キャロライン・アグウィナス
「ジーク、ジーク、どうしよう!?」
マルローから受け取ったポーションの代金が入った袋を覗いて、マリエラがうろたえる。
「金貨がいっぱい!毎日!毎日金貨がざくざくだよ!」
うーん、どうしようこの娘。と言いたげな表情でジークがマリエラを見る。
マリエラが受け取るポーションの代金は、帝都での売値と変わらない。迷宮都市での希少性を考えると安値で買い叩かれているともいえるのだが、そもそも上級ポーションは安いものではない。帝都の流通価格は、通常の上級ポーションで大銀貨1枚、上級解毒ポーションは大銀貨1枚と銀貨2枚、特化型になると材料の希少性や値段によって価格は変わるが大銀貨2~3枚の値が付く。それを毎日100本だ。ポーションの材料費は全て購入したとして3割程度。マリエラの場合は手間はかかるが安価な代用品を使うので3割を切る。
通常ならば材料費のほかに、流通に掛かる費用や、店舗や店員に払う費用、税金などが加算されるが、迷宮都市では税金は住居の賃料として一定額だし、もろもろの費用はこの取引では必要ない。
1家族が1~2年暮らせる金貨が毎日入ってくる状態に、マリエラはうろたえていた。
「錬金術が使えるって、実はすっごいやばいんじゃないの?」
「今更か!?」
10日ほど前、マルローとディックが夜中に訪ねてきた時、ジークは『厄介なことになる』と思った。解呪の特化型上級ポーションなどという珍しいものが、タイミングよく出てくるはずがない。しかも相手は迷宮討伐軍の将軍。マリエラの所在などじきに知れてしまうだろう。
ジークムントは考えた。マリエラにとっての最善は何か。どうすれば彼女を守れるのか。
軍を相手に個人の武力など意味がない。味方は多いほうがいい。だから、マリエラが錬金術師だと気付いていないマルローをあえてマリエラの工房に入れた。今までのやり取りで、マルローがマリエラを錬金術師だと気付いていないことは分かっていた。このまま、ポーションを持たせて迷宮討伐軍へ行かせてはならない。マルローに自らが錬金術師であるマリエラを守る立場にあることを認識させねばならない。
彼らは『魔法契約』で縛られている。そして迷宮討伐軍に、いや将軍自身にもツテがある。
マリエラはポーションを作ること自体に否は無いのだ。マルローは愚かではない。そこに落とし所があることに、きっと気付くはずだ。
はたして、ジークムントの思惑は効果を奏し、マリエラは今まで通りのんびりと暮らしながらポーションを供給できるようになった。
それ自体は良かったのだが。
「うわー、ボーンナイトの骨の処理ってスライム溶解液がいるわー。お金もあるし、思い切って溶解液専用スライム全種類揃えちゃおっかな。」
「生き物をむやみに飼ってはいけません。必要な分だけにしとこうな。」
さっき垣間見せた危機感は何処へやった。
マリエラののんびり具合に呆れてため息をつきながらジークは聞く。
「マリエラ。もし、迷宮討伐軍が店にやって来て一緒に来いといったらどうするんだ?」
「ん?行くよ。」
マリエラのこともなげな返事にジークは息を呑む。
「……逃げないのか?」
「なんで?無理でしょ、軍隊だもん。それに私、錬金術師だからポーション作らなきゃいけないし。
でも、まー、暗い部屋に閉じ込められて、ずーっとただ働きでポーション作りっぱなしとかは嫌だったから、ここで作れるようになってよかったよ。お金もいっぱい払って貰えるし。マルローさん達が何て言ってくれたかは知らないけど感謝だね。」
