25.テオレーマ
前回までのあらすじ:『炎の遣い』、強化版アビサルゴーレムを楽々クリア
微かに伝わる地響きが消え、戦闘の残響さえも消え去って、ボス部屋の先の部屋は異様なほど静かに感じられた。
「ジーク、変わってたな……」
「や、優しくなってた」
静寂に耐えかねたミッテクールの呟きをフセグンが拾う。
いや、耐えかねたのは静寂ではなく、自分たちの選んだ結果、犯した罪の重さだろうか。
久方ぶりに再会したジークは前と変わらないどころか、アルアラージュ迷宮の罠を乗り越え、新たな仲間と絆を深めてしまったのだ。ジークは変わった。成長したのだ。ミッテクール達の悪意などものともしない強さを身に付けていた。
けれど、それを言って今更どうなるというのだろう。
このアルアラージュ迷宮は管理型迷宮だけあって魔物の強さは総じて低い。けれど、裏切りの末に生まれたあのゴーレムだけは別格で、Aランカーが率いるパーティーでも勝つことは難しいと言われている。
『欺瞞の分岐点』に挑む前、ジークは自分たちに「全員で同じ部屋に入らないか」と聞いてきた。あの時は、この罠のことを知っているのかと思ったが、知っているなら分かれて部屋に入るはずがない。強化されたアビサルゴーレムは、いくら連携がとれていようが名前も聞いたことが無いBランカーが率いるパーティーの実力で倒せる敵ではないのだ。
それでも、ミッテクールにはジークが自分たちの裏切りを分かった上で、最後のチャンスを与えてくれたように思えてならない。
それを断ったのは自分たちだ。自分たちは再びジークを見捨てたのだ。
「……女の趣味とか、変わりすぎだろ」
「あ、あれはあれで、可愛いと思うな。なにより、い、いい子そうだ」
鉛を呑み込んだような胸のつかえを振り払うようにミッテクールが軽口を言うと、フセグンが少しだけ笑い、離れた場所から睨みつけてくるイヤシスに気付いて慌てて口を閉ざした。
(イヤシスも、思うところがあったんだろうな……)
ジークは仕事と恋愛は分けて考えるタイプだったのだろう。女性関係にはだらしないイメージだったのに、イヤシスに手を出している様子はなかった。それをパーティー唯一の女性であるイヤシスはどう感じていたのだろうか。少なくともミッテクールには、イヤシスがジークに憧れていたように思われた。
そしてミッテクール達は、イヤシスに“あのジークが仲間と認めた女”というプレミアム感を感じていたのかもしれない。イヤシスがアプローチをかけてきたときは、内心小躍りして喜んだのだが、まさか全員に手を出していたとは。貢いだ品を返せとは言わないが、なんだか損をした気になってくる。
イヤシスは顔もスタイルも良い女だが、自分たちが3股をかける女にかまけている間に、ジークは随分純情そうな小娘に入れあげているのだから分からないものだ。
あのジークが入れあげている小娘が一体どんな者なのか道中気にはしていたが、驚異的に平凡で驚愕するほど鈍くさいこと以外、ジークのガードが固すぎて分からないままだった。
「ふん! ジークが優しくなったですって? それだけ落ちぶれたってことでしょう。あんな小娘しか選べない時点でお察しよ!」
「戦えないのに迷宮の奥まで付いてきたんだ。奴を信頼しているんだろうさ。しかも好いた女だ、そんな女と共に死ねるなら、冒険者としては悪くない最後だろう」
「そう? じゃあ。リョウは私と死んでくれるの? ミッテクール、フセグンは!?」
あからさまに嫉妬を滲ませるイヤシスに応じたのは、意外なことにリョウ=ダーンだ。本当にこの迷宮は不和と騒乱の坩堝だ。
「……手順を確認するぞ」
イヤシスの悋気とミッテクール達の感傷に終止符を打つがごとく、リョウ=ダーンが声をあげた。
「探すのは赤い石だけだ。他の遺品はまとめて迷宮の竪穴にでも放り込め。持っていくなよ、足が付いたら厄介だからな。勝負がついて扉が開けば、こちらからならアビサルゴーレムを起こさずに入れる。さっさと手に入れてずらかるぞ。いいか、赤石の依頼主はあのテオレーマだ。報復を避けるためには、俺たちも行方不明になったと思わせなければいかん。
……だからあいつらには、生きていてもらっては困るんだ」
リョウ=ダーンの最後の一言に、3人は生唾を呑み込む。「生きていてくれたなら」そんな望を抱くことは許されないと言われたからだ。
「心配するな、万が一、生きていた場合……ジークムントは、俺が殺る」
低く押し殺したリョウ=ダーンの声に、四人は顔を見合わせて互いに頷き合う。
その時だ。
「やはり、そうでしたか」
『夢幻の一撃』が通ってきた抜け道の方から、冷たく突き放すような声が聞こえた。
「誰だ!」
不意にかけられた声に、『夢幻の一撃』の四人が身構える。
「ご挨拶ですね、依頼主の顔を忘れるなんて。今朝会ったばかりではないですか。ですが、あなた達にとって依頼主は他にいるのでしょう。教えていただけませんか? あなたたちの依頼主が誰なのかを」
