21.愛欲の複製品
前回までのあらすじ:アルアラージュ迷宮の二つの罠で結束が固まる『炎の遣い』を見て、『夢幻の一撃』が焦りだす。
「この部屋を抜けると早いんだが……」
31階層は石壁が続く迷路の階層だった。時折鏡のように磨かれた石壁が現れて、薄暗い景観の中で映し出される己の姿に、敵が現れたのかと身構えてしまう。
分岐が多く、不意に現れる部屋のような場所にはパペットやゴーレムと言った人を模造した魔物が現れる迷路の階層の途中で、ミッテクールは『炎の遣い』に判断をゆだねた。
「モンスタールームか何かだろうか?」
「いくんな!」
「ナンナたん、ちょっと黙ろっかー」
「うなんなー」
いつの間にか仲良くなったナンナとエドガンのコントは置いておくとして、ヴォイドの質問に対してミッテクールは部屋の中央を指さしながらうなずく。
「部屋の真ん中に水晶があんだろ? あれに近づくとドッペルゲンガーが現れる。普通、ドッペルっつーのは自分の姿をしてるもんだが、ここで現れるのは知ってる奴の姿と能力を持ってんだ。同時に現れんのは部屋に入った人間の数だけだが、切っても切っても新しく湧いてキリがねぇ」
部屋は細長い造りで、出口まで駆け抜けるまでに戦闘は避けられそうもない。
「敵はあの水晶から現れる。だから水晶近くで防衛しつつ出口を目指す、と言うのがこの部屋の攻略法だな」
ミッテクールによると、3人程度が水晶の近くに待機して、少人数ずつ通り抜けるのがよさそうだ。
「ふむ、なるほど。ディフェンスは僕とジーク、エドガンで受けもとう。一度に全員が入って抑えきれなくなってもいけない。部屋に入る人数はディフェンスの3人とあと1,2人がいいだろう。そして最初に水晶に近づく者だが、ジーク、頼めるかな」
「分かりました」
「ナンナなにするなん?」
「ナンナはマリエラを守りながらあの出口を目指すんだ。ミッテクールが向こうについて、安全を確認してからだよ、分かったかい?」
「うなんな」
ヴォイドの采配によって、作戦は決まった。それも、ミッテクールたちの理想に近い展開だ。
(あの獣人がディフェンスに入らなかったのは誤算だが、概ね計画通りだ。あの獣人、腕は立つけどオツムの方はイマイチっぽいしな。いくらでもやりようがある)
ミッテクールはジークを見てニヤリと笑う。
この愛欲の複製品と呼ばれる部屋について、伝えていないことがあるのだ。
(どいつもこいつも、情報だとか、便利さだとか、そう言うモンを安く見積もりすぎだと思うぜ)
特に一緒にパーティーを組んでいた頃のジークはろくでもなかったとミッテクールは思い出す。
上げ膳据え膳当たり前、お世話されて当たり前の世間知らずのお坊ちゃまで、いかにも自分は特別だと思っていそうな尊大な態度に随分イライラさせられたものだ。
素材の質も相場も分かっちゃいなかったから、おかげで美味しい思いもさせてもらったが、それもまぁ情報料と言うやつだ。ビビって大盾の陰で縮こまってるだけのフセグンや、そのフセグンに遠くから回復魔法を飛ばすだけのイヤシスが同等の取り分を貰っているのだ。斥候の仕事だけでなく、情報収集に冒険の準備から途中の飯の支度、帰ってからの売却まで請け負う自分に多少のインセンティブがあるのは当然だ。
自分の仕事は他の誰より大変だ。ミッテクールは本気でそう考えている。
(世の中さ、結局賢く立ち回れるヤツが成功するんだぜ、ジーク。“誰のおかげで、Bランクになれたと思っている?”って、昔言ったよな。あんときゃ確かにオイラは弱くてテメェには利用価値があった。でもよ、今じゃオイラも名実ともにBランク。対してテメェは大事な『精霊眼』を失ったまんまだ。だからせっせとメシ炊きを手伝ってみたりお荷物な女を運んだり、下働きをやってるんだろ? そんなテメーにゃ価値はねぇよ。
オイラだって流石に良心が痛まねぇわけじゃねーが、長いもんには巻かれろっていうだろ? ……悪く思わねぇでくれよな)
ミッテクールはちらりと視線をヴォイドに移す。今回の依頼主、エルフのニクス・ユーグランスが渡した荷物は今もヴォイドが持っているはずだ。
「行くぞ」
「おう!」
「ナンナ、絶対にマリエラから離れては駄目だよ」
「うなんな!」
ジーク、エドガン、ヴォイドの3人が部屋に飛び込み水晶の近くに走っていく。
すると水晶が怪しい光を放ち、光の中から3人の人影が現れた。
「マ……マリエラ?」
「うわお、エンジェルちゃんかよ!」
「……やはり君か」
水晶が形作った人影は、マリエラ、人化したナンナ、そして雷帝エルシーことエルメラの3人だった。
――愛欲の複製品。それは、水晶に近づいた者の心を覗き、愛する者の姿のドッペルゲンガーを作り出すトラップだ。それも、理想に近い姿で。