マリエラが逃げるというなら何処までも一緒に行こうと思っていたのに、その時はその時だとばかりのマリエラの返事に、ジークは困惑する。
「大丈夫だよ、ジーク。ジークはもう十分強いし専用の剣もあるから、前みたいな酷いことにはならないよ。」
ジークの困った顔を見てマリエラは、にっこり笑ってそう言った。
(マリエラは、自分の置かれた状況を分かった上で、俺にこの剣をくれたのか。自分の身に起こりうることを理解した上で、何があっても俺が困ることが無いように……。)
マリエラの言葉にジークの胸が詰まる。
「俺は、マリエラの剣だよ。だからずっと傍にいるよ。」
漸くそう返すと、マリエラは嬉しそうに笑って、有難うと答えた。
「じゃー早速ボーンナイトの骨砕いちゃおっか。」
「もう遅いから、明日にしような。」
ボーンナイトの骨は重くてマリエラには運べない。
ジークが運んでくれないので、今日は諦めてマリエラは寝室に引っ込んだ。
ぐつぐつぐつぐつ
台所の大なべでアプリオレの実を煮てアクを抜く。錬金術スキルでも行えるが時間がかかる処理なので、開店時間中に台所で処理している。
店舗では常連客たちとだべりながらアプリオレの実の選別。このアプリオレは孤児院の子供達が集めてきたもので、薬草店で買うよりだいぶ安いが虫が食っていたり腐っていたりする実も混じっている。代金は孤児院の運営に回されるというのでマリエラは大量に購入している。お店が手すきの時に仕分けをすれば丁度いい。
うまくアクを抜いたアプリオレはポーションの材料にもなるし、クッキーに練りこんでもこりこりした歯ごたえがして美味しい。あく抜きの時間は少し増えるけれどお菓子の材料にも使えるように、今日は粗く砕いた状態でアク抜きをしている。
「こんにちは、マリエラさん。」
昼過ぎに商人ギルドのエルメラさんがやって来た。エルメラさんはマリエラの店の石鹸を愛用してくれていて、忙しい仕事の合間に時々買いに来てくれる。今日はお連れの方がいるようだ。
「貴方がマリエラさんですの?」
いかにもお嬢様と言った様子の、マリエラと同じ位の歳の女の子が立っていた。意志の強そうなパッチリした瞳に筋の通った鼻、ぷくりとした唇がなんとも愛らしい、人形のような美少女だ。どちら様だろう。
「はじめまして、マリエラです。ええと、エルメラさん、この方は?」
「マリエラさんと同じ薬師です。お店は構えていませんが冒険者ギルドの売店では一番売れている薬師です。年頃も近いですし、知り合いになられたらと思いましてお連れしました。」
エルメラさんが紹介すると、美少女はきれいなカーテシーをして、こう名乗った。
「わたくし、キャロライン・アグウィナスと申しますの。よろしくお願いいたしますわ。」
(どうしてこうなった……。)
「ここは、ぽかぽかとして気持ちがいいですわね。」
「まぁ美容に良いお茶?メルル薬味草店の新製品ですか、買って帰らなくては。」
キャロライン嬢とエルメラさんが店舗の喫茶コーナーでにこにことお茶を飲んでいる。女性が多いとお店もいつもより華やかだ。おっさんがたむろしているのもほほえましいが、美少女にはやはり敵わない。
いや違う。美少女どうのじゃない。アグウィナスですよ、アグウィナス。
こんな珍しい名前、そうそうないよね?同姓の他人とかじゃないよね?
迷宮都市でポーションの管理を行っている、あのアグウィナス家だよね?
