35.フェイレーン・イリステリア
前回までのあらすじ:マリエラたちは、帝都では精霊が攫われるという情報を聞く。
マリエラたちが商品の引き渡しをしていたころ、ヴォイドは一人、オークションハウスの警戒に当たっていた。
夕刻に始まったオークションが終わる頃には日はとっぷりと暮れていて、空には薄い三日月が昇っている。とはいえ、帝都の夜は明るい。街中、所狭しと立ち並ぶ建物の窓には明かりが灯り、主要な通りを街灯が照らしている。
魔物が出るなどと言う話も、とんと聞かない場所なのだ。日の光に弱い素材の劣化を防ぐためという理由で、こんな時間にオークションを開催できる時点で安全に慣れた場所なのだろう。
(来客とその警備を見る限り、退屈な連中ばかりだったが)
特段問題になりそうな者がいなかったにもかかわらず、ヴォイドが違和感を覚えたのは、オークションの最中に妙な視線を感じたからだ。その視線は小動物か何かに見られているような弱いもので、しかも会場のあちこちから感じられた。視線の元を探って辺りを見ても、そこには警備員すら存在しない。
このオークションハウスにはそこここに大きめの観葉植物が置いてあって小さな陰には事欠かないが、ヴォイドの眼を潜って人が隠れるには不十分なものばかりだ。
(まずは退路の確保だろうね)
帝都の施設の大抵はそうなのだが、ここにも来客者全員の馬車を止められるスペースはない。だから、馬車は乗客を降ろした後は、一旦屋敷に戻ったり、近くを周回したりと御者が適当に時間を潰しているのだが、ナンナとエドガンが中途半端な時間に戻ってきたおかげで、1台だけではあるがオークションハウス横の通用門近くに馬車を付けられている。万一襲撃されたとしても、マリエラとキャロラインを連れて無事に戻るのはたやすいだろう。
(部屋からの通路はこちらと、ふむ、こちらでもいけるか)
オークションハウスは、正面から広いエントランス、オークションが行われるホールと続き両サイドにクロークや休憩室、商談に使う会議室と言った来客用の部屋が並ぶ。ホール後方から裏手にかけては商品を保管する倉庫などがあるのだろう。こちらは立ち入り禁止で来客者側のエリアと行き来できる数少ない扉は厳重に警備されている。一見すると一つの建物だが、開放的な来客向けエリアと堅牢な倉庫エリアは別の敷地と言っていいほど完璧に分けられている。
その認識で見てみれば、来客エリアにはいくつか移動ルートがあり、正面エントランスを通らなくとも外に出られる。
(ふむ、裏庭か。庭園と呼ぶには随分と木々が深い)
建物の裏手に出ると林のような場所に出た。
帝都において緑の濃い場所はあまりない。『テオレーマ』にはニクスの他にも何人かエルフを見かけた。オークションハウスの中にも植物が多く置かれていたが、森を生活の場所と定める彼らにとって、こういう場所は必要なのかもしれない。
うっそうと茂る小さな緑地は月の光も街の明かりも寄せ付けず、いささか暗い。
(そういえば明かりを持っていたな)
この程度の小さな茂み、明かりがなくともヴォイドには問題などないのだが、なんとなく思い出して懐の小瓶――『無垢なるウィルオウィスプ』という瓶に詰められた青い炎を取り出す。
小さな青い光は、ようやく出番だと張り切ってくれたのか、そのサイズとは裏腹に茂みの隅々までいきわたって輪郭を明確にする。瓶の中で燃えているはずなのに、握る手の平に伝わる熱はほんのりと温かいという程度だ。ちょっとした明かりにも暖を取るにも都合がいい。便利な炎だなと見つめていると、暗がりの先から声が響いた。
「随分と聞き分けのいい炎じゃの」
鈴を転がしたような、可憐な声だ。
次いで緑地の奥から、その声に相応しい長い金の髪を持つ、美しい少女が現れた。
一見すると十代前半の幼さの残る少女。けれど、この少女は見た目通りの者ではないと、ヴォイドは瞬時に察した。
「君が“司書”かな?」
「ほう、珍しい炎を連れていると思ったら、そうか、おぬしは炎災の知り合いか」
――マリエラと一緒に帝都へ行くといい。そうすればそのうちに会えるだろう。
