68.蟻の巣の底で
前回までのあらすじ:ロバートの恋の行方、可能性なくなくもない。
「こんだけ採取すりゃどれかは『暗き翠の蟻の玉璧』なんじゃね? 全部色も濃いしさ」
「あぁ。量も十分だろう」
アントバレーの深部には、まだ手付かずの坑道蟻の巣が残っていた。明かりで照らすと磨かれた玉のような光を返す壁面はどこも緑かがっていたが、その色は薄かったり青みがかったりと場所によって色が異なる。
ジークとエドガンは暗緑色の壁面を求めて蟻の巣を彷徨い、『暗き翠の蟻の玉璧』と呼べそうな色合いの壁を何か所も採取していった。
背負い袋がパンパンになり、もう充分集まったと思われた頃だ。
まるで、二人の仕事が終わるのを待っていたかのように。帰り道を教えてくれるソンブラムの道しるべがジークの手から転がり落ちた。
「しまった、ソンブラムの道しるべが……」
「落としたのか? って、ポンポン弾んで落ちてくぞ?」
まるでジークたちを導くかのように、急な傾斜を転がり落ちる。
「……招かれている? 行ってみよう」
「こっからは、要警戒だな」
ここで『君子危うきに近寄らず』とならないのが冒険者というものだ。
何かが起こりそうな予感に身がすくむより、好奇心が勝ってしまう。
ソンブラムの道しるべの糸のような細い光の筋を追うように、ジークとエドガンは進んでいく。ここまで魔物らしい魔物には出会っていない。浅い場所では洞窟蝙蝠を見かけたけれど、深部に潜ってからはアクアグロブの水たまりがところどころにあるぐらい。こういった穴倉でよく見る洞窟蜘蛛さえ見ていない。
ふいに、深い穴倉特有のじっとりと重い空気の漂う巣穴の先から、すぅと冷たい風が吹きこんでくるのを感じた。
「エドガン、この先は……」
「あぁ、水音が聞こえる」
「地下水脈か何かか?」
「いや……。近い、行った方が早そうだ」
じっとりと重い湿気た空気とそこここにあるアクアグロブの水たまりから、近くに水源があるのは予想がついた。
水があるなら生物……魔物がいてもおかしくはない。
警戒を強めながら先へと進んだエドガンとジークを迎えたのは、急に途切れた蟻の巣と、その先に広がる大地の割れ目だった。
「あれは渓谷の底を流れる川か。こんなに深い場所まで降りてきていたのか」
「蟻の巣が途切れてるってことは、蟻の巣ができた後でこの渓谷ができたんだな」
地上からは見えなかった谷底が、視認できるほど深い場所まで来ていたようだ。
「おい、エドガン、あれを見ろ」
「うわあ、マジか。まずいな」
ジークはエドガンに断崖の対岸のある場所を指さした後、足元に落ちていたソンブラムの道しるべを拾い上げる。
おそらくソンブラムの精霊は、これをジークたちに伝えたかったのだろう。
渓谷の幅は底に行くほど縮まって、今いる場所から対岸へは10メートルほどの距離しかない。そしてその対岸の断崖には、はるか昔にいなくなったはずの坑道蟻の群れが溢れ出し、チキチキと鋭いアギトを咬み合わせていた。
「どうする、ジーク。あいつらこっち側に来たいみたいだぜ」
「今のところ、対岸に空いた出入口は、1、2……5か所か。エドガン、あそこ、橋を造りかけていないか?」
「うへぇ、マジだ。つーかさ、なんか対岸の巣穴ん中、すっげーたくさんいる気がすんだけど」
「同感だ。とりあえず、見えてる出入口だけでも潰しとくか」
この状況を知らせたとして、今のアントバレーでは鉱山の出入り口を封鎖して逃げるのが精いっぱい。もしかしたら対応を検討しているうちに、対岸の坑道蟻がこちらに渡り地表に出てしまうかもしれない。
蟻の魔物がうじゃうじゃいる巣穴に二人で飛び込むほどジークたちは愚かではないし、そんなことをする義理もない。だが、蟻の出入り口をふさいで進行を遅らせるくらいはしておくべきだ。
ジークは眼帯を外すと精霊眼を開き、弓をつがえる。
蟻の巣の強度は『暗き翠の蟻の玉壁』を採掘したから分かる。硬質化した壁面を貫き一帯を破壊する。そのイメージを持って弓を引けば、ジークの願いに応えるように、微弱な精霊たちが集ってつがえた矢が光を帯びる。集まりが悪い気がするのは、ここが痩せた土地だからだろうか。
「頼む!」
ヒュヒュヒュ。ヒュヒュ。
ドガガガガッ。
軽快な射出音にそぐわない破壊音を立てて、命中した蟻の巣の入口が、まるで爆弾でも投げ込まれたように崩れ落ちる。同時に付近にいた何匹かの坑道蟻が、爆風に飛ばされこちらの壁面に叩きつけられた。
「ちょうどいい、証拠、証拠っと」
吹き飛ばされた衝撃でこちら側の壁面に取り付いたの坑道蟻は3匹。その内、遠くの2匹はジークの弓が、近くの1匹は絶壁を苦も無く駆け上ったエドガンの双剣が首を刈り取る。
坑道蟻の頭部は人間より少し大きいくらいで、持って帰れる大きさだ。特徴的な顔から坑道蟻だと特定しやすく、証拠として最適だと考えたのだろう。しかし。
「うわ、倒した魔物が消えやがった! ジーク、落ちたやつ、頼む」
「魔石と……これは顎の一部か? 素材だけ残して消えるってことは……」
野生の魔物は死ねばそのまま死骸をさらす。
魔物であっても親から生まれた生き物で、それが当たり前の現象だ。
けれど、そうではない場所がある。
倒した魔物の肉体が消え、魔石と素材を残す場所。
ジークたち迷宮都市の人間ならばとても馴染みの深い場所だ。
「道理でソンブラムの精霊が弱るはずだ。対岸は……迷宮だ」
数時間後、地上に帰還したジークとエドガンがもたらした、アントバレー迷宮化の情報は、ハイツェル・ヴィンケルマンだけでなく、帝都の中枢に大きな動揺をもたらした。
【帝都日誌】アントバレー深部、崖の対岸部分で迷宮を確認。詳細は……(以下割愛)byジーク




