61.奇病の原因
前回までのあらすじ:アントバレーではやった奇病は、鉱山労働者の肉体が金属に変わってしまうというものだった。
(少々語りすぎてしまいましたか……)
それでもあのソンブラムの精霊のたおやかな美しさを表現するには言葉が足りない。
そんなことを考えながら、ロバートはあてがわれた部屋の窓からアントバレーの景観を眺めていた。
アントバレーで一番高い3階建ての建物からは、集落の様子が一望できる。
元が坑道蟻の巣だけあって、周囲には村落らしいものは何もない。
砂漠と言うほどではないが、水の少ない荒れた土地だ。
こんな場所で人間が暮らしていけるのは、ソンブラムの樹が水を与えてくれるからだろう。
ソンブラムの樹はアントバレーにももちろんあって、ロバートの部屋から見下ろせる。
丁度一日の仕事を終えた鉱山奴隷が、責任者らしき男の監視の下で数人水を汲みにやって来ていた。
枯れてはいないが浅い水場だ。桶の半ばほどしかない水位に、鉱山奴隷は水底をこするように水をすくっては移す作業を繰り返したあと、桶に溜まった水を運んでいく。
ここに何人の鉱山奴隷が働いているのかは知らないが、あれでは飲食と体を拭くのが精いっぱいだろう。ソンブラムが与えてくれるとは言え、水が貴重なことに変わりはあるまい。
(ソンブラムの精霊よ、貴女はこの状況を嘆いているのか……)
ソンブラムは葉をつけない植物だ。葉っぱの代わりにわずかに緑がかった樹皮で太陽の恵みを受け取るから、枝は細かく分かれて生い茂り、天に向かって根を伸ばしたように見える。
葉がないせいで枯れているのか茂っているのか分かりづらいが、ここのソンブラムはどことなく元気がないように思える。
(……あれは、まさか!?)
水場に動くものを認めて蠢くようなソンブラムの木陰に目を凝らす。
そこにいたのは、ロバートの心をとらえて離さない麗しき人影だった。
(ソンブラムの精霊!!)
いつもであれば、じっくり考えてから行動を起こすロバートが、気が付けば階段を駆け下り、開け放した扉を閉めることさえせずに広場へと駆けていた。
再び訪れた奇跡によるものか、それとも単なる運動不足か、ロバートの胸が早鐘を打ち呼吸は浅く乱れる。
ロバートの脳裏によみがえる昼間の光景。
強い日差しの中、ソンブラムの樹木が大地に複雑な影模様を刻みつけ、枝に切り取られた陽光が水場に反射して光の粒子が舞うようだった。
そんな中、たやすく手折れてしまいそうな華奢な肢体のあの人は、透き通るような水色の瞳でロバートを見たのだ。
そう、瞳。あの視線。
ガラスの棺で眠り続けるエスターリアが、けっして与えてくれなかったもの。
それは瞬時にロバートの心を掴み、今も彼を駆り立てるのだ。
(精霊よ、今一度我が前にその姿を現したまえ、そしてどうかその瞳に私の姿を映して欲しい……!!!)
焦がれるように駆け付けたソンブラムの水場には、求める彼女の姿はなかった。
ただ、彼女の立っていたあたりの大地は零れた水に濡れていて、確かにここに何者かがいたことをロバートに告げていた。
■□■
「……と、言うことがあったのです」
「……ソウデスカ」
「……ソウナンデスネ」
「……ナルホドォ」
翌日、奇病が見事に悪化したロバートに『昨夜、ソンブラムの精霊を見た話』を懇切丁寧に聞かされたマリエラたちは、ギギギと固まりながら乾いた返事を返した。
――ソンブラムの精霊さん、ロバートさんを何とかしてぇー!
