33.オークションハウス『テオレーマ』
前回までのあらすじ:ニャンコ、コニャンコをゲットする。
キャロラインの帝都入りから数日。
食堂はやっぱりざわざわ騒めいていた。
「号外! 猫が猫を連れている件について!」
「もう知ってるよ。情報おせーな」
「猫が猫を飼うとはこれ如何に」
「弱肉強食、力が全てのナンナたんだぞ、ペットなんて飼う柄かよ」
「はっ! 逆転の発想か。飼われているのはむしろナンナたんのほうでは……」
「最近、家猫感が増したと思っていたが、まさかあんなチビネコに!?」
「だいぶ野生を忘れてきてるのは否めないが……。もっと大事な存在だろ、アレ」
「ごくり。まさか、あれは例の……」
「ま……まさか、ナンナたんの……子供!?」
「何言ってんだ、お前」
「父親はオレ」
「いや、父親はオレ」
「ヤメロ、気持ち悪いから」
「父親はエドガン」
「ヤメロ、シャレにならんから」
「でも、ずいぶん貢いでんじゃね? エドガン」
「いや~、金ないらしいよ、アイツ」
「貢いでるってーなら、副将軍閣下の方が……」
「専用鮮魚とかあるよな」
「センヨーセンギョ? 何ぞ、ソレ」
「あるんだよ、我がままニャンコを黙らせる禁断の鮮魚が……」
「なんだ、ただの餌付けか」
「金貨袋で黙らせる系か」
「奥様怒るんじゃね? まだ婚約段階だけど」
「いやぁー。あそこは奥様の方が……」
キャロラインが帝都入りしたからと言って、侵入者がやってくるとか、近衛騎士団が襲ってくるとか、帝国警備隊がいちゃもんをつけてくるなんてことは一切なくて、兵士たちは割と暇を持て余しているのだ。
そんな中、ニャンコがコニャンコを連れてニャンココニャンコニャンニャンコと歩いていれば、噂にならないはずがない。
ちなみに子猫精霊ガウゥの姿が見えるのは、ほとんどがジークの精霊眼ビーム(仮)によるものだが、ごくごくまれに精霊眼なしでもちらりと姿を見せているから、名前を付ける作戦は効果があったのだろう。
今日も今日とてナンナの背後に立ったジークがちらっと眼帯をずらして精霊眼で見てやれば、ガウゥがナンナ皿のお肉をあむあむと食べていた。
「ガウゥ、もっと食べて早く強くなるんな」
他の者がナンナの皿に手を伸ばそうものなら流血沙汰は間違いないのに、ガウゥにとっても優しいナンナ。それが分かるのか、ガウゥも嬉しそうに尻尾をぴぴぴと振っている。ちなみにガウゥは実体がないから、いくら食べても肉は減らない。しかし、食べられた後の肉は鮮度が落ちるというか、美味しさが半減しているから何かを食べてはいるのだろう。
そしてそんな様子を見た食堂中の猫好きも、でれでれとまなじりを下げている。ここ数日は猫と子猫の様子を見ようとみんなが時間を合わせて食堂に来るので、マリエラ達がいつも使っているテーブルを除いて食堂はいつも満席だ。
人口密度の高い食堂に、さらなる猫好きがやってきた。
「マリエラさん、ナンナちゃん、そして皆さまごきげんよう。わたくし、なんとかすべての用事を片付けましたわ!」
マリエラ一番、ナンナは二番、ジーク以下はまとめちゃう、今やシューゼンワルド辺境伯邸きっての猫好きを誇るキャロラインだ。
ウェイスハルトとの結婚は確定事項なのだからと、本館に部屋を用意されたにもかかわらず、「まだ婚約者にすぎませんから」と表面上は丁寧に固辞し、マリエラの隣の部屋を分捕ったのは、そこにナンナがいるからだろう。
しばらくシューゼンワルド辺境伯の城に滞在していたキャロラインだが、美人でおっとりした性格にも拘わらずしっかり者で賢い彼女は義実家に大層気に入られたらしい。この帝都邸で一番身分の高い女性であることもあってすでに若奥様扱いで、義実家から連れてきた侍女長の助けを得ながら家事諸々の采配を任されている。
しかも外向けには『最初の錬金術師』として名も売れているものだから、まだ婚約段階だというのに招待状やら贈り物やらがこの数日ひっきりなしだ。
