41.幻境派のハイツェル・ヴィンケルマン
前回までのあらすじ:マリエラはロキから帝都の豊かさの秘密を聞き、その思想に賛同する。
「以上、『神秘的エネルギー相互変換の阻害要因とその除去方法の確立 第7報~不定形魔力生物における呪術系統魔力摂取の可能性』についてロバート・アグウィナスが報告致しました」
パチパチパチパチ。
おざなりな拍手の後で質疑応答が始まる。
とはいえ、ロバートの発表に質問をしてくれるのは、座長を除けば隣の研究室のソレン・アルドリッチぐらいなものだ。
ここはイリデッセンス・アカデミーの大会議室。月例の研究報告会が開かれている。
アカデミーの研究員は、職格に応じて年数回の研究成果の報告が求められる。ロバートの場合は年3回だが、優秀かつ熱心な彼はその倍のペースで報告している。
イリデッセンス・アカデミーにおける研究分野は幅広く、錬金術に限らない。それでも主流は錬金術、次いで薬草学や魔物の生態学など素材に関するものが多い。ロバートは魔物の生態学の分野で登録しているが内容は呪術に偏っているから、残念なことにほとんどの者は興味がないのだ。
ソレン・アルドリッチが質問をしてくれるのは、普段から親交があるからだ。
研究室が隣でニッチな研究をしている者同士、意気投合したのがきっかけだ。
「ロバートお疲れ。さっきの報告だけどさ、あんなに細かく強度を調整した解呪ポーションなんて随分と腕のいい錬金術師と知り合いなんだね。妹さんの絡みかな?」
報告会が終わった後の会議室。そこには議論を続けたい者たちが自然と残りグループを作る。
そんな集団とは無縁とばかりに退出しようとするロバートに、ソレンが声をかけてきた。
痩せぎすというよりは華奢という表現がぴったりな痩身に、後ろで一つにまとめたボサボサの長い髪。ぶかぶかの白衣が少し薄汚れているのは、ソレンの専門が魔法生物だからだろう。獣人人化の変身薬を開発した時、ロバートが持ってきたミリフィカ・スネイルもソレンが飼育したものだ。
眼鏡とそばかすばかりが目に付く地味な人物だが、よく見れば顔立ちは悪くない。身なりに気を使えば女性が放っておかなさそうだ。
「まぁ、そんなところだ」
ただの研究者同士として知り合ったソレンだが、話を聞いてみると、アグウィナス家と古くから親交のあるアルドリッチ家の出だと言うから、知った時は声を出して驚いたものだ。
アルドリッチ家は帝都の錬金術師の家柄で、ソレンの兄、ステファンがキャロラインの元婚約者だったと言えば、付き合いの深さがうかがえるだろう。
「帝都の錬金術師にそんな伝手があるんだ。兄さんが聞いたらまたぶつぶつ言いそうだな」
「兄君、ステファン殿には妹の件で多大なご迷惑をかけた」
「あぁ、そういうのいいって。兄さんはマザコンでフケ専だから婚約が白紙になってむしろほっとしてるんだから。それよりさっきの報告だけど……」
ロバートがソレンを知らなかった理由は、母親が違う兄弟――庶子だからだ。もちろん裏も取ってある。
相続権はなく家族として紹介もされないあたりから、ソレンの立ち位置が複雑であることは想像できるが、本人はどこ吹く風だ。研究さえできれば幸せ、というタイプの人間で、アルドリッチ家からすれば僅かな、けれどソレンからすれば十分な仕送りのお陰でアカデミーで研究できると喜んでいる。
こういう人物だからだろうか、義母の当たりは強いようだが兄弟仲はいいらしい。
「マザコンでフケ専」などと、ずいぶんな言われようのかつての義理弟候補に同情しつつも、ソレンと研究の話題に戻ろうとした矢先、珍しく二人目の質問者が現れた。
「良いですかな? 先ほどの報告で少々話を伺いたい」
「貴殿は確かヴィンケルマン殿」
「ご存じとは光栄だ。どうぞ気さくにハイツェルと」
「先々代皇帝の遠縁で帝都でも有数の古い家柄のヴィンケルマン殿をお名前で呼ぶなどと、そんな無礼は致しかねます」
ハイツェル・ヴィンケルマン。
ロバートの研究に予算を付けてくれている、贄の一族の幻境派の研究員だったと記憶している。
