マルロー:石化の呪
黒鉄輸送隊は、帝都での取引を終え再び迷宮都市へたどり着いた。
道中、魔物除けポーションの効果は抜群だった。途中、人狼に出くわすハプニングがあったものの、帝都で馬車や騎馬の装甲を薄く改造したこともあり、何時もより丸一日早い夕暮れ時に迷宮都市に着く事ができた。
何時もの様に、迷宮都市の南西門で開門申請を行っていると、かつて部下だった迷宮討伐軍の兵がマルローとディックを迎えるために待機していた。
「マルロー様、将軍がお呼びです。ディック様と至急屋敷へお越しくださいますように。」
ポーションの件だろうか。衛兵は到着次第、我々を連れてくるように言い付かっているらしい。
黒鉄輸送隊のグランドルとフランツに荷物の納品を頼むと、マルローとディックは金獅子将軍レオンハルト・シューゼンワルドの屋敷へとラプトルを走らせた。
黒鉄輸送隊のメンバーは、年若いリンクスと帝都で出会ったフランツ、ユーリケ以外は元は迷宮討伐軍に所属していた。軍を辞めた、いわゆる訳有り達にマルローが声を掛け黒鉄輸送隊は結成された。
金獅子将軍ことレオンハルト・シューゼンワルドは、部下からの信頼の厚い人物で、身分の差が有るにもかかわらず、年の近いマルローやディックを友人のように遇してくれた。部隊長であったマルローやディックが軍を抜けざるを得なかった時も助力を惜しまず、黒鉄輸送隊の結成に手助けさえしてくれた。マルローやディックが軍を離れても、レオンハルトとの縁は切れることなく、黒鉄輸送隊は迷宮討伐軍からの依頼があれば、他を差し置いてでも請け負っている。
レオンハルトはシューゼンワルド辺境伯の第1子で、弟のウェイスハルトとともに、迷宮都市の管理と迷宮の討伐に尽力していた。迷宮の討伐こそを悲願とするシューゼンワルド辺境伯家の者は継承権の高低に依らず、武力ある者は迷宮を討伐し、知力ある者は都市の安定に力を尽くした。迷宮や魔の森という死の恐怖の傍で生まれ育ったがゆえに、継承争いなどという無駄な労力を割くこと無く、200年に渡ってこの地を治めてこられたのだろう。
レオンハルトは歴代のシューゼンワルド辺境伯家の者の中でも、特に武力に優れ、人望厚い将軍だった。レオンハルトは幾度と無く迷宮の討伐に挑み、知力に長けた弟のウェイスハルトは兄をよく支えた。迷宮の討伐階数はじきに50階層へ至るだろう。200年前の魔の森の氾濫の被害状況から学者達が想定した迷宮の最終階層だ。
40階層を超えると迷宮の難易度は跳ね上がる。恐ろしい魔物が溢れ、討伐は困難を極めるだろうが、金獅子将軍レオンハルトならばやれるのではないか。彼の時代に迷宮は滅ぼされ、迷宮都市は新たな時代を迎えるのではないか。
迷宮討伐軍の、いや迷宮都市に住む人々は皆、そう思っていた。
「こちらでございます。」
品の良い白髪の老人が、マルローとディックを案内する。ここは、迷宮都市に建てられた辺境伯の屋敷。本来であれば何日も風呂に入っていない旅装束のまま、入ってよい場所ではない。しかし、彼らを止めるものは誰もおらず、レオンハルトの寝所に通された。
「マルロー、ディック、よく来たな。」
マルローとディックは目を見張る。まさか、まさかこんなことが。
金獅子将軍レオンハルトは、半身を石化させ、ベッドに横たわっていた。
「なぜ……、貴方ほどの人が。」
バジリスクにやられたのだと、そばに控える弟のウェイスハルトが語る。バジリスクは難敵だ。分厚い鱗、強靭な爪、恐ろしい石化の呪を持っている。石化の呪は強力で、バジリスクが死んだ後も石化は止まることが無い。ただの石化であれば治癒魔法によって治すことが可能だが、呪を解くためには『解呪』に特化した上級ポーションを用いるか、生まれた地で精霊の力を借りた解呪の儀式を行なう必要がある。レオンハルトはここの地脈の生まれであるから、精霊と言葉を交わすことができない現状では、解呪の儀式は使えない。解呪のポーションを使うしか救う手立ては無い。