その対応やら、辺境伯家の使用人一同との顔合わせ、屋敷のこまごまとした状態の把握と到着早々ものすごく忙しくしていたキャロラインが、多忙な仕事の合間にふらふらとやってきては、ナンナでエナジーチャージしていくものだから、マリエラとナンナもこの数日は屋敷に待機状態で、外出と言えば、『マダム・ブラン』のチョコレートショップにチョコレートを買いに行ったくらいだ。
ちなみにマリエラは知らないことだが、バハラート迷宮が管理型迷宮から外れ、野良迷宮としてハッチャケたおかげでカカオや香辛料などの価格は軒並み上昇中だ。まだ原料在庫が残っている『マダム・ブラン』も数量限定商品が増えてきている。
遠出できないマリエラは日々せっせと通って、結構な数のチョコレートを確保できたが、このチョコレートにプレミアがつくのは後の話だ。手に入らないと思うと、同じチョコでも倍美味しく感じるもので、マリエラとしてはこれはこれでウヒヒではある。
話はそれたが、その大忙しなキャロラインにようやく時間ができたのだ。
「さぁ、“帝都に必要なポーション”の参考とするためにも、オークションに参りましょう!」
しかし錬金術師としての本分も忘れてはいない。というか、皇帝陛下の謁見のためにわざわざ帝都にやってきたのだ。ニャンコを愛でる為ではない。
“帝都に必要なポーション”とかいう面倒な自由課題をやっつけるためにも珍しい素材チェックは必要だ。
今日は、オークションハウス『テオレーマ』にて、珍しい素材を扱うオークションが開かれるのだ。
■□■
帝都北部中央区画の外壁近くを馬車で進む。
大通りに立ち並ぶ建物群の中で、ひときわ目を引く建物があった。まるで美術館を思わせるような豪華な外観を誇るその建物こそ、『テオレーマ』のオークションハウスだ。
白亜の壁に、高いアーチが連なるファサード。柱や装飾には、緻密な彫刻が施され、それぞれに独特の表情を浮かべている。玄関は玄関で、幅広い階段に大理石の柱と金属の手すりが並び、その上部には、彫刻家の手によって作られた、優美なモチーフが刻まれている。
いつもなら庶民代表マリエラには不釣り合いな場所だろう。
だがしかし、今日の『テオレーマ』は一味違う。なんといっても扱うものが錬金術の素材なのだ。レアな品を手に入れたい貴族も少なからずいるけれど、客の大半は錬金術師だ。ドレスを着た貴族女性が香水の香りを纏うように、錬金術師の大半が薬草の臭いを漂わせている。
金糸銀糸の縁取りのある豪華なローブを纏ってはいるが、どこか同族臭のする老人が、弟子をぞろぞろと連れて入っていく。
「キャル様、キャル様。集団の前に行くほど薬草臭いですよ。豪華なローブが台無しじゃないですか」
「しぃっ。マリエラさん、お静かに。“こんなにたくさんの薬草を処理してきました”というアピールなのですわ。マリエラさんは、ポーションの作成をほとんど《錬成空間》内で、しかもお一人で済ませてしまわれますから、服が汚れるなんてありえないのでしょうが。あの方たちは、実はわざわざ染み込ませているとお兄様にお聞きしましたわ」
なんと、薬草臭い爺さんは薬草汁をこぼしちゃうへたっぴさんじゃなく、偉いさんなのだそうだ。耄碌して手がプルプルしても錬成を続ける錬金オタクかと思ったマリエラは、ほわわとサイレントに驚きの声を上げる。
薬草臭い錬金術師集団が何組もいるおかげで、格式高さはものすごく和らいだのだが、いろんな薬草臭が混ざりに混ざって不思議な臭気が漂っている。あと平均年齢の高い集団だから、加齢臭も混じっていると思う。おかげで深い森の奥で、未知の生き物が繁殖するような不気味な臭いというか、一周回って大自然っぽい臭いというか。
マリエラとキャロライン的にはギリギリセーフな臭いだったが、嗅覚の鋭いナンナにはアウトだったようだ。「お出かけするなん!」と言ってきかなかったから連れてきたのに、馬車から出る前にギブアップして、エドガンをお守に馬車でドライブに出かけてしまった。