そこのご令嬢がどうしてウチのお店でお茶を飲んでいるのでしょうか。真っ向から敵情視察的なアレで来られたのでしょうか。分かりません。
混乱するマリエラにキャロラインは話しかける。
「マリエラさん、それはアプリオレですの?悪い実が混じっているようですが。」
「あ、これは孤児院の子供達が集めたものなんです。分別が手間ですけど代金が孤児院の運営に回されるそうなので、なるべく使おうと思って。」
「まぁ、素晴らしいですわ。慈善活動に興味がおありなのね。そういえば、エルメラさんのお父様のシール商会もジニアクリームの製造で女性の就業支援をなさっているとか。当家も何かやればよいのに、お兄様と来たら……。」
キャロライン嬢のたおやかな指先が、上品な菓子でも摘むように虫食いのアプリオレの実をつまみ、ポイとゴミ入れに捨てる。
「アグウィナス家は代々ポーションの研究をなさっているのですよね。素晴らしいことでは御座いませんか。」
エルメラさんも手袋をしたまま、アプリオレの実を摘んで、「これは大丈夫ね」等といいつつ、選別済みの容器に入れる。
「代々研究して成果が出ていないのです。ポーションにこだわらず、より良い薬を開発したほうが、よほど迷宮討伐の助けになると思いますのに。」
ほう、とため息をついてお茶を飲み、茶菓子、でなくアプリオレの実に手を伸ばす。選別容器、ごみ箱、選別容器と手際よくぽいぽいと分けていく。
「それでキャロライン様は、薬の製作に取り組んでらっしゃいますのね。」
ポポポポポポイポイポポイ
エルメラさんの選別速度がものすごい。プロか。
「えぇ。でも一人ではどうしても行き詰ってしまって。ですから、歳の近い女性の薬師がお店を開かれたと聞きまして、是非お話をと思いましたの。」
ぽいちょ、ぽいちょとアプリオレを選別しながら二人の会話を聞いていたマリエラの方を、キャロライン嬢の美少女フェイスが見やる。
ピンチだ、どうしよう。助けてジークー。
ジークはというと、完全に気配を消しつつ、未選別のアプリオレが減ると新しいものを足し、ゴミや選別済みの容器を取り替えては、すっと台所へ消えていった。
そうか、そうだよね。ジークはマリエラの剣だけど盾じゃないもんね。ていうか意識してないと、いつの間にアプリオレ足したり容器変えたりしたのか気が付かない。それ、身体強化とか魔法とか併用してるよね?ハーゲイに習った技術フル活用だよね?
「ええと、私でよければ、幾らでも?」
助けは来ない。諦めたマリエラがそう答えるとキャロライン嬢は、
「うれしいですわ。お友達になってくださいましね。」
とにっこりと微笑んだ。
「まぁ、この傷薬は薬草をそのままでは無くて、薬草から抽出した成分を配合していますのね?」
「そうです。キャロライン様。薬草そのままだと、治りを阻害するものも含まれていますので。」
「キャルとお呼びになって。あと敬語も不要ですわ。お友達ですもの私達。」
「そうは言われましても……。」
押し問答の末、キャル様という敬称と愛称がごっちゃになった呼び名で落ち着いた。他に貴族がいない場合は敬語もなしで普通に話すということになった。いいのか。よくない気がするのでなるべく丁寧に話すようにしよう。上手く敬語が使えなくても大丈夫ぐらいに思っておいた方が無難だと思う。
そもそも、貴族のご令嬢が庶民の店に一人で来て、だべっていていいのかと心配になったが、お付の人は店の外で待たせているらしい。どうりでお客さんが来ないと思った。次からは一緒にお店に入って来てくれるようにお願いした。
「もう、こんな時間ですのね。」
お茶の時間を過ぎたころ、エルメラさんとキャル様は名残惜しそうに帰っていった。
ポーションのことを探りに来たのかと思ったが、最後まで薬の話しかしなかった。
アグウィナス家のご令嬢が何しに来たんだと思わなくも無かったけれど、歳の近いキャル様とのお喋りは結構楽しくて、二人を見送るマリエラもとても名残惜しい気分になった。
「よければ、また来てください。」
マリエラがそう言うと、
「えぇ、是非伺いますわ!」
キャル様は笑顔で答えた。
こうして、常連がまた一人増えた。
どうでもいいが、アプリオレの選別作業は物凄く捗った。
この作品、年頃の美少女が一人もいないんですよ。マリエラも同じ歳の友達欲しいだろうし。
これはいかんと登場させたらこうなりました。




