73.お店が来る方のお買い物
アントバレーで蟻の迷宮というわりと厄介な迷宮が見つかったのに、その後、第一発見者のジークとエドガンは、特にお呼びがかかることもなく、帝都の日常に戻れてしまった。
シューゼンワルド辺境伯家陣営はバハラート迷宮の攻略に力を貸し、マリエラの知恵と助力ももちろんあって無事討伐にこぎつけた。
しかも、今度はジークたちがアントバレーも第一発見者、鉱山型ということもあり、いわゆる大金星である。
これ以上活躍するとシューゼンワルド辺境伯家陣営が成果上げ過ぎ、権力バランス的によろしくない的な理由で、アントバレーは発見の報告以外の助力を求められることはなかった。
「貴族の政治というものは厄介なのだよ」的な説明を、ウェイスハルトがしてくれたが、蟻だって虫の一種だから、虫嫌いのウェイスハルトが賢さ5の頭脳と政治力を駆使した結果かもしれない。いつもより言葉が多くて早口だったし。
もっとも、お土産話の延長で坑道蟻がどういう餌を好むのか、どういう殺虫素材が有効か、キャロラインが目を輝かせて聞いていたから、これから派兵を命じられても巣ごとコロリでカタが付きそうな気がしないでもない。
(あっ! 殺虫効果のあるニイム種子をたくさん買ってオイルにしたら、値上がってお金持ちになれるんじゃ!?)
そう気づいたマリエラが、いそいそと市場に出かけると、とっくにニイム種子は売り切れていたから、お金持ちへの道は険しいようだ。
その人生の勝者たるお金持ちだが、お金持ちの買い物は、店に行くのではなくて店の方が来るらしい。
その方が時間効率が良いし、高額な買い物や目立つ行動は周囲の注目やリスクを招きやすいから、プライバシーを守るのにもちょうどいいのだと説明されて、「なるほど、サイズがばれないもんね」と考えてしまうマリエラは、きっと永遠に庶民のままだろう。
それはさておき、今日のお金持ちショッピングの主役は、庶民の代名詞たるマリエラではもちろんなくてキャロラインだ。ウェイスハルトとの婚約に際し、なんかイロイロいるのだそうで、迷宮都市ではまだ手に入りづらい品を今のうちに買い揃えておくのだという。
「はえー、すっごい」
未知のお買い物様式に、ぽかんと口を開けて驚くマリエラ。
ちなみに護衛のはずのナンナもぽかんと口を開けた後、部屋から逃げ出してしまった。小さな声で「臭いなん」と言っていたから、ぽかんと口を開けたのはフレーメン現象で、仕立て屋の女性たちの香水が苦手だったのだろう。
猫と庶民はさておいて、今日はお買い物のド定番、ドレスである。
いろんなデザインの服が見られるのかと思ったら、並んでいたのはたくさんの布地とデザインの描かれた紙。仕上がったドレスは見本の数点だけだった。
「このシーズンのトレンドは、軽やかさと優雅さでございます。
こちらは柔らかいシルクに同系色の刺繍を施したデザインで、光を受けて優美な刺繍が浮かび上がる様を楽しめる逸品でございますわ。また、ウエストラインを引き立てるリボンや装飾がたいそう人気で、リボンも愛らしくて大変結構なのですが、キャロライン様の場合はシューゼンワルド辺境伯家の家紋と迷宮都市、錬金術師を示す文様を宝石と共に縫い込んだこういった帯をお付けになれば、お美しさを引き立てるだけでなく、お立場と賢明さを引き立てること請け合いかと」
仕立て屋の女性がなんだかよく分からないことを言いながら、ドレスのデザイン画を見せて来る。まさに絵に描いた餅。絵に描いたドレスだ。
メイドたちは、「本当に、素晴らしいお品ですわ!」とキャアキャア盛り上がっているのだが、マリエラには盛り上がりポイントがよく分からない。
周囲のノリに付いて行けずにアワアワアウアウしているうちに、なぜかメジャーやらサンプルの布地でぐるぐる巻きにされ、マリエラも1着仕立てることになってしまった。
「キャロライン様もマリエラ様も、素敵な婚約者がいらして羨ましいです」
「本当に。冒険者の方って実用一辺倒だと思っていましたけれど、こんなドレスをポンっと買ってくださるなんて!」
「お式は迷宮都市でなさいますの? 帝都でなさるなら是非ともお呼びくださいましね」
……ちょっと待て。
生地でぐるぐる巻きにされていたマリエラは、ようやく我に返る。
キャロラインの件は良いとして、それ以外の話の主語はマリエラではなかったか。
巻かれた布地を解くついでに、くるりと後ろを振り返ってみれば、いつの間に来たのかジークがニコニコしながら仕立て屋と話をしている。
よく見れば、マリエラに巻かれた布は白色ばかりだ。〝なんだかミイラみたいだな〟なんて思っていたが、これって、ウェディングドレスじゃないか。
「ちょちょちょ、ちょっと、ジーク。なにこれ、こんなのまだ要らないよ!」
ジークにはマリエラがぼんやりしている間に外堀を埋め、迷宮都市の城壁もかくやと囲い込んでくるところがあったが、いくらなんでもやり過ぎだ。
マリエラが思わず叫んでしまったのも仕方ない。
「いいじゃないか、今買っておいても腐るもんじゃなし」
「腐らなくても、ふと……サイズ変わるかもだし!」
珍しくきっぱりと拒絶したマリエラに、めげずにジークが推してくる。
それでも抵抗するマリエラが、とっさに「太る」と言いそうになったのは、食べ過ぎている自覚があるのか。
「とにかく、いらないの! そ、そうだ、キャル様の、内輪向けの結婚披露パーティーとかに着ていく服をお願いします!」
ここまで頑なに固辞されてしまえば、ジークの負けだ。
しょんぼりけちょんと項垂れて部屋から去ってしまったジークを、これまでのやり取りを面白そうに見ていたキャロラインとメイドたちが見送っていた。




