52.荒野の記憶
前回までのあらすじ:ナンナ、ガウゥを取り戻す。エドガンは一目ぼれの相手がナンナだと気づく。
マリエラたちが秘密の通路を地上へと戻ると、空と街が夕暮れに染まって温かな色合いに変わっていた。
地下にいた研究員や見張り達の呪いはガウゥの呪いが解けると同時に解呪されたが、呪いに起因する負傷――爪の剥離や指の骨折、声帯の負傷は残ったままだ。彼らのことはニクスたちテオレーマに任せてある。
そういう約束だったこともあるし、彼らを捕まえたとして精霊に実体も人権もない以上、誘拐事件として罪に問うことは難しい。だったら“倒れているところを偶然見つけた”ニクスたちが“保護するついでに何があったかイロイロ話を聞く”のが一番だろう。
人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、ガウゥをひどい目にあわせた連中は、すでにかなり痛い目を見ている。あそこにいたのは末端の実行犯で、大した情報はもっていないのだろうし、ニクス達の情報収集に素直に協力することを祈るばかりだ。
帝都にはポーションがいくらでもあるし、ニクス達エルフはマリエラだって知らないポーションを持っているだろうから。
「それにしても、とんだ一日だったなぁ」
ふはーとため息を吐くエドガン。
その隣には人化のポーションを飲みなおし、美少女姿になったナンナが立っている。
遠足……違ったデートはおうちに帰るまで。いや、大人のデートはおうちに帰らない日もあったりするが、ともかく今日はエドガン愛しのエンジェルちゃんとのデートだったのだ。最後くらいは美少女姿で締めくくるべきだろう。
「いっぱいいっぱい、ありがとなん」
「いいってことよ」
「楽しかったなん」
「そっか。なら良かった」
「また行くなんな!」
「おー。今度は魚でも食うか」
「うなんな!」
無邪気な笑顔でくるくる回るナンナとそのすぐ横を歩くエドガン。
ナンナは相変わらずの様子だが、愛しのエンジェルちゃんの正体を知ったエドガンは、いつもナンナと過ごす距離感で歩いている。
エドガンの恋は終わったのか、それとも少しは進展したのか。
後ろを歩くジークにはエドガンの心境は分からないけれど、ナンナと歩くエドガンが優しい笑顔を浮かべていたのが嬉しかった。
そしてジークの隣を歩くマリエラは。
(倒れていた見張りに触ろうとしたあの時、誰かが後ろに引っ張ってくれた。たぶん、私が呪われないように。あれは……)
地下の実験室に入る直前、倒れていた見張りの男にマリエラは触れようとした。はたからは、バランスを崩して偶然尻もちをついたように見えただろうが、実際は誰かがマントを引っ張って助けてくれたのだ。
その姿を見たものはいない。
Aランカーのジークやエドガン、ランクは不明ながらも鋭い感覚を持つニクスにさえも気付かれなかった何者か。その正体にマリエラは気が付いている。
なぜならあの時、はたから見れば一瞬に思えた短い時間に、その者の記憶の断片が流れ込んできたからだ。
(あれは、アルアラージュ迷宮の最深部で、緋色の宝珠に触れた時と同じ……)
マリエラはその時見た記憶を思い出す。
古い、古い時代の、この大地で起きた記憶を。
■□■
――黒い。暗い。寒く、冷たい。
これは今、目の前に迫り来る絶望の色だ。
この腕の中で温もりを失っていく、我が子の命のぬくもりだ。
己に残るわずかな熱をすべて与えられればと、抱く子をぎゅっと抱きしめる。
周りには付いて来てくれた者たちが、身を寄せ合って凍てつく寒さに耐えている。
ここは、およそ人の生きられる場所ではない。
昼間、太陽は容赦なく枯れた大地に灼熱の炎を注ぎ込み、歩くたびに火の中を踏むような感覚がした。どこまでも広がる砂漠の中に強烈な輝きが満ちる世界。
灼熱にゆらぐ視界の中で、陽炎のような存在に出会えたことは僥倖だった。
導かれるまま小さな水場にたどり着き、地面を湿らす程度の泥水とわずかばかりのナツメヤシの実で何とか命は繋げたけれど、それもつかの間。夜の訪れと共に気温は急激に下がり、今は冷気が骨を刺すようだ。