己と戦うことはできても、倒しても倒しても生じ、襲って来る愛する者を攻撃して平気でいられる者は少ない。この部屋の攻略法は、別の仲間のドッペルを相手にすることだ。
しかし、それは同時に、仲間内に不和が生じる原因ともなる。
マリエラの姿をしたドッペルは、ぼんやりとした様子で自らの手を見る。その手にいつも調理で使われている包丁が握られていることを確認した次の瞬間、マリエラ・ドッペルは包丁を握りしめ、ジークに向かって飛び込んできた。
「しっかりしろ、ジーク! ……ってオイ!」
ジークにはマリエラが自分を攻撃するなんて、思いもよらなかったのだろう。飛び込んできたマリエラ・ドッペルを包丁の切っ先ごと受け入れようとしたジークの前にエドガンが飛び込み、マリエラ・ドッペルの包丁を跳ね上げる。
そして返す刀でそのままマリエラ・ドッペルを切り倒そうと、振り下ろした切っ先は、なんとジークのミスリルの刃で防がれてしまった。
「あっ、スマン……」
マリエラ・ドッペルを庇う。それはジークにとっても反射的な行動だったのだろう。
これこそが、愛欲の複製品の悪辣な点なのだ。
例え偽物であったとしても、愛する者をこの手で倒すことは難しい。だからと言って、仲間が代わりに倒したなら、その仲間に対してぬぐい切れないわだかまりが残るのだ。
現に、ジークが庇ったマリエラ・ドッペルは怯えた表情を浮かべ、助けを請うような眼差しをジークに向けているではないか。こんな姿のマリエラ・ドッペルを、ジークにはとても殺せはしないし、エドガンに倒されるのを見て平静でいられるだろうか。
「今だ、いくぞ」
ジークたちの苦境を見て合図を下した小さな声は、夢幻の一撃のリョウ=ダーンだ。
その合図を皮切りに、夢幻の一撃の全員が、愛欲の複製品の部屋へと飛び込んだ。
「あなたもおいで、近くで見てやるといい!」
「えっ!?」
「うなん?」
一度に大量のドッペルが生じないように、部屋には1、2人ずつ入るという予定ではなかったか。夢幻の一撃の最後尾を行くイヤシスはマリエラの腕を掴むと力任せに部屋へと連れ込んみ、部屋の中央、ジークの近くまで引っ張っていく。
その表情はマリエラ・ドッペルの姿を確認した瞬間から醜く歪み、まるで雌オーガのようだ。ナンナの手前か、直接攻撃はしてこないが、マリエラがドッペルと間違えられて攻撃されればいいくらいのことは考えていそうだ。
状況を分かっていないナンナもマリエラにくっついて、一緒に入ってしまったから、水晶の周囲には新たに6体もの人影が浮かび上がろうとしていた。
「しっかりしろよ、ジーク!」
そんな状況にも関わらず、マリエラ・ドッペルを守るように動いてしまうジークにエドガンが叫ぶ。
「よく見ろ、ジーク。そいつはマリエラちゃんじゃねぇ! あの娘は……」
どこか言いづらそうに眉をひそめたエドガンは、刻々と姿を取りつつある新たな脅威に決意したように言い放った。
「マリエラちゃんは、そんなにスタイル良くないだろ!!!!!」
「なに!?」
「ハァ!!?」
エドガンのツッコミに、同時に叫んだジークとマリエラ。
言われてよく見てみれば、マリエラ・ドッペルは実物よりちょっと美人で、スタイルがいい。つくべき場所だけマルエラ・ミックスという、いいとこどりの花マルエラだ。
ドッペルは愛する人が“理想の姿”で現れるのだ。ジークにとっての理想のマリエラは、癒しと慈しみの具現化なのかもしれない。だから、まぁ、実物よりちょっと多めに盛っちゃっていても仕方あるまい。
「……ジーク、サイテー」
「うなんなー」
「マッ、マリエラ!?」
マリエラの冷たい声にようやく我に返ったジークムント。
こうしてジト目で睨んでくるマリエラを前にすると、マリエラ・ドッペルなんてマリエラの真似をしているだけの偽物だ。略するならマネエラじゃないか。
「エドガン、マネエラを頼む」
「おっけー。んじゃ、ジークは俺のエンジェルちゃんを頼んだぜ」
ちなみに、エドガンのエンジェルちゃんことナンナ・人化バージョンは、出会い頭に一瞬であっただけなので、細部がだいぶわやわやだった。そっくりなのは顔だけで、あとはよくあるメイド服を着た人間の女性と言うやつだ。動きだけはなかなか俊敏だったけれども、エドガンはこれをナンナだと認識していないから、強さは一般人の域をでない。
つまり、マネエラもエンジェルちゃんもどきも、そうだと認識しなければ何の障害にもならないのだ。さらに幸運なことに新しく湧いた6体の内4体は、非力なマネエラとエンジェルちゃんだ。
「どうやら水晶が読み取れるのは近くにいる3人だけらしいな」
そうと分かれば攻略の糸口も見えてくる。マネエラやエンジェルちゃんが何人増えようと物の数ではない。
それよりも厄介なのは。
バリバリバリバリバリイィィィイッッッ!!!!
