治療技師
マリエラから上級ポーションを受け取ったマルロー副隊長とリンクスは、地下大水道を下流へと進む。
中級魔除けポーションの効果は抜群で、一匹のスライムにも出くわさない。人が通行できる通路は古く所々崩れている上に水にぬれて滑りやすいが、彼らにとってはどうという事もない。背負ったポーションが割れないようにだけ注意して、一気に出口へ駆け抜ける。
(エドガン、周囲の状況は?)
(問題なしです。マルロー副隊長。)
マルローの念話に双剣使いのエドガンが応じ、開かれた西門からマルローとリンクスがするりと入り込む。魔の森に隣接した西門を使う者はいない。常時封鎖されていて、定期的に見回りの兵が巡回する程度だ。その時間さえ避ければ、出入りはさして難しくない。門を抜ければ拠点は直ぐそこだ。
拠点にたどり着いたマルローとリンクスは、木箱の中に申し訳程度の緩衝材とともに雑に詰め込まれたポーションを、高価な携帯用のポーションケースに移しかえ、さらにケースごと木箱につめる。迷宮都市内の足として新たに購入したラプトルにポーションの入った箱を積み込むと、迷宮討伐軍の基地へと向かった。
うまい方法を見つけたものだ。
マルローは地下大水道を思い出す。地下大水道自体は知られたものだ。スライムが大繁殖していることも含めて。稀少な中級ポーションを消費してまで通行しているなどとは誰も思わないだろうし、万一つけられたとしても中級魔除けポーションなしで通り抜けられる場所ではない。地下大水道から迷宮都市の西門までは短距離とはいえ魔の森を抜ける必要がある。魔除けポーションも無しに安易に尾行できる場所ではない。
黒鉄輸送隊がポーションを持ち込んでいることは、じきに突き止められるだろうが、何処からかは分かるまい。装甲馬車で運んでいると狙うものがいたとして、魔の森の中を尾行し続けられるものでもない。万一襲ってきたとして、装甲馬車にはディックがいる。そう簡単に斃される男ではない。
拠点の守りは薄いが侵入されたとしても、ここには普通の商品しかない。ポーションは入手後直ちに迷宮討伐隊に納品しているし、証拠となる書類も拠点には置いていない。隅々まで探られたとして、商品の中継地点という以外は普通の家と変わらない。
そもそもポーションの納入先は迷宮討伐軍だ。表立って黒鉄輸送隊に手を出す愚かものはいないだろうし、裏で動いてきたとしても荒事には慣れている。しっぽをつかんで迷宮討伐軍へ突き出せば、あとはうまく処理してくれるだろう。マリエラさえ押さえられなければ幾らだってやりようはあるのだ。
マルローとリンクスは迷宮の南東壁側にある迷宮討伐隊の基地にたどり着く。表向きは帝都から運んできた物品の納品。拠点から軍の上層部向けの嗜好品などを少量ずつ納品しているのだという話が通っている。ポーションの納品は既に数度行われているから、なれた様子で地下倉庫に通される。
「待っていたぞ。今日は筋組織特化型の上級だったな」
中には無精ひげを生やした黒髪の眼光鋭い男が待っていた。歳のころは40歳位か。マルローやディックも世話になった先輩で今でも頭が上がらない。
「ジャック・ニーレンバーグ治療技師。本日の納品分です。確認を。」
マルローが渡したポーションをニーレンバーグが受け取り、周りの部下たちが検品を行う。
「明日の骨折特化があれば大勢の兵士を治療できる。だが、よくこのタイミングでこれだけのポーションが手に入ったものだ。」
ニーレンバーグがつぶやく。これで、先日の遠征で出た迷宮討伐隊の負傷者も治せると。
レオンハルトがバジリスクに石化の呪いを受けた時、迷宮討伐隊は壊滅の危機に瀕した。迷宮討伐隊の前線は53階層。Sランクの魔物が棲む魔境だ。幾ら数百の軍で挑むとはいえ、兵の大半がBランクで構成された迷宮討伐軍に太刀打ちできる相手ではない。迷宮討伐軍の進軍を可能としているのは、金獅子将軍レオンハルトの持つ固有スキル『獅子咆哮』の効果によるところが大きい。
レオンハルトの率いる軍は、『獅子咆哮』の効果によって全能力が50%増加する。このため、彼の率いる軍はAランク相当の軍勢にまで能力が引き上げられ、Sランクの魔物が棲む階層での進軍が可能となっていた。
そのレオンハルトが倒れたのだ。
