46.アストラルポーション
前回までのあらすじ:ガウゥを盗られたマリエラ、金髪のじゃロリエルフを頼る。
「それって、まさかアストラルポーション?」
マリエラがその名を口にしたポーションは、結脈式典の際に子供たちが地脈に潜るきっかけとするポーションだ。
結脈式典に精霊は介在しない。代わりにこのアストラルポーションを使って子供たちは肉体を離れ、導者の声に導かれて地脈の浅いところで契約を結ぶ。
確かにアストラルポーションを飲めば、ナンナは肉体を離れてガウゥを探しに行けるだろう。しかし。
「私のライブラリにアストラルポーションの作り方はないんですが……」
師から弟子、またその弟子へと連綿と継がれる集合知である『ライブラリ』は、錬金術師全員が同じものを共有するわけではない。伝えられない禁呪もあれば、中には金にも代えがたい秘伝もあるのだ。
アストラルポーションはイリデッセンス学派の秘伝のポーションだと思う。それをこっそり盗み見るなどと……。
しかし、フェイレーンは承知の上で話を誘導している気がする。
ということは、何か手立てがあるのだろう。
「本当に? この大地のうわべに根付く者にとってはそうであろうが、お主はすでに見たはずだ。お前たちがライブラリと呼ぶものが一体何の一部なのか、知識と情報の根幹を」
やっぱりか。やったらできちゃう系なのか。
確かにマリエラはかつて魔の森の深淵で、ライブラリの正体を知った。あれは世界の記憶の一部だった。おそらくは世界の根幹のような場所にあって、そこは地脈と繋がっている。だから地脈と契約し、帰還時に師から経験値とともに先達の知識を得る鍵、あるいは筋道のようなものを得られるのだとマリエラは考えている。
「大半の錬金術師と地脈の繋がりは浅い。だから与えられた末枝のごとき経路からしか書庫に辿り着くことができぬ。真っ暗な中、手元の書を掴むようなものじゃな。
じゃがお主の繋がりは深く、しかも書庫のありようを知っておる。あそこはの、人には過ぎた場所故に身動きもままならぬだけじゃ。お主は書庫の鍵を譲り受けたと思うておろうが、鍵などそもそもかかっておらぬ。書架のありかを教えられたにすぎぬのじゃ。だからすぐ隣の書架を覗けば望みの知識は手に入る」
帝都は広いし、ガウゥは守護精霊だ。実体のないガウゥを探す手立ては他にはないだろう。あったとして、それを探している間にガウゥがどうなってしまうのか。それを考えれば他に手はないだろう。
「……わかりました。やってみます。《ライブラリ》」
意を決してマリエラは目を閉じライブラリを開く。
思い描くのは、何冊もの本が並んだ書架のイメージ。マリエラはそのすぐ前に立っている。書架はとても大きくて、さまざまな本がたくさん収められているけれど、いつも使うのは錬成方法や素材の処理方法について書かれた数冊だけで、それがマリエラの目の前に並べられているのだ。
書架はとても大きいし、マリエラは書架のすごく近くにいるので、たくさんの本があると分かっていても、目の前の本しか見えないし、他にどんな本が収められているのかもわからない。たまに料理のレシピが知りたいだとか、石鹸などを造りたいとか考えると、いつもの本の隣にその本が置かれていたりする。そういう場所だ。
(……となりの書架か)
隣の書架を見るためには、数歩下がらなければならない。けれどこの場所では体の自由が利かないのだ。ただ、目の前にあるこの本の、この箇所が読みたいな、と思えばいつの間にかその本の目的のページが開かれているという感じだ。
マリエラはこの場所を書架だと認識しているが、人によってはレシピの描かれた紙が浮かんでいる場所だという人もいるし、文字が宙に浮かんでいるという人もいる。そして、共通しているのは体の自由が利かず、いくつかある知識の中から目的のものが得られるだけの場所だということだ。
そういう場所だと認識していたから、動けるなんて考えもしなかったけれど。
(師匠を探して辿り着いた水の神殿……)
魔の森の深淵と呼ばれる場所、湖の精霊の精神が宿る神殿がライブラリだというならば、ここは動ける場所なのだ。
とん。
マリエラの身体が一歩後ろにさがる。
(……暗い。でも、隣にも、ううん、ずっと奥まで書架が続いているのが分かる……)
目的のレシピはすぐ隣の書架にある。そんなことも分かるのだけれど。
