49.豪運と失策
前回までのあらすじ:マリエラ、ナンナの居場所を見つける。
(アストラルポーションの影響かな……)
帝都外縁部にあるエーレンヒル静寂園に向かう馬車の中、マリエラはシートにくたりと体を預けた。
「大丈夫か、マリエラ?」
「うなんな?」
「うん、ちょっとくらくらするだけ……」
心配そうなジークの様子に大丈夫だと答えたマリエラだったが、実際は先ほど視ていた《命の雫》の輪郭と普段見る世界が二重に見えていた。
狭い馬車には手を伸ばせば触れられる位置に天井があるのに、見えないはずの天井の向こうに《命の雫》が舞い散り帝都の建物に当たってはじける。恐ろしいと感じたからか、それとも今のマリエラの限界なのか先ほど見た地下の漆黒は幸いにも見えなくて、《命の雫》でいつもより光り輝く帝都の景色が流れていく。
まだ外縁部の所々に、ファアアァッと細かな霧のように舞い上がっている場所がある。薄く広く《命の雫》が溢れる場所はどこかの大規模工房で、ポーションを作っているのだろう。
あぁそうか、とマリエラは思う。
この帝都には《命の雫》を汲める錬金術師が大量にいる。一人一人が汲める《命の雫》の量はとても少ないけれど、大勢の錬金術師が《命の雫》を汲み上げるお陰で、帝都は《命の雫》に満ち溢れているのだ。
マリエラが錬成する時だってそうだ。たくさんの《命の雫》を汲み上げるけれど、その全てがポーションに込められるわけではない。むしろポーションに込められるより漏れて大気に解ける方がずっと多い。特にマリエラはお風呂に入れたりそのまま飲んだり、《命の雫》をばらまきまくっているくらいだ。
そうやって、地脈からくみ上げた《命の雫》がその土地に広がって、その地とそこに住む生命を豊かに潤す。
水に例えるなら水脈があるだけではだめなのだ。水を汲み上げ大地を潤し草木を茂らせることで、たくさんの水を地表に蓄えることができる。その循環の果てに、大地は動物の暮らせる豊かなものへと変わっていく。地脈だって同じだ。地脈の豊かな場所は動植物が豊かだけれど、そこに人が棲み営みを繰り返すことで、光輝くほどの繁栄につながっていく。
200年前のエンダルジア王国は、マリエラの眼に光り輝いて見えたけれど、あれは精霊の加護だけではなくて、多くの生命が暮らし《命の雫》に満ちていたゆえの輝きだった。
(まるでポンプみたい)
錬金術師が《命の雫》を汲み上げることで、その地は《命の雫》の循環が促進されて一層豊かに輝いていく。この帝都のように。
(ポーションとか錬金術はきっとおまけで、《命の雫》を汲み上げることこそが……)
だとしたら、外縁部と中央区画を隔てる辺りに見えた、《命の雫》を噴水のように高く吹きだしていた場所は何なのか。
あそこは確かアタノール。結脈式典が行われていた場所だ。
アタノールとは錬金術で使う炉だ。《命の雫》が噴き出していても不思議ではないけれど、あそこで一体何を錬成しているのだろう。
「皆さん、もうすぐエーレンヒル静寂園です」
何か大切なことに気付きそうになったのに、御者席から顔を覗かせたテオレーマのエルフ、ニクスの声で、マリエラは我に返る。
フェイレーンがニクスを同行させてくれたのだ。ガウゥ奪還の強力な助っ人だ。
しばらく馬車で揺られたおかげか、二重に見えていた世界はいつも通りの色彩を取り戻していた。
窓から見るエーレンヒル静寂園は緑豊かで、建物ばかりの帝都のなかでひどく穏やかな場所に思える。
けれど、おそらくその地下には……。
「入口がどこかまでは分からなかったんですが……」
「場所が特定できただけでもお手柄ですよ、マリエラさん。
我々も幾つかアジトを潰してきましたが、それらは末端の、誘拐の依頼を受けた冒険者崩れの拠点ばかりでした。ここはより中枢に近い。ここに居る連中ならば、精霊を攫う目的も知っているかもしれません。
それにしてもこの認識阻害の魔法陣はすごいですね。これなら気がねなく突入できます」