尾行には十分気を付けていたはずだ。目撃者を作らないよう、気配のない道を選んできた。道中、他のパーティーに出会わなかったことからも、ミッテクールの気配察知や魔力探査は十分機能していたはずだ。だというのに、声が聞こえた今でさえ、気配も魔力も感じない。それが、逆に薄気味悪い。
四人が通ってきた抜け道の向こうから現れたのは、今回の依頼主、『テオレーマ』のニクス・ユーグランスだった。
「謀られたか! ミッテ、フセグン、やるぞ」
「しゃあねぇ!」
「オ、オウ!」
リョウ=ダーンの号令に、ミッテクールとフセグンが同意し、それぞれの武器を構えた。
エルフというのは美しい種族だ。
すらりとした体躯からは威圧的な雰囲気は感じられないし、強さより優美な印象を見る者に与える。軽装鎧を身にまとっているとは言え、そんなエルフがただ一人。
尾けられていたことに気付くこともできなかったのに、力でねじ伏せられるだろうと暴力に訴える選択をしてしまったのは、彼らが弱者である故だろう。
3人でかかればなんとかなるなどと、どうして思ってしまったのだろう。
ニクスというエルフは、このアルアラージュ迷宮の最深部まで、たった一人で来たというのに。
ニクス・ユーグランスは、テオレーマの天秤の担い手なのに。
「《風よ、切り裂け》」
「かはっ」
無駄をすべて削ぎ落したひどく短い詠唱の後、喉から血を流し、声にならない声をあげたのは、一番後ろで補助魔法の詠唱を始めたイヤシスだった。
刹那ニクスから放たれた風の刃によって、イヤシスの喉は深々と切り裂かれ、大量の血とともにカヒューカヒューと空気が漏れ出している。
ニクスはイヤシスが治癒魔法使いであると認めて、真っ先にその詠唱を妨害したのだ。そこに、人間を攻撃する躊躇や女性に対する配慮は一片も見られない。
「貴様ぁっ」
「ウワァァァ」
ニクスの冷徹な攻撃にリョウ=ダーンが憤り、盾を構えたフセグンが叫びと共に突進する。
突進と同時にフセグンがすっぽり隠れられそうな大盾から猛獣の角のような切っ先が飛び出す。角を生やしたこの盾は、臆病な彼の精一杯の虚勢であり、同時に攻撃手段でもある。重量感のあるその肉体が盾と共に衝突すれば、盾から生えた鋭利な牙が敵の肉体に深々と突き刺さり、大ダメージを与えるのだ。
けれどそれも当たればの話だ。
柳のようなたおやかな肢体を持つニクスは、風に吹かれて柳の葉が揺れる如く、フセグンの突進をふわりと躱すと、埃でも払うかのような手つきで肩に触れ、囁くように呪文を唱えた。
「《ネビュラス・パラライズ》」
「ぐぁ、あ、あ……」
麻痺と意識低下をもたらす状態異常呪文、ネビュラス・パラライズを受けたフセグンは、前後不覚の状態でその場に立ち尽くす。
これで二人。
あっけないほど簡単に仲間がやられたからといって、逃亡に転ずるミッテクールとリョウ=ダーンではない。顔も名前も企みも、全て知られてしまっているのだ。目の前に立ちふさがるエルフを倒す以外に、彼らの生き残る道が無いことぐらい理解していた。
立ち尽くすフセグンを死角に使い、決死の攻撃を仕掛ける。
「シイィッ!」
ミッテクールが投げつけた煙玉から、即効性の麻痺毒を持つ煙幕が噴き出す。フセグンも巻き込まれるが、すでに麻痺しているのだ、大差はない。視界が塞がれると同時に、息を止めたリョウ=ダーンが切っ先の狙いを定めて飛び込んでいく。この連携には慣れている。相手の動きは麻痺毒で鈍っているはずだ。煙幕の中でも彼はニクスの姿を捉え、鋭い剣先を突き刺せる。
ニクス・ユーグランスが彼より少し強い程度であれば、その通りになっただろう。
しかし冒険者にはランクという概念があるのだ。
人間をランク分けする、差別と格差を助長するこの制度が存在するのは、同じ人とは思えない戦闘力の差が存在することの証左だ。
樹木と天秤のエンブレムを背負い、少数で貴重品を運搬する『テオレーマ』のニクスの戦闘力が、Bランクから抜け出る芽もないリョウ=ダーンらの手に負えるはずが無いだろう。
「いない!!?」
リョウ=ダーンの必殺の剣が、煙の中で空を切る。
「グァッ」
代わりに叫び声をあげたのは、煙幕から飛び出す敵に備えてナイフを構えていたミッテクールだ。
いつの間に移動したのか、ニクスはリョウ=ダーンの左後方にいたミッテクールの背後に立っていた。同時に崩れ落ちるミッテクール。
この場には、もうリョウ=ダーンしか残っていない。
「う、うわぁっ!」
勝てない。
絶望に染まったリョウ=ダーンの思考が、彼に逃避を選ばせる。ニクスが背後に移動したおかげで、出口につながるルートは空いている。足に力を入れ、逃亡の一歩を踏み出そうとしたリョウ=ダーンはそのまま前につんのめり、冷たい迷宮の床面を舐めた。
(いったい何が!?)
