60.奇病
前回までのあらすじ:マリエラ一行、ロバートと学友ソレンと共にアントバレーへ。
夕刻にようやくついた鉱山は、アント『バレー』と呼ばれるだけあって、大地を引き裂く渓谷にあった。
深い渓谷を望む縁に作られた集落がアントバレーの鉱山で、鉱山の敷地を囲む土と岩からなる土塀は、外側に対してことさらにいかめしい。
おそらく中で働く鉱山奴隷を逃がさないためではなくて、荒れ地にあふれる魔物から守るための物なのだろう。道中何度も出くわした飴色岩蜥蜴などの魔物を思えば、納得がいく。
世界から隔離されたようなこんな場所で、奇病を恐れながら過酷な労働に従事する。
それはどれほど絶望的な暮らしだろう。
崖の方、集落の奥からマリエラたちに注がれる、鉱山奴隷らしき者たちの暗い視線がそれを示しているようだった。
門をくぐってすぐの広場には、古く大きなソンブラムの樹とこの鉱山の生命線とも呼べる泉が湧いていて、来客用の建物だろうか、ぎりぎり屋敷と呼べそうなさびれた建物がいくつか建っている。
先頭の馬車から降りた貴族御一行様は、おそらくハイツェルの自慢話につかれたのだろう、げっそりした様子のロバートとソレンを連れてさっさと屋敷に消えて行った。放置されたマリエラたちは、窺うような視線の中で随分長く待たされたあと、屋敷から慌てて出てきたこの鉱山の責任者らしきドワーフの男にハイツェルとは別の宿舎に案内された。
「わしはロドリコ。このアントバレーの責任者をやっておる。奇病を治しに来てくれたってのに、ほったらかしにしてすまんかったな」
迷宮都市にもドワーフはいるが、鉱山で働いているせいか岩の塊のような男だ。
ドワーフの年齢は分かりにくいが、黒い髪にもたっぷりとした髭にも白いものが混じっているから、人間でいえば50歳を過ぎた頃合いだろうか。
日に焼けた肌や刻まれた皺、アントバレーの砂埃に染まった質素なシャツが、彼の気質とここでの暮らしぶりを表しているようだった。
マリエラたちを待たせてしまったのも、ハイツェルが伝えていなかったせいだろう。
奇病からアントバレーの労働者を救うのは、爵位ばかり立派な貴族ではなく彼の連れてきた技術者であることをロドリコは理解している。
そして、彼らの領主であるハイツェルが、埃っぽく荒涼とした鉱山などに長居したがらないことも。
「ついたばかりで申し訳ねぇが、病人を見てやっちゃくれねぇか」
申し訳程度の休憩の後、マリエラたちが案内されたのは、鉱山奴隷たちが寝起きする長屋ではなく、鉱山の中。採掘跡を利用して作られた独房のような場所だった。
「水、水、水。水をくれぇー」
「あ、あ、あ。頼むゥ……。水をォ……」
ガシャ、ガシャン、ガィン、ガキン。
水を求める声と、金属と金属がぶつかる甲高い音が耳を打つ。
ここに居るのは鉱山奴隷ではあるが、鉄の枷をつけられているわけではない。もちろん金属製の武器や防具を纏っているわけでもない。
マリエラは、金属音の原因に目を見開く。
「こんな病気があるなんて……」
彼らの肉体自身が、金属と化していたのだ。
「お客人。そいつらに水は与えんでくれ」
「水を飲ませるとどうなるんですか?」
「見たほうが早いだろう。……一番奥の房だ」
ロドリコに促されるまま覗いた最奥の独房には動く者は何もなく、粘り気のある青緑色の水たまりがどろりと廊下まで垂れていた。
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「体が徐々に金属に変わり、激しい渇きを訴える。水を与えると金属化が進行する上に、金属化した部位が溶けだして、最後には青緑色の泥水に変わる病ですか……」
「こんな病状、聞いたことも無くて。ポーションを与えてみたんですが、回復する様子もなくて……」
「ポーションで元気にはなってたな」
「あぁ、水をくれとさらに激しく暴れまわっていた」
「だめじゃないか。完全に液化していた人は?」
「あれはもう……」
マリエラたちとソレン、ロバートが再会したのは、夕食を済ませた後だった。
夕食は当然別々で、ロバート達はハイツェルと会食を、呼ばれなかったマリエラたちは飴色岩蜥蜴の肉を中心に、分けてもらった食材で適当に作って3人で済ませた。
「それにしてもマリエラちゃんの料理は美味しいね。あっちで出されたのよりずっと美味しい。こういう場所で調理できるのも素晴らしい。お嫁さんになって欲しいくらいだ」
「あはははは」
余った食材で作ったつまみをぱくつくソレンに、最初はうんうんと頷いていたのに「お嫁さん」と言われて途端に眼光を鋭くするジーク。
落ち着け。一見男性に見えるが、ソレンは女性だ。
それにしても、水と言うのは重要だ。
マリエラは今回の旅で水の重要性を再認識した。
今回、同行するにあたって、マリエラはロバートから人前での錬成禁止令を言い渡されていたから、出された食事をいただいたのだが、正直ションボリな内容だった。
限られた調理器具で火加減の難しい焚火を使って手短に作るとなると致し方ないのだろう。しかも乾いた土地では生活魔法の《ウォーター》の効きが悪い。並みの魔力では大した水量を出せないから節水は仕方ないのだろうが、食器がちょっと汚れているのだ。
それはアントバレーも同様で、ウェルカムドリンクの入ったコップが少しねっちょりしていた時点でマリエラは自炊を決意した。