レオンハルトの石化速度が緩やかなのは、傍でウェイスハルトや治癒魔法の使い手たちが治癒魔法を掛け続けているからで、魔法をとめれば直ちに石像と化してしまうだろう。
「直ぐに、帝都へ向かいましょう。」
マルローが進言する。帝都までたどり着けば、解呪に特化したポーションが手に入る。
「無駄だよ、マルロー。通信魔法で確認したが、材料が足りないそうだ。それにこの体、治癒魔法を掛け続けたとしても、あと1日と保つかどうかだ。」
レオンハルトの言葉に、ウェイスハルトが歯を食いしばる。
「そんな顔をするな、ウェイス。迷宮を討伐しておるのだ。こういったことも想定して、準備は済ませてあるはずだ。後は、お前が引き継ぐのだ。
ディック、アンバーのことは気がかりだろうが、討伐軍へ戻って来い。Aランクの戦力を遊ばせておく余裕はもうない。マルロー、お前もだ。家のことはウェイスから手を回させる。」
悲痛な顔をするマルロー、ディックに、レオンハルトはこう続けた。
「よく聞け。今の迷宮討伐階数は、52階層だ。あの迷宮は50階を越える魔窟だった。」
まさか。
マルローとディックは驚愕に目を見開く。50階層を超える迷宮は存在しない。存在させてはいけないものだ。迷宮は深くなればなるほど、魔物も最奥に棲まう迷宮の主も強大になっていく。人が管理しうる迷宮の深さは50階層と言われている。これを超える迷宮の主は人の手に余る化物だ。だから、どんな迷宮も主の居場所を確認し、迷宮によっては封印して迷宮が育ちすぎないように管理する。そして50階層まで成長する前に、迷宮の主を討伐し、迷宮を滅ぼすのだ。
そもそも50階層を超える迷宮自体、歴史上稀に見る巨大なものだ。エンダルジア王国の被害規模から、学者達が最大規模の迷宮として推定した階層だった。
それが、50階層を超えているなんて。
「お前達がもたらしてくれたポーションは僥倖だった。
おかげで全滅を免れ得た。しかし、功をあせる余り、バジリスクごときに遅れをとってしまったがな。
マルロー、ディック。ポーションを軍へ持ち帰れ。我がシューゼンワルド辺境伯家にも、他家にもポーションの在庫は殆ど残っておらん。アグウィナス家からの納入品も新薬とやらの粗悪品ばかりだ。おそらくアグウィナスの保管設備にもロクに残っておらんのだろう。50階層を超える想定など、誰もしておらんからな。対価として十分とはいかんだろうが、ポーションの持ち主には恩賞を与えるよう取り計らおう。」
「お待ちください、将軍。」
レオンハルトの話が終わるのを待ち、ディックが口を開いた。
「解呪のポーションが有るやもしれません。」
「まさか」とウェイスハルト。
解呪のポーションは特殊な原料を必要とする。特殊な環境で育った希少な苔であるとか、1000日に1夜だけ花開く花弁であるとか。
どちらも希少な材料で、特に苔などはこの迷宮都市でさえ出回っていない。材料を揃えて魔の森を駆け抜ければ兄は助かるのではないか、そんな希望に掛けて必死になって探したのだ。
迷宮都市のポーション保管設備にさえ、僅かに十数本あっただけだ。それさえ何十年も前に使ってしまった。そんなものが残っているとでも。
「期待をさせてしまうだけかもしれません。ですが、私はこのまま諦めたくはありません。どうか、明日まで時間を頂きたい。」
ディックが深々と頭を下げる。
レオンハルトは少しだけ困った顔をして、
「返事は、明日聞かせてくれ。」
と答えた。
(リンクス、聞こえますか?)
