24.扉の先で
前回までのあらすじ:『炎の遣い』、裏切られちゃってピンチ到来!?
「まだ戦闘が続いているな……」
「も、もしかして、た、倒してまうんじゃねえのか」
「今更ビビってんのかよ、フセグン。そしたら困るのはオイラたちだぞ」
抜け道を通ってアビサルゴーレムの部屋の出口にたどり着いた『夢幻の一撃』の一行は、ジークたちがアビサルゴーレムと相対している部屋の様子を窺いながら、そんな話をしていた。
アビサルゴーレムは敵を殲滅すると活動を停止する。戦闘が終われば扉は通行可能となる。入り口も出口も、相対した冒険者たちが勝とうが負けようがだ。そして、アビサルゴーレムが反応するのは入口から侵入した者だけだ。出口から侵入した者たちは、攻撃されはしないのだ。
裏切者たちに、彼らのせいで落命した者たちの死に顔を見せつける為なのか、それとも裏切りに加えて死体を漁る罪まで背負わせるためか。
アルアラージュ迷宮らしい計らいというべきか。
この迷宮の深部から帰還した者の多くは、命は奪われることが無くとも、人として大切な物を奪われてしまうのだろう。
「も、もしも、扉が開いた時、だ、誰かが生きていたら、どうするんだ?」
フセグンの気弱そうな問いに、リョウ=ダーンは「決まっているだろう」と吐き捨てる。
「俺たちの本当の依頼は、あいつらが運んでいる赤い石の奪取だ。こいつを伯爵様に届ければ、一生遊んで暮らせるだけの金がもらえる。もうこんな胸糞悪い迷宮で稼ぐ必要もなくなるんだ」
「そうだよな。あいつらには再構築するって言ったが、……このパーティーは終いにしたほうがいいだろうしな。報酬を山分けして、サヨナラといこうや」
リョウ=ダーンの言葉にミッテクールが同意する。男性3人がイヤシスの方を気にしているのは、彼女こそがこの『夢幻の一撃』の不和の種だったからだろう。少なくともミッテクールにはイヤシスを他の二人と共有し、パーティーを続けるつもりは最早なかった。
「思ったよりも、大ごとだったな……」
長くこのパーティーで斥候を務めたミッテクールが、ぽつりとつぶやいた。
赤い石が一体どういうものなのか、ミッテクール達は知らされていない。だが、提示された報酬の額から、大変な代物であることは理解していた。
こんな仕事、できれば断ってしまいたかったが、リーダーのリョウ=ダーンが受けてしまった後だった。依頼主は貴族だ。今更断る方がリスクが高い。
それに、現状に対する不満もあった。
「オイラたちには才能が無ぇ。これで冒険者は、店じまいだ」
かつてジークムントと言う男と同じパーティーにいたから分かる。
ジークは傲慢で、鼻持ちならない男だった。パーティーで狩りに行く時は、ミッテクールはいつも魔物をおびき寄せる餌のような役割で、「オイラは釣り餌じゃねぇんだぞ」と何度不満に思ったか知れない。それでもどんな魔物に追われても、不思議と死の恐怖は感じなかった。
自分に実力があるからだと思っていた。けれど、ジークの前まで逃げきれば、絶対に倒してくれると信頼していたのだと、戦闘の続くボス部屋の扉を見つめる今になって気が付いた。
自分たちが見捨てたジークが、奴隷にまで落ちて迷宮都市に行った事はイヤシスから聞いていた。その話を聞いた時は、「ふーん、じゃあ死ぬな」としか思わなかった。薄暗い優越感を感じさえしただろう。
どこか遠くの国で起こった知らない人の話を聞いているような感覚で、知っている人間に対する想いは微塵も感じなかった。かつては共に戦った相手が、一体どんな辛い目にあって、どれほどの痛みを感じてきたのか、そんな想像力はミッテクールにはなかったのだ。
そして、再びジークを裏切って、ボス部屋の先で待つ今もまた。
「ジ、ジークの精霊眼があったら、ボ、ボスも倒せたんじゃ……?」
けっして外さない必中の弓。
才能と聞いて真っ先にフセグンが思い浮かべたものはそれだ。ワイバーン戦の失態で失われてしまったけれど、新しくリーダーになったリョウ=ダーンも含めて自分たちには無いものだ。
イケメンでモテることも含めて妬ましく、嫌な奴だと思っていた。だから精霊眼を失ったジークを見捨てた時は気分が良かった。
……初めてジークに勝てた気がした。
弱った仲間を見捨てただけで自分たちは何も得ていないというのに。
自分たちもまた、掛け替えのないものを失ったことに、フセグン達はすぐに気づいた。
何しろ今までは自分たちの未熟さを、全てジークの精霊眼がカバーしてくれていたのだ。
「……あったらなんて、あるはずが、ないじゃない」
ぽつりと言い放つイヤシスもまた、扉を見つめ、ジークのことを考えていた。
『夢幻の射手』に誰よりこだわっていたのはイヤシスだ。
凡庸な治癒魔法士の待遇は、不遇であることが多い。ポーションと比較して、回復1回いくら、解毒1回いくらと値決めするパーティーもあるのだ。
田舎者のジークはそんなことも知らなかったのだろうが、他のメンバーと等しい待遇をくれるこのパーティーは都合が良かったし、何よりイヤシスを女としてではなく仲間として遇し、意見を聞き入れさえするジークの態度は、『ジークに仲間と認められた治癒魔法使い』という地位をイヤシスに与え一目置かれさえしていたのだ。
