58.凍える約束の刻限
前回までのあらすじ:マリエラのチョコレートとハイツェルのお金が無くなり、ロバートのスライムが増えた。きゃーん。
『凍える約束の刻限』。
それは、マリエラからしてみれば意味のない特級ポーションだ。
その名前から想像がつくように、死の間際にいる者の寿命をほんの数刻延ばすことができる。そんなことができるなら、『凍える約束の刻限』で延命を図り、他のポーションなり治癒魔法なりで回復させればいいじゃないかと思うだろうが、このポーションを服用した時点で、ポーションも回復魔法も、逆に攻撃を加えることもできなくなる。
このポーションが効果を発揮するのは、死ぬ運命が確定してしまった者だけで、定まってしまった約束の時間を少し遅らせるだけの効果しかない。
怪我や病で死ぬものは、苦痛の時間を長引かせることにもなるし、残される者たちは無力さに打ちのめされるだけなのだ。
だからこんなポーションに意味はない。マリエラはそう思っていたのだけれど、ロバートの姿を見てこのポーションを思い出したのは、彼がすでに地脈に帰ってしまったエスターリアをそうと知ってなお心の支えにしていたからかもしれない。
「あまりいいポーションじゃないと思うんですが、皇帝陛下だとかそういうエライ人には必要な場面もあるのかなって。候補の一つにどうでしょう?」
「確かに皇帝に献上するには悪くない……いや、希少性を考えれば感嘆に値する品だ。花の匂いの汗が出るポーションなどよりよほどいい。それで、素材は?」
褒められているのか貶されているのか。余計な一言を忘れないロバートに、問われるまま必要な素材を告げるマリエラ。『凍える約束の刻限』は特級ポーションなだけあって、素材はどれも入手難易度が高い物ばかりだ。
「テオレーマにもお願いして探してもらうつもりなんですが、この『暗き翠の蟻の玉璧』が問題で。坑道蟻の素材っぽいんですが生息地とかの指定がありそうなんですよ」
「分かりました。私のほうでもいくつか探しておくとしましょう」
特級の、しかもマイナーな特化型ポーションともなれば、素材の厳選もシビアだ。同種の植物の種であっても産地が違うだけで効果が得られない場合も多い。『暗き翠の蟻の玉璧』もそういったもので、この素材の名称は特定の環境なり種族なりを示しているのだろう。
まるで謎かけのようではあるが、イリデッセンス・アカデミーは帝国最高位の錬金術の研究機関だ。ロバートの隣の研究室のソレン・アルドリッチは魔法生物に詳しいから、何か知っているかもしれない。
そう思い、増えすぎたスライムを分けるついでにアカデミーの廊下で偶然見かけたソレンと立ち話をしていたロバートだったが。
「『暗き翠の蟻の玉璧』ですかな? それならば吾輩の所有する鉱山、アントバレーにそんな場所がありますぞ。上納品を産出する鉱山ゆえ、通常は部外者の立ち入りは制限しておりますが、錬金術の大家にして稀代の英才・ロバート殿の頼みとならば是非も無し。このハイツェル・ヴィンケルマン、我が帝国の発展のため喜んで招待いたしますぞ!」
……頼んでない。行きたいなんてこれっぽっちも頼んでない。
「それでは明後日! 迎えの馬車を向かわせますぞー!!」
勝手に話を決定し、準備をするのですぞと去っていくハイツェルを茫然と見送るロバート。育ちが良くて熟考型の彼は、こういういきなりの展開に流されてしまいがちなのだ。
「ヴィンケルマン家の鉱山といえば、アントバレーだね。最近、鉱山奴隷の間で病が流行り、採掘量が落ちていると聞いたよ。これは、『暗き翠の蟻の玉璧』を餌にタダで治療させようって腹かもしれないね」
固まったままのロバートに、ソレンがハイツェルのごり押しの理由を耳打ちする。魔法生物の飼育を研究テーマにしているソレンは、あちこちの研究室に実験魔物を提供している関係上、情報に通じているのだ。
「私は、錬金術師ではないのですが」
「だよねぇ。まぁ、錬金術師でもないのにこのイリデッセンス・アカデミーに在籍している方が珍しいと思うけど。ハイツェル殿はリサーチがザルだよね」
リサーチも思考もザルだが、ハイツェルは持っている男なのだ。運はもちろん今回は『暗き緑の蟻の玉璧』まで持っているのだから、ロバートとしては答えは一つだ。
こうなっては行くしかあるまい。
アントバレーは帝都から馬車で3日ほどの距離にある。
『暗き翠の蟻の玉璧』を入手する目途が立ったと、シューゼンワルド辺境伯家に連絡をしに行ったロバートだったが。
「私も行きます!」
なんとマリエラ、ジーク、エドガンの3人が参加を表明。
「坑道蟻の生態には興味があったんだよね。フィールドワークの申請をして来るよ」
ついでに隣の研究室のソレン・アルドリッチが加わって、ロバートと愉快な仲間たちのアントバレー行きが決まってしまった。
■□■
マリエラがアントバレー行きを決めたのには理由がある。
本当は、ジークやエドガンに行くべきでないと止められたのだ。
「情報だけでありそうだってわかるんなら、マリエラちゃんは屋敷で待ってた方が良かったんじゃね? 蟻の魔物もそうだけどさ、鉱山って危ないんだぜ。採掘作業だって犯罪奴隷にやらせるくらいだ」
エドガンにまでこんなことを言われたくらいだ。
正論だ。正論過ぎてぐぅの音も出ない。
「そうなんですけど。……病気が流行ってるって聞いたから」
マリエラが言葉を濁しあえてジークから目をそらしたのは、ジークに犯罪奴隷の頃のつらい過去を思い出させないための配慮だろう。
マリエラは迷宮都市で大量にポーションを作り、結果多くの人を助けてきた。
けれど直接的に助けたのはジーク一人だ。
錬成したポーションだって、迷宮討伐軍を始めとした戦える者、力ある者を中心に使用され、奴隷に堕ちた人々に行き渡ったかどうか。
マリエラに選ばれなかったこと、救われなかったことを恨みに思って、マリエラを殺そうとした者だっていた。その結果、マリエラが失った大切な者。その重さは計り知れない。
「マリエラは優しいな。病に苦しむ犯罪奴隷を救いたいと思ったんだな」
尊い者を見るようなジークの視線に、マリエラは否定も肯定もせずにうつむく。
マリエラに死地から救い上げられたジークは、凡庸なマリエラを未だにどこか神聖視しているように思う。
ありのままを肯定されるのは心地いい。大切にされるのはありがたい。
だからこそ、マリエラは心の内を全部さらけ出すことができない。
時々、思うのだ。
(この錬金術の力って、借りものなんじゃないかって。それも、すごくすごく大きくて高価な。だから何かの形で返し続けなきゃいけない。そうじゃなかったら、代わりに大切なものを失っちゃうんじゃないかって……)
もう誰も、大切な者を失いたくない。
これは、焦りにも似た矮小で個人的な感情だ。
困っている人を無条件に助けたいと願うような崇高なものではない。
“ナクナッチャッタ”だなんてふざけた風を装っているが、マリエラを焦らせているのは、こんな思いだ。
楽しんでばかりの帝都の暮らしは、真綿で首を絞めるように緩やかに、大切なものを蝕んでいるのではないか。そんな焦りが時折脳裏をよぎる。
(ポーションを作らなきゃ。困ってる人を助けなきゃ)
そんな気持ちにせかされて、マリエラはアントバレー行きを決めたのだ。