エルフのニクスは女性と見紛う美しい顔立ちをしているのだが、認識阻害のスカーフをずらした笑みが凶悪そうに見えたのはどうしてだろう。中身は迷宮都市にゴロゴロいる冒険者たちと変わらない気がする。顔面詐欺だ。ナチュラル認識阻害野郎だ。
「だな。ナンシーちゃんの大事なもんを盗みやがった連中だ、容赦はしないぜ」
こくこく。(うなんな)
ニクスに対してエドガンは、認識を阻害され過ぎではないか。再びサイレント・モードに戻ったとはいえ、ナンナはやる気満々でナンナっぽさが溢れているのに。
「エドガン、落ち着け。油断は禁物だぞ。あと、隠密行動なんだから気をつけろ」
二人をたしなめるジークはジークで、認識阻害のスカーフを眼帯代わりに右目を隠すように顔に巻き付けている。精霊眼という名札並みに明確な特徴を隠すためなのだろうが、右手で顔を隠してうつむきがちに話すのはやめて欲しい。なんだか“右目がうずいちゃう”人みたいだ。夢幻の射手の再来か。
何にせよ、皆やる気も準備も万端だ。
あとは、入口を探すだけ。
意気込んだマリエラたちがエーレンヒル静寂園に着いてみると。
「……開いていますね」
「地下に続く階段があるな」
立ち並ぶ霊廟の一つの扉が開いており、中に安置された石の棺も蓋が大きくずれていた。
棺の底はぽっかり空いて地下深くへと階段が続いている。
「ここ……だと思う」
(うなんな)
「閉めんの忘れたのか? 案外うっかりさんだな」
流石に閉め忘れなんてないと思うが、ここがガウゥのいる場所へ続く入口なのは間違いない。
「ま、ラッキー、ラッキー。まぁ、罠ってこともあるかもだから、気を引き締めて行こうぜ!」
エドガンはポジティブすぎる気がするが、ラッキーなのはその通りだ。
この場所を見る限り、開いていなければ入口だと気付かないほど巧妙な造りになっている。
マリエラたちはエドガンを先頭に、秘密の通路へと足を踏み入れた。
■□■
「ふむ。やはり、何かを食べる様子はないな」
ガウゥが捕らえられた檻は、研究員たちが入れた『餌』で汚れていた。
牙を剥く姿が生意気だからと黒き血のイバラで打たれたガウゥは今にも消えてしまいそうなほど弱り切っている。
ガウゥの衰弱に慌てた研究員たちが、何か餌をと適当に放り込んだのだ。
子猫の姿から弱く儚い存在だと分かりそうなものだが、ここに居る連中は自称崇高な目的のために視野狭窄に陥っているのだろうか。入れられた餌にしても、普通の肉や果物から魔石、はては自分たちの血液まで闇のお子さまランチ……、いや、闇鍋ひっくり返しちゃったような状態だ。きちゃない。
「急いで強化が必要だ」
「だが何も食べんぞ、どうするつもりだ」
当然そんなものをガウゥが食べるはずがない。
今にも力尽きそうな状態で檻の隅にうずくまるガウゥを見て、やりすぎたと焦る研究員たちをみて、ハイツェルが上から目線で口を開く。
「ご案じめさるな。吾輩には探究の果てに天啓のごとく得られた新たなアプローチがありますぞ。これこそが、この幻境を新たなる境地へと導く魔法の鍵となりましょう!」
「……新たな手法? どういうものだ」
新参者のハイツェルの話に耳を貸したのは、実験をする前に貴重な被検体を失うわけにはいかないという焦りからか、それとも、全ての失態を新参者にかぶせるつもりか。
ともかく、普段なら取り合ってもらえないハイツェルの意見は幸か不幸か届いてしまった。
「ズバリ、ズーバーリ、呪いを使うのですぞ。私の頭脳に宿りしは、まさに古の魔術の秘訣。問題はこれによって粉々に砕かれ、その破片が奇跡へと変貌すると、最新の研究にあるのです!」
「具体的に話せ」
「実はかくかくしかじかで……」
怒られつつもハイツェルが話した内容は、ロバートがアカデミーで発表したばかりのものだった。ロバートの研究報告にせっせと質問していたのは、ロバートの研究が精霊の強化に使えるのではと考えたからで、それをサクっとパクったわけだ。