(イリデッセンス・アカデミーは開かれた学術・研究機関ですが、その中枢は贄の一族が担っている。贄の一族の起こりは古く、帝国の黎明期にさかのぼるとか)
ロバートはハイツェルの来歴を思い出す。
贄の一族は常に皇帝の影に存在し、この国の発展と共に知識と技術を発展させてきた。その知識の一部を求める者に与え、優秀な人材を育成する機関がイリデッセンス・アカデミーだ。アカデミーに在籍する者の多くは贄の一族とは関係のない者たちだが、教授はもちろん研究員として身を立てる者の多くは贄の一族に組み込まれていく。
長い帝国の歴史を映すように、巨大で複雑に成長した組織。
けれど、その全容は杳として知れず、その活動は多岐にわたる。
(昔は形代――総じて“厄”と呼ばれるような人の悪意や不運、穢れを肩代わりする生き人形を作る連中だと思っていましたが、とんでもない。贄の一族という名前も、中枢を担う一部の者たちを指すものか、全体をさすものなのか……。組織の範囲も名称も不確かなのに、帝国の中枢を担っているのですから。いくつか派閥の呼称は分かってきましたが、本当に得体がしれない……)
ロバートが調べた派閥の名称は3つだ。
まず、天翳と呼ばれる、形代の製作、管理を行う集団。皇帝と近い位置にいることから、おそらくトップ集団なのだろう。
次に中宇、量産型錬金術師を誕生させる結脈式典とそれを執り行うアタノールの管理を行う集団。
そして、このハイツェルが所属する幻境だ。
(保守的で血族主義が強い天翳や中宇に比べて、幻境は部外者に寛容で、私のような錬金術以外の研究にも予算を付けてくれる。それはありがたいのですが、彼らの目的が“帝国の繁栄と未来のための活動”というのが胡散臭くはあるのですよね。耳当たりの良いお題目が聞こえるだけでその活動内容も不明ですし)
出方を窺うようなロバートの態度を気にもせず、ハイツェルは友人のようなフランクな態度で話を続ける。
「家柄の古さというなら、吾輩程度の家柄、この帝都には掃いて捨てるほどありますぞ。そんなものに価値を見出すなら皇帝こそ新参者ということになる。シュトラウス君とでも呼びますかな」
「ご冗談を、それこそ畏れ多いことです。それでご質問とは?」
皇帝を「シュトラウス君」呼ばわりとは、このハイツェル、ずいぶんときわどい発言をする男だ。しかも家柄が古いということはどこで誰と繋がっているか分からないということでもある。
(失言を誘うつもりですか? 何にせよ距離を取るべき人物ですね)
君子危うきに近寄らず。煙のないところに火は立たないのだ。こんなに煙たい人物と関わって、ファイヤーされてはかなわない。今にも「ファイヤー!」というご機嫌ボイスが聞こえてきそうだ。
そう考えたロバートは、ようやく始まった報告内容への質問に、丁寧に回答していく。
「なるほど、なるほど、実に興味深い。その研究、もっと予算を割くべきですな。吾輩、上に知り合いがいましてな。ロバート君さえ良ければ進言しなくもないですぞ」
回答を聞き終えたハイツェルが微妙に上から目線な提案をしてきた。
肝心な理論のところを理解しているように思えなかったから、ヘッドハンティングが目的だったのかもしれない。上とやらが誰かは知らないが、ロバートは伯父ルイス・アグウィナスを先帝の形代として供した縁で、天翳のトップに伝手がある。それを知ってのことなのだろうか。
(おそらく知らないのでしょうね。実に面倒臭い御仁です。……いや、私としたことが。これは貴族としては良くない傾向ですね)
理論に従う研究と違って、人間同士のやり取りは互いの思惑が絡む分、面倒くさくて鬱陶しい。しかし、そうも言っていられないのが貴族という人種なのだが、最近のロバートは、どこかの姉弟子だとか、隣にいるソレンだとか、ある種シンプルの極致にいる人間に感化されていたようだ。
この場を切り上げる良いネタは無かろうかと視線を窓に向けて見ると、うまい具合にちょうど雨が降り出したようだ。
ロバートは笑顔の仮面をかぶりなおすと、流れるような美しい所作で礼をする。