かつて炎災の賢者がそう語ったことを思い出す。ということは、先ほど感じた妙な視線もこの“司書”なのだろうか。
「オークションの間、僕の仲間を熱心に見ていたのは君かな?」
「ほう、わらわの視線に気づいたか。
なに、聖樹の根などというふざけた品が持ち込まれたと聞いての。真偽を確かめに来たまでじゃ。
じゃが、炎災の弟子に聖樹の女王の末裔、森の仔におぬしのような者までいるとは。よくもまぁ、珍妙な者共が集いに集ったものよとあきれておったのじゃ」
軽くカマをかけたつもりだったが、先ほどヴォイドが感じた視線は”司書”のものだったと、あっさりと認めた。
「……なるほど。君が『テオレーマ』の『信頼』か。”司書”がいるのだからなんでもお見通しというわけか」
“『テオレーマ』に手を出すな”
それは帝国の常識だ。樹木と天秤のエンブレムに刃を向けた者は、一人も目撃者がいなくとも、どこへ逃げおおせようと、必ず見つかり報復を受ける。
どれほど大きな組織なのか、どこまで間者を送り込んでいるのかと、噂は数多くあったが、”司書”がいたなら納得がいく。
この少女――”司書”とは世界の記憶の管理者だ。この世のすべてが記された世界の記憶にアクセスできるなら、『テオレーマ』にあだなす者を知ることくらいたやすいだろう。
ヴォイドの言葉に”司書”は「なんでも見れるわけじゃない」とどこかの賢者のようなセリフとともに肩をすくめてみせる。
「それに“司書”は止めてくれんか。かようなたいした存在ではない。
わらわの仕事は世界の記憶を勝手に覗いて世界の秩序を乱す愚か者に注意を促す程度のものじゃ。その代わりに多少の閲覧は許されているだけじゃ。
ハイエルフゆえ並みのエルフより長く生きてはおるが、これでもまだ人の理の中におる。
……化け物どもと並べてくれるな」
「それでは何とお呼びしようか?」
ヴォイドの問いかけに、”司書”はじっとヴォイドを見た後、うむ、と小さくうなずいて応えた。
「わらわはフェイレーン・イリステリア。ふむ、おぬし、わらわを探して帝都に来たのか。よいぞ、おぬしと友誼を結んでやろう。ほれ、友誼の証にその灯をよこすがよい。炎災の思いどおりは癪に障るが、その鬼火には見どころがある。このところ勝手に燃える炎ばかりで辟易しておったのだ」
なんとも一方的な申し出ではあるが、ヴォイドはこのために魔の森を渡り、マリエラたちの護衛を引き受けたのだ。確かに炎災の賢者フレイジージャの語った通り、『無垢なるウィルオウィスプ』はヴォイドを“真実に導く鍵”になってくれた。
彼女なら、ヴォイドの過去も彼の望みを叶えるための方法も、全てを教えてくれるのだろう。
――もっとも、素直に教えてくれればだが。
『無垢なるウィルオウィスプ』を渡すと、フェイレーンは瓶の蓋を開け、どこからか取り出した燭台のような器へと中身を空けた。
「かような瓶に閉じ込められて窮屈じゃったろう。今日からこの座がおぬしの席じゃ。ほうれ、魔力を進ぜよう。おぬしらの好む木気の魔力ぞ、うまかろう。これからも進ぜるゆえ、わらわの周りを照らしてたもれ。じゃが、照らすだけじゃ。どこかの阿呆のように何もかもを燃やしてくれるなよ。むしろ何も燃やさぬが尊き精霊のありようであろうぞ」
フェイレーンの言葉に応じるように、青い炎は器の上で大きく膨れ、丸い火の玉となって浮かび上がった。
(言葉を交わせるのか。どこか精霊を崇めるような響きがあるな)
ヴォイドも『無垢なるウィルオウィスプ』に話しかけたことはあったが、ただ炎が炎として揺らめくばかりで、応答じみた反応はなかった。
人の理の中にいると自称しているが、この少女も十分規格外な存在らしい。
見た目は全然違うけれど、鷹揚な態度というか雰囲気は、どこかの大酒のみの賢者を彷彿とさせて、ヴォイドは“これは高くつきそうだ”と内心でため息を吐いた。
これが、『テオレーマ』のハイエルフ、フェイレーン・イリステリアとの出会いであり、『隔虚』ヴォイドが穏やかな日々と別れを告げる始まりだった。
■□■
