出立と見送りと
金貨52枚のうちマリエラの取り分、金貨31枚と大銀貨2枚を受け取り、書類にサインする。これで今回の取引は完了だ。今朝、リンクスにも聞いたが、黒鉄輸送隊は明日の早朝に帝都に向かって出立し、再び戻ってくるのは16日後の夕暮れの予定だそうだ。
それまで『ヤグーの跳ね橋亭』のマリエラ達の部屋を押さえておくというマルロー副隊長に、居所を定めたことを話した。
「そうですか。では無事戻れましたら、リンクスを使いにやりましょう。」
次の取引まで16日もあるとはいえ、引越しもあれば新居の改築もあって忙しい。ポーションの大量生産はできないだろう。次回の取引量に関しては、今回以上でできるだけ、という口約束に留めた。種類に関しては今回をベースに特化型の上級薬も、とジークをちらと見てマルロー副隊長が要望を告げた。
後半、静かにしていたディック隊長は、空気を読んだのか話が終わっても『乾杯』などとは言い出さなかった。
ジークと二人で食堂に降りると、リンクスやユーリケ、他の黒鉄輸送隊のメンバーが食事をしていた。今日のメニューは赤身の魚らしく、『ステーキ』か『フライ』かと聞かれた。どちらも同じ魚をマリネにしたサラダが付くらしい。
両方食べてみたいので、ジークがステーキ、マリエラがフライを頼む。誘われるままに同じテーブルで食事をする。ステーキは臭みも無く、魚とは思えないほど脂が乗っている。柑橘類の果汁とツンとした刺激の香辛料が合わさった、さっぱりとしたソースが食後に脂濃さを残さない。フライの方には、ざっくりと切ったトマトの果肉が残るソースが掛けられている。フライの衣が魚肉の脂を閉じ込めて濃厚な味わいだ。
こんなに美味しい料理だというのに、黒鉄輸送隊の面々は皆黙々と食事をしている。明日から魔の森を抜けるため、気を引き締めているのかもしれない。マリエラには分からないが、きっと危険な旅なのだろう。しんみりとした気分で食事を味わった。
静かな食事を終え、食後のお茶が運ばれる。
「マリエラも、ジークも、全部食ったな?」
急にリンクスが話し始める。
「今日の魚、何だと思う?」
「え?川魚じゃないの?赤身とか珍しいけど。」
「海の、魚?」
「答えはー、サハギンでーす!!!」
お茶吹きかけた。てかちょっと鼻に入った。
「わっかんねーだろー、わっかんねーよなー。うまいと思って食っちまうよなー」
「高級魚?だし?マスターの心遣いだし?」
「まーな、すげぇ、栄養あるらしいけどな!にしてもさー、食えると思わねーよな。アレ」
サハギン。まぁ、二足歩行する魚だ。グロくて「ギョー」とか言いそうな感じの。等身が人間に近いから、食べたいと、いや、食べ物だと思ったことは無かった。
(すごく美味しかったけど。美味しかったけど!)