「ありがたい申し出ですが、まだ若輩の身ゆえ、歴史あるアカデミーに相応しい内容ではございません。有意義な議論をまだまだ続けたくはありますが、どうやら雨が降り出したようだ。研究室の窓を開けたままでしてね。これにてお暇を。ソレン、待たせたな。行こう」
ハイツェルが話に割って入ったせいで帰るタイミングを逃しただけで、ソレンはロバートを待っていたわけではないと思うが、ここに居るとは好都合だ。ロバートは取ってつけたようにソレンに声をかけると、ハイツェルの話を打ち切った。
「……それは残念。そちらは?」
「ソレン・アルドリッチと申します。隣の研究室で魔法生物の飼育に関する研究をしています」
「アルドリッチ……。あぁ、君が。家名を名乗ることを許されたのか」
ソレンに対し、ハイツェルがぶしつけな視線と台詞を送ったのは、話を打ち切られたせいではないだろう。セリフから察するに、ソレンが誰かを知っていたのだろう。庶子だと侮っていたから平然と話に割って入り、ソレンを無視してロバートと話していたのではないか。
皇帝を愚弄するような発言をしていたのもリベラルを装っていただけで、ハイツェルはおそらく筋金入りの家柄至上主義者だ。
アカデミーは学術研鑽の場で、その扉は身分の貴賤なく開かれるというのに。
(家柄だのなんだのと、くだらない男ですね。質問の内容も、くだらないものでしたし)
そんなふうに考えて、ロバートは思わず笑いそうになる。
何しろ脳裏に浮かんだロバートの知る最も偉大な錬金術師は、庶民の権化マリエラなのだ。馬の骨より路傍の石、いや街中で売っている饅頭と呼ぶ方がしっくりくるショミンがエリクサーを錬成したと知ったら、ハイツェル・ヴィンケルマンはどんな顔をするだろうか。
思わず笑みをこぼしてしまったロバートに、ハイツェルが不審そうに見る。
「あぁ、失敬。私が錬金術師であれば、雨でぬれても書類どころか服ごと乾燥できたのに、と思いまして」
「はっはっは、それは面白い冗談ですな。そんなことをしたら、服も髪もガサガサで、肌は老人のように萎びましょうぞ!」
(……そうなんですか?)
かーんーそーうっ!
間の抜けた幻聴が聞こえる気がする。
服を着たまま丸ごと乾燥、どこかの錬金術師がしょっちゅうやっているのだが、帝都では冗談になるのだろうか。
最近では、どこかの錬金術師どころかロバートの妹までやっているのだが。昔より艶ピカして見えるのは婚約者ができたせいか、それとも師匠に習って命の雫風呂なんてふざけたものに入っているせいか。
今度はロバートが不審顔になる番だ。
何はともあれ、ハイツェルは笑いながら去っていった。さすがはマリエラ。意外なところで役に立つ。
(それにしても、幻境。一体何をしているのか、少し興味が湧いてきました)
最近のロバートの興味は、レビスという《命の雫》を大量に含んだ物質や、マリエラたちがアルアラージュ迷宮の深部に運んだという緋色の宝珠だった。あれらの出所は、贄の一族の天翳だろうと目星をつけている。
レビスについてはかなり強引な手段を使って錬成の最終段階に立ち会えたのに、帝都に着いて早々迷い込んできたマリエラを助けるために、肝心なところを見逃してしまった。それ以来、めぼしい情報は何も得られないままだ。
「楽しそうだね、ロバート」
ハイツェル・ヴィンケルマンと別れ、研究室に向かうロバートにソレンが声をかける。ハイツェルに対する仰々しい態度から、ロバートの心情を察したのだろう、ソレンも心なしか楽しそうだ。
「分かりますか。少し行き詰っていたのですが、アプローチを変えるのも手かと思いましてね」
「研究の話だよね?」
「探求の話ですよ」
贄の一族の様々な派閥の思惑が絡み合うイリデッセンス・アカデミーは、草木が複雑に生い茂った藪のようだ。
つついて出てくるのは蛇かそれとも……。
ロバートの探求は終わらない。
【帝都日誌】先日ご報告しました通り、贄の一族の構成について……(中略)……しばらくは幻境の動向を探りたく……(以下略)byロバート
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