その地位を保つために、イヤシスはリョウ=ダーンというアタッカーを勧誘し、Bランクに上がるまで苦労を重ねてきた。
ずっと努力してきたのだ。実年齢以上に若い見た目といっそう洗練された振る舞い、治癒魔法使いとしての価値はずっと増したはずなのに。
(なによ、なんなのよ、あんな小娘にかまけて。どうして……私を見ないのよ)
昔のジークが商売女や軽い付き合いの恋人たちに見せていた、あの表情なら我慢ができた。自分が今でも特別なのだと思い込めただろうから。けれど、アルアラージュ迷宮でジークがマリエラに向ける表情を見てしまえば、否が応でも分かってしまう。
だから。
「もう、引き返すことなんてできないわ。もし、あの扉を開いて出て来る者がいたなら。その時は、……リョウ?」
「……承知している」
ただ一人、じっと扉を見つめるリョウ=ダーンが、イヤシスの声に応じた。
ジークとの面識はこの仕事が初めてだが、彼も『夢幻の射手』の関係者だ。リョウ=ダーンもまた、このパーティーに入った頃を思い出していた。
イヤシスに誘われてジークの後任として『夢幻の一撃』に入った頃は、もっと希望に満ちていた。
『夢幻の射手』のことは知っていた。
新進気鋭のBランクパーティー。そこから誘いを受けた時は、可能性が広がる予感がしたというのに、待っていたのはBランクパーティーとは名ばかりの、発言と実力に釣り合いの取れない者たちの集まりだった。
臆病で満足に敵を引き付けられない盾戦士、多少小器用ではあるが自分を良く見せることに余念のない斥候、ご意見番よろしく采配を振るうがポーションでも代わりが務まる程度の治癒魔法使い――。
『夢幻の射手』は、たった一人を示す名前で、このパーティーの名ではないことに気付くのはすぐだった。
しかし、名前を『夢幻の一撃』に改めても、過去の栄光にすがろうとするパーティーにリョウ=ダーンが在籍を続けたのは、彼から見れば実力の伴わない者たちが、ことあるごとに自分と“ジークムント”を比較したからだ。
今からすれば、下らないプライド、無駄な時間だったと思う。こんな連中はさっさと見捨てていれば、別の道が開けただろう。けれど自分の才能を信じて疑わなかった若き日のリョウ=ダーンはイヤシスたちに安くみられることが我慢ならなかったのだ。実力を示し、見返してやろうと考えるうち、時間だけが過ぎてしまった。
『夢幻の一撃』で過ごした時間は全く無駄とは言えないだろう。
地道に頑張ってきたおかげで、彼らは皆成長し、Bランクになれたのだから。
けれど、ここが限界だ。
それも、罠の位置を知り尽くしていれば危険が少ないアルアラージュ迷宮でしか、『夢幻の一撃』は稼げない。冒険者としての能力は、もうじき盛りを過ぎるだろう。そうなれば、行く当てのない閉塞感に心がすり減っていくだけの日々が待っているだけだ。
――田舎に帰って酒場でも開こうか。
安直な夢には全く足りない蓄えを眺めながらそんなことを考えていた時、貴族の使いだという男から、この仕事を持ち掛けられた。
まっとうな仕事でないことはすぐに分かった。けれど報酬は破格で、引退仕事には持ってこいだったのだ。アルアラージュ迷宮という箱庭で変わり映えのしない作業のような仕事を繰り返してきた彼らには、怪しい仕事の下調べをするという、当たり前のことすら考えが及ばなかった。あやふやな所があるのもまた、報酬の内、位に思っていた。
赤い石を運ぶというパーティーに案内役として同行し、彼らに不和をばらまいて生じた隙をついて赤い石をすり替える。
人殺しをする覚悟はなかった。コソ泥程度の仕事だと思っていたのだ。
迷宮の最奥に運ばれる“赤い石”をすり替えることで一体何が起こるか、そんなことを想像することもなかった。
その赤い石を運ぶパーティーに“ジークムント”がいたのには驚いた。
初めて会ったジークムントは話に聞いていたよりも強者の貫禄が備わっていたし、人格者であるように見えた。弓が得意なはずなのに、剣で打ち合ったとしても勝てるイメージをリョウ=ダーンは持てなかった。
そんな自分にも、ジークに対してどこか手心を加えるような夢幻の一撃の仲間にも苛立ちを感じていた。
「Bランクパーティーが強化されたアビサルゴーレムに勝てる見込みは万に一つもない。
アルアラージュ迷宮の陰湿な罠に相争って隙を見せていたなら、その隙に乗じて赤い石を奪うだけで済んだのに、この選択をさせたのは彼奴自身だ」
リョウ=ダーンは誰にともなくそうつぶやく。
これは、きっとチャンスなのだ。
下らない冒険者生活と、そんな日々にすり減ってしまったプライドを取り戻すための。
「万が一にも奴らが生きてあの扉から出てきたなら。その時は、……ジークムントは、俺が殺す」
リョウ=ダーンは低い声で、しかしはっきりと言い放つ。
その決意を聞いた『夢幻の一撃』の3人は、過去を懐かしむ時間はとうに過ぎ去ってしまった事を、今更ながらに理解した。
■□■
――オオオオォォオオオォォオ!!!
