滑らかに
練り練り練り練り練り練り練り練り。
ジークが文句も言わずジニアクリームを練り練りと練る。
うん、助手便利。一人で練ると翌日は筋肉痛で腕が上がらなくなってしまう。
ジニアクリームは『ジニアの実』という果実の種からとれる植物性の油脂で、常温では固形だが体温で溶けて肌に浸透する。『命の雫』を多く含む天然素材で、塗れば組織の治癒力を高めてくれるから、マリエラが生まれるより遥か昔からそのまま塗って肌荒れや保湿用のクリームとしたり、軟膏の基材や石鹸の材料などに多用されている。
ジニアの種は果実に対して大きく、果肉は薄くしかついていないが栄養価は高く食べられる。味はアクが強くて癖があり、大量に食べたいものではないが、刻んだりペースト状にしてハムと一緒にパンにはさんだり、サラダに混ぜるとコクの有る味わいになる。ちなみにジニアクリーム自体も食べられるが、美味しくないので食品としては扱われていない。
ジニアの実のクセの有る味が良いのか、熟して落ちた実をゴブリンが好んで食べる。ジニアの木は迷宮や魔の森の浅い層に生えているから、護衛付きでなら一般市民も採取できる。夜明け前にシール商会に勤める女性たちが、護衛付きで迷宮に拾いに行ってジニアクリームに加工するまでの流れが、ジニアクリームの缶のラベルに絵付きで紹介されていた。ラベル絵の女性は中年から老婆の姿で描かれていたから、年季の明けた娼婦たちを支援する事業なのかもしれない。
ジニアクリームの品質は良く、これならばマリエラが作る必要も無い。これからも是非活用させていただきたい。
ジークが練っているジニアクリームに、まだ固まっていない『ジェネラルオイル』を少しずつ加える。
練り練り練り練り練り練り練り練り。
ジニアクリームに水分は加えていないから、ホイップ状にはならずにやわらかいクリームになっていく。ジニアクリームとジェネラルオイルが均一に混ざったら完成。
「ジークお疲れさま。オーク革のお手入れクリーム完成したよ。
このクリームで、昨日買ったオーク革のズボンとかジャケットとか磨いてね。靴と鞄も。あ、1刻もしたら分離しちゃうから、大急ぎで。」
マリエラも布巾にクリームをつけると、新調した靴やかばん、採取用の革の服に塗りこんで磨いていく。
「何だ、このクリームは。」
ジークが驚く。クリームを塗りこんだオーク革の質が見る間に向上していく。しなやかなのに強度が有る。ゴブリンの一撃をかろうじて防げるか、という程度のオーク革がこれではまるで。
「オークジェネラルの革みたいになったでしょー」
通常、皮革の手入れクリームは同じ魔物の脂が配合される。同種の脂を補うことで多少の組織修復が行われ、皮革製品が長持ちする。
勿論、オーク革にオークキングの脂を塗っても強度が上がることはない。同じオーク族でもランクが違うから、組織修復の効果さえ得られずにジニアクリームだけ塗ったのと変わらない効果になる。
マリエラが作った手入れクリームは、オークの脂とオークキングの脂を『命の雫』で繋ぎ合わせオーク革にオークキング革の修復効果をもたらすものだ。オークキング革レベルまでは上がらないが、オークジェネラル並の性能に皮革を強化してくれる。
手入れクリーム自体は1刻ほどで分離して使い物にならなくなるが、強化されたオーク革は見た目はオーク革のまま性能だけジェネラルクラスで固定される。
「これで磨けば、オーク革製品がすっごく長持ちするんだよー」
マリエラは暢気にジェネラルオイルの説明をする。
オークの防御力は分厚い脂肪あってのもので、革自体の素材価値は低い。
オークジェネラルといっても、E級ランクの冒険者が使う程度のちょっと良い革製品でしかないから、ワイバーンどころかミノタウロスの革製品にも劣る素材だ。
「いや、これは、大変なものじゃないのか?ワイバーン革を竜革並に強化することも……。」
「あー、それはむり。これオーク限定なの。何でも『オークの真髄は、肉と脂に宿る!』とか、レシピに書いてあった。オークの脂だからできるみたい。」
マリエラも他の素材で試したことがあったが、どれもうまく行かなかった。
ちなみに『ジェネラルオイル』の真価はオーク肉にこそ発揮される。