『炎の遣い』がガッチガチに警戒していたからか、それとも司書ことハイエルフ、フェイレーン・イリステリアのいるオークション・ハウス『テオレーマ』とことを構えるつもりが無かっただけか、マリエラたちは何事もなくシューゼンワルド辺境伯邸へと帰還した。
大量の錬金術素材にキャッキャしている女子二人の歓声を聞きつけて、ウェイスハルトが顔を出したが、キャロラインが蟲入りの瓶を持っているのを見て静かにフェードアウトしていった。
この婚約者カップルの仲は少々心配だが、屋敷に入ってしまえば警備の面では安心だ。
献上するポーションをどうするかで盛り上がる錬金女子二人と別れたジークたち警備男子3人は、自室で自由時間と相成った。
「ヴォイドさん、例の”司書”と会えたんですか!? それで、情報は……」
「それがね、“おぬしは仲良くない者のことが分かるのか? 親交を深めるのが先じゃろう”と言われてね。『無垢なるウィルオウィスプ』だけ取られてしまったよ」
懐に入れておくと暖かかったのだけれどね、と気に入りの防寒具をとられたような様子でヴォイドはジークたちにオークションハウスで起こったことを話して聞かせた。
『テオレーマ』のハイエルフ、フェイレーンはヴォイドから『無垢なるウィルオウィスプ』を受け取ると、「お仲間が帰るようじゃぞ、用ができたら呼ぶからの!」とヴォイドの求める情報を何も語らず去ってしまったという。どうやらこれからSランカーをこき使うつもりらしい。
マリエラ達はマリエラ達で、“帝都には精霊をさらう連中がいる”と注意を促されただけで、それが誰なのかは分からずじまいだ。
「つーかさ、誰がさらってんのか分かんなら、とっくに捕まってるはずだろ? 今は分かってないだけで、そのうち捕まるんじゃね?」
気楽なエドガンに、ジークは「それはどうかな」と難色を示す。
「フェイレーンとやらは世界の記憶を見れるんだぞ、情報を得るのに何らかの条件があるとしても、何の目星も付いていないとは考えられないんじゃないか?」
「えー。じゃあ、知ってて放置してんの? 『テオレーマ』は手ぇ出されてねーから? エルフって精霊と仲良しなイメージあるけど、精霊が攫われようとどうでもいいって立ち位置なわけ?」
「いや。フェイレーンからは精霊を貴ぶ様子があった。もちろん、どの精霊でも、というわけではないようだが、精霊を良き隣人としているんじゃないかな。少なくとも精霊が理不尽に攫われて、平気という間柄ではなさそうだったよ。
そうすると、うかつに手を出せない相手ということもありうるね。何しろ攫われるのは精霊だ。奪われた荷を取り戻すならそれが物証になるが、精霊の多くは姿すらないし、人ではないからその言葉は証言にならない」
ぶー垂れるエドガンにヴォイドが示した可能性は、一番避けたいものである。例えば貴族がかかわっているなら、証拠もなしに、というわけにはいかない。
とりあえず、ジークは自分たちにできることを整理する。
「ニクスさんがわざわざ忠告してくれたんだ。人の目のある所で精霊を呼ぶのは控えるべきだな。俺も精霊眼を使うのは控える。マリエラのサラマンダーは言って聞かせればわかるだろうが、問題は……」
「あぁ、ナンナたんはしばらく屋敷でお留守番だな。しゃあねぇ、オレが遊んでやっかー」
「エドガンとヴォイドさんは、明日はキャロライン様の護衛があるだろう。外縁部の大規模工房に見学に行くとかいう」
「そーだったぁ! ジーク、ナンナたんを頼んだ」
「俺が言って聞くかなぁ。マリエラもナンナには甘いしな」
「最近、変に知恵をつけてきたからな、ナンナたん……」
「まったく困った子猫ちゃんだね」
“力は正義”の獣人理論に付け加え、”カワイイは正義”を覚えてしまった猫畜生があの手この手でごねる様子を思い浮かべて、一同はため息をつくのだった。
【帝都日誌】司書がハイエルフとは。エルメラほどではないが刺激的な展開だね。byヴォイド
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