「呪いか。その研究なら聞いたことがある。確か、アグウィナスの英才の研究だったか。なるほどあれは精霊関連だったか。ならば壺を使うか」
「どの壺だ、壊病みの壺か?」
「いや、怨嗟の壺を。ちょうど作りたてのものがある」
運がいいのか悪いのか、ハイツェルに対しては訝し気な態度の研究員たちも、案の出所がロバートだと気づくや態度を軟化させてしまった。学園では微妙な立場のロバートだが、その実力は評価されていたらしい。しかしそれは“アイツ、なんか賢いらしい”という漠然としたもので、その内容まで把握していないからツメが甘いと言わざるを得ない。
別室から運ばれてきた『怨嗟の壺』。その底は泥で汚れ、厳重に封をした口元は赤黒い汚れがこびりついている。
ぴっちりと封をされているというのに、腐った内容物の臭いが漂ってきそうな壺に、ブブブブと黒い羽虫が集っている。運んできた男が汚らわしい物を払うように手を振れば、羽虫と共に、もわ、と黒い靄が立ち昇る。この壺に込められた呪いは、目視できるほど穢れている。
生きた人間が抱く中でも最も激しい憎悪、生々しい悪意、そして明確な殺意から作られたこの壺は、幻境の資金源の一つだ。この場所は、普段は『怨嗟の壺』を作り出す工房でもある。精霊が手に入りずらい昨今、ここに居る研究員たちはこの壺を作り出すことで組織に貢献しているのだ。
ポーションがふんだんにある帝都では、他人を密かに害するのに、毒より呪いの方が勝手がよく、この手の呪いは高値で取り引きされている。
ヴゥゥ……。
怨嗟の壺が放つ穢れが分かるのだろう。ガウゥは声なき声でうなりながら、狭い檻の隅っこに体を寄せる。こんなもの、実体を持たない精霊にとって、猛毒に他ならない。
壺を持った研究員がガウゥの檻に近寄って、上から怨嗟の壺を傾ける。
その口からは、液体とも気体ともつかないねっとりとした黒い瘴気が溢れ、ガウゥを包み込むように広がった。
ギャン!
(あっ!)
ガウゥが声なき悲鳴を上げた瞬間、ハイツェルもまた心の中で声を上げた。
彼は大切なことに、たった今、気付いてしまったのだ。
「それで次はどうする?」
「つ、次は解呪ですな。解呪ポーションなら、それここに……」
先ほどまでの饒舌さはどこへやら、急に元気をなくしたハイツェルは用意していた解毒ポーションを近くの台に置くと、他の研究者に気付かれないように、そろりそろりと後ずさる。
「ふむ……。で、どうやって飲ませる?」
「かけるのか? む、あやつどこへ消えた?」
ハイツェル・ヴィンケルマンの最大の長所は、家柄や資産家であること以上に、ものすごく運がいいことだろう。知性を含めたありとあらゆるパラメーターを運に極振りしたと言っていい。そしてその運の良さは、周囲に迷惑をかける方向で発揮されることが多い。
研究者がガウゥにかけた解呪ポーションは、呪いの瘴気を晴らすことなくびちゃびちゃと檻の床を濡らすだけだった。
「ヴヴヴヴヴヴー……」
地下室を震わせるように響く獣の唸り声。
それまでは声さえ出せない弱々しい存在だったのに、肉体を持たない精霊に呪いで力を与えるというハイツェルの見立ては正しかったと言える。そして、自らの失態に気付くや、脱兎の勢いで非常口の一つに駆け込んで、そのままトンズラした判断も。
肉体を持たない精霊が解呪ポーションを飲めるはずがないではないか。ロバートの研究は、対象が肉体を持つスライムだから成立した手法なのだ。
冷静に考えれば当然のことなのだが、ガウゥの弱りっぷりに慌てたのか、ハイツェルがあまりに堂々と出来ると言い放ったせいか、ここに居る者たちはつい思考を放棄してしまった。末端の下っ端研究員らしい失態だと言えなくもない。
ミシミシミシッ、パァーーンッ。
檻がきしむ音がしたかと思うと、精霊を捕らえる魔法陣が描かれた底板がはじけ飛ぶ。
「う……、うわあああ!」
「逃げろっ……。はやっ……ぇあああ!」
地下室に、ハイツェル・ヴィンケルマンを除く研究員たちの叫び声が響いた。




