20.背中の靴跡
前回までのあらすじ:公平の二律背反でヴォイドがカッコイイところを見せる。
――あいつらはみんな、魔物の一番近くで攻撃を受ける恐ろしさを知らねんだ。
盾戦士だろうとなんだろうと、痛いものは痛いし、怖いものは怖い。大きな盾と分厚い鎧。そんなもの、魔物の恐ろしさの前には紙切れと変わりがない。ミッテクールが連れてきた魔物を前に持ちこたえているだけでも、すごいことなのだと、フセグンは今も昔も考えている。
だというのに、あの日ジークムントは「先陣を切って進め」と言ってきたのだ。
たしか、どこかの迷宮の分岐の多い狭い場所で、どこから魔物が飛び出してくるか分からないのに、ミッテクールが連れて来るより効率がいいとかそんな理由だったと思う。
どこから魔物が飛び出してきても対処できるように、慎重に慎重を期して進んでいたから、歩みが遅いのは仕方がないことだ。さっさと進みたいのなら、斥候のミッテクールが先行し安全を確認するべきだ。フセグンに先行させる判断をしたのはジークだというのに、警戒しながら進んでいたフセグンの背中をあろうことかジークは「さっさと進め」と言って足蹴にしたのだ。
(そ、そうだ。ここでゆっくり進めば……)
公平の二律背反の痛みは盾スキルでは軽減されない。しかもここは29階層、電撃の痛みはフセグンだって仲間3人が通り抜ける短い時間で何度も気を失ったほどだ。今はさらに5人増えているし、通り抜けるのに時間がかかればきっとヴォイドも耐えられまい。幸いジークたちはフセグンの後ろを歩いている。ヴォイドが手を放してしまえば、ジークたちの誰かに扉を支える役目が回る。
そう考えたフセグンは、大きな盾がつっかえたフリをしてその場で足を止めたのだけれど。
「邪魔なんな」
「ふがっ!」
まさかの駄ネコキックに背を押され、フセグンは公平の二律背反の通路で突っ伏してしまったではないか。
「立ち止まるのが悪いなんなー」
「ナンナたん、正論。さー、ジーク、マリエラちゃん抱えてダッシュだ。ヴォイドさんが待ってる」
「すまんフセグン、先に行く」
「え? え?」
状況が呑み込めていないのはマリエラだけで、『炎の遣い』の一同はフセグンがわざと立ち止まったことに気が付いていたらしい。フセグンが慌てて立ち上がるより早く獣人コンビ……違った獣人とエドガンの二人が疾風のごとく駆け抜け、その後をマリエラをひょいと担いだジークが続く。
「まっ、待って、オデ……」
慌てて立ち上がったフセグンの眼に映ったのは、ゆっくりと降りていく扉と、扉を支えるのをやめたヴォイドの、フセグンなど見えていないかのような虚のような眼差しだった。
――案内役が一人減っても問題ない。この扉が開かなくたって、1時間待つか遠回りすればいいだけだ。
ヴォイドがそう言っているように思えてフセグンはひどく慌てる。ジークたちも、夢幻の一撃のメンバーもフセグンを待ってはくれないだろう。攻撃力が低く臆病なフセグンにとって、それは絶対に避けたいシチュエーションだった。
「待っで、置いてかんでくでぇ……」
懇願の声を上げて起き上がり、必死で走るフセグン。けれど重い鎧と生来の鈍足ゆえに、出口にはまだ届かないのに扉が降りきってしまいそうだ。
「あ゛―――!!」
もう駄目だと思ったその時、泣きそうになりながら扉へと伸ばしたフセグンの手を、何者かが掴んで引っ張った。
閉まりかけていた扉を再び持ち上げ片手で扉を支えた男が、もう片方の手をフセグンに差し伸べてくれたのだ。
「あ゛っ、あ゛っ、あ゛じがど……」
一体誰が自分のために扉を支え、手を差し伸べてくれたのだろうか。リーダーのリョウ=ダーンか、ミッテクールだろうか。感謝の気持ちを胸に仰ぎ見た相手は何と。
「ジ、ジーク……!?」
「つ……。結構痛いな、この扉。うちのナンナがすまなかったな」
どうしてジークが。横暴で偉そうで、さっさと行けと味方の背を足蹴にするようなやつだったのに。
驚愕のあまりその場に固まってしまったフセグンにできたのは、さっとジークから視線をそらしてこれまで幾度となく自分に言い聞かせてきた言葉をブツブツと口ごもることだけだった。
「ジークはひどいやつだ。守る価値のないやつなんだ。だから、だから……」
だから、なんだというのだろうか。何年も前の出来事を一体いつまで引きずるつもりか。
背中に付いた靴跡なんて、とっくの昔に消えているのに――。
フセグンの頭上にサッと影が横切った。
「ヒッ」
翼竜の翼の影が通り過ぎた気がして肩をすくめるフセグン。しかし、翼竜かと思った影は、フセグンを見捨てて扉を下したヴォイドだった。
