16.真夜中のハンプティダンプティー
前回までのあらすじ:エドガン、運命の人に出会う。
「はぁ、どこにいったの。マイエンジェル……」
「これは一体どういうことかな。たしかエドガンは冒険者ギルドの受付嬢とデートしたんじゃなかったかい?」
ヴォイドが義実家のシール家で夕食を済ませて宿舎に戻ると、部屋はどんよりとした空気に包まれていた。
「ふむ、エドガンはデートの帰りに偶然出くわした別の女性に一目惚れをし、心ここに在らずというわけか。……エドガン、君は女性に刺されないように気を付けた方がいいかもしれないね。」
ジークの説明を聞いたヴォイドは、いつものことだと認識してくれたようだ。もっとも、ここまで重症なのは少なくともジークは知らないのだけれど。
「それでジークくんの方はどうしたのかな? 君も随分と浮かない顔をしているようだが」
「俺ですか……」
マリエラでさえ見逃したジークの変化に気付くとは、さすがはヴォイド。並々ならぬ観察眼だ。
「実は街でかつての仲間に偶然会いまして。思いのほか普通に会話ができたのですが……」
問われるままに話したのは、ジークも気持ちの整理を付けたかったからだろう。
「かつての仲間か。昔の女性ではなくて? 言い寄られでもしたのかな」
「そういう関係ではありませんでしたが。……そうですね、好意を示されたように思います」
久々に会ったイヤシスに媚びる様子があったことくらい、ジークは気が付いている。というか、あんなに露骨な奴だったろうかと少々驚いたくらいだ。それでも昔なら悪い気はしなかっただろうイヤシスの態度は、今のジークにはひどく白々しいものに感じられ、自分でも驚くほどに心が動くことはなかった。
ジークがモテ自覚発言をしたせいで、お散歩中のエドガンの心は無事帰宅したようだ。口を尖らせてかみついてきた。
「なんだよジーク、俺はマイエンジェルがどこの誰かも分からずに悩んでいるって言うのに、お前だけモテ期かよ。マリエラちゃんに言いつけちゃうぞ」
「エドガンのエンジェルとやらは意外と近くにいると思うが……。違うんだ、そういうんじゃないんだよ。今更チヤホヤされたくらいで動く心はもっちゃいない。俺が引っかかってるのは、……あいつらは知っていたんだよ。俺が迷宮都市に行ったことも奴隷に堕ちてしまったことも」
「ジーク……。急にブッ込んできたな」
自業自得だと納得できていたはずだ。嫌われていた自覚だってあったのだ。
だとしても。
迷宮都市に送られた奴隷が生きて帰ることはない。それは当時のジークでさえ知っていた常識だ。かつての仲間たちだって、迷宮都市送りがどういうことか分かっていたはずだ。一時は仲間と呼び合い共に戦った者がそんな状態にあることを、イヤシス達は知っていた。知っていて、それで助けてはくれなかったのだという事実を、ジークはイヤシスに会うことで認識してしまった。
「過去の自分が蒔いた種、辿り着いた結末で、あいつらが悪いわけじゃない。そう理解してはいても、何とも言えない気持ちになってしまった、ただそれだけなんだ。
……ヴォイドさん、エドガン、聞いてくれてありがとう。気持ちの整理が付けられそうだ」
ジークは深く息を吐くと、顔を上げて笑って見せた。
「気にするなと言っても無理かもしれないが、想像力に欠ける人間というものは多いものだ。だからこそ他人ごととして切り捨てて、ひどく残酷になってしまえる。だがね、手を差し伸べてくれる人はいたんだ。君にも僕にも。掴んだその手を離さずに、守り抜くことを考えればいいんじゃないか。大切なものを本当に大切にするということはひどく難しいことだと思うよ。余計なことなど考えている余裕もないほどにね」
荒涼とした時間の果てにエルメラと出会い、穏やかな日常を手に入れたヴォイドの言葉がジークの心に染み入るようだ。大切な者ならすでにあり、まさに昨日、イリデッセンス・アカデミーでその手を放しそうになったばかりではないか。今のジークには過ぎた過去の幻影に煩わされる暇はない。帝都は敵地と心得て、迷宮の深淵よりも油断なくマリエラを護らなければ。
ジークはヴォイドの言葉に深くうなずく。
「……ジークもヴォイドさんも羨ましいぜ。ハァ、俺のエンジェルちゃん」
エドガンが何やらぼやいていたけれど、そこはサクっとスルーしておく。
エドガンの出会ったエンジェルとやらは、変身薬の生み出した幻影だ。
エドガンが自分で気付かないようならば、意味などないと思ったジークは黙っておくことにした。
■□■
「査察団だとぉ。そんなものを寄越すとは、我がゼントン家を疑っているも同義じゃないか!」
赤ら顔をさらに真っ赤に紅潮させて、ゼントン伯爵は声を荒げた。
「はい、そのようでして」
ゼントン伯爵の大声に、小柄な家令は小さな体をいっそう縮こませて答える。
ゼントン家を疑っているも何も、一年も前に受けた命令に着手もせず放置しているのはゼントンだ。
帝国の南の端に位置するゼントン伯爵領は、バハラート迷宮から取れる香辛料を除けば特に特産品もない、元はひどく貧しい領地だった。面積こそ広くても、その大半は枯れてひび割れた不毛の大地だ。元々は小さな湖にへばりつくようにして人々が暮らしていた、国とも呼べない小さな集落だったのだ。
