卸売市場
「おはよう、マリエラ」
ジークに起こされ目が覚める。
「お茶、飲む?」
ベッドから起き上がると、ベッドの端に腰掛けたジークがお茶を差し出してくれた。
やさしく起こされ、ベッドの中で目覚めのお茶を頂く。ジークは柔らかく微笑んでいる。
(ナニコレ、これじゃまるで……)
「お貴族様ごっこ?」
ジークの口角がピシリと上がる。気づかず、ふぅふぅとお茶を飲むマリエラ。ジークはめげずに話しかける。
「美味しい?」
「うん。ありがと」
「明日から、毎日、淹れるよ」
「んー、うれしいけど、いいよ。」
ジークの申し出を、マリエラはやんわりと断る。
「一緒に飲んだほうが、美味しいよ。」
そう言って、マリエラは顔を上げた。なぜかジークに目を逸らされた。逸らした顔はほんのり赤い気がした。
寝すぎたかと思ったが、いつもより1刻ほど遅いくらいの時間だった。ジークも朝食がまだだそうで一緒に食堂に向かう。
「おはよー。今日はとうろもこしのスープだよ。エミリーのお気に入りなの!」
看板娘のエミリーちゃんだ。今日も髪を結んであげて、昨日作ったクッキーの包みを渡す。
「うわぁ、クッキーだ!」
しっかりしていても、10歳児。包みを開いたとたん、顔が輝いた。大喜びで早速ほおばる。
「おいしー!」
「栄養たっぷりで元気が出るから、疲れた時に食べるといいよ。」
そう説明すると、2個目を食べようと伸ばした手がぴたりと止まる。
口をきゅっと結んで、伸ばした手をふるふると震わせた後、きゅっと包みを閉じた。
「父ちゃん、たいへんだから。疲れてるから。これ、父ちゃんにあげるね。」
食べたくて仕方ないだろうに、決死の覚悟で我慢してお父さんにクッキーをあげるという。『我慢』が表情ににじみ出ている。
(かわいいぃ!エミリーちゃん!いい子過ぎる!)
心の中で悶えるマリエラ。
「お父さんの分はここにあるから、それはエミリーちゃんが食べていいんだよ。」
そう言って、もうひとつ包みを渡した。
ぱあぁ、と顔を輝かせるエミリーちゃん。眼福だ。
「父ちゃんにあげてくる!マリ姉ちゃん、ありがとう!」
満面の笑みで、両手にクッキーの包みを持って駆けていくエミリーちゃん。
エミリーちゃんのリアクションを見たくて、お父さんの分をわざと後出ししたのは内緒だ。マリ姉ちゃんは悪い姉ちゃんなのだった。
アンバーさん達はまだ寝ているので、帰ってから渡そうと思う。頼まれた薬も作らなければ。欲しい素材も有る。昨日サハギン料理がでてきたから探せば見つかると思う。
朝食を終えてジークとガーク薬草店へ向かう。ガーク爺は今日は店でおとなしくしているようだった。
「ガーク爺さん。これ、昨日貰ったクリーパーの種で作ったんだ。おすそ分け。」
「おめぇ、懲りねぇやつだな……。」
なんだか呆れられた。まぁまぁ、食べて食べてと勧めてみる。打ち身に効くかは分からないが、体力回復の助けになると思う。
ガーク爺はじっくりと味わうように1枚食べると、体の調子を確認し、店の奥から何やら魔道具を持ち出してきた。マリエラのクッキーを魔道具にかけて調べている。
(それ、食べ物なんですけど。)
「魔力を練りこんでクリーパーの種の効果を上げてんのか。おめぇ、これ売る気じゃねぇだろうな。」
ぎろりとにらまれた。善意のクッキーなのに、酷い。
お世話になったお礼に配っているのだと話すと、配布先まで確認された。
「まぁ、そんくらいならいいだろ。いいか、これは売るなよ。こんなもん売ったら、魔力が干からびちまうまで作らされるぞ。まったく、見かけによらずとんでもねぇ嬢ちゃんだ。ちったぁ、自重しろ。」
「これで駄目なら、どんな薬売ればいいのよぅ」
しょんぼりするマリエラ。
「何作るつもりだよ。おめぇ……。いいか、薬つくったら売る前に俺んとこもってこい。試してやっから。おい、兄ちゃん、ちゃんと連れてこいよ。必ずだぞ!」
「分かりました。」
神妙な顔でうなずくジーク。まぁ、売る前に確認してもらえるのはありがたい。薬造りは素人だ。マリエラは前向きに考えようと、うんうんとうなずいた。
「あ、そうだ、ガーク爺さん、お化け貝とか喰い付き貝とか売ってないかな?」
