36.ロバートの研究テーマ
前回までのあらすじ:帝都では精霊が攫われるらしい。そしてヴォイドは探していた司書ことハイエルフのフェイレーンに出会う。
「おにーたま、おとと、いきまちょ」
妹、キャロラインに関する一番古い記憶は、本の向こうからのぞき込んで構ってくれと強請るそんな姿だ。
丸いおでこにぱっちりとした大きな瞳の妹は、小動物のような愛らしい見た目とは裏腹になかなかに頑固な上に、幼さゆえに論理の通じない相手であった。
平たく言うなら、お願いを聞いてやるまで居座って、邪険にすれば泣き出すのだ。
誰か代わりにと周囲を見渡せば、大人たちは皆ニコニコと遠巻きに眺めている。どうやら本に齧りついてばかりのロバートを、妹を使って外に連れ出そうという魂胆らしい。
「キャル、おととじゃなくて、お外です」
「おとと」
はぁ、と小さくため息を吐くロバートと、本から視線を離した兄にこぼれるような笑顔を見せるキャロライン。
仕方ない。少し遊んでやれば満足するだろう。
読書の邪魔をされるのは不愉快ではあるのだが、外の空気を吸えば頭が冴えてかえってはかどることもある。
ロバートが本を置いて立ち上がると、開いたその手をすちゃっとキャロラインが握る。ぷにぷにしたギモーヴのような手だと思いながら、妹の手を引いて庭へと出かける。
それが、ロバートの中に色濃く残る、妹キャロラインの思い出だ。
大人に守られ無邪気でいられた幼子の笑顔。目がくらみそうなその眩しさは、ロバートの脳裏に焼き付いている。
■□■
「お久しぶりでございます、お兄様。帝都でのご活躍の数々、爺やから伺っておりますわ!」
ぱああああっ!
幼き日の思い出をしのぐキャロラインの良い笑顔に、ロバートは思わず目をすがめる。
(うっ、まぶしい)
後光が差しそうなほどの笑顔が眩しい。
幸せに満ち満ちているのだろう、陰のある性格のロバートは霞んで消えてしまいそうだ。
妹が幸せなのはいいことだ。兄としてもとても嬉しい。大層嬉しくはあるのだけれど。
(これは、アリなのでしょうか……)
シューゼンワルド辺境伯の帝都邸でロバートを迎えたキャロラインは、これでもかというほど猫獣人ナンナをモフっていた。
もふもふもふもふもふもふもふもふ。
「……幸せそうですね、キャル」
「うふふ」
「うなんな」
その「うふふ」と「うなんな」は何なのか。
人間サイズのでっかい猫の毛皮に指を沈ませ、満足そうな笑顔を浮かべるキャロラインと、これまた「まんざらでもない」みたいな顔をするナンナ。
キャロラインがモフっているのがただの猫なら問題はない。しかしナンナは人語を解する獣人――、ヒトでもあるのだ。年頃の少女が同世代の少女を昼間っから愛でるというのは、問題があるのではないか。しかも、ここには婚約者のウェイスハルトも同席しているのだ。ここは兄として「はしたない」と諫めるべきではなかろうか。
(相思相愛の間柄、特にウェイスハルト殿がキャルを気に入っていたと思っていたのですが、想い人が駄猫にうつつを抜かしているのはまずいのでは……)
キャロラインが帝都入りしたのは最近のことだ。それまでは義実家で義母や義姉に囲まれ花嫁修業をしていたはずで、家格の違いも相まってさぞや苦労しただろうし、ようやくウェイスハルトの下へ来られたのだから、これまでの会えない時間を埋めるように思いを深め合っているのだろうと思っていたのに。
縮まったはずの二人の間に、ニャンコが挟まっているのはなぜなのか。
(あぁ、そんな笑顔でネコを撫でて。ウェイスハルト殿が気を悪くされるのでは……)
ヒヤリ。
ウェイスハルトの方から漂う冷気にロバートに緊張が走る。
(やはり、キャルが駄猫にうつつをぬかしているから……)
チラリ。
ロバートが恐る恐るウェイスハルトの様子を窺うと。
――ニャニャニャ!
ウェイスハルトはウェイスハルトで、氷魔法で小さな蝶を作りだし、守護精霊ガウゥを釣って微笑んでいた。
(似たもの同士――!!)