「だから? だから、見捨てて逃げても構わないのかな? その大盾は君だけではなくパーティー全員を護る物のはずなのに」
その暗い瞳は心の闇を見透かすようだ。
(あ……あの時、オデが、ワイバーンから逃げなかったら……)
あの日、ワイバーンを前にしてフセグンがほんの数秒だけでも持ちこたえることができたなら、ジークムントは精霊眼を失わず、人生を狂わすこともなかったかもしれない。
その自責の念から逃れるために、自分を正当化するために、フセグンはジークが悪いと言い聞かせていたに過ぎない。
しかし選ばなかった選択肢、“もしも”を叶える手段などない。今足元を支えているのは、積み重ねてきた現実と、成せなかった事実なのだ。
フセグンの足元に落ちる影がヴォイドのものだと分かっても、フセグンはその影から逃れるようにヴォイドが歩み去るのを大きな盾に隠れてやり過ごすしかなかった。
■□■
公平の二律背反を抜けた先、アルアラージュ迷宮30階層に入ってすぐの草原は、魔物の出ないセーフティーゾーンになっていた。
アルアラージュ迷宮30階層は自然豊かな階層で、この迷宮随一の採取スポットとなっている。
この階層はとても広くて、入口付近は木々もまばらで小川の流れる森林だ。ろくな薬草もない代わりに魔物も出ない安全地帯だが、奥に行くほど木々や湿地が増えていき、それに伴い薬草も多く見つかるが魔物も多く出るようになる。
「予定より早いペースで進んでいる。ここで予定の時刻まで休憩にしたい。我々は案内役。護衛ではないから出発の刻限までは別行動で構わんな?」
「あぁ、構わないよ」
もとよりここで休憩の予定だったが、『夢幻の一撃』のリーダー、リョウ=ダーンはヴォイドに一方的に別行動を告げると、仲間たちとともに離れた場所に腰を下ろした。
見ればミッテクールが小さな鍋と加熱の魔導具を取り出して固形スープを湯で溶かし、干し肉とこの辺りで採れた草を刻んで自分たちの分だけ昼食を作る様子だ。
「お昼ごはん楽しみだねー」
『夢幻の一撃』との距離感は今更だ。努めて明るく振舞って食料袋を開けたマリエラだったが。
「えっ、お昼ごはんって、コレ……?」
「うなんなぁー」
思わず漏れた落胆の声に何か不都合でもあったのかとジークが袋を確認すると、中に入っていたのは冒険者御用達の保存食、カチカチの硬パンと塩の塊のような干し肉、動物のフンにも見える固形スープだった。腐らないよう乾燥させているから軽くて持ち運びしやすいが、量は少なく味はひどくて、お腹も心も満たされない、まさに栄養補給と言った感じの食料だ。
他にもチーズやドライフルーツも入っていてましな部類にはいるから、文句を言うわけにもいかないが、保存食に慣れないマリエラからしてみればがっかりする見た目には違いない。何より、こちらの食料袋には使い捨ての器はあるが鍋はなく、加熱の魔導具も入っていない。湯が沸かせないのなら干し肉や硬パンを浸して柔らかくすることもできないではないか。
(こういう地味な嫌がらせはミッテクールだな……)
離れた場所で料理をするミッテクールを遠目に見ながら、ジークはマリエラたちに対して申し訳ない気分になる。クレームが来ないギリギリを攻めたり、相手のちょっとしたミスを誇張して自分の評価を稼ぐきらいがミッテクールにはあったのだ。
今回はわざわざ別行動を取っているから、「お前らに食わすメシはない」と言うことだろう。リョウ=ダーンを始め『夢幻の一撃』の面々はこちらをちらちら意識しているから、それなりの昼食をとる様子を見せつけようとしているのかもしれない。
(嫌がらせは俺だけにしてほしいな)
食料を見てがっかりしていたマリエラを思い出し、ジークの気持ちは沈み込む。今だって、マリエラがミッテクールが作る鍋の方を見ているではないか。お腹を空かせて指でも咥え始めたら、可哀そうで見ていられない。帝都でちょっと食べ過ぎていたから、ちょうどいいとかそういう話ではないのだ。
アルアラージュ迷宮最大の危機が来てしまったぞ、と思い始めたジークであったが。
「なるほど」
「え?」
ミッテクール達をガン見していたマリエラは「分かったぞ」とでも言いたげな顔をしているではないか。
これは、いつものやらかし顔だ。こういう時のマリエラは自分一人が分かっちゃってる状態で、周囲が「よく分かんないんですけど」みたいなことを平気でやらかしたりするのだ。
「マリエラ、向こうからあまり見えないようにな」
何をするつもりかは不明だが、とりあえず釘をさすジーク。
「うん、任せて! じゃじゃーん。ロバートさん特製30階層攻略マップー」