空間が鳴動するように、アビサルゴーレムの咆哮が暗い部屋を震わせた。
そのただ中に向かって、ジークムントはサラマンダー・ラプトルを走らせる。
ヴォイドとエドガンの二人によって、戦闘はすでに始まっている。
このアルアラージュ迷宮で、どれほどの不和と騒乱が生まれたことだろう。冒険者たちの怨嗟の重みを示すかの如く、アビサルゴーレムは巨大で悪意を振りまくようにジークたち『炎の遣い』の行く手を遮る。
この巨大な悪意の傀儡は厄介だ。
岩のような黒い巨体は痛みを感じず、分厚い手足はいくら剣で打ち据えようと僅かに欠けるだけで切り落とすことはできない。並みの剣では、すぐに刃がかけて駄目になってしまうだろう。
ゴーレムの急所と言われる『真理』の文字が記された額の部分は、角のついた兜で覆われていて、このままでは攻撃することもかなわない。
そして、巨体に似合わぬ鋭い攻撃。頭上より遥か上から振り落とされる重量物の剣戟は、一撃で鉄のように硬い迷宮の地形を変えるほどの衝撃だ。切るというよりは叩き潰すような衝撃に、人間の肉体など触れるだけでミンチになってしまうだろう。
それほどの攻撃であるというのに、やすやすと受け止めるヴォイド。
魔力も含めたこの世のエネルギーというものは、保存されるのが世界の理だというのに、それを超越する現象だ。まるでアビサルゴーレムの巨体が紙でできた張りぼてであるかのようにさえ感じられてしまう。
その手の先に広がる、白と黒が織りなすモザイクのような空間、一目で脳の異常を疑うようなこの世ならざる《虚ろなる隔たり》が衝撃を呑み込んでいるのだ。
ヴォイドが注意を惹きつけている間にアビサルゴーレムの足元へ駆け寄ったエドガンが、関節部分の最も脆い部分に両手の双剣を寸分の狂いなく打ち付ける。
「《我が左腕は焔の座、我が右腕は氷雪の座。宿れ、双属性剣》!」
同時に2属性を操るエドガンの攻撃に、アビサルゴーレムの関節は急激に加熱され、そして直ちに冷やされる。同時に一点に加わる剣戟の衝撃。鉱物の疲労を招く連撃に、アビサルゴーレムの関節部分は脆化を免れない。
目にも留まらぬエドガンの猛追に、ついにアビサルゴーレムはバランスを崩し、ぐらりと大きく後方へと体勢を崩した。
「ジーク、今だ! やっちまえ」
「任せろ!」
エドガンの声に、ジークが応じる。
狙うべきは、わずか1点。
仰け反ったアビサルゴーレムの目元から、弱点の額に繋がる糸のごとき線が、今、繋がったのだ。
ほんの一瞬のチャンス。実現可能な射出地点も限られている。
こうしている間にもアビサルゴーレムの体勢は刻々と変化して、射出地点は一時たりとも定まらない。
たとえ A ランクの冒険者といえども、人間の身体能力ではとても間に合わない瞬時の移動を可能にしたのは、マリエラが呼び出したサラマンダーだ。
「ギャウウウウウッ」
エドガンの声に呼応するように、ジークの乗ったサラマンダーが赤き疾風と化して駆け抜ける。その速度は、生物の限界を凌駕する。この一瞬のために膨大な魔力を注ぎ込まれて創り出された、精霊だからこそ成し得た速さだ。
そしてその騎手が持つのは、手に馴染んだ一対の弓矢。
帝都の街中で振るうには向かないせいで、長らくしまっていたけれど、やはり弓こそがジークの手にはしっくりとくる。
そして彼のために顕現したサラマンダーは、まさに人馬一体の動きを見せる。
願い、望み、積み重ね、仲間に想いを託される。
その最善の先に、開かれない道はない。
ヒュウッ。
放たれた矢は、まるでジークの理想を叶えるように、最高の軌跡を描いた。
かつて自分を裏切った仲間に手を差し伸べようとしたジーク。その手を払われてもなお仲間と共にアビサルゴーレムに立ち向かうジーク。
そんな彼を精霊達が愛さないはずがないのだ。
精霊眼の力を借りて放たれた矢は、精霊たちの光に包まれアビサルゴーレムの額に刻まれた『真理』の文字を見事消し去った。




