47.エーレンヒル静寂園
前回までのあらすじ:マリエラ、アストラルポーションを作る
帝都の外縁部に、エーレンヒル静寂園と呼ばれる小高い丘がある。
この丘は丸ごと霊園で、地下には自然窟を利用した巨大な共同納骨堂がある。帝都の埋葬地として長らく利用されてきた場所で、収容量を超えた今では公園として開放されているけれど、霊園らしい寂しげな雰囲気に訪れる者は少ない。
そのエーレンヒル静寂園の納骨堂の更に地下に地下室があることは、ごく限られた者しか知らない。
霊園の地下の秘密の空間。こういう場所でやることなんて、たいていがろくでもないことと相場が決まっている。
邪教の集会だとか、禁断の儀式だとか、犯罪めいた研究だとか。
今、この秘密の場所に集った者たちの服装を見るに、ここで行われているのは3つ目だろうか。とすれば、悪の研究員たちに囲まれている白く透き通った猫は、哀れな被検体だろう。
「獣の形の精霊とは珍しい」
「獣人の守護精霊というものですぞ」
「よく捕らえられたな。獣人なんぞ南方の森から出てこんものだろうに。少なくとも食い詰めた冒険者にやれる仕事ではなかろう」
先ほど届けられたばかりの白い子猫の精霊――ガウゥについて、仮面のようなマスクを付けた研究員たちがひそひそと噂する。
「新たな精霊は久しぶりだな。わしがこの研究を始めた頃はそれなりの数が存在していたが、最近はとんとみない」
「精霊も攫われると知って逃げてしまったのでしょうな。この守護精霊の貴重さがおわかりいただけるというもの」
今の帝都にいる精霊など、名のある錬金術家と縁のある精霊だとか、ドワーフの工房の炉に棲みついた精霊だとか聖樹の精霊などの手を出しにくいものばかりだ。
「貴殿がこれを?」
「そうですぞ!」
真新しいマスクをつけた男――ハイツェル・ヴィンケルマンがふふーんと自慢げに胸を張る。ここに居る研究員たちは互いの素性が隠せ仕事上の実用性もある防毒マスクをつけている。口元にフィルター代わりの薬草を詰めたマスクは獣の顔にも似た形なのだが、こうしてのけぞって見せると高い鼻にも見えてくる。つまり、この男、鼻高々と言うわけだ。
(こいつが精霊を手土産に参入してきた新参者か。こんな仕事だっていうのに、ずいぶんと自己顕示欲が強いようだな。なるべく関わり合いになりたくないものだ)
消極的とも思える研究者の懸念は、自分たちの仕事がハイリスク・ハイリターンであることを理解してのものだ。
彼らは幻境派の研究員。それも役目を与えられていても情報はあまり与えられていない、いざとなったら切り捨てられる末端よりちょっと上くらいの研究員だ。それでも大勢いる構成員のほとんどが、これまでのハイツェルのような金を出すだけの『出資者』で、幻境の秘密を知らされていないことを思えば、秘密の一部を知る彼らは選ばれし正規の構成員と言っていい。
自らを幻境派と言ってはばからないハイツェルだったが、今まではなんちゃって構成員に過ぎず、この日ようやく正式に幻境派になれたわけだ。
この守護精霊の捕縛にハイツェルは少なくない金貨を投じたのだ。
ちなみに、獣人の守護精霊の情報やそれを悟られずに捕縛する人員の手配は、ただ金を出しただけで手に入るようなものでないことを、ハイツェルは理解していない。だから、金銭ごときと引き換えに守護精霊を手配した彼の“後援者”の思惑など、金銭的な謝礼以外に思いもよらないのだが、それでも投じた金額を考えれば、これを足掛かりに確たる成果を上げねばと気がはやるのも仕方あるまい。
ハイツェルの所属する組織、幻境では結果こそが力を持つ。ここで成果を積み上げていけば、資産はあれど子爵でしかないヴィンケルマン家が帝都の中枢を担う日も遠くあるまい。
(由緒あるヴィンケルマン家の吾輩が、末端に甘んじ早や……はて、どれくらいでしたかな。まぁ、吾輩も随分投資してきたのですから、そろそろ見合った成果が欲しいところ。しかし、流石は吾輩。運が良い。被検体が手に入ったタイミングで、よい情報を仕入れられるとは!)
