23.欺瞞の分岐点
前回までのあらすじ:ジークのかつての仲間たちは、誘いを断り異なる扉へと消えていった。
二つの扉が同時に開き、それぞれのパーティーを呑み込んだ後、重苦しい音を立てて閉ざされた。
進んだ先に開けた部屋は、この階層のほとんどが費やされているのではと思えるほどに広大で、立ち込める空気は人々の仄暗い感情を煮詰めたように薄暗く重い。
この部屋の雰囲気が重苦しく感じられるのは、これまで繰り返し与えられてきた不和と騒乱の罠が残した傷跡に心が悲鳴を上げているからだろうか。
それとも――、この部屋の中心に不和と騒乱のアルアラージュ迷宮の闇を凝縮したような黒く巨大な物体が待ち受けているからか。
ボッと小さい音がして、部屋を支配する闇の塊に、二つの赤い光が宿る。
最後の関門、黒く巨大な物体――アビサルゴーレムの眼だ。光を反射することなく不気味に光る瞳の紅は、猜疑か嫉妬か、それとも怒りだろうか。
厳かな黒色の岩石から作られた全身には、暗黒を感じさせるエネルギーが充満しており、まるで地獄から生まれたかのような恐ろしい存在感を漂わせている。
鋭くとがった両腕は、触れるものの肉体を裂き、離別の悲しみを与えるだろう。同時に堅固な外殻は、どんな攻撃にも耐えうる強靭さを持っているように見えた。
姑息な罠ばかりが目立つこの迷宮で、純粋な武力の結晶のようなゴーレムが待ち受けているなど、少々意外にも思えるが、それでもここは迷宮、人の命を喰らう場所だ。この場所に辿り着くまでに、信頼を失い絆の壊れたパーティーにとって、このアビサルゴーレムは与しやすい相手ではないだろう。冒険者たちを押さえつけるような圧迫感のある魔力は、全員がBランクのパーティーであっても苦戦するに違いあるまい。
この世の条理の通じぬ相手。
混沌が形を成した命亡き巨人。
それでも、ジークたちに倒せぬ相手ではなかった。
「……ただの傀儡か」
――最後の試練に偽りの生命体を選ぶなど、このアルアラージュ迷宮らしい。
そんな風にふと考えて、ジークの口元が思わず緩んだ。
これの強さを100とするならば、『夢幻の一撃』のところに現れた50の個体はたかが知れている。少々の苦戦はするだろうが『夢幻の一撃』ならば問題なく倒せるだろう。
――少なくとも、もう一度会うことは叶う。
そのように少しだけジークが安堵した瞬間に、微かな期待をあざ笑うかの如く思いがけない――、いや、事前に想定していた中で、最悪ともいえる異変が起こった。
アビサルゴーレムの全身から発せられる魔力が、大きく跳ね上がったのだ。
■□■
「ほ、ほんとに、やるのか?」
「しかたねぇだろ、そうする以外、方法がねぇんだ」
「いいんだな。やるぞ」
「えぇ。行きましょう」
同時刻。別の扉からアビサルゴーレムのいる部屋に入った『夢幻の一撃』の4人――フセグン、ミッテクール、リョウ=ダーンそしてイヤシスの4人は、アビサルゴーレムを目前にして踵を返すと、――もといた控えの間へと戻っていた。
敵を前にした逃亡。卑怯者の所業。
そのような負け犬の選択をした者にこそ開ける道が、この不和と騒乱のアルアラージュには用意されていた。
控えの間に戻ったイヤシスは、ジークたちの入って行った扉を見つめる。どちらかが全滅するまではもはや開くことのない扉の向こうからは、自分たちが対面したのとは比較にならない強力な魔力が漂ってくる。
――この控えの間の名は『欺瞞の分岐点』。
扉の片方に100、もう片方に50の力を持つアビサルゴーレムが待つ選択の場所。片方に全員が進めば強さが200になるため、戦力を分けることが望ましいが、適切にメンバーを割り振ればいいだけだと思うのは、この迷宮を理解していない証拠だろう。
その証拠に、イヤシスたちが戻った控えの間には、先ほどまではなかった小さな扉――第3の選択肢が現れているではないか。
『欺瞞の分岐点』では、片方のパーティーだけはこの控えの間に逃げ帰ることが許される。そして逃げ帰った者たちの罪を押し付けられるがごとく、もう片方のアビサルゴーレムの強さは500にまで跳ね上がるのだ。
この第3の扉の向こうはアビサルゴーレムの部屋を迂回できる抜け道がある。正々堂々戦う者に災いを、仲間を見捨て、逃げ帰った者に抜け道を与える。
これこそが不和と騒乱のアルアラージュ最後の関門、『欺瞞の分岐点』だ。
「早く向こう側へ抜けるわよ。そこそこ強いパーティーみたいだけど、Bランクじゃ強化ゴーレムに長くはもたないわ」
この抜け道が開いているのは、裏切られた仲間たちがアビサルゴーレムと戦っている間だけ。戦闘が終わってしまえば第3の扉は消え失せて、再び『欺瞞の分岐点』の挑戦者へと戻されてしまう。そうなれば、全員でアビサルゴーレムを倒すか再び誰かを犠牲にするほか、進む道はなくなる。
――これは仕方がないことだ。
言い訳じみた感情を胸に抱きながら、イヤシスたち4人は逃げ出すように抜け道を走り抜けた。
■□■
――オオオオォォオオオォォオ!!!