雷鳴をとどろかせ、紫電をまとってヴォイドと対する、『雷帝』エルシーの影だろう。
「ジーク、エドガン。調子は戻ったようだね。妻の影たちは僕が引き受けるから、マリエラとナンナを連れて出口に向かうといい」
「ですが、3人ですよ!?」
ヴォイドに容赦なく雷撃を浴びせかけるエルシー・トリオ。
迷宮都市でも上位の攻撃力を誇るエルシーが3体だなんて、さすがのヴォイドでも厳しいのではないか。ヘタをすればアルアラージュ迷宮が壊れかねない。
「問題ない、行きたまえ。誰より早くこの部屋を出るんだ」
エルシー・トリオが一斉に雷撃を放つが、ヴォイドはすばやく身をかわし、距離をとる。手の内は読めているということだろうか。
「エドガン、倒さず出口に向かうぞ」
「おうよ!」
ジークは本物のマリエラの元に駆け寄ると、ひょいと抱き上げ出口に走る。エドガンはマネエラを突き飛ばした後、エンジェルもどきをいなしながらジークに続く。
「ちょっと、引っ張らないでよ!」
「いやんな」
ナンナはよくわかっていないのだろう、自分の分身を蹴散らしながらイヤシスを引っ張ってついて来る。
ジークに抱えられたマリエラの目は、3人のエルシーに襲われるヴォイドの戦いぶりを捉えていた。
チカチカと目を焼く雷光が眩しいばかりで、ヴォイドめがけて落とされる雷撃も同時に繰り出される攻撃もすべて躱しているようだ。
そしてヴォイドが躱わした雷撃は、のろのろとマリエラたちの後を追いかけるマネエラや、エドガンやナンナに蹴り飛ばされて倒れていたエンジェルもどきに落ちている。
「あれって同士討ち……?」
ヴォイドはエルシー・ドッペルを誘導し、他のドッペルたちに攻撃させているのだろう。
ジークやエドガンの心情までも配慮したあまりに見事な立ち回りに、時折後ろを振り返るジークやエドガンからも「スゲェ」と感嘆の声が上がる。
Aランクのジークやエドガンでさえも見惚れる身のこなしなのだ。夢幻の一撃のミッテクール、フセグン、リョウ=ダーンの3人も、思わず足を止めてヴォイドの戦闘に見惚れていた。
そして、エルメラ・ドッペルを除くドッペルがすべて倒され、水晶が新たな愛欲の複製品を生み出そうと妖しい光を放ち始めたその瞬間、部屋にいるものの位置関係は様変わりし、水晶に一番近い人間はミッテクール、フセグン、リョウ=ダーンの3人になっていた。
「はっ、しまっ」
「ど、ど、どうしよ」
「くっ、お前ら走れ!」
気付いた3人が慌てふためき、リョウ=ダーンが脱出の合図を出すが時すでに遅し。
「さよなら、模造品たち。君たちは実に退屈だったよ」
ヴォイドはひどく無機質な声で別れを告げると、その拳に初めて薄く《虚ろなる隔たり》を纏わせた。リョウ=ダーン達3人は、脱出に慌てるあまり見てはおらず、ナンナに引きずられるように連れ出されるイヤシスの視界にも入っていないその瞬間に、ヴォイドの拳は3人のエルシー・ドッペルたちをまとめて打ち据えた。
水晶の光が生んだ幻影は、間違いなく物質として存在していたけれど、その実エネルギーの塊に近しいものだったのか、ヴォイドの拳の《虚ろなる隔たり》に触れたエルシー・ドッペルたちは、ザザっとノイズが走ったように形を変えて、次の瞬間には虚ろな世界に呑まれて消えてしまっていた。
いま、このモンスタールームにいるのは9名の冒険者たちと形を整えつつある9体のドッペル。そしてその形を定める水晶に最も近い位置にいるのは、ミッテクール、フセグン、リョウ=ダーンの3人だ。
「ち、ちくしょう!」
「わああああ!」
「くそっ!!」
3人が叫び声をあげた時、水晶の周りから3人に向かって駆け出してきたのは、なんと9人のイヤシス・ドッペルたちだった。
【帝都日誌】『愛欲の複製品』、恐ろしい罠だった。マリエラちゃんは起こってたけど、オレくらいじゃなければ見分けつかないくらいの微々たる差だったことは言わないでおこう。byエドガン
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