56.帝都の隙間:禁断のやせ薬『イノセント・レネ』後編
前回までのあらすじ:マリエラもとに失踪事件の相談が寄せられる。それは『やせ薬』が関係しているようで……。満月の夜、次のターゲット、ミルパティアを花が誘う。
むしゃ、むしゃ、むしゃ。
鎖骨の浮き出た喉が動いて、喰らいついた花が嚥下されるのを、花束を差し出した男がじっと見る。笑みの形に歪んだ口は、食事を楽しむミルパティアを慈しむようなものではない。
男にとっては、時間をかけて準備した周到な計画が、ついに実った瞬間なのだ。今回の収穫は一体いくらになるだろう。そのように考えて、罠にかかった獲物の命を刈り取る蜘蛛のようにニヤリとほくそ笑んでいるのだ。
その厭らしい笑みが崩れたのは、花が一つもなくなった束がパサリと地面に落ちた時だ。
「……どういうことだ? 十分成長したはず。なぜ出てこないんだ?」
茫然と立ち尽くしたままのミルパティアをいぶかし気に見る男。
男がミルパティアの状態を確認しようと手を伸ばした瞬間。
「そこまでだ! 帝都への違法魔蟲の持ち込みおよびその使用による殺人容疑で逮捕する」
「なっ!? なぜ衛兵が」
公園の暗がりに潜んでいた衛兵が男を取り押さえ、同時に茫然自失のミルパティアを確保する。
「その女性をこちらに。シューゼンワルド辺境伯家の錬金術師が責任をもって治療いたします」
「はっ! シューゼンワルド辺境伯家のご協力、感謝いたします!」
陰から出てきたキャロラインたちに衛兵たちが敬礼をする。衛兵を手配したのはキャロラインだ。帝都でもシューゼンワルド辺境伯家の名は絶大で、仕事がしやすいったらない。
「ジーク、ミルパティアさんを押さえてて。早くこの蟲下しを飲まさなくちゃ!」
「わかった。……すごい力だな。とても非戦闘職の女性とは思えない」
「うっ、ううっ、ううう~!!!」
マリエラが蟲下しのポーションを飲ませると、ミルパティアはこの細い体のどこにそんな力が残っていたのかと驚くほどに暴れまわって抵抗したけれど、ジークに押さえられているうちにだんだんと大人しくなり、最後に弓なりに大きくのけぞった後、その場で激しく嘔吐した。
衛兵たちが顔をしかめる中、マリエラは明かりを片手に吐しゃ物を検分する。
「……やっぱり。ほら、こことかこことか。花のやくっていうのかな、花粉が付いてるとこに見えるけど動いてるでしょ? これが、雄なんです。」
油膜交じりの吐しゃ物の中から動く物を見つけたマリエラが、引き気味の衛兵たちに説明をする。
「まぁ……。気持ち悪いですわ……」
犯人は捕まったのだ。ここからは帝都の衛兵の範疇で、特に貴族令嬢であるキャロラインは吐しゃ物なんて見る必要はないのだが、錬金術師としての修行の一環と心得ているのか、それとも単に気持ち悪いものは見ちゃいたくなる性分なのか、「まぁ」とか言いつつキャロラインもガン見する。
自らの白いシルクのハンカチを差し出すキャロラインもキャロラインだが、その上に吐しゃ物からピンセットでつまみ上げたうぞうぞと動く塊を、何匹も乗せていくマリエラもマリエラだ。
白いハンカチを汚す塊。これが、失踪事件の正体だ。
一部帝都をにぎわせた、やせ薬の片割れと言い換えてもいい。
「やせ薬の正体は雌の寄生蟲なんですよ」
人体に害の少ない寄生蟲を住まわせ、栄養を吸わせて痩せるという話は、割と良くある話ではある。
この寄生蟲もその一種で、雌が宿主の中で成長し、成蟲になると交尾のために宿主を操って花に寄生している雄を食べさせる。そして宿主の体内で受精して卵を産むというサイクルを経るのだ。
「もともとは鹿なんかの草食の動物に寄生する蟲で、寄生された動物は栄養を奪われる代わりに、魔物相手でも逃げられるほど身体能力が向上するから、一種の共生関係なんですけどね。鹿の場合はあんまり栄養あるもの食べませんから」
宿主が草食動物の場合は栄養状態が良くないこともあり、腹の中の雌はあまり成長できない。だから卵を産めば死滅して、卵と共に排泄されてしまって何の問題もないのだけれど、問題は人間に寄生した時だ。
人間の食事は寄生蟲にとって栄養豊富だから、人間に寄生した雌は体内で過剰に大きく成長する。栄養を取られ過ぎて飢餓状態でも、寄生蟲の効果で宿主は元気に動けるし、初期の頃に痩せていく自分を美しいと感じた感覚そのままに、ミイラのように痩せさらばえても美しくなったと錯覚する。
そして満月の夜、限界まで飢えた肉体と、雄を求める寄生蟲の本能に突き動かされて雄の花にかぶりつく。雄を体内に入れてしまえば、産卵を終えてなお命の尽きない寄生蟲が更なる栄養を求めて腹を突き破り、うぞうぞと這い出てくるのだ。
「どういう物かは分かりましたので、あっ、しまってください。で、こちらの女性は知らずに服用したのでしょうが、……この男はどうして雄を喰わせようとしたんですかな?」
犯行の動機は犯人に聞いて欲しいが、有識者の意見も必要なのだろう。衛兵の質問には、マリエラに代わって蟲博士に成長しつつあるキャロラインが答える。