見上げた空には月が高く昇り、星々がダイヤモンドのように輝いている。
荒涼たる砂丘は、月光に照らされ、まるで銀の海のよう。
残酷なまでの厳しさとは裏腹に、この世界はあまりに美しい。
この世界の中では人間などちっぽけなものだけれど、それでも力があったならこんな場所までくることはなかった。死にゆく我が子を腕に抱き、細る民の命を背負う彼の慙愧の念は、あまりにも耐えがたい。
緑豊かな森林は強大な獣が棲み付き、安全な草原は力ある者が国を奪った。
戦う力も秀でた知恵も持たない者は、強者に蹂躙され、搾取されるのが理だ。
隷属し、尊厳さえも搾取されつつ短い生を生きながらえるか、魔物に喰らわれ死に果てるか。
生まれ育った国は奪われ、屈辱に耐えて生きる道を選んだけれど、強まるばかりの搾取の前に力無き彼らが生き続けることはかなわなかった。
父が死んだ。母が死んだ。姉が、兄が、妹が死んだ。
だから生き残った者を連れ、荒野へと逃げてきた。
それでも持たざる者がたどり着けるのは、生きてもいかれぬ荒れた大地だ。
ここに至る旅路の中で、妻が死に、何人も子が死んだ。付いてきてくれた者たちも一体何人死んだろう。
それでも残されたものがある。
腕に抱くこの幼い命は未だ潰えてはいない。
彼を長と慕い、付いてきてくれた一族の者たち。
ここで身を寄せ合って夜明けを待つ彼らもまた。
求めるものは、たった一つだというのに――。
ぐっと奥歯を噛みしめたあと、最後の可能性に賭けるため、口を開いた。
「いるかい?」
声と共に白い霧が口元で舞う。
この残酷で美しい世界では、朝を迎えるより先に、皆の命の灯が飢えと寒さで消えてしまうだろう。
――覚悟は決まったかい?
呼びかけに、闇の中から声が応じた。
その声に、離れた場所で身を休めていた弟、ディランがピクリと体を動かしたけれど、他の者は頭を垂れて眠ったままだ。彼を見て言葉を交わすことができるのは、限られた者だけなのかもしれない。
「私はこの砂漠の砂粒のようにちっぽけな存在だ。何も持たず、何も成すことはできなかった。それでも、力ある者に踏みつけられるくらいなら、ここにいる皆を支える砂になりたい」
他者のための自己犠牲。
それは純粋で美しい感情だった。
その善意と愛情は、まるで砂漠に一筋の清流をもたらすようで、乾ききった大地に棲まう存在にとって、降り注ぐ月光より暖かく、灼熱の太陽よりも輝いて見えた。
だからこそ、乾いた大地に棲む『彼』は、初めて見る美しい花に思わず手を伸ばすように、救いの手を差し伸べたのだろう。
――この枯れた地に地脈はない。この地では君の願いはかなわない。
だから、僕は君を根源へと連れてゆく。
大丈夫。君が自分を失わなければ、君が帰る場所を見失わなければ、きっと戻ってこられる。
そうすれば、君の願いはかなえられる。
さぁ、行こう。ヨハン――
「あぁ。私を連れて行ってくれ。この荒れた大地の精霊、偉大なるゲニウス・ロキよ――」
それが約束。
太古の契約。
もはや形を留めていない、美しくも儚い人の夢。
■□■
差し込む夕日が複雑な窓の格子の影を落として、磨き上げられた茶色の大理石の床をさらに美しく装飾する。立ち並ぶ太い柱はどれも大理石の一枚岩だ。これほど大きな大理石はもはや取りつくされていて、広大な帝国のどこを探しても手に入れることはできないだろう。
これほどの建材が惜しげもなく使われていることからも、この場所を捧げられた者の地位の高さと、この建物が長い歴史を誇る帝都でも最古に近い建築物であることがうかがえる。
そんな荘厳な神殿の中央、翡翠やターコイズで飾り付けられた玉座の上で、少年はゆっくりと目蓋を開いた。
「……懐かしい夢を見た」
ここは彼の神殿だ。
その証拠に、彼がまどろみから目を覚ましたことを察した女官たちが、彼の世話をするために音もなく入室して来る。
時刻はちょうど夕食時だ。祭壇を思わせる大理石のテーブルの上には皇帝の晩餐にも引けを取らないご馳走が所狭しと並べられ、彼の手を拭き清めるために湯気を上げる蒸しタオルを女官の一人が捧げ持つ。
