷宮都市では地脈とラインを結べない以上、錬金術師と同じ方法ではポーションを作れない。命の雫を用いずに高い効果を発揮する魔法薬を開発するためには、錬金術師に《ライブラリ》として引き継がれる薬草の処理方法やポーションの作成手順、そして秘匿された特殊な魔法薬の情報が必要だ。
これらの情報や知識を得るため、アグウィナス家は代々嫡子以外の子供を帝都の様々な錬金術師の元へ弟子入りさせたり、婚姻関係を結んでつながりを作ってきた。
キャロラインの婚約もその一環。正妻としての輿入れだが、適齢期のキャロラインに対して相手は20歳も年上で再婚らしい。前妻とは死別、子供はいないと聞いているが一体どんな人物なのか。キャロラインも貴族の子女だ。政略結婚は当然のことと受け入れてはいるが、親と子ほども差のある相手というのは珍しい。ただでさえ帝都から山脈や魔の森で物理的に隔離された迷宮都市で育ってきたのだ。帝都へ嫁ぐと言うだけでも不安があるのに、この年の差を思うと不安は尽きない。数年後、迷宮都市を離れて帝都に嫁ぐことを思うと、キャロラインの心は風に舞う木の葉のように不安に揺れる。
貴族の娘であるキャロラインが薬師をして冒険者ギルドに商品を卸したり、庶民であるマリエラの元に毎日通ってこられるのは、迷宮都市が閉鎖的な場所だからというだけではない。彼女が自由に暮らせるのは、おそらくは迷宮都市にいる間だけ。婚姻前の最後のわがままとして黙認されているのだ。
(わたくしも未来の旦那様と、あんなふうに睦まじく暮らせますかしら……。)
洗濯物を抱えて、「全部見つかってよかったねー」などと話し合いながら帰ってくるマリエラとジークを、キャロラインは見つめる。
マリエラとジークの年齢を聞いてはいないが、10歳近く離れているように見受けられる。2人の間に流れる穏やかな空気に、キャロラインは自分と婚約者にも幸せな未来が訪れることを願った。
「まぁ、マリエラちゃんはあんな感じだからね、ジークの押しに掛かってるとあたしゃ思うんだけどね。」
噂話は始まったばかりで、燃え上がるには燃料が足りない。あんたたち、なんかネタはないのかい?この店の改修をしたんだろ?とばかりにドワーフ3人に視線を送るメルルさん。獲物を狙う魔物のような視線が恐い。
「さぁて仕事に戻るかのー。」
「この閃きを図面にまとめなければ。」
「窓の修理依頼を忘れとったわー。」
居心地の悪くなったドワーフ三人組は立ち上がると、店の前まで戻ってきたマリエラ達に声を掛けて店を出て行った。いつも通り傷薬を1缶ずつ買ってくれている。お茶代替わりなのだろうが、毎日毎日薬を買っては、スラムで雇った怪我をして休業中の冒険者に渡しているらしい。
「ま、がんばれや」「頑張ってください」「ファイトじゃわい」
すれ違いざまに、ジークにエールを送るドワーフ3人。
ドワーフ達の謎の激励にきょとんとしながら店に戻ったマリエラとジークは、ギラギラとしたメルルさんの視線にたじたじになった。
「さーってと、俺も帰っかな。マリエラー、俺2,3日来れねーから。昼飯は自分で食うんだぞ。じゃーな、ジーク。ガンバレよ。」
リンクスも台所から出てそう言うと、ぐしゃぐしゃとマリエラの頭を撫でて帰っていった。
「うん、わかったー。ってお昼ぐらい自分で食べれますー。」
洗濯物を両手に抱えて頭を防御できないマリエラは口を尖らせてそう言う。頭の上にはリンクスの手が乗っかっていて、リンクスの顔が見えていない。
リンクスの視線は、ジークを捉え、そしてキャロラインとその護衛を示すように動く。リンクスの「ガンバレ」がドワーフ三人組とは違う意味であることにジークは気付いている。
「あぁ、気を付けてな。」
そう答えると、ジークとマリエラはリンクスと入れ替わりに店に戻って行った。
(アグウィナスの嬢ちゃんも護衛も、マリエラやジークが店を離れてもおかしな動きはしなかったけどな。)
マリエラの店を遠目に見ながらリンクスは考える。
マリエラがポーションを大量納入し始めたタイミングでマリエラの店に現れたアグウィナス家の令嬢。マリエラのポーションは負傷した兵の治療と迷宮討伐軍の在庫確保に当てられていて、他の貴族家にはまだ流出していない。
迷宮討伐に関する情報は何年も前から秘匿されていて、現在の到達階層だけでなくレオンハルトの負傷や迷宮討伐隊が壊滅しかけたことさえも情報操作されている。迷宮が50階層を超えているなどという情報は、民間に流せるものではない。人々は遠征に向かうレオンハルト率いる迷宮討伐隊の勇壮な行進を見物し、遠征と共に活発化する冒険者達の活躍や、迷宮からもたらされる様々な素材に沸き立つが、兵達がいつ帰還したのかその姿は意識されていない。
アグウィナス家は200年に渡りポーションの管理を行ってきた錬金術師の家系で、代々ポーションの作成に血道を上げていることは、一部の人間の間では知られていることだが、その力は全て錬金術に注がれており、特に高い諜報力を有するであるとか、強力な武力を有しているといった情報は聞かれていない。
マリエラの存在に気付かれるには早すぎる、とリンクスは思う。
(まぁ、万が一ってこともあるしな。)
キャロラインが現れてからも、マリエラの店周辺に怪しい気配は感知されなかった。キャロラインやその護衛にも怪しい動きは見られない。
もう少し深く調べてみるか。リンクスの影は路地裏へと消えていった。