「ジェネラルオイルでオーク肉を焼くと、なんと、オークキング肉の味になるの!」
マリエラは、本日一番のドヤ顔をする。
「オークジェネラルじゃ無くて、オークキングのお肉だよ!」
と、繰り返して強調することも忘れない。
このオーク革お手入れクリームは、ジェネラルオイルの応用レシピ。
ジェネラルオイルは『暮らしを便利にする練成品』に載っていて、上級ポーションを作れるようになったときに、ひっそりと増えていた隠しレシピだ。
レシピの説明に、
『上級ポーションを作れるようになっても、オークキング肉が食べれない不憫な後輩へ。(※ 販売禁止。禁呪扱いでよろしく)』
と書いてあった。
マリエラが初めてジェネラルオイルで焼いたオーク肉を食べたとき、余りの美味しさに涙が出てしまった。ラードを練りまくった腕の痛さも忘れてしまう美味しさだった。レシピを開発した先輩に心から感謝した。
ジークもリゾットを食べたときに泣いていたから、オークキング肉にも食いつくだろうと、マリエラはせっせと説明したのだが、ジークは目を細めてマリエラを見ている。
「言いたいことは、たくさんあるが……。マリエラはオークキングの肉を食べたことがあるのか?このオイルを使ったもの以外で。」
「ないよ?」
「これ、オークジェネラル肉の味になるんじゃないのか?名前はジェネラルオイルだろ?」
「!!!」
たしかに、『オークキング肉が食べれない不憫な後輩へ』と書いてあったが『オークキング肉になる』とは書いてなかった。
「……まぁ、ジェネラルクラスなら、質のいいオーク革製品で通せなくも無いな。」
そういいながら、ジークは次々とオーク革を磨いていく。磨耗しやすい裾や関節部分は特に念入りに塗りこんでいて、マリエラもそれに習って革を磨いた。
1刻などあっという間で、何とか全て磨いたころにはジェネラルオイルもお手入れクリームも分離して、使えなくなっていた。
オークジェネラルの味でも、たいへん美味しい肉になるのだ。できればお肉も食べたかった。
残念そうに脂を片付けるマリエラに、
「今度、本物のオークキングの肉、食べような。今のマリエラなら、買えるだろう?」
と、ジークが声を掛ける。
「そうだね、ポーション、高値で買ってもらえたもんね。オークキングのお肉だって買えるよ……ね。
って……あれ?もしかして、私、オークジェネラルとか、オークキングの革製品、買えちゃう?ジェネラルオイルとか作る必要、なかった?」
「……。買えるだろうな。身なりをやつすために、わざとオーク革にしたんじゃなかったのか……。」
ジークが不憫な子を見るように言う。
うーあーと奇声を上げながら、マリエラはベッドに倒れこむ。
「あんなに、ねりねり練る必要なかったあー」
「まぁ、無駄じゃないだろ。安価なオーク革製品のほうが、人目は引かないからな。」
ジークが慰めてくれた。
(そうだね、あの練り練りは無駄じゃないよね。
ジーク、普通にしゃべれるようになったもん。)
ねりねり練り練りしながら、たくさん会話をするうちに、ジークは言葉に詰まらなくなった。途切れ途切れにしゃべっていたのに、いつの間にか滑らかに話をしている。
「ジークー、かわいそうな私のために片付け頼まれてー」
「仕方ないな。風呂でも入ってきたらいい。」
会話も自然になってきた。やっぱり、あの練り練りは無駄じゃない。
(殆どジークが練ったんだけどね。)
磨いてぴかぴかになった靴を履いて、マリエラは風呂場に向かった。
翌日は朝早くから新居に向かう。ゴードン&ヨハン親子はすでに玄関前で待っていた。待たせて申し訳ないと謝ると、
「新米の」「年寄りの」、「「朝は早いんだ。」」
と、二人の声が被り、「「なにおぅ」」とこれまた声が被る。
これで、すんなり仕事の話に移行するのだから不思議だ。
住居部分の施工契約書とスラムの人と結ぶ雇用契約書を渡されて、ジークと二人で確認する。店舗部分は案が固まってからの契約になるそうだ。
黒鉄輸送隊と結んだ契約書よりは簡単なものだったが、ちゃんと魔法契約書になっていて、『本契約の施工において知り得たいかなる機密情報も、これを保持する』等と書いてある。
「大げさなんじゃ?」と、マリエラが思わず声に出すと、
「当たり前のことだ。
それにな、あれは聖樹だろ?