ぷい。
しかし、ソンブラムの精霊さんことソレンには再びそっぽを向かれてしまった。
ロバートはソンブラムの精霊が助けを求めていると熱弁するが、助けて欲しいのはマリエラたちだ。
こんなに熱烈にアプローチされているのに、ソレンは自分がソンブラムの精霊さんだと打ち明ける気はなさそうだ。
こんな場所まで一緒に来るくらいだ。ロバートのことは嫌いではないのだろうが、友達以上になる気はないのか。
(……ないんだろうな。そもそも、ロバートさん、ソレンさんのこと女性だって気付いてなさそうだし)
友人としてであっても仲が良いなら気が付きそうなものではないか。
ぶかぶかの白衣で体形は隠れているし、目元も眼鏡が邪魔をしているが、ポリモーフ薬で別種族に変身していたナンナと違って、ソレンは髪を降ろし、眼鏡をはずしただけなのだ。
(うん。確かにこれだけ気付かれないの、ダメだよね)
マリエラの気持ちが伝わったのか、いつまでも精霊精霊とうるさいロバートにうんざりしたのか、なんと精霊さんの中の人、ソレンがこんなことを言い出す始末だ。
「それよりロバート、奇病の原因が判明したんだ。ソンブラムの水源が汚染されていたんだよ。それを知らせるために、精霊は姿を現したんじゃないかな」
「なんと、そうだったのですか! それで汚染源は判明したんですか?」
「あぁ、昨夜……はすぐに寝てしまったから、さっき確認してきたさ」
ロバートの恋心まで利用して奇病解決に舵を切るソレン。
ソンブラムの精霊についてはシラを切りとおすつもりらしい。
ロバートにはまだ3次元は早かったのだ。
ソンブラムの精霊さんという妄想と共に、彼の恋は幻と消えていただこう。
次回にこうご期待、と言うやつだ。
■□■
「もう奇病の正体がわかったですと!? さすがはイリデッセンスアカデミーが誇る英才、ロバート殿!」
「いや、発見者はこちらのソレン……」
「それで、原因は一体? やはり呪いでしたか? 解呪方法は!?」
ロバートとソレン、そしてマリエラたち一行が奇病の原因報告に行くと、ハイツェル・ヴィンケルマンはもう分かったのかと小躍りして喜んだ。
想定よりよほど早かったのか、それとも半ばあきらめていたのか、大層な喜びようで大興奮だ。ロバートがたじたじになるくらいだ。いや、両手を握り顔を近づけて喜ばれたら誰だって引いてしまうだろう。顔に唾が飛んでるんじゃないか。
「ハイツェル殿、一旦落ち着いて下さい」
「はっ、これは吾輩としたことが失礼を。声を上げ過ぎたようで少々喉が渇きましたな。お茶……がないではないか。おい、早くしたまえよ。時間がもったいないですな、とりあえずは水で……」
お茶より席を勧めるのが先だろうと思うのだが、興奮しているハイツェルは「やった!」とばかりに両手を握ったり、興奮しきりに部屋をうろうろ歩き回っている。
採掘場では帝都の屋敷のように至れり尽くせりとはいかないようで、なかなか出てこないお茶の代わりに、ハイツェルは部屋の隅に置かれた水差しに近づくと、カップに注いでごくりと飲み干した。
(あっ、それは……)
おそらくあれはソンブラムの水場から汲んだものだ。
「ぷは。……むむ、この水、少し甘くてうまいですぞ。で、奇病の原因についてですが?」
ちょっと濁った水場の水は、少し甘みがあるらしい。
再びグラスに口をつけるハイツェル。
ロバートがその瞬間を見計らった様に奇病の正体を告げたのは、行きの馬車でさんざんヴィンケルマン家の栄光の歴史を聞かされた腹いせか、それとも“お約束”を理解したからか。
距離良し、角度良し。最後の調整に左に一歩ずれたロバートがハイツェル砲発射のボタンを押した。
「水場の水です」
「ブハ――――――――――ッ!!!!!」
これぞ、見事なお約束。
散水機よろしく口に含んだ水を噴き出すハイツェル。
(わぁ、虹がでた)
ちっちゃな虹に、マリエラも思わずにっこりだ。
昔、シューゼンワルド辺境伯家でお茶を吹いた黒歴史は、虹のかなたに忘れ去ってしまったらしい。
「ゴホッ、ゴフッ、ミズ、水、水ですとーーー!?」
「そうです。今お見せしましょう。これは、ただのスライムではありません。クラーケンの体組織を獲得した瓶の中の合成生物。スライムの中では上位個体に分類される個体です」