「おめぇ、さっきの話聞いてたか……?」
頭を抱えるガーク爺を、売り物じゃないからへーきへーきだいじょーぶーとなだめるマリエラ。ガーク爺の視線が鋭い。そろそろゲンコツが飛んできそうだ。
「その手の魔物食材は冒険者ギルドの横にある卸売市場に行きゃ手に入る。」
「ライナス麦もそこで手に入るかな?あとジニアクリームと軟膏缶も欲しいんだけど。」
「漸くまともな質問だな。この辺でとれる食材はたいてい扱ってるからライナス麦もあるだろうよ。あとはジニアクリームと軟膏缶か。小口なら商人ギルドの売店に売ってんだろ。『シール商会』が作ってっから大口なら商会へ行け。俺の紹介だっつったら、いくらか融通してくれんだろ。」
ガーク爺は、なんだかんだで面倒見がいい。
「ありがとう!ガーク爺さん。今度お薬持ってくるね!」
そう言って手を振るマリエラに、ガーク爺は、
「商人ギルドの図書館行って、勉強してこい!」
しっし、と手を振りながらそういった。反対の手でクッキーをつまむとポイと口に放り込んだのを、マリエラは見逃さなかった。
ガーク爺に教えてもらった卸売市場に行く。
冒険者ギルドは迷宮を囲む塀の北東出口を出て直ぐのところに有り、卸売市場も冒険者ギルドの隣に迷宮に面するように立地していた。
冒険者達は迷宮ででた素材を冒険者ギルドや専門店に持ち込む。卸売市場は食材の専門店街で、冒険者たちが持ち込んだ食材を買い取り、解体し、食材によっては熟成、加工して販売する。
迷宮産の食材が集まるこの市場には、迷宮都市で生産された野菜や穀物、周囲の森で狩られた獣の肉なども集まっていて、まさに迷宮都市の台所となっている。
卸売市場の巨大な外壁の中は、中小規模の店舗がひしめき合っていて、魔物の肉や、魚介を扱う店、この辺りでとれる獣の肉を扱う店、ウィンナーやハムなどの加工食品を扱う店、乾物を扱う店、穀物や野菜を扱う店、乳製品を扱う店など、あらゆる食材店が軒を連ねていた。
今は冒険者たちは迷宮にもぐっている時間で、食材を買い付けに来た市民たちで市場はとても賑わっていた。食材とあわせて調理した料理も売っていて、いいにおいが漂っている。
「うわぁ、すごい!」
「今日の目玉はコカトリスだ!見てよこのモモ肉!嬢ちゃんみたいにぷりっぷりだ! この串焼きなんか脂が滴り落ちそうだ!」
「りんご~、採れたてりんごだよ~、迷宮2階からの直送だ~。こっちはパインだ。一切れたったの2銅貨だ。」
「安いよ、安いよ。今日はオークとミノタウロスの合い挽きミンチが特価だよー。」
「焼きたてオークウィンナーはいかがー。皮がパリッとはじけるよ。ホットドッグも売ってるよ!」
景気の良い呼び声に楽しそうに見て回るマリエラ。両手には串に刺さったパインやら、串焼きやらホットドッグの包みやらを持っていて、行儀悪く食べながらあちこち見てまわっている。
目的の乾物屋にたどり着くまで、ずいぶんと時間がかかった。海鮮を中心にした乾物屋らしく、一食で食べきれる程度の小ぶりな魚の乾物や、海草、貝柱などが、所狭しと並んでいる。サハギンのような大物の干物は無いようだ。あっても困るけど。
「らっしゃい、なんにするね」
「お化け貝か、喰い付き貝の貝柱ありますか?」
「喰い付き貝ならこれだな。いい出汁でるぜ。いくつにする?」
こぶしくらいの大きな貝柱の干物が笊に積んで置いてあった。魔の森に海は無いから、マリエラが見るのは初めてだ。
(1個で10回くらいは練習できそうね。)
初めて扱う素材だからまだ抽出方法を会得していない。マリエラの《ライブラリ》は、新しい素材調整方法を閲覧したら完全に覚えるか《リセット》して忘れない限りは、新しい素材調整方法を閲覧できない。素材を見るに、手間の掛かる方法ではなさそうだ。100回も抽出すれば会得することができるだろう。10個買って銀貨2枚を払う。
後は穀物を扱うお店。これは市場の一番奥、北通り近くにあった。ライナス麦が無いか聞く。
「今年はライナス麦が良く売れてな。悪いが在庫はこれだけだ。あと1月もすれば新しいのが収穫できるから、それまで待っておくんな。」