混乱と共に、リョウ=ダーンの踵に鋭い痛みが走る。
振り向いた彼の目には、革のブーツごと腱を切られた両足が映っていた。
■□■
「いやー。まさか二度もジークさんを裏切るとは」
発言とは裏腹に、ニクス・ユーグランスは面倒な仕事が片付いたような爽やかな笑顔で言った。
『夢幻の一撃』は捕縛され、最低限の治療を施された後、数珠つなぎに繋がれている。
「俺たちが、大人しく話すとでも思っているのか」
虚勢か、それとも交渉を図ろうというのか。ギリリと歯噛みをするリョウ=ダーンの言葉にニクスはつまらなそうな視線を向けた。
「あなた達に選択肢があるとでも思っているのですか? 正直になるポーションならば、いくらでも存在する。多少後遺症が残るようですが、犯した罪を考えるなら当然でしょう。あぁ、逃げないことをお勧めしますよ。今度は足ごと切り飛ばします。傷口で歩くのは随分と痛いでしょうからね」
「私たちは伯爵さまに頼まれたのよ! そ、そんな暴虐、許されるはずが……」
「どうせゼントン伯爵あたりでしょう。あ、返事は結構。しかるべき場で証言していただきますので。だいたい、我が『テオレーマ』が使い走りをするのですよ。こちらの依頼主を誰だと思っているのです?」
ニクスの言葉に、自分たちの運命をようやく悟ったのか、四人は顔を青くする。
「な、何でも話すわ、話します。私たちは知らなかったのよ! 騙されたの! だからお願い。見逃してちょうだい!」
憐れみを誘うように懇願するイヤシス。体をよじって自慢の太ももを晒すことも忘れない。そんな様子にニクスは心底嫌そうな表情を浮かべて、吐き捨てるように続けた。
「卑しいなぁ。ジークさんはどうしてこんな奴らを助けようとしたのか。全員で同じ部屋に入ろうと提案された時、それを受ければよかったんだ。まあ私としては、あなた達が断ってくれたおかげで、早々に仕事を終えることができたわけですが」
「さ、最初からわかっていたのね……」
ニクス・ユーグランスは、最初からイヤシス達が荷物を奪う目的で案内の仕事を受けたことに気付いていたのだ。この依頼が来た時点で妨害は予想できたし、当初手配していた案内人が直前で都合がつかなくなった時点で確定したも同じだった。
しかし証拠がなかった。長く続いたこの帝国は複雑で、様々な利権や陰謀が絡み合っている。特にこのアルアラージュでは。
案内人の変更などあからさまな工作だったのに、結局その線から誰の差し金であるか証拠を掴むことができなかった。
だからこそ決定的な罪を犯すまで、イヤシスたちは泳がされていたのだ。
このアルアラージュ迷宮の最深部、『欺瞞の分岐点』で仲間を裏切って引き返す選択は、迷宮法に定められた明確な罪なのだから。
「あなただって裏切ったんじゃない。私たちがこうすると分かっていて、ジークたちを行かせたんだわ。だったら同罪よ! あなたが彼らを見殺しにしたのよ!」
罪の意識から逃れたいのか、単なる他罰的なエゴイストなのか。キイキイと煩く囀るイヤシスにニクスは会話をする気も失せてくる。
――喉を潰しておきますか。
そんな考えが脳裏をよぎったその時、彼の鋭い感覚が人の気配を捉え、風の刃をイヤシスにくれてやる代わりにとどめの一言を話させた。
「本当に愚かだな。あの人たちがこの程度の敵を倒せないはずがないでしょう。このテオレーマが助力を求めた人たちですよ」
「な……。まさか……」
イヤシス達がニクスの視線に振り向くと、そこには怪我一つない様子のジーク達『炎の遣い』がアビサルゴーレムの部屋から出てくるところだった。
【帝都日誌】ニクスというエルフ、なかなかやるみたいだね。byヴォイド
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