「……暗くて見えません」
ぱちりと目を開けば先ほどいた部屋で、自由を取り戻したマリエラの前には面白い物でも見るようにフェイレーンがこちらを見ていた。
フェイレーンの言う通り、他の流派が蓄えた錬金術の知識にも触れることはできそうだ。けれど真っ暗な中ではどれがその本か分からないし、読むこともできそうにない。
これは困った。これではアストラルポーションも作れそうにない。
「ぷっ、くくく……。お主、お主! お主は真面目で善良じゃのう!」
困り顔のマリエラを見て、フェイレーンが大きな声で笑い始めた。
こっちは困っているというのに、ちょっと失礼ではないか。
むぅ。口には出さずちょぴりむくれたマリエラを見て、フェイはさらに大笑いしながらバシバシ叩く。柳のように華奢な手指でスナップを利かせるのはやめて欲しい、痛いじゃないか。
「良い、良いぞ! 炎災の弟子にしては良識がある。暗くて見えぬと言うたの、それはお主に後ろ暗い気持ちがあるからじゃ。致し方ないと思いつつも、他所の秘伝を盗み見ることに罪悪感を覚えたのじゃろ。結構、結構! ぬしがそのような心根の持ち主で、安心したわ」
「えぇー、試したんですか?」
あまりにもあけすけに笑うので、マリエラも思わずむくれてしまう。
「お主の人となりを見極めたと言うて欲しいの。あれは門外不出の秘薬というわけではない。伝手さえあれば手に入る程度の代物じゃから、製法をちょいと覗いたとて、さほどの影響がある物ではない。しかも状況が状況じゃ。仲間のためと覗き見ることに良心の呵責を感じぬ者は多かろうよ。それに暗くて見えなかったとして、お主にも炎の伝手があろうに。呼べば明かりを灯すことも出来たろう。まぁ、行儀の悪い炎であれば貴重な書を燃やしてしもうたかもしれぬがの」
「あ……」
暗いならサラマンダーを呼べばよかったのか。
それは考えつかなかったが、マリエラが呼んだサラマンダーは自由奔放が過ぎるから、フェイレーンの言う通りライブラリに納められた書を燃やしてしまったかもしれない。そうなったら大惨事だったから気付かなくてよかったのか。そんなことを考えるマリエラにフェイレーンが言う。
「深淵近き人の子よ、お主の善性に免じてわらわが手を貸してやろう」
鷹揚にほほ笑むフェイレーン。その手にはいつの間にか青い炎が宿った燭台を持っている。神秘的な光景だ。なんだかとっても気高くてスゴイ存在が救いをもたらしてくれる感じがする。しかし、そういう存在にマリエラは大層縁があるのだ。
「……何が目的なんですか。対価は?」
この手の存在の手助けは、基本的に高くつくことをマリエラは知っている。師匠なら大抵のお願いはお酒で解決が付くけれど、それで済むのはマリエラが迷宮討伐に貢献し、リューロパージャを助けたからだ。むしろそのためにマリエラは育てられたと言っていい。
――注いでくれた愛情だけは、無償のものだったと信じているが。
「チッ、これだから奇跡慣れした者は」
ほらやっぱり。
「我らエルフは精霊と共に生きるを是とするもの。私欲のために精霊を捕らえ消費するなど言語道断。我らとてきゃつらの手足の一つでも潰しておきたいのじゃ。
……信じておらん顔じゃの。
安心するがよい。今のお主に用はないわ。かように気にするのであれば、今回はただの先行投資と心得よ。
――いずれお主は根源に――グランドに至る。その時のための縁結びと心得よ」
――グランド、根源。
それは、この世界のどこででも使えるというグランド・ポーションに関係するものではないか。
マリエラは確信に近い気持ちでフェイレーンの言葉を聞いていた。
(グランド・ポーションなんて面倒ごとの匂いしかしないよね。っていうか、グランドって場所なの? そんな場所、絶対行きたくないんだけど……)
迷宮都市と違って帝都は安全で豊かな街だ。放置すれば滅ぶとか、大切な人が危険にさらされるわけではないのに、誰が好んでそんな場所に行くだろうか。
少なくとも、マリエラは一撃瀕死の貧弱さだ。そんな場所、絶対に行きたくない。
「分かりました、お願いします。でも、そんな所、行かないと思いますよ」
「至らばよし、至らねばなおよし。まずはライブラリに至るがよかろう」
フェイレーンに促されるまま、マリエラは再び目を閉じライブラリを開く。
(あ、青い光? 炎……ウィルオ・ウィスプ?)