レオンハルトの体躯は見る間に石化していき、スキルの効果で上昇していた軍の兵力は低下する。こんな速度の石化など治癒魔法で対処できない。レオンハルトを助けたのは、遠征直前にもちこまれた上級解毒ポーションだった。上級解毒ポーションをかけた場所は石化が解け、飲ませることで進行が遅れた。バジリスクの石化は呪いだから状態異常を幾ら除いても、再び石化は進行する。何とかバジリスクを斃し石化の進行は弱まったものの、呪が解けることは無い。
治癒魔法で石化の進行を遅らせ、石化が進行しすぎれば上級解毒ポーションを使う。そうやってじりじりと遠征軍を後退させていった。
どれだけの兵が倒れただろう。
冒険者ギルドのギルドマスター、ハーゲイのパーティーが駆けつけるまで持ちこたえられたのは、レオンハルトの弟、ウェイスハルトの的確な指示と、兵たちの研鑽の日々があってこそだろう。混戦の中、ニーレンバーグら治療部隊の必死の治療は続いた。兵を死なせてはならない。Bランクまで成長し、連携の取れた戦闘をこなせる兵は貴重だ。足がもげようが、手が千切れようが、拾っておきさえすれば後で繋げることができる。
治癒魔法師の魔力はレオンハルトの石化解除に必要だ。兵の治療には僅かしか使えない。死なない最低限の治療をポーションで。アグウィナス家から提供された新薬を惜しげもなく使う。中級だという赤いポーションは効き目が弱く、上級を冠する闇色のポーションは効果にばらつきが大きかった。
事前に用意していたアグウィナス家のポーションだけではとても足りなかった。マルローたちが持ち込んだ60本のポーションでぎりぎり急場をしのぐことができた。あのポーションは驚くほどによく効いた。上級、中級ポーションが尽き、すがるような気持ちで使った低級ポーションで一命を取り留めた兵さえいる。低級魔除けポーションで魔物の追撃の手は明らかに緩まった。本当に驚くほどの効果だった。まるで作りたてのポーションのような。
あれだけの被害を受け、死者が数名で済んだのは奇跡だったとニーレンバーグ治療技師は考える。手や足のもげたもの、骨が折れ、肉がえぐれ、内臓が破裂したものは大勢いるが、かろうじてまだ生きている。もげた手足も腐らないようごく僅かだけ繋いである。
治療に必要なポーションも、必要なだけマルローたちが運んで来るという。骨折の治療を治癒魔法で行う場合、治癒魔法の魔力消費量が多くて一日で捌ける患者の数が少ないが、明日骨折特化の上級ポーションが届けば問題ない。多くの負傷者を治療することができるだろう。
さて、届いたばかりの筋組織特化型で治療を始めようか。
ニーレンバーグ治療技師はにやりと笑う。まずは腹に穴を開けられたアイツから。傷ついた内臓は治癒魔法で治したが、本人の体力が足らず肉は裂けたまま、上っ面を無理やり閉じたたけだ。もう一度開いて中を洗浄し、特化型を使えば少ないポーションで効率よく治せるだろう。若い治癒魔法使いには閉じた傷口を切り開くことを厭う者も多いから、しっかりと見せておかなければ。治癒魔法に使う魔力やポーションがいつも潤沢にあるわけではない。これからの戦いに備え、経験をつんでもらわねば困る。
ニーレンバーグ治療技師はこれから行う治療の様子を思い描いて、くっくっくと低く笑った。
「お前たちが持ち込んだポーションのお陰で多くの兵が助かった。
だからな、十分に気をつけろ。」
そう言うと、ニーレンバーグ治療技師は患者の下へと去っていった。
「なー、マルロー副隊長、俺どっこも悪くないのに、ちょーっと腹が痛い気がした。」
「大丈夫ですよ、リンクス。私もです。」
マルローもディックも、従軍時代は散々世話になったのだ。
度重なる怪我にもかかわらず2人とも五体満足で後遺症も無いのは、ニーレンバーグ治療技師のお陰なのだが、にやりと笑いながら治療を施す姿は兵達の恐怖の対象でもある。彼の前では未だに背筋が伸びてしまう。ディックなどは、迷宮都市の拠点に残れば毎日アンバーに会えるというのに、ニーレンバーグ治療技師にもほぼ毎日顔を合わせると聞いて、輸送部隊に同行することを即決したくらいだ。
ニーレンバーグ治療技師の部下たちも同意するようにうんうんとうなずくと、ポーションを抱えてニーレンバーグ治療技師の後を追った。