氷の蝶を追いかけたガウゥは、そのままナンナに突っ込んでいく。実体はないはずなのに、ナンナにぶつかったガウゥは跳ね飛ばされてころりんと転がり、びっくりした表情でぴぴぴと体を震わせた。
(……かわいいじゃないですか)
これは鉄面皮のロバートも思わずうなる可愛さだ。ほっこりして肩の力が抜けたロバートがふと顔を上げて見ると、ウェイスハルトとキャロラインが互いに顔を見合わせて、とても柔らかく微笑みあっていた。
(どうやら、キャルの手はこれからはウェイスハルト様がひいて歩いて下さるようだ。私も自分の道を専念すべきですね)
兄として肩の荷が下りたような、繋がれる二人の手の間に毛玉が挟まってそうで心配なような。
少なくとも錬金術家との繋がりのためとはいえ、20歳も年上の相手との政略結婚が白紙になってよかったと、ロバートは心から思った。
郷愁にも似た感傷に浸るのも悪くはないが、ロバートはそのために辺境伯の帝都邸を訪れたわけではない。
……というか、キャロラインには悪いのだが、妹の顔を見に来たわけではないのだ。
「今日は、マリエラ……さんに用があってきたのですが」
呼び捨てにすべきか敬称をつけるべきかはたまた「姉弟子」あたりが妥当だろうか。少し迷った末にさん付けにして、ロバートは来訪の目的を伝えた。
■□■
「え? 解呪のポーションですか。ロバートさん、なにやらかしたんですか?」
「失敬な」
「お兄様……」
「キャルまでなんですか、その目は。研究の一環で必要になっただけです」
ロバートがわざわざマリエラを訪ねてきた用件は、ポーションの錬成依頼だった。
帝都では金さえ出せばポーションなどいくらでも手に入るのだが、解呪ポーションとなると些か外聞が悪いのだ。迷宮に潜っているならいざ知らず、貴族が求めると呪われるような何ごとかがあったのではと勘繰られる。
特にロバートなど前科があるから、キャロラインにまで疑いの眼差しを向けられる始末だ。
「ロバート様は何の研究をなさっているのですか?」
「……ぁっ」
場の空気を紛らわそうと気を使ったのだろう、ジークが振った話題にキャロラインが小さく声を上げる。
「君たちに理解できるとは思いませんが。よろしいでしょう、簡単に説明してあげます。私の研究テーマは『神秘的エネルギー相互変換の阻害要因とその除去方法の確立』と言いまして……」
(ジーク……)
(すまん……)
研究者なんて人種にとって、研究テーマというのは地雷の話題なのだ。
嬉々として聞きなれない専門用語をガンガン混ぜつつ話すロバート。一生懸命話しているが、理解してもらう気はおそらくない。
それでも話の内容から推測するに、ロバートは魔力や呪いといったエネルギーを変換する方法を模索しているのだろう。ロバートは語らなかったが、最終的な目的は魔力や呪いを《命の雫》に還元することなのだと思う。
錬金術師のいない迷宮都市で赤と黒の新薬に手を染めたロバートらしいテーマだ。
「まだ初期もいいところですが、従属の魔法陣を刻んだスライムに魔力の代わりの餌として呪いを摂取させ、成長させることには成功しました。しかし狂暴化してしまいましてね。通常状態に戻す方法を検討しているのです」
「それで解呪ポーションですか。でもそれって、魔物として強くなったってことじゃないんですか? もしかして、魔物を解呪したら普通の動物に戻ったりするんですか?」
穢れを大量に喰らい力を蓄えた魔物は、より凶悪な魔物に変わる。
ロバートの研究が上手くいけば、魔物を普通の動物に戻せるのではなかろうかと思ったのだが。
「残念ながらそれは無理でしょう。呪いと穢れは似て非なる物ですから解呪で穢れは祓えません。よしんば穢れを祓えたとして、魔物は肉体的に変貌してしまっている。これは不可逆な変化でどうにかなる物ではない。
被検体のスライムも、呪いに振り回されているだけで、別種に変化したわけではありません。ほとんど水分からなる肉体を魔力で維持する原始的な生物ですから、感受性が高いのです。ですがそれ故に呪いのような物でも少々工夫をすれば餌として取り込める」
饒舌に語ってくれるロバートだけれど、マリエラの頭では分からな過ぎて寝てしまいそうだ。キャロラインは「公務がありますので」と話が始まる前に脱出してしまっている。
マリエラより賢いジークでさえも、能面のような表情で首をカクカク揺らすばかりだ。はやく話を切り上げよう。
「よくわかりませんが、分かりました。解呪ポーションは今日中に作っておきます。でもあまりスライムをいじめないでくださいね。飼うと結構可愛いんですよ、うちのスラーケンとか特に」
クラーケンとの『瓶の中の合成生物』ことスラーケンは、マリエラが魔力をあげると嬉しそうににょいにょいと動くのだ。主であるマリエラの魔力無しでは干からびて死んでしまうから、当然帝都にも連れてきている。数日間家を空ける時は、マリエラの作ったポーションを与えれば大丈夫だが、もしかしたらポーションに含まれる《命の雫》も摂取しているのかもしれない。
そんなことを考えながら、マリエラは、なんとなくロバートの研究にはスライムより精霊の方が向いているのではないかと思った。
もっとも穢れを受けた生物である魔物に対して、肉体のない精霊は穢れや呪いに影響されやすいだろうから、弱い精霊なら穢れや呪いに触れた瞬間に消えてしまうのかもしれないが。
マリエラは、魔の森の深淵で、黒く淀んで正気さえ失っていたリューロパージャを思い出す。
(魔の森に流れ込んでいた穢れ、あれって帝都から流れ込んでたんだよね。人が運んできてたのは、帝国ができるよりずっとずっと昔、帝都が小さな集落だったころだろうけど。穢れを運んできた人たち、あれって、贄の一族だったのかな……)
ロバートは、マリエラの知る魔の森と帝国の古い記憶を知らない。
そしてアカデミーなどとは無縁に育ったマリエラも、アカデミーで研究をするには予算が必要で、予算を貰うためにはテーマを承認してもらう必要があることを知らない。ロバートがこの研究に取り組んでいるということは、彼が所属するイリデッセンス・アカデミー、その中枢を担う贄の一族が、ロバートの研究を有益だと見做しているということだと分からないのだ。
帝国が、贄の一族が抱える闇はあまりに暗くて、マリエラにもロバートにも、未だ見通すことはできずにいた。
【帝都日誌】キャル様、精霊もいないし戦闘力も低いのに、ナンナを転がせるモフリスキルがスゴイ。byマリエラ
ちょっぴりダークな異世界転生ストーリー、『俺の箱』を改定&更新中!
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