真っ暗なライブラリの中、フェイレーンが持っていたよりずっとずっと小さい、けれど同じ青い炎がマリエラの手元を照らす。その手には、アストラルポーションのレシピがあった。
「アマラントスの花弁、邪妖精の鱗粉、レイスの涙、ベラドンナの根、オルロリディアンダの種……」
幸いというべきか、必要な材料の内、3つ――アマラントスの花弁、邪妖精の鱗粉、レイスの涙はオークションで入手して、薬晶化して携帯している。
「ベラドンナの根、オルロリディアンダの種、あとはルナマギアがあれば……」
「それならば、わらわの薬草園にあるぞ。ルナマギアもちょうど入手したものがある」
「それなら……。ナンナ、待ってて。すぐ作るから!」
ここからが錬金術師マリエラの本領発揮だ。
■□■
「アマラントスの花弁、邪妖精の鱗粉、レイスの涙……。オークションで安かったから買ったけど、不吉三点セットの出番がさっそく来るなんて」
アマラントスの花弁は冥界に咲く花とも言われ、不死者の蠢く墓地などに咲く。そういった場所にはレイスも発生するものだし、アマラントスの花畑には邪妖精も棲みついたりする。古戦場や見捨てられた墓場が産地の、名付けて不吉三点セットだ。
迷宮都市では迷宮討伐で手いっぱいで不死者に構っている場合ではなかったから、死者は迷宮に喰われるか、残された者たちに炎で送ってもらえる2択だった。だから生死と隣り合わせな場所の割に不死者には縁遠く、この三点セットは手に入らないから買っておいたのが役に立った。
スケルトンの骨は迷宮都市でも手に入るから、レイスの涙も手に入りそうだが、迷宮のレイスは乾いているのかそれとも辛抱強いのか、いくらどつきまわしてもちっとも泣いてくれないらしい。
ちなみに入手方法は、なかなかに暴力的だ。レイスは霊体だが、聖水をかけたり魔力を帯びた武器なら多少はダメージが入るらしく、それでぺちぺち泣くまで叩くらしい。レイスに思わず同情してしまう。涙は大切に使わせてもらおう。
そんなことを考えながらマリエラは、ベラドンナの根っこの皮をむき、オルロリディアンダの種を割って胚芽を取り出す。
ルナマギアの抽出なんて慣れたもので、《命の雫》がちょびちょびしか汲めないことを除けば、他の作業と同時進行で進めてしまえる。
「さすがじゃの。これは、薬晶か。実物は初めて見る。綺麗なものじゃの」
フェイレーンの言葉は掛け値なしの誉め言葉なのだろう。マリエラの錬成はあまり人に見せない方が良いのだろうが、この司書に隠し事など無理だろう。フェイレーンが見たいというので、足りない素材を持ってきてもらっての錬成だ。
皮をむいたベラドンナの根っことオルロリディアンダの胚芽に《命の雫》を数滴加えてすりつぶし、《錬成空間》の中で圧搾する。
「本来ならその十倍の量は必要じゃろ?」
「どちらも植物で伸びたい感じの素材だから、圧搾する時に逃げ道みたいのを作ってあげれば、こう、にゅって出てきます」
「何を言うとるのか、よくわからんの」
うん、よく言われる。主に、錬金術学校の生徒から。
いつもなら、何とか理解してもらえるように考えるのだが、フェイレーンは生徒ではないからスルーしつつ錬成を続ける。
にゅっと出てきた汁を《命の雫》を加えた油に溶かし、抽出済のルナマギア溶液に加える。本当は温度を上げたり下げたりしながら不吉三点セットを先に加えるのだが、薬晶にしてしまっているのであとからポイと加えるだけで簡単に溶けてくれる。
「《薬効固定》っと。はい、できた」
「ずいぶん簡単に作りよる。……イリデッセンスの連中が見たら、泣くか怒るかしそうじゃの」
「え、でもこれ中級ですし」
「炎災の弟子に言うだけ無駄じゃったか。ほれ、さっさと行ってこい。精霊は儚い。いつまでも変わらずあると思うなよ」
師匠とどういう知り合いなのだろう。
ものすごく気になるが、フェイレーンの不穏なセリフの方がもっと気になる。
マリエラは、できたばかりのアストラルポーションを握りしめ、ナンナたちの待つ控室へと急いだ。
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