ふっふーんと、一人にやけつつ、自分に成功をもたらしてくれる予定のコネコチャンを覗き見るハイツェル。
ガウゥの捕らえられた檻は底に魔法陣が刻まれていて、守護精霊を拘束し、姿を可視化する機能があるらしい。のぞき込む男たちに、牙を見せてウウゥと唸り声をあげている。
「随分と反抗的ですなぁ」
「所詮はけだもの。一鞭くれてやれば大人しくなる。我らの目的には従順さも必要なのだ。おい、黒き血のイバラをここへ」
まずは痛みで服従させようというのだろう、持ち出されたのは黒く干からびたイバラだった。
黒き血のイバラ。
罪人に対する刑罰の一つに手足を縛った状態でイバラを体中に巻き付けるものがある。巻きつけられるイバラの棘には痒みをもたらす毒があり、巻きつけられた罪人は、耐え難い痒みゆえに体を棘が傷つけるのも厭わずにそこらじゅうを転げまわる。そうして罪人の苦痛と血を吸ったイバラは、罪人の罪と穢れが重いほど黒く黒く変色し、善なる精霊を傷つける呪具となる。
ウウゥ……。
黒き血のイバラがどのようなものか分かるのだろう、檻に閉じ込められたガウゥは唸りながらも後ずさる。
子猫のような見た目の通り、まだ幼い精霊なのだ。そんな稚い存在を、この男たちはイバラの鞭で打とうというのか。
ハイツェルはこの子猫精霊がちょっぴり可哀そうになる。
「なんだか可哀そうですぞ」
「新参者は黙っておれ。今の平穏は仮初のもの。ほころびはすでに見えていると俺は聞いた。崩壊は遠くない未来に必ず訪れるのだと。
滅びは看過できない。滅亡を甘受するわけにはいかない。例えどのような罪を重ねようとも。今を生きる民たちと、未来に生まれる民たちと、そしてこの帝都の礎となった民たちのために、我ら幻境は役割を与えられているのだ。
案ずるな、きつくは打たん。久々の精霊だ、早々に消えてもらっては困るからな」
両手を挙げて鷹揚に語ったのは、若い研究員だろうか。
意識高い系なのか、狂信的なのか。黒き血のイバラを見つめる目がギラギラしていてちょっと怖い。
「ふぅむ、なるほど。ところで帝都の一体何がどのように崩壊するのです?」
「むぅ、それは……。……それはな、我らがごとき末端の知る必要はないのだ!」
意識高い系研究員に偉そうにされて少しムッとしたハイツェルだったが、彼はドヤ顔の割にはこの研究の最終目的を知らないようだ。
(この程度の情報でよくもまぁ、あれだけ威張れるものですぞ。これだから下っ端は。まぁ、永年万年下っ端らしくて結構結構。吾輩のような尊い家柄の出でもなければ知らぬのも道理。偉大なる帝国より広い心で赦して進ぜるのですぞ)
ふっふーん。吾輩実は知ってるもんね。教えてもらっちゃったもんね。
そんな感じで少々気分が良くなるハイツェル。そんな彼はさておいて、古参の研究員が作業開始を告げた。
「始めよう」
「未来のために」
「帝都のために」
(そして、吾輩の出世のために!)
若干一名、不純分子も混じっているが、ここに集った者たちは高い志の下、邪法も辞さない者たちらしい。
まるで物でも見るような男たちの冷たい視線に、幼いガウゥは震えながらも果敢に牙を剥き続けた。
■□■
「あれ、エドガンさんは?」
「認識阻害のスカーフを取りに行ってもらっている」
アストラルポーションを完成させたマリエラが控室に戻ると、そこにエドガンの姿は無かった。
精霊と言うのは実体がない。いたこともいなくなったことも証明しづらい存在だから、精霊誘拐は現行犯でも犯行を立証しづらい。だから、人知れず取り返すのが良かろうと認識阻害のスカーフを取りに戻ってもらったのだが、そのお使いにエドガンを使ったのは、今はまだナンナの正体を知らせない方がいいだろうというジークなりの判断だ。
「ありがとう、ジーク。エドガンさんには悪いけど、ガウゥを取り戻すのが先だもんね」
そう言うとマリエラは、ナンナの首元から消音の魔法陣が縫い込まれた飾り襟を外してやる。
「うな、うなな。ガウゥ、ガウゥは見つかったなん? ナンナが大事にしないから、ガウゥは帰ってこないなんな?」
今のナンナには、声さえ元気がなく獣人らしいパワフルさが感じられない。ガウゥのことが心配なのはもちろんだけれど、こんなナンナは見ていられない。
マリエラは作ったばかりのアストラルポーションをナンナに渡して説明をする。
「これを飲むと、ガウゥのところに行けるなん?」
「うん。体を離れて意識――心だけで動けるようになるんだよ。そうすれば、感覚がずっと鋭くなって、ガウゥがどこにいるかきっとわかる。でも、同時にいろんなことがあやふやになって帰って来れなくなるかもしれない。心だけガウゥのところに行けてもガウゥは取り戻せない。場所を確認だけしたら、一旦戻って、迎えに行かなきゃいけないの」
「むつかしいなん」
「大丈夫、私もいっしょに行くよ。ガウゥの場所が分かったら、ナンナが戻ってこれるように。ガウゥをちゃんと取り戻せるように、私の声を忘れず聞いてね」
「うなんな」
いつもの便利な猫語だが、この「うなんな」は理解ができた。
「ジーク、お願い。手を握っていて。私がちゃんと帰ってこられるように」
「もちろんだ」
今、この部屋にはマリエラとナンナ、そしてジークしかいない。
行くなら今しかないだろう。
マリエラとナンナは手をつなぐとアストラルポーションを飲み干す。
同時にぐらりと視界が揺れる。幼い頃イルミナリアに連れられて地脈に潜った時とも、キャロラインを探すため師匠の助けを借りた時とも違う不快な感覚。
(なに、これ。心がどろりと溶けて、体から零れ落ちてしまうみたい)
立っているはずなのに、仰向けに倒れていく気がして思わず伸ばした手を、大きくて温かな手が握ってくれた。
(ジーク……)
大丈夫、大丈夫だ。ジークが握っていてくれるなら、必ずここへ帰ってこれる。
(行こう、ナンナ。ガウゥを探しに)
マリエラがそう思った瞬間、蕩けるようにぼやけていた景色が、流星のように流れ始めた。
【帝都日誌】「はっ、ガウゥがイタイイタイなんな!!!」 byナンナ
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