67.ソレンの事情
前回までのあらすじ:マリエラ、ソレンの気持ちをド直球でインタビュー。
「妹がダメなら兄を狙えばいいじゃない」
そんな「パンが無いならお菓子を~」みたいなセリフを実際に言ったかは知らないが、ソレンがアルドリッチ家に迎え入れられたのは、数年前、キャロラインとステファン・アルドリッチの婚約が破棄された時だった。
話はとってもシンプルだ。アルドリッチ家にとってもアグウィナス家との繋がりは重要だったのだ。
ソレンは庶子――ソレンの父と学生時代の恋人との間にできた子供だ。
イリデッセンス・アカデミーは実力さえあれば平民でも就学できる。だから貴族と平民の恋愛と言うのは時折あるが、身分の差がなくそこそこ平等なのはアカデミーの中だけで、卒業後に平民が貴族の第一夫人になれるわけではない。
とはいえ、アカデミーに進学できるほどの才女だ。卒業後は小さな工房を構え、ソレンを産み育てた。
ソレンの父母は結婚こそできなかったが週末婚のような状態で、ソレンは不自由なく育った。
ソレンは父が嫌いではない。
帝都ではそういう家庭は珍しくなかったし、何より父から注がれた愛情は本物だったからだ。
その父に困り果てた顔でソレンを家に迎えたいと頼まれて、断ることはできなかった。
それに義母の気持ちも分からなくもない。嫁いだ相手が結婚後も学生時代の恋人と続いていて、子供まで作り、週末は逢いに行く。
貴族ではよくあることでも、貴族だって人間、一人の女性だ。義母はこれまで一体どんな気持ちだったかと、申し訳ない気持ちもある。
今までソレンから父親を奪わずにいてやったのだからその恩を返すべきだ、貴族の血を引くのだからその務めを果たすべきだと考える気持ちもわかるのだ。
だが、親の罪を子が償うのは違うのではないか。同じ過ちを繰り返さないことこそが、子孫の務めではないか。
だから、アルドリッチ家に入るに当たり、ソレンは条件を出したのだ。
――ロバートと親密になれるよう努力はする。だが、振り向いてもらえなければ諦めて欲しい。
もともと、“妹との縁談が破談になったから、代わりに廃嫡になった兄の方にうちの愛人の娘をどうですか?”なんて話を、進めるのは難しかったのだろう。
ソレンの提案は受け入れられて、家名が付いた以外は特に変わりなく、アカデミーでの研究を続けることができていた。
アカデミーに編入してきたロバートの研究室が、ソレンの隣なのは義母の計らいかもしれないが、人の心は誰にもどうもできないのだ。
ロバートがソレンと初めて会った時、ソレンがボロボロボサボサ厚底眼鏡の格好をしていたのは偶然だ。ちょうどたまたま、魔法生物の世話をしていたからで、そんなソレンをロバートが男性だと勘違いしたのだから、仕方ないったら仕方ない。
ソレンの「振り向いてもらえませんでした」作戦が成功しちゃったとかは絶対ないのだ。
■□■
「……ロバートのことはさ、友人としては良いやつだし、研究者としても尊敬してるよ。でもさ、こんな格好だからって、そこそこ長い付き合いなのに女性だって気付かないの、どうかと思うんだ」
「まったくその通りですよね」
マリエラのワクテカ視線に耐え兼ねて、ソレンは思わず本音を漏らす。
知り合ってみると、ロバートとは思っていたより気が合った。面倒くさいところもあるがいいやつで、見た目も含めて許容範囲だ……とここに来るまでは思っていた。
これまで女性だと気付かなかったのは、まぁ、いい。鈍いやつだで済ましてしまえる。
だが、ソンブラムの水場でのことはなんなのだ。
麗しいだのへちまだの、本人がここに居るのにバカじゃないのか。
ソレンはちょっと怒っているのだ。どうしてこんなに腹立たしいのかは、自分でもよく分かっていないのだけれど。
とにかくマリエラがシューゼンワルド辺境伯家を代表してソレンの意志を確認しているのなら、気持ちだけでなく自らの有用性もアピールしておいた方がいいだろう。
有益な人材と見做されたなら、意思も尊重してもらいやすくなる。
「私には夢があるんだ。魔法生物……魔物の研究がしたいんだよ。今はスライム程度しか実用化されていないけれど、習性を理解すれば飼育可能な種はまだいるはずだ。
帝都は豊かで発展しているが、世界にはまだまだ未開だったり貧しい地域が多い。ここだって人間が生きていくには過酷な土地だ。だがそんな土地でも魔物は生息できる。
魔物の生命力の強さ、多様性。飼いならせればどれだけ人間に利益をもたらすか、スラーケンを飼っているマリエラちゃんなら分かるだろう?」
「たしかに。ソレンさんの前にロバートさんとスラーケンを並べたら、スラーケンに飛びつくってことですね?」
「え。……あ、うん。そう、かな?」
ソレンの話にあっさりと納得するマリエラ。
マリエラだって花束と薬草の束を差し出されたら、薬草の束に飛びつくだろう。
姉弟子としてロバートを応援したい気持ちはあるが、スラーケンにさえ勝てないのだ。ロバートには3次元はまだ早かったというほかない。
あっさりと納得したマリエラに、ソレンは最後の一押しをする。
「まぁ、そういうことだから。ソンブラムの精霊がロバートの前に現れることは二度とない」
これでロバートの話はおしまいだ。
だが、話の締めに“ソンブラムの精霊”を出したことで、マリエラは一つの疑問を思い出した。
「話は変わるんですけど……」
「なんだい?」
「ここのソンブラムの精霊、あ、本物のほうが弱ってた理由って何なんでしょう? アクアグロブの大量発生?」
「いや、アクアグロブはどこにでもいる種でソンブラムを害するような力はないはず。ソンブラムの精霊が弱って弱体化したから大量発生したと考えるべきだろう」
「だったらどうして?」
「道中のソンブラムに影響はなかった。だから精霊が弱るような何事かがこの場所で起こっているとしか考えられないな」
一体何が起こっているのか。
その理由を、アントバレー鉱山に潜っているジークとエドガンは知ることになる。




