26.赤の荒野
前回までのあらすじ:ジークを裏切った『夢幻の一撃』、ニクスにボコられる。
「ニクスさん。……予定通り、ですね」
捕縛された『夢幻の一撃』を見て、ジークは残念そうにつぶやいた。
ジーク達『炎の遣い』がニクスに頼まれた本当の仕事は、『夢幻の一撃』に馬脚を露わさせることだった。
荷物を手に入れるためにどこかで裏切るだろうことは、初めから分かっていたのだ。
このアルアラージュ迷宮は、管理型迷宮だ。
管理型迷宮に共通することではあるが、まるで主が眠っているかのように殺傷力が低く、たちの悪い罠こそ数多くあるが、即死するような罠は存在しない。だから、最深部に到達するだけならニクス一人でも問題はなかった。
しかし、『夢幻の一撃』に罪を犯させ、捕まえるとなると話は別だ。最大の難関は、パワーアップしたアビサルゴーレムで、これはさすがのニクスでも単独撃破は難しい。帝国の各地で活動しているテオレーマの仲間を招集しようにも、今回の依頼には時間的に間に合わなかった。
どうしようかと悩んでいたところに、『炎の遣い』からの問い合わせが舞い込んできたというわけだ。
アビサルゴーレムの強さや特性、弱点についてはニクスから『炎の遣い』に事前に伝えてあったのだ。ジークの射撃をサポートするためにマリエラが召喚したサラマンダーがスピードタイプであったのも、ニクスの事前情報によるものだ。
地面に転がるイヤシスは、自分を見下ろすジークムントにすがるような視線を向け、そして、その双眸に蒼と翠が揃っているのを認め、絶望にも似た叫びを上げた。
「精霊眼! 治っていたなんて」
精霊眼を取り戻していたなら、裏切りはしなかったとでも言いたいのだろうか。
精霊眼はジークムントの能力の一つでしかないというのに。
「ねぇ、ジーク。私は何も知らなかったの、誤解なの。でも信じてた、分かってたの、貴方なら無事に出て来るって。それに今回のことで分かったの。私には貴方が必要だって」
じり、と這い寄ろうとするイヤシスに応えず、ジークは黙って背を向ける。かつての仲間のこんな様子を見たくないと思ったのだろう。
たとえ自分を見捨てようと、見捨てたくはなかったのに。差し伸べた手を振り払ったのは他でもないイヤシスだ。
ジークたちは傷一つないから、イヤシスたちの犯した罪は殺人未遂程度のものだ。ニクスの依頼が絡んでいないなら、ジークたちが望めば罰金刑程度に減刑も可能だろう。
だが今回は、罪自体より狙った品物と依頼主が悪すぎる。夢幻の一撃の真の依頼主に関する情報を提供し、証人となる見返りに、今回の罪自体は減刑されても、依頼主からの報復が無いとはとても思えない。
「犯罪奴隷に堕ちたとしても、罪を償い、成果を認められれば、再び自由も得られるよ」
それでも希望は捨てないで欲しいと、ジークは言葉を返した。
それがどれほど険しい道か、得難い可能性であることかジークムントは知っている。それでも、今、自由の身でここにいる。未来はあると伝えたかった。
けれど、拒絶されたイヤシスは、キッとジークの背中を睨みつけると、吐き捨てるように暴言を放った。
「なによ、あんたなんか奴隷のくせに! 誰かの情けで解放されただけのくせに!」
――あぁ、こういう女だったな。
投げつけられた言葉に、ジークはひどく残念な気分になる。
自分の思い通りにならないときに、ちくりと嫌なことを言う。そうして人を自分の思い通りに操ろうとするのだ。華やかな雰囲気と人当たりの良さで人を惹きつけ、上手く周りを褒めたり自分の弱さを見せたりしながら、相手の心に入り込み、つい手を差し伸べたくなる関係性を築き上げる。本人に自覚なんてないだろう、ただの処世術、動物の赤子が愛らしいのと何ら変わりはない。
――だれより弱っちい癖に人に頼るのがへたくそで、そのくせ心が折れそうなとき必ず手を差し伸べてくれる、誰かさんとは正反対だ。
そんな風に思えたのは、その誰かさん――マリエラが今、側にいてくるからだろう。
ジークにとっては側にいてくれるだけで充分心強かったのだが、それまで静かにしていたマリエラが堰を切ったように口を開いた。
「ジークに酷いこと言わないで! 何も知らないくせに! ジークがどれだけ頑張ったか知らないくせに! ジークは濡れ衣だったんだ! それでも自分が悪かったんだって、あ、あなたたちに見捨てられたのだって、自分が悪かったんだって、そう言って、ずっとずっと頑張って……。ジークは、自分の力で自由を得たんだ! あなたたちに会って分かった。ジークはちっとも悪くなかった。そうやって、ジークが都合よく動くようにしていたんでしょ。それで、怪我をして、精霊眼がなくなって、いらなくなったからって見捨てたんだ。それまで、さんざん利用してたのに! それでもジークは立ち直ったの! ずっと私の側にいて、何度も私を守ってくれたの! ジークはとっても強い人だよ。すごく立派で大事な人なの。ジークのことを侮辱しないで!!」
顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべながら叫ぶマリエラの大きな声に驚いたのは、イヤシスよりもむしろジークだ。
マリエラは多少の不遇や理不尽も仕方がないと受け流し、小さな幸せを大切にしながら静かに暮らすことを望むような凡庸な少女なのだ。誰かと敵対することも、面と向かって強く反論することもない、そういう人だと思っていたのに。
傷つき疲れ果ててしまった時に、側にそっと寄り添ってくれる、それだけで十分だとジークは思っていたけれど、今のマリエラはジークのために必死になって戦おうとしてくれている。
「マリエラちゃん、その辺で……」
大きな声を出したはいいが、この後どうしていいか分からないのだろう。顔を赤くして涙をこぼすまいとぐっとこらえてプルプルしているマリエラを、エドガンがなだめにかかる。
「でないとさ、……ホレ、あっちの方がダメージ深刻」
「うなんな~」
エドガンが示した先は、いきなりの反論に口をパクパクさせているイヤシスではなくて、顔を真っ赤にして照れているジークだった。
ヴォイドやエドガン、ついでにナンナは、ウサギが肉食獣にウサキックで反撃したのを見たような顔で、マリエラとジークをニヤニヤ見ている。
「……アリガト、マリエラ。俺、平気だから」
「あ……、うん。なんか、勢いで……」
薄暗くて湿っぽいアルアラージュ迷宮とは思えないポワポワとした雰囲気を醸し出す二人。これには『夢幻の一撃』のメンバーも、白けた顔で黙るしかなく、ただ一人収まりの付かないイヤシスだけが、最後の負け惜しみを言おうとマリエラを睨みつけていた。
「何よ、こんな小娘! こんな……こん……え?」
この平凡な小娘が傷つくような言葉を。そう思って初めてマリエラを注意深く観察したイヤシスは、“平凡だ”と言う以外、マリエラがどんな顔をしているのか認識出来ないことに気付いた。
ずっと存在感が薄く感じられて気にも留めていなかったけれど、これは一体どういうことか。
(認識阻害? どうして、ただの錬金術師が……?)
マリエラの隣でデレデレと照れているジークムント。奴隷に堕ちて迷宮都市へ連れていかれたはずなのに、精霊眼を取り戻し今ここに立っている。彼が迷宮都市に送られたのは、迷宮が討伐されるより1年も前だ。
誰がジークを助けたのか、誰に助けられたのか。
可能性ならいくらでもある。迷宮討伐軍に拾われ従軍と引き換えに癒してもらったのかもしれない。けれど、今目の前にいて、認識阻害で顔を隠したこの錬金術師は一体……。
「《ネビュラス・パラライズ》」
「ひぅっ」
イヤシスが答えに辿り着くより先に、ニクス・ユーグランスの麻痺の魔法がイヤシスたちの意識を刈り取った。
今にも「違うの」だとか「聞いてくれ」だのと騒ぎだしそうな『夢幻の一撃』の様子に、埒が明かないと考えたのだろう。
「さて、静かになったところで、目的地はすぐそこです。彼らの捕縛で依頼させていただいた仕事は完了ですが、せっかくなのでご一緒しませんか? ああ、彼らは放っておいても大丈夫。しばらく目を覚ましませんし、道中胡乱な輩は片付けてありますから」
ニクス・ユーグランスが示した先は、このアルアラージュ迷宮の最深部、空の祭壇があるだけの行き止まりの部屋だった。
■□■
「これが迷宮を管理できると言う宝珠……」
ニクスが懐から取り出した赤い石を、一同は見つめる。
『炎の遣い』が運んでいたのは偽物で、本物はニクスが持って後から付いて来ていたのだから、イヤシス達は浮かばれない。
「地鎮のオーブって言うんでしたっけ」
「いいえ、緋色の宝珠といいます」
マリエラが口にした『地鎮のオーブ』という単語は、ヴォイドの息子達が持ってきた物語『忘れん坊ブラック』シリーズに出てきたアイテムの名前だ。
ブラックとサンダーという分かりやすいキャラクターが活躍する冒険譚だが、ディティールがどうにもこうにも本物臭い。著者はエルメラの父、ガロルドだから、『隔虚』ヴォイドの活躍を何らかの形で孫たちに伝えようとしているのかもしれない。
(『地鎮のオーブ』って絶対、緋色の宝珠のことだよね……)
ということは、ヴォイドはこの赤い石を運ぶ仕事を受けたことがあったのだろうか。
「ほう、これが」
“初めて見た”という顔で、興味深そうに緋色の宝珠を観察するヴォイドの様子から真実は測りえないが、この人は“忘れん坊”だからあてにならない。
そのうち今日の話も『忘れん坊ブラック~陰謀の罠編』なんてタイトルで描かれるかもしれない。途中でサンダーもどきが3人も出てきたことだし。そうしたら、マリエラも物語に登場するのだろうか。楽しみだ。
(でも、お話に描かれるよりも、ヴォイドさんの記憶に、思い出に残る方が嬉しいよね)
