57.アントバレーへ
前回までのあらすじ:ジークの精霊眼、目を付けられる。帝都には皇帝への不満が渦巻いている。
「…………………………アレ? ナクナッチャッタ」
おっかしーなー。そんな雰囲気を醸し出しながら、空っぽになったチョコレートの大箱を眺めるマリエラ。
無くなっちゃったわけではない。全部マリエラが食べちゃったのだ。
甘いものは別腹と言うけれど消化吸収した先は同じだから、取り過ぎたカロリーは身に付く良く付く易く付く。
シューゼンワルド辺境伯家の美味しい料理のお陰もあって、マリエラはマルエラ街道まっしぐらである。
(これってマズイんじゃないのかな)
ひしひしと這い寄って来る混沌の気配。
人間誰しも、ふと我に返る瞬間というものはあるものだ。
帝都に来てからの三食昼寝におやつ猫付きの快適すぎる生活に、最近のマリエラだるんだるんに緩んでいるのだ。もちろんこれは体形の話ではない。ないったらない。
まぁ実際は、服がちょっとパツパツになっている気がしないでもないが、最も気にすべきジークムントの視界は、精霊眼を取り戻した今でもマリエラに対してだけは相も変わらず曇っているから、マリエラが今最も気にすべきは女子力的なクライシスではない。
そもそも何のために帝都に来たのか。皇帝陛下にポーションを献上するためだ。
“帝都に必要なポーション”という自由課題。
日程が未だに白紙なこともあって、未だに手付かずのままなのだ。
こちらは真面目にしないとヤバすぎる。
ウエストがキュッとくびれれば嬉しいが、このままでは首がキュッと締まってしまう。
チョコレートはなくなっちゃたで済むけれど、命がなくなちゃっては新たなチョコとも巡り合えないではないか。
「うなんな~?」
最近、帝都で流行っている”負け犬の遠吠え”のセリフを漏らしつつ、シューゼンワルド辺境伯家内をうろついていたマリエラは、人のまばらなテラスで紅茶片手に書類をめくるロバートの姿を見つけて、天の助けとばかりに駆け寄った。
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「…………………………アレ? ナクナッチャッタ」
おっかしーなー。そんな雰囲気を醸し出しながら、空っぽになった金庫を眺めるハイツェル・ヴィンケルマン。
無くなっちゃったわけではない。全部ハイツェルが使っちゃったのだ。
具体的には守護精霊の誘拐だとか、その後の火消し費用だとかに。
しかも悪いことは重なるもので、彼の領地にある鉱山で謎の病気が流行ってしまった。ぶっちゃけ廃坑にしたいのだが、エーテリウムとソルダリウムという重要な魔鉱石を産出するから一定量を帝国に供出する義務がある。貴族の責務というやつだ。
だから犯罪奴隷を買い込んで鉱山労働させているが、その鉱山労働者たちがバタバタ倒れて生産が滞っているのだという。代わりの奴隷を買い込みたくても、その資金が不足しているのだ。
このままではノルマ未達で領地没収。没落街道まっしぐらである。
(これってマズイんじゃありませんかな)
ひしひしと這い寄って来る混沌の気配。
人間誰しも、ふと我に返る瞬間というものはあるものだ。
『皇帝の資質』だなんだと持ち上げられて、最近のハイツェルは金庫が空になる勢いで使いまくってしまった。もちろんこれは比喩の話で、実際には証券やら債券やら不動産やら宝石もあるから、まだまだお金はあるのだが。
それよりなにより気にすべき課題は、ハイツェルの私財の残高よりも領地経営の順調さだろう。
僅かな鉱山さえ満足に管理できないなんてレッテルを張られれば、廃坑になる前に領地を没収されかねない。そうなれば、貴族という彼が最も重視するブランドさえも無くしてしまう。
謎の病が流行っているなら、錬金術師の領分だろう。だとしたら、その最高峰たるイリデッセンス・アカデミーに適任者がいるかもしれない。
そう思ってアカデミーで適任者を探すハイツェルは、廊下で同僚と立ち話をするロバートの姿を見つけて天の助けとばかりに駆け寄った。
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「…………………………アレ? 増エチャッタ」
おっかしーなー。そんな雰囲気を醸し出しながら、実験用スライムの飼育箱を眺めるロバート。
マリエラとハイツェルが「ナクナッチャッタ」と菓子箱や金庫を悲しそうに見つめていた頃、ロバートは呪力の与えすぎで増えてしまったスライムの飼育箱をのぞき込んでいた。
(これってマズイんじゃないでしょうか)
ひしひしと這い寄って来る混沌の気配。
人間誰しも、ふと我に返る瞬間というものはあるものだ。
安全な帝都での生活に魔物の脅威を忘れていたが、スライムとて立派な魔物。個体数の管理は必須だ。
しかし、増えすぎたからと言って殺してしまうのも忍びない。
(シューゼンワルド辺境伯家では汚水処理にスライムを使っていましたね。あとはソレンが欲しがっていたような。定例報告も近いですし、まずは辺境伯家にもっていきますか)
実験用スライムにまで慈悲をかけるとはロバートも成長したものだ。
瓶の中のスライムを作るために、数百匹ものスライムを犠牲にした姉弟子とはえらい違いだ。実に優しい。
ちなみにスラーケンは、マリエラの魔力が無ければ生きていけないから一緒に帝都にやって来ている。
過酷な選抜を生き抜いてクラーケンの体組織を獲得したスラーケンは、マリエラの魔力を毎日しっかり貰っているし、聖樹の精霊イルミナリアの枝を貰って憑依されたこともあり、スライムの中では実は上位種の位置づけだ。吐き出せるのが溶解液ではなく人間にとって有益でしかないクラーケンの粘液で攻撃力が皆無だから、可愛いペットと認識されているだけで、スラーケンの前では他のスライムは委縮する。
スラーケンが来たことで、シューゼンワルド辺境伯帝都邸の浄化槽スライムが少食になったと言っていたから、ロバートが増やしちゃったスライムもたくさん引き取ってくれるだろう。
そしてスラーケンの飼い主こと、姉弟子マリエラ。『弟子』が付いても『姉』とはそもそも横暴なモノ。そして、優しい者は周囲に頼られるものだ。
一通りの用事を済ませて気に入りのテラスで一息ついていたロバートは、まんまと姉弟子マリエラに取っ捕まった。
「『凍える約束の刻限』ですか。実在していたとは……」
錬金術談義は嫌いではないが、マリエラの持って来る話題は、ピントが斜め遥か上方にずれていることが多い。
もちろん、難易度的な意味で。
(これが……、これがキャルが言っていた”きゃ~ん”とかいう状態ですか……)
負け犬どころか大爆死じゃないか。
今回もロバートは、聞かされたポーションの名前に眉間にしわを寄せ目頭を押さえた。
【帝都日誌】きゃ~ん byマリエラ
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