「それにしても残念ですわ。エドガンさんの前でナンナさんにポリモーフ薬を飲んでいただこうと思っていましたのに」
「まぁまぁ。またの機会にとっておきましょうよ」
馬車から出なかったナンナは獣人のままポリモーフ薬を飲んでいないから、エドガンは愛しのエンジェルちゃんが側にいるとは知らずに、ナンナの御守りで馬車に揺れられて時間を潰している。
今日、エドガンが見たナンナのベストショットは、漂う薬草臭に「うなっ」と半口開けて固まった顔だろう。なかなかに間抜け可愛い感じだったが、さすがのエドガンもアレでは恋に落ちないだろう。獣人もフレーメン現象ってあるんだな、と役に立たないうんちくが増えたくらいだ。
「エドガンさんにはぜひサプライズな感じで教えて差し上げたいですわね! できればご自分でお気づきになって欲しいですけれども。
……まぁ、あの方は、アルカディウス工房のフラメル師ですわ。あっ、あの方はオルビュス工房のクロード師!」
再び話が錬金術師たちに戻った。マリエラは一人も分からないが、どうやら有名どころが来ているらしい。
「こんなにバレバレなのにどうして仮面を付けるのかなぁ」
「何を落札したかで取り組んでいる依頼ですとか研究の内容が分かりますもの。ここで知ったことは公然の秘密にしましょう、というお約束なのですわ。さぁ、私たちも参りましょう」
「そんなルール、役に立つんですかねぇ……」
新しいポーションの開発なんて早い者勝ちだろうにそんなルール役に立つのかと思ったら、マリエラたちにはものすごく役に立った。何しろ、キャロラインとマリエラが馬車から降り立つや、ざわりとどよめきが起こって周りの錬金術師がはばかることなくガン見してきたのだ。
(うわぁ……。めちゃくちゃ見られてる)
そりゃあ、そうだろう。
錬金術師が絶えたはずの迷宮都市に突如現れ、エリクサーを錬成したと言われる錬金術師だ。ギルド職員の間でさえ噂話に上るのに、帝都の錬金術師たちが気にならないはずがない。
学びと研鑽に労を費やす者たちの猜疑と嫉妬と好奇心に満ち満ちた視線、視線、視線、視線――。
ジークやヴォイドが護衛に当たっていても、“仮面付けたら知らんぷり”のお約束が無ければ取り囲まれて、前に進めなかったに違いない。
そんな中を、キャロラインは堂々と進んでいく。浴びせかけられる視線など、注がれるライトの明かりのように意にも介さない様子だ。
逆に後ろに続くマリエラは、あまりの視線に右手と右足が同時に出るありさまだ。おかげで左右にギクシャク揺れているが、皆が見ているのは残念ながらキャロラインだけだ。
誰しもが、キャロラインこそが『始まりの錬金術師』だと思っているのだ。
マリエラを守るためにシューゼンワルド辺境伯家もキャロライン自身もそう誤認させるよう仕向けてきたし、マリエラのマントには帝都に来る前、認識阻害の魔法陣が追加されている。それらの効果ももちろんあるが、これほどの視線の中で10人中一人もマリエラを意識しないのは、持って生まれた華々しさの違いだろう。
マリエラの庶民オーラは帝都でも健在で、“エリクサーとか作っちゃったスッゴイ錬金術師オーラ”よりはるかに強烈にショミンショミンと輝いている。
キャロラインをデコレーション・ケーキだとすれば、マリエラは横に置かれたフォークの下のナプキンほどに目立っていない。蚊帳の外ならぬ皿の外だ。ちゃっかり仮面を付けてはいるが、もしかしたら仮面さえいらなかったかもしれない。
華やかな内装のオークションハウスを進む一行。
豪華な装飾が施された大広間は、薬草臭と熱気でムンムンしていた。ここまで来れば、キャロラインたちのことを気にする者は稀である。皆、目当ての希少素材を手に入れるため、オークションの開幕を今か今かと待ちかねているのだ。