移動中はともかくとして、到着し個室に入ってしまえばこっちのものだ。魔力ならばたっぷりあるのだ。生活魔法の《ウォーター》の効きが悪くとも、生活用水程度の量、マリエラの魔力量ならごり押しで何とでもなる。
「ハイツェル殿はロバートに任せて、私も明日からこっちで食べたいな。そう言えば、ハイツェル殿はこの奇病を呪いだと思っているみたいだね。『これはもう、病と言うより呪いに近いものでしょうな! となればロバート殿の領分。解呪の手立てもご存じではありませんかな?』って言っていたから。ねぇ、ロバート」
「あ、あぁ……」
アントバレーの奇病はマリエラも初めて見るものだ。正直治療の見当も付かない。
ロバートなら何かわかるかと期待していたのだが、分かりやすく様子が変だ。ぼんやりとして料理にも手をつけず、奇病の話にも上の空だ。
「ロバートさん? どうしたんですか。まさかロバートさんまで奇病に罹っちゃたんですか? お水いります?」
「……あ? いや、大丈夫だ。長旅で疲れただけでしょう。私にソンブラムの精霊など見えるはずがないですからね」
「ソンブラムの精霊?」
どうしよう。ロバートが本格的におかしくなった。
だがしかし、これは奇病は奇病でも熱病の類ではなかろうか。エドガンがしょっちゅうかかっている系の。
「話を聞こうじゃないですか」
同類の臭いを嗅ぎつけたのかエドガンが両手を口元で組んだ尋問ポーズでロバートの真ん前に陣取ると、ジークが両手を後ろに組んだポーズで「精霊と言うなら俺の出番でしょう」とその後ろに立つ。
一体何の寸劇か。
「わぁ、なんか始まった」
マリエラがワクテカと見守っているのに口を開いたところを見ると、ロバートも話したかったに違いない。
「最後の休憩の時、ソンブラムの水場で私は彼女に出会ったのですよ。
その細くしなやかな体躯はソンブラムの枝のように優美な曲線を描き、空気中で踊っているようでした。光を受けて艶めく濡れた緑の長い髪は、真珠をちりばめたドレスのように彼女を飾り、長いまつ毛に彩られた瞳はどこか憂いを帯びてはかなげで、水面のごとく揺らめくのです。
彼女は何を想っていたのか。彼女は一体何者なのか。
何もわからない私はまるで生まれたての赤子のように無知で無力で、何と問いかけたらよいかもわからずに一歩踏み出した時、彼女は私に気が付いて、あの宝石のような瞳に私を映したのです。
あの瞬間、彼女と言う深淵に誘い込まれたようだった。まるで夢の中に迷い込んだような感覚だったのです。
時間にすればほんの一瞬だったのでしょう、けれど私にとっては……いや、きっと彼女にとっても永遠のようだったに違いない。
けれどこの世界は限りあるもの。私が我に返った時には、彼女の姿は砂漠の蜃気楼のように消えていたのです。
彼女はソンブラムの精霊に違いない。私に何か願いがあって姿を現してくれたのでしょうに、それが何なのか、どうすれば再び彼女に会えるのか、何もわからない自分がもどかしいのです」
「長いな」
思わずマリエラがツッコミを入れてしまうくらい、長々と話すロバート。
要約すると「ソンブラムの水場であった女性に一目ぼれした」と言うことだろう。
前から思っていたけれど、ロバートは表現が大げさと言うか演劇がかっていて、はたから見ると面白いが近くで見ると面倒くさい。
「……余計な話でした。金属になってやがて溶ける奇病でしたね。何冊か持ってきた書籍があります。部屋に戻って調べましょう」
マリエラが思わず本音を漏らしたせいで、我に返ったロバートは少々気まずかったのだろう、さっさと部屋に戻ってしまった。
しまった。口は災いの元とはよく言ったものだ。折角面白かったのに。
「ねぇ、ジーク。あのソンブラムの水場に精霊なんていたかなぁ?」
「俺も行ったが、知らないぞ」
アントバレーの奇病はさっぱり見当がつかないけれど、ロバートの奇病の原因は目星がついている。
念のため確認したが、精霊モテ男のジークが会っていないというのだ、ソンブラムの精霊がロバートに視認できる状態で出現していたとは考え難い。
「ソンブラムの精霊ねぇ……」
最後の休憩の時、マリエラもソンブラムの水場を訪れた。そして、帰り際にロバートとすれ違ったのを覚えている。
ちらり。
一緒に水場にいったソレンを見ると、ソレンは明後日の方向を向いていた。
気付いていないロバートもロバートだが、教えてあげないソレンもソレンだ。
「……喉がかわいたな。みんなも水飲むかい?」
マリエラにじーっと見つめられたソンブラムの精霊さん……じゃなくてソレンは、居心地が悪くなったのか、入口近くの台に置かれた水差しに水を汲みに行く。
「ソンブ……ソレンさん、その水ちょっと汚いですよ。飲み水は魔法で出した方がいいです」
「あ……本当だ。これ、ここの水場から汲んできたのかな?」
「ここの人が持ってきてくれたやつなんですが」
うまい具合に話がそれたとばかりに、カップに注いで水を確認したソレンはその水をどう処理しようか逡巡した後、スライム処理槽と間違えたのだろう、近くにおいてあったスラーケンの飼育容器に注いだ。
ぐぐぐうぅ、ぱしゃっ。
「ん? 今、この水変な動きをしなかったかな?」
水の動きを確認しようと、スラーケンの飼育層に水入れを傾けると。
「水が、耐えている!?」
それまではちょっぴり汚れた水だったのに、まるでスラーケンに注がれまいとするように水入れの入口で粘度を増して詰まり、重力に負けた少量が糸を引くように“つとー”と流れ落ちた。