ライナス小麦は迷宮都市の穀倉地帯を流れる川の中州辺りの湿地帯で育つ麦で、栄養価が高い。病人に食べさせると良いとされる穀物だ。こういった植物は他にもあって、例えば、砂糖楓の古木からとれる樹蜜や、芋の根と言われる摩り下ろすと粘りを生じる根っこ、主用途は食用ではないがジニアクリームなどがそうだ。
これらは単に栄養価が高いだけでなく『滋味に富んだ』味がする。ようは命の雫を多く含んだ食材だ。命の雫は地脈を流れる大地の恵み。その地に生きる全ての生き物、植物や獣、人だけでなく魔物にさえも微量ずつ含まれる。薬草によって蓄える成分が異なるように、命の雫を蓄えやすい植物というのがいくつかあり、マリエラが探しているライナス小麦やジニアクリームもそのひとつだ。
「はやり病でもあったの?」
ライナス小麦の在庫は2キロルほどしかなかった。マリエラの目的には十分足りる量だが、売り切れるような災いでもあったのか。
「いや、アグウィナス家が買い占めてな。」
意外な名前が出た。エンダルジア王国の筆頭錬金術師だった家系だ。今は迷宮都市のポーションの流通を牛耳っている。錬金術師の家系なのに、病人が大量発生でもしたのだろうか。
穀物店の店員は詳しいことは知らないようで、在庫のライナス麦2キロルを購入して店を出た。
「マリエラ、そろそろ」
貝柱とライナス麦を買っただけなのにもう昼時だ。あと1刻ほどで大工との約束の時間になる。珍しくてのんびり見物しすぎた。
「ジーク、お昼ご飯は?」
「家で、食べるよ」
マリエラは買い食いするたび、ジークの分も買っている。ジークはその場で直ぐに食べきるか、包んでもらって背負い袋にしまっていて両手を空けた状態でいる。市場におかしな連中はいなかったが、念のための警護体制である。
(食べ歩きしないとか、お行儀いいな。)
そうとは気づかず暢気に構えるマリエラだった。
卸売市場を出て新居に向かう。卸売市場の北通り側出口から近く、半刻と経たずに到着する。やはり、なかなか立地の良い場所だ。ジークが昼食を済ませた頃、約束の時間よりやや早く大工と思しき二人連れの男がやってきた。
「あんたがマリエラさんかい、ワシは大工のゴードン。見ての通りのドワーフじゃ。」
「僕は建築家のヨハンです。ドワーフと人間のハーフです。」
ゴードンはこれぞドワーフと言った様相の、ヒゲも眉毛も体形も太く短い男だった。
対してヨハンは、小柄でがっしりとした体形ではあるがゴードンより背は高く、ヒゲをそり、髪は勿論、眉毛まで整えた、洒落た感じの男だった。
「何が建築家だ。大工の倅らしく、もちっと技術を磨きやがれ」
「快適な住まいを提案するのが、これからの家作りには必要だと思うね、親父。」
どうやら2人は親子らしい。会うなりいきなり親子喧嘩を始めるのかと思ったが、二人にとっては挨拶のようなものらしい。「「で、どんな改築をご希望で?」」と声を合わせて聞いてきた。
店舗スペースを直して薬草店を開きたいこと、二人で暮らせるように家具も併せて修繕してほしいこと、細かいところは決まっておらず、色々教えて欲しいことを伝えると、まずは家を見せて欲しいといわれた。どうぞ、と通すと、ゴードンは建物、ヨハンは増築部分をチェックし始めた。
「こっちの建物は問題ない。配管の劣化もないな。住むには問題ないが、床や壁が傷んどる。予算次第だが、洗い(清掃作業)をした後に、床や壁石の研磨をしたほうがいいだろうな。
ヨハン、必要そうな家具も合わせて、内装見積ってくれ。」
「厨房の魔道具は魔石が切れてるだけでまだ使えるね。建物自体も問題ないけど、屋根は手入れが必要かな。全体的に脂汚れが酷いから、木壁は張り替えたほうがいいな。
店舗部分は酷いな。床も柱も朽ちかけだ。ここに店舗を構えるなら作り直したほうが安く済む。カウンターテーブルや作り付けの棚の傷みはガワだけだから、削って再生できそうだ。問題は採光かな。
親父、建て直しで見積もってよ。厨房の屋根もあわせてね。」
マリエラとジークがあっけに取られて見ている間に、2人は入れ替わり立ち替わり、修繕案を作成していった。




