65.蟻酸塩鉱脈へ
前回までのあらすじ:ロバート、シン・ソンブラムの精霊さんに出会う。あと、ジークの精霊眼、ハイツェルにバレる。
ロバートだけが眠れない一夜が明けた翌日。
「それじゃ、ジークにエドガンさん、気を付けて行ってらっしゃい」
「あぁ、マリエラ。いってくる」
「お土産期待しててくれよ!」
ばいばいと手を振って、ジークとエドガンはアントバレー鉱山に潜っていった。
奇病を解決し、『暗き翠の蟻の玉璧』の採取が解禁になったのだ。
蟻酸塩鉱脈に分類されるアントバレー鉱山は、もとは坑道蟻の巣だ。蟻酸で溶かして固めた壁面に、高濃度な魔鉱石が含まれている。
入口から伸びる幹線坑道はそれなりに整備されトロッコも走っているが、そこから一歩でも外れれば、転びそうな急な傾斜やほぼ垂直な縦穴が迷路のように張り巡らされている。
だからここの鉱山奴隷たちは、長いロープを体に巻き付けて坑道に潜る。
縦穴を降りるのに使うだけでなく、迷わず帰るための目印、文字通り命綱として使うのだ。
実際に入ってみると、岩肌のそこかしこ、左右どころか上下にも幾つも似たような穴が開いていて、そのどれかに入ってしまえば二度と戻って来られないような不安な気持ちにさせられる。実際に潜ったきり帰ってこられない鉱夫も多くいたに違いない。
複雑な地形に加え、幹線坑道近くは採りつくされて、深部に行かなければ鉱石は手に入らない。リスクが高すぎてまともな鉱夫は近づかないだろう。
マリエラが必要な『暗き翠の蟻の玉璧』を手に入れるには、そんな危険な鉱山の、奥深くに潜らねばならない。
「ジークよぉ、ちゃんと付いて来てっかー?」
「もちろんだ。だがエドガン、出過ぎるなよ。ソンブラムの道しるべがどこまでもつかは未知数だからな」
鉱山奴隷が嫌がりそうな、垂直に近い坑道ばかりを選んで進んでいくエドガンとジーク。
Aランカーの身体能力も相まって、まるで落下するような速度で暗い鉱山を進んでいく。
鉱夫が使う命綱を二人は持っていないし、そんな距離はとっくに過ぎた。
こんな無茶な探索が可能なのは、ジークがソンブラムの精霊から貰った“お礼”のお陰だ。
精霊眼で力を与えたお礼に、ソンブラムの精霊がよこしたもやしっぽい物体は、もやしの根っこに当たる部分がソンブラムの樹に繋がっていて、離れればいくらでも伸び、近づけば縮むものだった。しかもこれは精霊の一部らしく、誰でも見えるわけではないし、触れるのは貰ったジークだけ。暗闇ではうっすら光るオプション付きの、坑道で目印にしろと言わんばかりのものだったのだ。
お陰でジークたちは迷子になる心配なく、高い身体能力に任せて鉱山の深部に潜っていけた。
「おぉー、なんか壁の色が変わってきた!」
「この辺りは、まだ手付かずみたいだな。色は……明るい緑か」
「もっと潜るべ。にしても、ほんっと蟻いねーんだな。こんなでっかい巣穴だ、随分大量にいたんだろうが、どうやって倒したんだ? 割と大変そうだけど」
深部に蟻の魔物、坑道蟻がいるかもしれないと、Aランカー二人だけで来たが杞憂だったようだ。
直径2メートルほどの曲がりくねった坑道は、剣を振りかぶれば切っ先が壁面に当たる狭さで戦いづらい上に、坑道蟻の体長は人間よりやや大きく外骨格は強靭だ。双剣使いのエドガンならば何匹でも倒せる魔物だが、それは彼が腐ってる……ではなく腐ってもAランカーだからであって、並みの冒険者なら苦戦する相手だ。
「討伐したんじゃなくて、勝手にどこかに行ったらしいぞ」
エドガンの疑問にジークが答える。
これは魔物に詳しいソレンに教えてもらった話だ。
「昔はここには渓谷がなく、代わりに川があったらしい。蟻が住んでいたのはその頃のことで、地割れが起こって渓谷になり、川も深い谷底を流れるようになった。
蟻の魔物も水が無いと生きていけないから、水場が無くなったことでここには空っぽの巣穴が残り、それを見つけた人間が鉱山として開拓してきたらしい」
鉱山として繁栄したのは、ずいぶん昔の話なのだろう。
ソンブラムの道しるべと、Aランカーの身体能力だから短時間で来られたが、鉱石が残っているこの辺りは、歩いて来たならすでに日帰りが難しい場所だ。
「ソレンさんを説得すんの大変だったけど、マリエラちゃんとソレンさんを置いてきて正解だったな。二人連れて来たんじゃ、何日もかかるとこだった」
「坑道蟻がいなくても、落石の可能性だってあるわけだしな」
「マリエラちゃんの体力って、落石でも一撃即死レベルだっけ?」
「失敬な。一撃瀕死だぞ」
「オレ、ジークの失礼ポイントがわかんねぇよ……」
マリエラの望む『暗き翠の蟻の玉璧』はもっと深い場所だろう。
ジークとエドガンは、暗く長い蟻の巣穴を奥へ奥へと進んでいった。