「大きく成長した蟲は、『イノセント』という高級美容ポーションの原料になりますの。皺も毛穴もない赤ちゃんのような肌になれると評判で。『イノセント』の原料にする場合、ゴブリンを宿主にすることが多いのですが、貴族女性の中にはゴブリンの腹で育った蟲を嫌う方がいらっしゃいますの。
人由来『イノセント』は、偶然被害者が出た場合などにオークションで高値で取り引きされてきたのですが、……最近、定期的に流通しているとの情報がありましたから、もしやと思っていましたの」
つまりこの犯人は、高値で取引される成蟲を入手するために、胡散臭いと思っていてもやせ薬に手を出すような、束の間の美貌以外には何も持たない娘をターゲットにして苗床にしていたのだろう。
キャロラインは話さなかったが、最近流通していたのは素材の成蟲ではなくて、錬成された高級美容ポーション『イノセント』の方だ。裏で取り引きされるその商品の多くには、少し前まで華々しく人気を博し、けれどどこかへ消えてしまった女優やモデルの名前がつけられていたという。
「ミルパティアは大丈夫なんですか? 雄の花? をたくさん食べてたみたいですけど。回復は……」
ミルパティアが心配だと付いて来たレネが、彼女をのぞき込みながら説明役から外れたマリエラに聞いて来る。
「事前に脂っぽいお魚をたくさん食べてもらっていたから大丈夫です。宿主が消化できる脂だったら寄生蟲が食べちゃうんですが、食べてもらったお魚の脂は人間が消化できないやつだから。油膜が邪魔してる間に蟲下しを飲んでもらったので、お腹の中の蟲も死んで、明日には油と一緒に出てくると思います。体力の回復は……数か月かかると思いますが」
この魚の脂は本人も気付かないうちに自動で排泄されるから、迂闊に食べると社会的に死んじゃう最終兵器なのだが、ミルパティアの腸内は寄生蟲でパンパンだろうし今回はいい感じの潤滑剤になるだろう。
……まぁ、数日は自宅で安静にしていないと、社会的に死ぬことには変わらないし、体力の回復にはもっと時間がかかるだろうが。
「ミルパティアさんと、未来の犠牲者が助かったんだし、命には代えられないと思ってくれるよね?」
明日以降、ミルパティアがトイレで迎える惨劇に遠い目をするマリエラ。
マリエラの答えに「数か月ですか……」と答えたレネは、友人が助かって安心したのか、それとも他の思惑があるのか、どこか笑っているように見えた。
■□■
2週間後、皇帝陛下を観客に迎えた満員の舞台の上で、観客の視線と喝采を一心に浴びていたのは、ミルパティアとは別の、これまで無名だった女優だった。
ミルパティアの友人、レネだ。
帝都には、チャンスを掴みたい若者はいくらでもいる。
ミルパティアが自室の個室に引きこもり蟲を下している間に、その地位をかすめ取られたとして不思議はなかろう。
ミルパティアにとって代わった者が、この2週間で劇的に美しくなったレネだったというだけだ。
レネがシューゼンワルド辺境伯家に駆けこんだおかげでなんとか一命をとりとめたミルパティアだが、蟲の影響で衰弱した彼女に、戻れる舞台は残っていなかった。
命は助かったけれど、ミルパティアの女優生命は終わってしまったのだ。
「レネ、あんたは、私の地位を奪うために私を助けたんだ。痩せて綺麗になったって、あんたじゃ私に及ばない。それが分かっていたから、“友人を助けた”って美談が必要だったのよ!」
薄暗い屋根裏の自室で、ミルパティアは血がにじむほどに拳を握る。その手は老婆のように干からびて、かつての美しさなど微塵もない。
「私の女優生命はもう終わりだわ! そのために生きてきたのに!」
助かってよかったなんてどうしたって思えない。レネには恨む気持ちしか湧かない。
自分の栄光を奪ったレネに復讐さえ考えたけれど、皇帝の舞台からしばらくした後、レネはふっつりと行方をくらませてしまった。急激に痩せて美しくなっていたから、きっとそういう事なのだろうと思っても、ミルパティアの溜飲が下がることはない。
「こんな風に生きるなら、あのまま女優として命が尽きたほうがましだった。あの舞台で、満場の喝采を受けるのは私のはずだったのに! せめて、せめてもう2週間早く、皇帝陛下が来て下されれば……!」
夢破れたミルパティアは、更に数週間後に一部の貴族女性の間で出回っているとある高級美容ポーションの噂を耳にする。
その高級美容ポーションの名前は、『イノセント・レネ』。
「あぁ、やっぱり」と思っても、ミルパティアはそのポーションの名前にさえも嫉妬する。
ミルパティアには名前を残すことさえできないのだから。
彼女は持って行き場のない憤りを、彼女にとっては人格などないこの国の象徴へと向けるしかできなかった。
安全な場所から、公人を呪わしく思う。
それは、無力で不幸な人々にできる安易な気晴らしだ。
その集積が、穢れに変わって世界を汚していくことを、ミルパティアは知る由もない。