裏切りに憤怒の叫びを上げるように、失望に嘆きの声を上げるように。
アビサルゴーレムは大地が震動するかのような叫びを放った。
いや、叫んでいると感じたのは、ジークたち裏切られた人間で、だからこそその音を叫びと感じただけかもしれない。
今のアビサルゴーレムには、先ほどとは桁違いの魔力が流れ込んでいる。そのエネルギーがあまりに膨大である故に、コアと呼ぶべき動力機構が軋んで叫びに似た不協和音を響かせているのだろう。
なぜならこのアビサルゴーレムには命もなければ意思もない。『欺瞞の分岐点』の理に従って、自分たちの仲間であった者たちの選択に従っているだけなのだ。
赦されざる選択をした者たちの想いの淀みは如何ほどか。
アビサルゴーレムの全身から迸る魔力は、周囲の空気を揺らし、一層邪悪な気配を放つ。叫び声のようなその音は、まるで深淵から湧き出るように不気味な響きで、まるで悪意の塊が作り出したかのような存在感を持っている。
「……やっぱ、こうなったか。気にすんなよ、ジーク」
「大丈夫だ、エドガン。少し……残念なだけだから」
この『欺瞞の分岐点』のからくりを、夢幻の一撃は説明しなかったけれど、ジークたちが知らなかったわけではない。
裏切りを確定させる選択肢を選ばせないために、ジークは彼らに「全員で同じ部屋に入らないか」と提案したのだ。
けれどその提案が受け入れられることはなかった。伸ばした手は払いのけられてしまった。
彼らは罪を犯すことを選んで、ジークムントを再び見殺しにしたのだ。
その事実を認識してはいたけれど、怒りも悲しみも不思議なほどに湧いてはこなかった。それはきっと、心配そうな表情でずっとそばにいてくれた、この少女のお陰だろう。
「ジークは大丈夫。絶対に大丈夫。ここまで私を守ってくれた。だから魔力は十分残ってる。私も……ジークを助けられるよ」
誰よりも非力なはずのマリエラが、ジークには誰より強く頼もしく思えてしまう。彼女がいてくれさえすれば、どんな困難だって乗り越えられる気がするのだ。
「《来たれ――炎の精霊、サラマンダー》!!」
マリエラが取り出した魔法陣にありったけの魔力を注ぐと、魔法陣は淀んだ空気を浄化するかのように大きな炎の渦となって燃え上がり、あとには馬ほどもある炎のラプトルが現れた。
「うぅんなぁっ!」
見事な姿で顕現を果たしたサラマンダーに、ナンナが驚愕の叫びを上げる。
仮初の肉体とは言えマリエラの想いと魔法陣によって現出したサラマンダーの力は、かつて火山の階層でジークを赤竜からも燃え盛る溶岩からも守って見せた恐るべきものだ。
そしてその炎の精霊の力を限界以上に引き出す加護を、ジークムントは授かっている。
ジークは眼帯を外すと、精霊眼でサラマンダーを観た。
普段見せている左目の蒼も青い空のようで美しいけれど、この右目の翠のきらめきは森の生命そのもののようだ。精霊の女王が託した森の至宝が、彼に力を貸したいと望む炎の精霊に更なる力を与える。
「マリエラを守れるか?」
「ギャウッ! デキル!」
「ふなっ! 喋ったなん! なっ、ナンナも、ナンナもマリエラ守るなん!」
サラマンダーが返事をすると、マリエラを囲むように炎が走り結界を張る。精霊眼でよく見れば、小さな炎の精霊たちが互いに手を取り合って、ダンスを踊っているようだ。これほど近くで燃えているのに、触れてもちっとも熱くない。彼らは役目をきちんと理解しているのだ。
燃え移りも火傷もしない炎の結界を、不思議そうにチョイチョイと触りながら、ナンナはマリエラを庇える位置で身構える。精霊に同族意識でもあるのか、それとも本来のマリエラの護衛という仕事を思い出したのか、マリエラを守る気満々である。
これならば、問題はないだろう。
「いってらっしゃい、ジーク。気をつけて」
「あぁ。行ってくる」
ジークはサラマンダー・ラプトルに騎乗すると、マリエラに渡された弓矢を受け取り、アビサルゴーレムの方へ駆けだした。
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