71.エピローグ
前回までのあらすじ:ロバート、精霊さんは人間説に驚く
「ってことがあってね」
「ハハハハハ。なんでそこでロドリゴなんだ……」
ロバートの精霊さんの話をしながら、マリエラとジークは帝都を散策していた。
アントバレー迷宮の件で少し忙しかったから、久しぶりの二人きりの時間だ。
帝都に新しくできたという店を巡り、ベリーやナッツの練り込まれたベーグルや、チョコレートや砂糖でコーティングされたドーナツを買い込んでは「どっちも穴が開いているから、ゼロだよ、ゼロ。食べないのと一緒だね」などと、バカなことを言い合う。
両手いっぱいのスイーツにマリエラはご満悦で、まごうことなきデートタイムにジークもまたご機嫌だ。
ここは若者に人気の目抜き通りで、馬車通りを見下ろす陸橋には、行き交う馬車や街並みを眺めながら人々がゆっくり移動していた。
他愛ない幸せな時間。
そこに水を差したのは、列をなして陸橋の下を通り過ぎていく数台の馬車だった。
ぼろを来た人間が詰め込まれた質素な幌馬車。
乗る人間の目つきの鋭さ、漂う雰囲気からすれば、あれは犯罪奴隷の運搬車両なのだろう。
「最近多いね」
「迷宮行きだろ」
「迷宮都市?」
「ばーか、そこは討伐されたって」
「じゃあどこよ?」
「えーと、たしかバハラート?」
「どっかの鉱山だって聞いたよ」
聞こえてくる噂話の声色は、多少の好奇心と厄介払いを喜ぶものだ。
「そう言えば……」
何処の誰とも知らぬ通行人の一人が噂する。
――奴隷市場は犯罪奴隷であふれかえっているらしい。夜道には気を付けた方がいいかもな。
それは犯罪奴隷の最大の移送先である迷宮都市で迷宮が討伐されたからで、治安が悪化したわけではないのに。
別の誰かが噂する。
――また新しい迷宮が現れたらしいから、奴らはそこに行くんだろう。バハラート迷宮だってまだ討伐できていないというのに。国は一体何してるんだ。高い税金を払ってるのに、貴族が私腹を肥やすばかりじゃないか。
庶民が知れる情報は限られていて、目に見える成果がなければ不満が募る。自分たちの不便や苦しさを誰かのせいにできれば楽なのだ。
帝都は平和で豊かで、大多数の人間が食うに困らず暮らしていける。その恩恵に与る人々が、この暮らしを当たり前だと享受できるほどに。
それは素晴らしいことだけれど、人間と言う生き物は“満ち足るを知る”ことのできない愚かな種族だ。人よりも良いものを、少しでも楽をして。そんな思いを努力に変えて積み重ねてきたからこそ発展してこられたけれど、愚者の多くは自らの欠落を埋める努力さえせずに不満の矛先を他者へと向ける。
彼らにとっては誰より遠く、繁栄の象徴である皇帝はその格好の的だった。
――皇帝は政をおろそかにしているんじゃないか?
――皇帝は貴族ばかりを優遇し、庶民はないがしろじゃないか?
――今の皇帝は、本当に正しい皇帝なのか?
証拠もなければ根拠さえない、己の不安や不満を他者に擦り付ける負の感情。
街がどれほど豊かで発展しても、それは生じて澱のように積もっていくのだ。
ガタゴトと、奴隷を乗せた馬車が行く。
人々に不穏な気持ちを抱かせたその馬車を、ジークとマリエラもまたじっと見送る。
ジークはかつての境遇を思い出したのだろうか。
しかし側に寄り添うマリエラは別のことを考えていた。
(アントバレーで見た犯罪奴隷の人たちはみんな、なんていうか怖かった。ジークと会った時はそんなこと思わなかったのに。知り合いもいない200年後の世界で、味方が欲しかったんだってあの時は思ってたけど。きっと違う……)
危険人物を招き入れたい者などいない。無力な者ならなおさらだろう。
ジークだけが特別だったのだ。
助けなければいけないと、マリエラの根幹に繋がる何かによって、強く突き動かされたのだ。
■□■
「金貨が! 金貨がザクザクですぞ~!!」
どっかの錬金術師みたいな歓声を上げて、ハイツェル・ヴィンケルマンは小躍りしていた。
「吾輩の資産、完・全・復・活!! を通り越し、吾輩史上最高状態ですぞ~~~!!」
精霊誘拐で素寒貧になった上、自領のアントバレー鉱山で奇病発生&廃坑の危機。それでも何とか奇病を癒せたものの、翌日にとんでもなく討伐費用がかかりそうな蟻の迷宮が見つかった。あの時は夜逃げするほかないと思ったが、その迷宮がまさかの管理型迷宮指定を受けたのだ。