うぇーとばかりに顔をしかめるマリエラの反応に、満足そうに爆笑するリンクスたち。
「はー、笑ったー。俺ら、明日早いから、今日はもう寝るわ。
じゃーな、マリエラ。またな。」
マリエラの顔をじっと見つめた後、リンクスは部屋に戻っていった。
部屋に戻ったマリエラは荷物を整理しながら考えていた。
初めは警戒していたけれど、黒鉄輸送隊は皆いい人達だ。まだ会って5日しか経っていないのに、無事に戻ってきて欲しいと思う。マルロー副隊長のことだから必要なポーションは確保しているのだろう。それでも何か助けになりたい。
分厚い本に触れる。『薬草薬効大辞典』。そういえば今日は『ライブラリ』の話を聞いた。師匠の閲覧制限は厳しいけれど、無制限情報に何かいいものは無いものか。
《ライブラリ接続》
久しぶりにライブラリに接続する。閲覧自由な便利情報の一覧を探す。
『錬金術スキルを応用したおいしい料理レシピ』、『暮らしを便利にする練成品』、『奥様錬金術師の家事テクニック』……この辺りは一通り読んでいる。『錬金術菓子』。これは悲しい気分になる。高価な砂糖をたっぷり使ったお菓子なんて、とても作れなかったから。
(あ、今日、『粗漉し糖』買ったんだった。)
今なら作れるんじゃないかと、閲覧を開始する。ひどく遠まわしな言い方で前書きが書かれているが、どうやらポーション効果の有るお菓子を作れるレシピ集らしい。なにそれすごい。あぁ、でも、効果は1割程度まで下がるとか。うーん、微妙。でも苦いポーションを子供も美味しく食べられるなら、いいことかもしれない。
マリエラもポーションの味の改良には取り組んでいて、『美味しいポーション』なるものを度々作っては失敗している。いつか薬効を落とさずに味が美味しいポーションを完成させて、ライブラリに登録したいものだ。
いくつかレシピをめくっていく。『持続力抜群、リジェネキャンディー』とか、『朝まで襲って。野獣な夜のバーサクチョコレート』だとか、良くわからないレシピ名と、もっと良くわからない説明文が書いてある。
不審げな表情のマリエラに「どうした?」とジークが聞いてくるのでレシピについて話したら、「作るのか?」と怪訝そうに聞かれた。やっぱりおかしな名前なんだろう。
病で弱った子供に継続的に体力回復を促す飴や、魔物に囲まれた状況なら狂戦士化チョコレートで栄養補給と起死回生を図れるだろうから、アイデアとしては素晴らしいと思うのだがどうしてこんな変な説明文を入れるんだろうね、とマリエラが言うと、ジークは気まずそうに目を逸らした。
「あ、これ。」
『元気が漲るはじまりのクッキー。
まだ始まっていないアナタへ。お礼や挨拶にかこつけて、このクッキーを差し入れましょう。地脈外でも効果抜群!漲る元気にアナタのことが気になるハズ。準備万端整えて、獲物が巣に掛かるよう、じっくり糸を手繰ってね!』
このレシピの作者は蜘蛛かなにかだろうか。人外の兄弟弟子が居たとは驚きだ。説明文は良くわからないけれど、材料とレシピから推測するにクリーパーの種を練りこんだクッキーで、命の雫の代わりに術者の魔力で薬効を高めるようだ。クリーパーの種の薬効は疲労回復。種子自体も栄養価が高いから、そのまま食べれば1粒で1食分の栄養がまかなえる。種を粉にして混ぜればややクセの有る味に仕上がるが、香り付けのためか茶葉を砕いて配合している。茶葉には弱い興奮作用があるから、過酷な移動中の栄養補給には最適だろう。
命の雫を使わないから、普通の菓子よりほんの少し効果が高い程度だろうけれど、地脈の外でも効果は失われない。うん、これを作ってみよう。
ガーク爺やアンバーさん達にもおすそ分けしたい。勿論ジークもだ。人数分の材料分、クリーパーの種を粉にする。茶葉は商人ギルドの売店で買ったものが使える。後は小麦粉と、卵、バター。砂糖は粗漉し糖を分離して作成済みだ。
