平穏な日々
「うぅ、サムい……」
マリエラはいつものように目を覚ます。重ねた毛布が床に落ちていて、1枚しか掛かっていない。寒いはずだ。
着替えを済ませ、裏庭の薬草園に向かう。ジークはとっくに起き出していて、朝の訓練を済ませたところだ。2人で薬草を刈り取り水を撒く。一般的な薬草は、魔素が濃いほど繁殖しやすいと言われ、人の領域には生えず魔の森や迷宮に生育する。こういった魔の領域では、季節を選ばず採取出来る品種などは、株間がスカスカになるほど採取しても数日でもとに戻ってしまう。マリエラの新しい薬草園でも薬草の生育は早く、育てている品種に関しては薬やポーションの原料に困ることはなさそうだ。有り難い反面、迷宮都市は人が住んでいても魔物の領域なのだな、と思う。
聖樹には命の雫が入った水を与える。勿論人目につかないよう、建物の中で如雨露に準備したものだ。魔力入りの水を喜んでいたようだから、もしかしてと思って与えてみたら、ばっさばっさと葉を落としてくれた。最初は「枯れる!ハゲる!」とあわてたが、幹も葉も心なしか艶やかになったので、それ以降は、命の雫入りの水を撒いて、お礼の葉っぱを頂いている。
薬草園の手入れが終わったら、朝食。その後、二人で手分けをして掃除、洗濯、商品の陳列を済ませて開店。
緊急を要する怪我や病気は治癒魔法使いの所へ行くものだし、冒険者が非常用に持ち歩く傷薬や煙玉などの消耗品は冒険者ギルドの売店にも置かせてもらっている。マリエラのお店に来るのは買い置き薬を求める市民や、休日の冒険者、後は日向ぼっこ目当ての常連達で、開店中は人が絶えることは無いけれど、のんびりしたものだ。
お客たちとのお茶や会話を楽しみながら、軟膏缶にラベルを貼ったり、丸薬を包んで袋にしまったりして過ごす。
ちなみに、『開店祝い』と称してマルロー副隊長にティーセットを頂いた。添えられたカードには「勝手に部屋に乱入し、申し訳ありません」という旨のコメントが添えられていた。別に気にしてないのに。2人暮らしに送るには、やたらとカップが多いティーセットで、どう見ても業務用に見える。
だから、喫茶店じゃないんだってば。部屋に入ってきたことよりも、こっちのほうを問いただしたい。
お昼前まではメルル薬味草店のメルルさんが、配達のついでにお茶を飲んでいた。メルル薬味草店には配達をしてくれる店員がいるのに、なぜか本人がやってくる。
「マリエラちゃんがウチのお茶を出してくれるお陰で、ウチも売上伸びちゃって。あ、これ新商品。美容にいい茶葉も扱ってみることにしてね」
「美容!?マリエラちゃん、私もこれ飲んでみたいわ」
薬を買いに来たアンバーさんも会話に加わり、新たな女子(?)コミュニティーが形成されている。
メルルさんはこの界隈の奥様たちの顔役らしく、口コミで来てくれるお客さんも増えてきている。マリエラのお店はそれなりに流行っている薬屋だから、あちこちから薬草や錬金術の原料が納品されても違和感は無い。
お昼時には、リンクスが遊びに来た。というか、お店が開いている日は殆ど毎日市場で買った食料を抱えてやってきて、マリエラのお店『木漏れ日』で昼食を食べて帰っていく。
マルロー副隊長達に石化を解呪する上級ランクポーションを渡した後、黒鉄輸送隊は迷宮都市に拠点を築いた。迷宮都市の西門付近の外壁に面した場所で、魔の森に面しているため一般市民には人気がなく土地の賃料は安い。駆け出しの冒険者が多く住んでいる区画だ。黒鉄輸送隊の面々はみな戦えるから問題ないが、余り治安の良い場所でないため、マリエラは来るなと言われている。
マリエラから供給される魔除けのポーションがあれば、馬車の装甲も薄くできるし、騎馬による護衛も必要ない。もちろん、ポーションを使っていることがバレないように、装甲の軽量化は見ためで分からないようにしているし、輸送隊の編成も従来の8人による2騎と装甲馬車3台から変えていない。
魔物除けのポーションで戦力を減らせるようになったぶん、馬車の操縦が出来る奴隷を3人買い入れて、黒鉄輸送隊の3名が迷宮都市の拠点に常駐している。
迷宮都市に残る3人は都度変更するそうだが、今回はマルロー副隊長とリンクス、双剣使いのエドガンが残留組だそうだ。輸送組が出かけている間に、残留組が次の荷を拠点の倉庫に集めておくことで、往復周期を短くでき稼ぎも増える、というのが表向きの理由だ。新しい奴隷を除く黒鉄輸送隊のメンバー全員とポーションに関する守秘契約を結びなおしている。マリエラが錬金術師であるということは明言はしていないが、リンクス辺りは気付いている様子だ。
「うちは、喫茶店じゃないんですー。しかも持込とか。お客さん困りますー。」
マリエラが文句を言うと、
「かたいこというなよ、マリエラー。ほれ、今日はコカトリスの卵のガレット買って来たんだ。一緒に食べようぜ。」
と、お土産の入った包みを渡してくる。
「仕方ないなー。ジーク、ガレット貰ったー。ちょっと早いけどお昼にしよう。あ、リンクス、これ新製品の石鹸。持って帰ってね。」
「ソーセージも焼こうか。飲み物は果実水でいいか?」
「お、ソーセージいいね。サンキューな、ジーク」
流石に他のお客さんもいるお店で食事はできないので、店舗に隣接した台所のテーブルで3人で食事を取る。ここなら、お客さんが来ても直ぐに応対できるから、元レストランという間取りも悪くない。ガレットの包み紙はスライム槽へ捨てる。食べ物のカスや脂のついた紙などは、スライムが跡形も無く消化してくれる。便利なものだ。
「あ、そうだ。これお土産。戻ってきてからバタバタしてたからな、渡すの忘れてたわ。」
そう言ってリンクスがポケットからなにやら取り出した。
「ジークは眼帯な。ちょっとカッチョイイだろ?