「ゲニウス・ロキ様、晩餐の支度が整いましてございます」
面倒なことだと少年――ロキは思う。
どれほど豪華な美食であろうと、何十万回と食べれば飽きてしまうのも仕方あるまい。けれど、食べなければこんな子供の肉体は衰えすぐに動かなくなってしまう。
肉体が滅びた先に待っているのは、ロキにとって死でも解放でもない。新たな肉体として哀れな生贄が捧げられるだけのことだ。それは本意ではない。
投げやりな気持ちになって視線を落とした床の上に、窓から差し込む光に雲が差し、大理石の模様を一層複雑なものにする。
(雲、雲か。ずっと忘れていたけれど、ここが荒れ地だったあの頃は、空には一欠片の雲さえなかった)
あの日のことを夢に見たせいだろう。
ロキがただの荒れ地の精霊であった頃、この地は人の住めない荒れた土地だった。
今、帝都の臣民があの空を見上げたならば、「雲一つない晴天だ」と喜びさえするだろうが、一欠けらの雲もないということは、大地も空も乾ききり、僅かな水もないということなのに。
命の乏しい過酷な大地。『彼』――、ロキはそんな荒れ地の精霊だった。
彼の知る美しいものなど星空くらいのもので、そんな乏しい存在であることに疑問も不満も感じてはいなかったけれど、あの日、自らの命を顧みず、荒野に一族の者の生きられる場所を求めたヨハンという青年は、ロキの目に星空よりも美しいものに映った。
荒野の精霊に人の生きられる場所を与えることはできない。
ロキは荒野そのもので、そのことに不満も不足も感じてはいなかった。
けれどヨハンの願いを叶えたいと願ったあの時、ロキは初めて己が乏しい存在であることを自覚した。
例えば空っぽの宝箱が、中に宝石を納めたいと望むように。
例えば干上がった湖が、雨を請い水で満たされたいと望むように。
荒野の精霊もまた、己の持たざることを認識することで、ヨハンがこの地に住んだなら、どれほど豊かな存在になれるだろうと望んでしまった。
この地には、地脈すらないというのに――。
あの日、ヨハンの願いをかなえるために、ロキは手を差し伸べてヨハンと共にグランドへ至った。
その結果が、今のこの帝都だ。
「どうか、ロキさま、一口だけでもお召し上がりください」
懇願するような女官の声に、ロキは思索を巡らせるのを止め食卓へと目を向ける。テーブルいっぱいにご馳走が並べられているのは、ロキが飽食を好むからではない。食事に興味を持たない彼にどうにか栄養を取らせようという苦肉の策だ。
(そう言えば、あの日彼らは未熟なナツメヤシの硬い実を、旨いと食べていたな……)
食卓には十分熟して乾燥し、つやつやと黒光りするナツメヤシの実も置いてある。こってりと濃厚な甘さを思い出したロキが、ナツメヤシの実を取ろうと伸ばした手を見て、女官が「ヒュッ」と鋭く息を呑んだ。
「……ロキさま。僭越ながら給仕をさせていただきます」
「放っておいてくれ。右手はまだ健在だ」
ロキが伸ばした左腕は、肘の半ばまで茶褐色に変色し、その手からは手の平の半分と指が3本失われていた。
(少し力を使っただけだというのに、随分と劣化が早い。この肉体もいつまでもつか……)
ロキが座っていた玉座の脇、チリ一つなかった大理石の床の上には、左手が変じた土塊が落ちている。
女官が息を呑んだのは、この変容が予想よりはるかに速かったからで、この変貌自体は見慣れたものなのだろう。
女官は静かに土塊に近づくと、刷毛でそれを銀のトレイに移し替える。
まるで宝石でも乗せたように恭しく捧げ持たれて運び出されていく土塊。
出所を知らなければ肥沃な土に見えるその中には、砂粒の様に小さな紅の宝珠が混じっていた。
【帝都日誌】記憶で見たロキって、多分……。どうして助けてくれるんだろう? byマリエラ
ちょっぴりダークな異世界転生ストーリー、『俺の箱』を改定&更新中!
こちらも応援よろしくお願いします。↓
https://book1.adouzi.eu.org/n3141ff/