食堂に下りてマスターに食材を売ってもらえないか交渉する。快く分けてくれて、「厨房、使うか?」とまで聞いてくれたが、厨房のほうは丁寧に断る。『錬金術菓子』は、ポーション要素が少ないくせに妙に錬金術スキルにこだわっていて、道具やオーブンを使わずに全工程を錬金術スキルでまかなう。
ほんと、誰だよこの作者。変な人だ。
それはさて置き、練成?開始。
《練成空間、温度制御、バター溶解、魔力混練、砂糖投入、魔力混練、温度制御、卵投入、魔力強混練、小麦粉、種粉、茶葉粉分散投入、魔力混練、成型、圧力制御、過熱、保持、冷却》
レシピの通り工程を進める。簡単だ。温度制御もお湯くらいとか、気温くらいとかの緩い指定で、素材を加えるたびに魔力を練りこんで混ぜるだけ。途中の圧力制御は急減圧で生地の中の気泡を膨らませることで、さくさくに仕上がるのだそうだ。成型は『ハートがオススメ』とか書いてあったが、そんな充填率の悪い形状は非効率で嫌なので全部正方形にした。
形状についてジークに話すと、「ハート、食べたい」というので一個だけハートにしてみる。ちょっと難しい。左右非対称で、デイジスの葉っぱみたいになった。面白いのでラプトルも作ってみる。
「サハギン?」
違うよ、ジーク。ラプトルだけど、うん。サハギンに見えるね。これはリンクスにあげよう。
まとめて練成空間に並べて一気に焼き上げる。レシピ通りの時間でほんのり狐色に焼きあがる。冷却して出来上がり。練成空間から出すと、バターのいいにおいがした。
「一個だけ食べよう。味見。味見。」
ジークはデイジス、じゃなくてハート型、マリエラは四角いクッキーを齧る。
さくり。
口の中に広がるバターの香りの後に、ふんわりと茶葉のにおいが鼻に抜ける。クリーパーの種のクセの有る味わいが、卵とあいまって独特の風味に変わっている。
「うまい」
「うわぁ、おいしい!」
ジークにも好評なようだ。ちびちびと齧っているので、もう一枚勧めたが、食事もとったし今日はこれでいいと言う。おりこうさんめ。おかわりしづらいじゃないか。
今日購入した布を切ってクッキーを包んでいく。サハギンは割れないように別にして。
明日渡せるように、もう寝よう。寝過ごしそうなら起こして欲しいとジークに頼む。
寝る前にトイレに行こうすると、ジークに止められた。窓から裏庭を指差す。二人の人影が見えた。
ディック隊長とアンバーさんだ。
二人はひしと抱き合うと、見つめあい、名残惜しそうに宿の中に戻っていった。
食堂に下りるとアンバーさんはいつも通りに接客していて、ディック隊長は部屋に戻ったのか、姿が見えなかった。
その夜は結局寝付けなかった。
『元気が漲るはじまりのクッキー』の効果だと思いたい。
夜が明ける前に黒鉄輸送隊は装甲馬車に向かう。寝れなかったけれど、ちゃんと見送ることができた。
「マリエラ、まだ夜だぜ。寝てろよー」
リンクスがいつもの調子で話してくる。
「これ、作ったの。元気が出るからみんなで食べて。あ、こっちはリンクスが食べてね。」
クッキーの包みと、サハギンクッキーの包みをリンクスに渡す。
「うっそ、マジ?すげぇ、うれしい。こっち、開けていい?」
暗くて表情は見えないけれど、喜んでくれたみたいだ。サハギンクッキーの包みを開ける。
「……ナニコレ?」
「何でしょう。」
「ラプトル?」
「答えはー、サハギンでーす!!!」
「マ・ジ・カ」
ほんとはラプトルだけどね。当てるとはすごいね。
リンクスは、サハギンクッキーをカプリと齧ると、
「お、うめ。サンキューな。なんか土産買ってくるわ。」
そう言って、旅立っていった。
「行っちゃったね。」
黒鉄輸送隊を見送って、今はジークと二人だ。
「まだ、早い。寝るといい。」
ジークに誘われるままベッドに入る。ジークが首元まで布団を掛けてくれる。
「ジークは寝ないの?」
「俺は、平気。」
ジークの手が戸惑うように伸ばされ、そっと頭をなでてくれた。
「お休み、マリエラ」
そう言ってジークムントは部屋を出た。
「俺が、いるよ。」
扉を閉めて、小さく、そう呟いた。