コイツは長年のカンってヤツだが、ああいうモンが生えている場所ってのは、良かれ悪しかれ何かしら起こりやすいものでな。こうやって、魔法契約でもって秘密を漏らせなくしておけば、万一なんかあった場合、ワシらの方も安全ってわけよ」
なるほどと、マリエラは感心した。家の間取りなどを漏らされてマリエラたちが困らない為だけでなく、ゴードン&ヨハン親子が情報をよこせと脅されないためにも、きちんと魔法契約を結ぶのだ。
契約内容に問題が無いことを確認し、施工契約書にサインする。合鍵を渡すと早速今日から作業に入るといってくれた。残金は施工が終わってからでいいらしい。
「店舗部分の計画についても、2,3日中にまとめてください」
というヨハンの要望に、「わかりました」と返事をして、ジークと新居を後にした。
素敵なお店のためにも、ガラスの目処を立てなければ。
そのために、今日は磨いたばかりのオーク革の採取用の服を着て、弁当も持ってきた。
ジークと二人で3日前にヤグーを借りた店に行く。
今日は2頭借りたいというと、前回のヤグーと少しおとなしげなヤグーを貸してくれた。ヤグーの群れは上下関係がはっきりしていて、下位のものは上位のもののあとを追う習性がある。ヤグーが隊列をなして山脈を越えるのに利用されやすい習性の一つだ。
おとなしい方にマリエラが乗って走らせるのだが。
「うわ、ちょ、はやい、はやいー。おちるー。」
ジークを乗せてノリノリで走るヤグーの後を、とっとこと追いかけるマリエラのヤグー。マリエラは乗せられているどころか、落ちないようしがみつくだけで必死だ。
結局、前回同様ジークのヤグーに二人乗りして、後ろのヤグーには荷物を積んだ。
「折角、2頭借りたのに。」
マリエラが腑に落ちないとむくれるが、この方が早く進めるのだから仕方ない。
2人と2頭は3日前に砂を採取した川を前回とは逆に下流に下っていく。
川沿いの穀倉地帯は小麦の種まきが大方終わったところで、きれいに耕された畑が広がっている。使役されている農奴たちは、種まきの済んでいない遠くの畑に出向いているか、迷宮遠征の準備をしているのだろう。この辺りは閑散としている。
川べりにはタマムギが自生していて、あと1週間もすれば収穫時だ。タマムギは中級ランク以下の解毒ポーションの材料になる。前回はガーク薬草店で購入したが、できれば採取しておきたい。ここは穀倉地帯だから、勝手に採っていいものなのか後でガーク爺に確認しておこう。
川沿いに下り穀倉地帯の終わりにたどり着く。乱杭が打たれ、デイジスとブロモミンテラ、魔物を除ける植物が植えられている。
ここが切り開かれ人の手に取り戻された穀倉地帯の終着点で、杭の向こうは魔の森だ。乱杭は穀倉地帯から魔の森に向けて幅広く打たれていて、穀倉地帯と魔の森の境に延々と広がっている。
その広大さが魔の森を恐れる人々の心理を表しているようで、魔物除けポーションを使っているのに、マリエラは少し恐ろしく感じた。
マリエラの記憶よりもずっと魔の森は広がっていた。ここは魔の森を切り開き、取り戻してきた場所だと分かっていても、魔の森が押し寄せているような感覚に陥る。
念のためもう一度魔物除けのポーションを使い、マリエラたちは魔の森へと歩みを進めた。