マルローがリンクスに念話を送る。事前に登録を行なった相手に情報を伝達するスキルで、つながれば双方向の対話が可能だが発信はマルローからしかできない若干不便な代物だが、軍においてその有用性は高い。マルローが持つ念話スキルは所有者の少ないレアスキルだ。
(聞こえてるぜ、副隊長。)
(今からマリエラさんのところに向かいます。おそらく尾行がついているでしょうから、撹乱を。)
(了解。マリエラは北西地区中心側の、聖樹が植わってる家にいるってよ。)
マルローとディックが乗ったラプトルは、シューゼンワルド辺境伯家を出て迷宮都市を南西に向かう。月の無い夜だ。2騎の姿はラプトルまでも黒く、影のようだ。魔の森に続く南西門はすでに固く閉ざされている。2騎は門の前で少し速度を落とすと、そのまま西門へ向かう。こちらは小さい門だ。ここから出ようというのか。
後を付けるものは、徒歩でありながらラプトルの進行速度に遅れをとらず、ぴたりと後ろをつけていく。西門にたどり着いた2騎は、そのまま、北西門、北門、北東門と回り、そのまま黒鉄輸送隊の定宿である『ヤグーの跳ね橋亭』に入っていった。店の明かりに照らされた2頭のラプトルの背には、何者も騎乗してはいなかった。
ラプトルと尾行者が迷宮都市をぐるりと周回している間に、マルローとディックは、徒歩でマリエラの店にたどり着いた。
とっくに閉店時間であるが、店舗のある正面ドアをノックする。
「こんな夜半に何用だ」
中から、見違えるほどに逞しくなったジークムントが現れた。
「急用です。マリエラさんに取次ぎ願いたい。」
ジークは、二人を店舗の喫茶コーナーに通すと、マリエラを連れて戻ってきた。
「お帰りなさい、ディック隊長、マルロー副隊長。」
マリエラは、相変わらず暢気な様子で、にこにこと挨拶をする。
「マリエラさん、実は。」
「レオンハルト将軍が、バジリスクの石化の呪を受けて死に掛けている。ことは緊急を要する。解呪のポーションを譲ってもらえないか。」
状況を説明しようとしたマルローより先に、ディックが簡潔に用件を伝える。
それを聞いたマリエラは、
「んー、上級特化の解呪か。いいですよ。ちょっと待っててくださいね。ジーク、ちょっと手伝ってー。」
そう言って、店の奥へと引っ込んで行った。
(まさか、解呪まで持っているとは……。)
マルローは驚く。どれほどの保管設備を持っているのかと。
魔の森にあるポーションの保管設備に、解呪のポーションを取りに行くために装備を着替えにいったのだろう。幾ら魔物除けポーションがあると言っても既に日は落ちている。あの奴隷一人では護衛は不足するだろう。ディックと二人で護衛に加われば、保管設備の場所も知れるかもしれない。
(それにしても、遅い。着替えるだけにしては時間がかかりすぎている。まさか!)
保管設備の場所を知られないよう、我々を置いて出かけたのか。まさか逃げたのではあるまいか。
あわてたマルロー副隊長は、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり、マリエラの消えた店の奥へ駆け出す。
「お、おい、マルロー」
ディック隊長が後に続く。
住居に続く店の奥の扉を開けると廊下があり、突き当たりは裏庭へ続くドア、向かって左には2階へ続く階段がある。急いで裏庭への扉へ駆け寄り、2階から気配がすることに気付く。
(間に合ったのか?)
足音を殺して、しかし急いで2階へ駆け上がる。
2階の廊下の突き当たりにある一室から声が聞こえる。
レオンハルト将軍の命が掛かっているのだ。逃げられるわけには行かない。
我を忘れて、マルローはその扉を開ける。
「《薬効固定、封入》。かーんせー」
マルローの眼前で、迷宮都市で行える者がいるはずの無い、ポーションの練成が行われていた。
「…………!!!!???えぇ!?」
「うわ、マルローさん、下で待っててって言ったじゃないですか。散らかってるんだから、勝手に入ってこないでくださいよー」
もー、と怒るマリエラ。
脱ぎ散らかされたマリエラの着替えやら、置きっぱなしのコップやら、使ったままの器具類をせっせと片付けていたジークが、無断で入ってきたマルローを部屋の外に追い出しに掛かる。
「あー、待って待って。
マルローさん、もうちょっとで終わるから。」
そう言ってマリエラは、ペタリとラベルを貼り付けると、
白い液体の小さなポーション瓶をマルローに手渡した。
ハーゲイの指名依頼は、レオンハルトの救出です。