細々と家畜を飼い、帝国と取引をしながら生きながらえていた領地に、転機が訪れたのは今から三代前の話だ。領地と帝国の境あたりに迷宮が見つかったのだ。
不幸なことに迷宮の入り口はゼントン伯爵の領地内にあり、当時の彼らの力だけではとても討伐は叶わなかった。けれど幸いだったことに、その迷宮からは様々な香辛料が豊富に得られた。
帝国に助けを求めた彼らの声は迷宮まるごと受け入れられ、香辛料やカカオ、コーヒー豆を産出する管理型の迷宮として長らく恩恵を受けられたことは、ゼントン伯爵と領民にとって紛れもない幸運であっただろう。
今までの貧しい暮らしは一転し、ひっきりなしに冒険者たちがやってきては魔物を倒し価値ある素材を採取していく。その収益の一部が、領地に自動で転がり込んでくるのだ。今の領主を務めるゼントン伯爵は、生まれた頃から寝ているだけで金の入ってくる生活で、この迷宮が管理型から外される日は来ると想像もしていなかった。
管理型迷宮を持つ領地はたいそう潤うが、同時に管理を外された時に備えて計画を立て、対策を取ることが義務付けられている。だというのにその義務すら怠って、富は浪費されていた。
(疑っているも何も、この一年間一回だって討伐隊を派遣してないじゃないか。この状況を分かった上での査察団だろうに)
そのような心の内をこの家令は口にはしない。一言でも漏らしたら、ゼントン伯爵が赤い顔をさらに真っ赤にして怒鳴り散らすのが目に見えているからだ。
「まぁよいわ。現状の調査ぐらいしておるのだろう? 調査報告書を準備しておけ!」
「それが、調査は一年前から進んでおりませんで」
「何をやっている!!」
ヤカンならピューと蒸気が吹き出しただろう勢いでゼントンが怒鳴る。
「どうして調査をしとらんのだ! お前の仕事だろう。どう責任を取るつもりだ。査察団に指摘をされたら、お前の管理不行き届きだ! お前の責任なんだからな!!」
「はい。では大急ぎで冒険者を雇い調査させます」
責任、責任と喚き散らすゼントンに、家令はまたかと心の中でため息をつく。
せめて調査ぐらいはと何度も上申したはずだ。それを「いらぬ、余計な金を使うな」の一点張りで却下してきたのはゼントンではないか。どうやら、自分の都合の悪いことは記憶が改ざんされるらしい。そして都合の悪いことは、すべて周りのせいなのだ。
こんな男だから、部下がみんなついていけずに短期間で辞めてゆく。家令などという役職は家に一族ごと仕えるもので、そうそう変わることなどないのだが、ゼントン伯爵家に関しては数年おきに変わってしまう。この家令も、仕えてまだ数年しか経っていない。
問題の多いゼントン伯爵領に赴任してきたこの家令は、飛び切り優秀というわけではないが無能ではなく、何よりも非常に我慢強い男だった。そして当然のことながら、帝都からの紐つきで、バハラート迷宮の現状を帝都に伝えているのはこの男なのだが、ゼントン伯爵はそのことにも気がついていないようだ。
(最悪の状況だけは避けなければ……。内々に調べさせた情報によると、迷宮は成長を始めてしまっている。我々の手に負えなくなる前に討伐しなければ、いずれ魔物が溢れ出し、領地の民は甚大な被害を受けてしまう)
欲に目がくらみ迷宮を甘く見ていたゼントン伯爵のせいで、バハラート迷宮は成長し、既に手に負えない状態になりつつあった。
ゼントン伯爵領の領民にとって幸いであったのは、この真っ当な男が家令を務めていたことだろう。しかしそれ以上に不幸であったのは、領主であるゼントンがどうしようもない愚か者であったことだ。
(調査団という初歩の初歩ではあるけれど、ようやく討伐の足がかりがつかめた。魔物の氾濫だけは起こさせるわけにはいかない、急ぎ冒険者の手配をしなければ)
部屋を出て行こうとする家令の耳に、イライラと部屋を動き回るゼントンのつぶやきが届いた。
「緋色の宝珠さえあれば……」
緋色の宝珠。
皇帝より管理型迷宮に与えられる、迷宮の成長を止め管理を可能にせしめる宝玉だ。
この秘宝のおかげで、人々を食らわんとする迷宮は無限に資源が得られる鉱山へと変貌する。しかし緋色の宝珠は希少な物で、管理型から外されたバハラート迷宮へは与えられない。緋色の宝珠がなければ迷宮の管理ができないことは、さすがのゼントンも理解しているのだろう。
(ゼントン伯爵が、迷宮の危険を理解して討伐を決意してくだされば……)
家令のそんな願いはゼントンの一言で打ち砕かれることとなる。
「新しい緋色の宝珠はアルアラージュ迷宮に運ばれると聞いたぞ」
この男は、一体何を言っているのだろうか。
家令の不安は、的中することになる。
「おい、調査のために冒険者を何組か雇うのだろう。その中で使えるやつを一組連れて来い」
「……何を依頼されるおつもりで?」
家令の質問にゼントン伯爵は、「そんなこともわからぬのか」と小馬鹿にするような調子で答えた。
「決まっておろう。アルアラージュ迷宮に行ってもらうのだ。いや、端からアルアラージュ迷宮に詳しい連中を雇った方が確実だな、早急に手配しろ」
緋色の宝珠がもたらされるアルアラージュ迷宮に冒険者を派遣して、一体何をさせるつもりなのか。
それは聞かずとも明白だった。