マリエラはこれ。細工物になってて、ここをこうしてこうすると、ほれ、ロケットが開くんだ。」
リンクスはクッキーのお礼に帝都でお土産を買ってきてくれたらしい。ジークに眼帯、マリエラに細工仕掛けのロケットペンダントを渡した。
「え?これどうなってるの?ぜんぜん開けられないんだけど……」
マリエラが貰ったロケットペンダントは、細かい細工が施された雫型のもので、いくつかのパーツを立体パズルのように動かすことで開く仕組みになっている。開けると中に球形の空洞が開いている。
「だから、ここをこうして、こうやって、な?開いたろ?」
むう、わからんと頭をかしげるマリエラに、リンクスがもう一つ爪の先ほどの小石を取り出した。
「こいつはオマケ。きれいだろ」
「これって、『地脈の欠片』!?特級ポーションの材料じゃない!」
リンクスがオマケとして渡したのは、黒鉄輸送隊が迷宮都市に戻る途中に出会った黒死狼から得られた『地脈の欠片』だ。リンクスが倒した一番大きい黒死狼が宿していた。
「うわぁ、すごい」と目を輝かすマリエラに、リンクスは少し悪戯心が湧いてしまう。
「『地脈の欠片』を、ロケットに入れて、ほい。封印。がんばって開けてみな」
「えーっ。ちょっ、まだ、ちゃんと見てないのに!や、開かないし!もー、リンクスー!」
「ははっ、まぁがんばれ。ジーク、手を貸したら駄目だぞー」
マリエラの首に雫型の細工ロケットを掛けると、石鹸を懐に入れてリンクスは楽しげに笑って帰っていった。
その日の閉店時間まで、マリエラは接客そっちのけでロケットの細工と格闘していた。『地脈の欠片』をじっくりたっぷり見てみたかったけれど、結局ロケットは開けられなかった。どの道まだ特級ポーションは作れない。そのままでも可愛いので中身のことはすっぱり諦めて忘れることにした。
午後のお茶を終えた辺りで閉店。ジークと二人で冒険者ギルドに納品しに行ったり、必要な材料の買い付けを行なう。卸売市場にも何か面白い出物が無いか確認しにいく。
迷宮討伐部隊の遠征は1週間ほど前に終わってしまったけれど、まだまだ珍しい食材やポーションの素材が出てくるから見逃せない。
夕食の材料を購入して帰宅。夕食はマリエラが作る。《ライブラリ》のレシピはどれも絶品で、『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターにも負けていない。夕食を終えるとマリエラは工房に篭って薬やポーションを作り、ジークは訓練を行う。
そろそろ時間だ。
ジークと二人、地下室に向かう。
3部屋が直列につながった地下室の真ん中の部屋で待っていると、地下深くから小さな音が聞こえてくる。
『コーン、コーン、コーン』
遠くで石を叩くような小さい音だ。
『カン、カン、カカン』
決まったリズムで金属製のドアを叩いて返す。
しばらくすると、行き止まりのはずの3室目からドアをノックする音が聞こえる。ノックのリズムが決められた合図の通りであることを確認して、ジークが3室目につながる扉のかんぬきを開ける。
「よお、マリエラ、ジークこんばんは。」
「今日の品物はこちらですか?」
誰もいないはずの地下室3室目には、リンクスとマルロー副隊長が立っていた。