ぱぱらぱーん! とばかりにマリエラが鞄から取り出したのは、ロバートがわざわざ調べて持たせてくれたアルアラージュ迷宮30階層で採れる素材とおおよその位置を記した地図だった。
マリエラたちの目的でもある『ケルピーの波紋花』はここ30階層の端で採れるのだが、そこまでの地図に加えてこの階層で採れる素材がかなり詳細に書き込まれている。
なんだなんだと集まってきた『炎の遣い』の一同に、欲しい素材と採れる場所を割り振ると、マリエラはマントで隠すように《錬成空間》を展開し干し肉と硬パンのカチコチコンビを取り出す。
「硬パンは蒸気にした《命の雫》でフンワリと、干し肉は切ってから塩抜きしたほうがいいよね……。うわ切れない、石みたい」
「マリエラ、手伝う」
「ありがとジーク。干し肉切ってくれる?」
ジークが切ってくれた干し肉を《錬成空間》に放り込み、流水を使って短時間で塩抜きをする。その後は《命の雫》を込めた水で少し加圧しながら戻せばスープも取れて一石二鳥。そうこうする間に、ヴォイドにエドガン、ナンナの3人が食材を見つけて戻ってきた。高ランク冒険者と半野生動物だ。短い間だというのに食べられる素材を大量に抱えている。
「パンは切るかい?」
「はい。薄めに切って、削ったチーズと干し肉、ドライフルーツを載せようかと」
「それならハチミツかけようぜ! ちょうど見っけてきたんだ」
「ナンナがみつけたんな」
「ナンナお手柄!」
「この辺の薬草は一口サイズに切ればいいのか?」
「うん、これとこれはね、干し肉の塩抜きをした水で下茹ですれば苦みがとれて美味しいの」
「この茸も入れるといい。いったん乾燥させた方がうまみが増すんだがね」
「わぁさすがはヴォイドさん! んじゃ《乾燥》からのー」
「ナンナ、果物取ってきたんなー」
「これは冷やしてジュースがよくないか?」
「《粉砕、抽出》、はい、ジュース。氷欲しいね」
「パンを軽く炙りたいんだが」
「んじゃ、火と氷はオレが。《炎と氷で、宿れ、双属性剣》っと」
「こっちの果実と木の実は?」
「その果実、油がとれるの。で野菜とかとグリルしようかと」
和気あいあい。まるでピクニックにでも来たようだ。
迷宮の中とは思えない具沢山スープが出来上がる頃には、干し肉とドライフルーツの載ったトロトロチーズのオープンサンドが2種に色鮮やかなグリル野菜、冷えっ冷えの果実ジュースが出来上がっていた。
「おいしーっ」
「うなんな~」
野菜多めにも関わらず、マリエラどころか駄ネコも大満足の出来栄えに『炎の遣い』の結束はますます高まったように思える。
この結果に不満なのは『夢幻の一撃』の面々だろう。
「オイオイオイ、どうなってんだよ。あの上げ膳据え膳坊ちゃんがよ」
「う、うまそう、だな……」
「いやあああ! ジークが料理してるぅー」
ミッテクール、フセグンにイヤシスの3人が小さな悲鳴を上げたのは、ろくな道具もないというのにあの携帯食をあっという間に料理に変えたマリエラの錬金術クッキングよりも、ジークが積極的に料理を手伝っていたことだった。
昔は料理をするどころか、自分の分を器によそう事すらしなかったのに……。
ジークのあまりの変貌ぶりに、なんであんな料理が出来ちゃってるのかに誰も注目していない。
“男子、三日会わざれば刮目して見よ”というけれど、まるで別人ではないか。
ジークに夢中な3人に対して、リョウ=ダーンが漏らした一言だけは、ジークに向けてのものではなかった。
「ちっ、……役立たずが」
「あ゛?」
役立たず。そうののしられたミッテクールが言葉の主を睨みつけるも、リョウ=ダーンは素知らぬ顔で塩辛いスープでふやかした硬パンを口に運んだあと、再び口を開いた。
「不仲になれば隙が生まれる。その隙をついて、という話だったろうが」
「うるせーよ」
「ちょ、ちょっとやめてよ二人とも」
イヤシスの仲裁に一旦は口を閉ざすリョウ=ダーンとミッテクール。向けるべき矛先が互いでないことくらい二人とも理解している。
もう、アルアラージュ迷宮の30階層まで来てしまったのだ。
――これは困ったことになった。
そう思ったのは誰であったか。
内緒の告白の罠にわざと印を付けなかったフセグンか、公平の二律背反を最も多く通るルートをわざと選んだミッテクールか。それとも、それらすべてを知っているはずの、リーダーのリョウ=ダーンか。
ジークがマリエラに尽くすたびに、嫉妬のこもった視線を向けるイヤシスもまた、そう思ったに違いあるまい。
夢幻の一撃の4人は、誰とはなしに視線を交え、小さく頷き合った。
彼らの目的を果たすためには、行くしかあるまい。
向かう先は31階層、『愛欲の複製品』と呼ばれるモンスタールームだ。