きっと、エルメラだってそう思っているに違いない。今日の戦闘で、ヴォイドは何かを忘れた様子は見受けられないけれど、全てを覚えたまま迷宮都市に帰って、土産話をしてあげて欲しいとマリエラは思った。
「この緋色の宝珠を迷宮の祭壇に捧げると、一定期間、迷宮は活動を止め、生まれる魔物も弱体化するそうです。もっとも使えるのは、この程度の浅い迷宮だけで、迷宮都市にあるような大物は言うことを聞いてくれないそうですが」
帝国の管理型迷宮と呼ばれる場所は、長らくそのようにして管理されてきたのだと、祭壇を前にニクスは語る。
迷宮がどのようなものなのか、マリエラ達は知っている。その迷宮を大人しくさせるということは、この緋色の宝珠はご褒美っぽいものなのだろうか。例えば師匠に与えるお酒みたいに。泥酔しちゃって、しばらくは大人しくなる的なアイテムだとか。
ご褒美をもらったにしては、このアルアラージュ迷宮は意地悪な迷宮だったけれど。
真紅の光を放つ石は、《命の雫》より濃厚な力を備えているようにマリエラには感じられた。
あまりに興味津々といった様子で、マリエラが石を見ていたからだろう。
「手にとってご覧になりますか?」
ニクスがそう言って、緋色の宝珠をマリエラに差し出してくれた。
これほど珍しいものに触れて確かめられるとは。得難いチャンスに錬金術師の血が騒ぐ。
しかし、マリエラが緋色の宝珠を受け取ったその瞬間、マリエラの視界は波打つような朱色に染まった。
■□■
赤、オレンジそして青。
穏やかな曲線でシンプルに塗り分けられた世界。
視界いっぱいに広がる景観は、まるで抽象画のようだ。
それが絵画でもなんでもなくて、実在する世界の景色であることは、頬を撫でる乾いた風と肌を焼く日差しが告げていた。
乾いてひび割れた赤い大地、オレンジの波紋を描く砂の海。一点の曇りなくひたすらに青い空は美しいけれど、それは降る雨が一滴もこの世界に存在しない証拠だ。
「ここは本来、農業には向かない荒れた土地なんだ」
そんな話をしてくれたのは、一体誰だったろうか。
どうしてかは分からない。急がなければと思っていた。
昼の暑さをしのげる場所、夜の寒さを凌げる場所、何よりも命をつなぐ水があり、食料を、緑を育める土のある場所。
渇望するのはそのような場所で、それを求めて自分達はずっと旅をしてきた。
それでも、もう限界だ。
昨日、最後の老人が死に、今朝は一番幼い子供が死んだ。家畜なんてとうにない。
彼らの残した死肉を食らってこの身は何とか長らえているけれど、それももう限界なのだ。
凡庸な我が身を呪う。
一族の者たちは、自分を信じてついてきてくれたというのに、彼らに生きる場所を与えられない無力さを嘆く。
旅立たなければ、とても生きては行けなかった。
けれどこの旅路に、一体、果てはあるのだろうか。
果てしなく広がる赤と青。
鮮烈に美しく、無慈悲な世界のただ中で、彼は一つの声を聞いた。
その声は初めて聞いたはずなのに、どこかで出会った誰かの声をマリエラに思い出させた。
――ねぇ、叶えたい願いはなあに?
その声は、確かにそう言ったのだ。
■□■
「マリエラ、どうした? 大丈夫か」
ジークの声にマリエラが我に返ると、そこは先ほどまでいたアルアラージュ迷宮の祭壇だった。
どうやら白昼夢を見ていたらしい。
――あれは一体、何だったのだろうか。
手に持つ緋色の宝珠を見つめても、もう何も起こりはしない。相変わらずすごい力は感じるけれど、これが何かも結局分からないままだ。
緋色の宝珠をニクスに返すと、マリエラは黙ってジークの隣に並ぶ。
ニクスが緋色の宝珠を祭壇の上に乗せると、どういうからくりか、物質として確かに存在していた緋色の宝珠は水のように粘性の低い液体に変わって祭壇に染み込み、跡形もなく消えてしまった。
同時に迷宮中に立ちこめている突き刺すような空気は和らいで、……しかし、落ち着かない悪意に満ちた雰囲気はほんの少しだけ増したように思えた。
それ以外は、特段何の変化もない。どうやらこれで終わりのようだ。
儀式も何も必要のない、リーズナブルなものである。
「お疲れ様でした。『夢幻の一撃』の面々は私が連れて戻りますので、ここで解散と致します。『炎の遣い』の皆さんは、当初の目的通り採取に移っていただいて結構です」
「……なるべく、お手柔らかにお願いします。彼らは最後まで、直接の攻撃はしてきませんでした」
「善処しましょう」
ジークの言葉に少しだけ微笑むと、ニクス・ユーグランスはそのまま祭壇の間から立ち去っていった。
ニクスが立ち去ってからもしばらくの間、ジークムントはニクスの向かう先、かつての仲間達の方向を、マリエラは緋色の宝珠が納められた祭壇をじっと見ていた。
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