もっとも管理型迷宮にするには、迷宮の最下層に緋色の宝珠とやらを運ぶ必要があり、最初はかなりの費用と強力な戦力が必要になる。
伝手が無ければ難しいそれらの支援も、すんなり取り付けることができたのだ。
対価としてアントバレーの採掘権の大半が持っていかれたが、ハイツェルにとっては問題ではない。
何しろ管理型迷宮の指定を受けただけで、今まで紙屑同様だった債券が大化けし、金貨ザクザクのウッハウハになったのだ。
流石は豪運のハイツェル。羨ましいほどの金運だ。
とは言え、お金と言うのは同時に面倒ごとも呼び込むもの。
守護精霊誘拐事件のもみ消しにたっぷり金貨を渡したというのに、中宇の導者グレイゴリ・ヴァルガスが再びハイツェルを呼び出した。
「帝都の崩壊が近づいております。今の帝都の礎は、我々の想定よりも危うい状態にある」
「むむむ、それは困りましたな」
グレイゴリ・ヴァルガスは表向きは第4アタノールを管理する中宇の導者だが、その実態は幻境の中核の一人だ。
どれほど中心部にいるのかハイツェルは知らないが、少なくとも幻境の連中が口をそろえて言う“崩壊”の正体を知っている。
「帝国のため、ここに暮らす臣民のため、新たなる礎を急ぎ作り上げる必要があります」
そのために、幻境は“自分たちの言うことを聞いてくれるそれなりに強い精霊”を必要としていて、弱い精霊をとっ捕まえては、言うことを聞かせたり、強化する実験を積み重ねてきた。そして、研究開発というものは金のかかるものなのだ。
(寄付を寄越せということですな。そういえば、最近幻境の施設が次々と襲撃されたとか。ふむ、これはチャンスですぞ。今手柄を立てれば、吾輩の株も吾輩の資産並みに急上昇というわけですな!)
幻境のピンチはハイツェルのせいなのだが。そんなこと、露も思わないハイツェルは、「買えるなら 地位も名誉も 買いますぞ」と心の俳句を詠んだ時点でふと気が付いた。
(これって、間接的に精霊いじめに加担することになりませんかな? 吾輩、アントバレーでもう精霊はいじめませんと誓っちゃったのですぞ)
流石のハイツェルも、アントバレーの一件で懲りたのだ。
実際にソンブラムの精霊を見てしまったし、奇病の蔓延で鉱山を失いかけた。アントバレーの地下に蟻の迷宮ができていたのも、精霊が弱ったせいではないか。
実際は、ハイツェルの行いなんて全く関係ないのだけれど、ハイツェルは幻境の滅亡論やらヴァルガスの口車にひらりとライド・オンしちゃうくらい思い込みの激しいたちだ。
おかげで今では、精霊いじめに加担すれば、再び無一文のスカンピンになりかねないと本気で信じ込んでいる。
(だがしかぁし! ここで困ってしまう吾輩ではないのですぞ。未来の皇帝たる頭脳明晰な吾輩は、ちゃぁんと代案を考えてあるのですぞ!)
選民思想のハイツェルは平民を同じ人間と考えていない。だから、相手の迷惑とか受けた恩とかそんなことは一切考えず、自分の都合を優先した。
「ヴァルガス殿、これまでの成功率の低いやり方では、迫りくる崩壊には間に合いませんぞ。しかし、安心召されよ。吾輩に妙案があるのです。
――精霊眼というものをご存じですかな?」
「聞いたことがある。魔の森のほとりの村々に稀に所有者が現れる魔眼で、精霊の姿を見ることができると。それももう失われて久しいと聞くが……」
「精霊の姿が見えるのではありません。精霊の姿が現れるほど精霊に力を与える目なのです。そして、吾輩は知っているのです。精霊眼の持ち主を」
「なんと……」
ぼんくらだと思っていたハイツェルのもたらした思わぬ吉報にヴァルガスは目を見開く。
精霊の捕縛は可能なのだ。それが本当なのだとしたら、幻境の目的に大きく一歩近づけるはずだ。
「して、その者は?」
今までにない喰いつきを見せるグレイゴリ・ヴァルガスに、ハイツェルは大層気分が良くなって意気揚々とその名を告げた。
「精霊眼の持ち主は、ジークムント。シューゼンワルド辺境伯家の子飼いのAランク冒険者ですぞ!」
【帝都日誌】我がヴィンケルマン家の未来は明るいですぞー! byハイツェル
「生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい ~輪環の魔法薬~」
B's-LOG COMIC Vol.150(7月5日配信予定)は残念ながらお休みです。