ロバートの紹介に、マリエラが取り出したりますはスラーケンの飼育容器だ。
にょるん、ぴっ。
人語は解さないはずだが、褒められたことは分かるのだろう。瓶の中のスラーケンが触手を敬礼のようにぴっと上げた。
スラーケンはクラーケンの粘液を排出するだけの人畜無害な個体だが、クラーケンの体組織を獲得した上に、マリエラの潤沢な魔力で飼育された、スライム・ランキング上位に位置する個体なのだ。
スライム・ランキングなんてものは存在しないから、名実ともにマリエラのペットでしかなく、ここへ連れてきたのも餌やりのためだった。もちろんこんな活躍は、誰も想像していなかったのだが。
そのスラーケンの上に水入れの水を垂らそうとすると、昨日同様、落とされまいとするように水が踏ん張る様子が見えた。
「にゃ、にゃんで落ちにゃい!?」
にゃんでこんなところにも猫獣人が。いや違う。むせてろれつの回らなくなったハイツェルだ。奴に可愛い耳はない。
「おそらくこの水には、水と同化するタイプのスライム、アクアグロブの亜種が大繁殖しているのでしょう」
「スッ、スラッ……ペーッ、ペッペッ。水、水を持ってきたまえ! ってそれじゃないーっ」
スライムと聞いて、部屋が汚れるのも構わずに唾を吐き散らかすハイツェル。騒ぎを聞きつけた使用人が慌てて水を持ってきたけれど、それが水場の水だったりで大混乱だ。
「少量ならば問題ありませんよ。通常のスライムと比較しても弱く、人間が飲用すればたやすく消化されますから」
むしろ栄養の足しになるほどだ。
このアクアグロブが人間に寄生して鉱物化させているわけではない。
「問題は、アクアグロブの粘液、スライムで言うところの溶解液です。無味無臭、無色で粘度も通常の水と変わりませんが、生体と相性の良い魔鉱石ゴーラナイトを含む化合物が溶け込んでいることが分かりました。このゴーラナイトを経口で常飲した場合が問題で、一定の許容量を超えると空気中に浮遊する金属微粉末まで取り込んで人体に蓄積するようになります」
簡易なマスクしか与えられない鉱山奴隷は採掘時の粉塵を吸い込んでしまう。
毎日鉱山に潜り、アクアグロブの粘液に侵された水を飲んでいた鉱山奴隷たちの体は、ゴーラナイトの効果で鉱物を蓄積し、末端から金属のようになってしまったのだ。
「さらに、健康な状態なら問題とならないアクアグロブですが、金属化した生物はアクアグロブの餌になるのです。だから、十分金属化し、弱った者が水を飲めば、アクアグロブに溶かされて泥水に変わってしまう。
これが奇病の正体です」
「で、では、吾輩は大丈夫……?
ふーっ。それにしても、なんとも恐ろしいですな。
ですが、この鉱山は古くからあるもの。あの水場も同様ですぞ。なにゆえ、このハイツェルが領主を務める今この時に、アクアグロブが発生したのですかな?」
吾輩、運だけは良いはずなのに。不思議そうに首をかしげるハイツェル。
ハイツェルの運の良さも、ついでに言えば幻境でやらかした悪事も知らないロバートが伝えた事実は、ハイツェルにとっては衝撃的なものだった。
「アクアグロブ自体はそう珍しいものではないのです。弱すぎるし水と見分けがつきにくいため、気付かれないだけでこの辺りにはいくらでもいる。乏しい水分が土中から蒸発しきらないように保水を担う生態系の一部でさえある生物だ。
通常ならばアクアグロブの粘液によって金属化されるのは微生物であるとか排泄物の一部で、生物を金属化するほどの濃度になることはありません。
なぜなら、水場の水はソンブラムが浄化しているから。
ソンブラムは葉をつけないからわかりにくいが、ここのソンブラムは枯れかけで、浄化の力が弱いのです。
おそらくは、ソンブラムの精霊が弱っているのでしょう」
「そ、ソンブラムの精霊が弱っている……!!?」
――それって、もしかしなくても、精霊狩りとかしたせいじゃないですかな!!?
それは言葉にできなくて、ハイツェルは魚のようにパクパクと口だけ動かした。
ソンブラムの精霊が弱ったせいで奇病がはやったと言われては、ナンナの守護精霊ガウゥをいじめた挙句、拠点を一個潰される事態を招いたハイツェルが、ビビり散らかしたのも無理はあるまい。




