14.閑話:執務室にて
前回までのあらすじ:ジークはかつての仲間と、マリエラはロキと出会う。
「こたびの『石』はどうであった」
「前回と変わりないとのことです。迷宮を一つなだめるのがやっとでしょう」
「そろそろ石が必要な迷宮は?」
「二つございます。アルアラージュとトゥユールですね」
さんさんと光の降り注ぐ皇帝の執務室。
しかしその雰囲気は、その光量とは一転して重苦しい。
それもいつものことだ。帝国は広大な国土と長い歴史を持つ国で、皇帝という絶対の権力者がいてもなお、利権は複雑で問題は尽きることが無い。
しかも今回は皇帝の権威にかかわる問題だから、皇帝ヨハン=シュトラウス・レッケンバウエル・15世の口から小さくため息がこぼれたのも致し方あるまい。
「また、迷宮を閉じねばならんな」
「はい。ちょうど迷宮都市の一件で迷宮討伐の機運が高まっておりますから、今回は前回ほどの抵抗はないかと」
「前回は、ゼントン伯爵の領土にあるバハラート迷宮であったか。討伐は順調に進んでおるのか?」
「そうであればよいのですが、迷宮都市を引き合いに言い訳ばかりを続ける始末」
「愚かな。高々10数階層の未だ管理の名残のある迷宮と、50階層を超える魔窟を比較にするとは。この1年で倒せぬ無能はこの帝国に必要ない。いや、まて。あそこも国境沿いの領地だったな。我が命に従い1年以内に迷宮を斃すか、この帝国から離脱し独立の道を選ぶかを選ばせてやれ」
「陛下、またそのようなお戯れを……」
どこに領土を減らしたがる皇帝がいるのかと執務官は言いたいのだろうが、彼は皇帝が半分本気であることを理解している。
帝国という名を聞けば、戦火で領土を広げてきたイメージを持つ者も多いが、この帝国に関しては、帝国史の中盤頃に友好国の併合や戦争による領土拡大路線を取った時期は確かにあったものの、それ以上に属国側からの要望で帝国の一領地に編纂するという過程を経た――平たく言えば、自分から帝国に入れてください、と言ってきた領地が多いのだ。
仮にも一国の王に王権を手放す決断をさせた理由としては、まず、中期以降の帝国においては各地域の文化を重視し、各領主に一定の自治権を与えたことと、何よりも帝国の一部となることで得られる恩恵が計り知れなかったことにある。
その最たるものが、“迷宮を管理しうる秘術”であり、もう一つが帝都にて秘蔵されていると噂される、世界のどこででも使用できるグランドポーションである。
グランドポーションの存在は、帝国が保有する強大な軍隊が地脈の縛りなくその能力を発揮できるのだと知らしめるのに十分で、敵国の侵略に対して十分な牽制となる。
そして迷宮を管理できるということは、迷宮のリスクを最低限に抑えながら貴重な資源を産出する宝物庫を得るに等しい。
もちろんどんな迷宮でも管理できるわけではない。迷宮都市のような、一国を滅ぼしてなおも成長を続けるような強い想いを持つ迷宮はとてもではないが制御等できないし、採れる資源の価値が低ければ管理対象には選ばれない。
それでも管理迷宮に選ばれれば、納める税以上に潤沢な利益が見込めるし、選ばれなくても迷宮討伐の援助を貰えるのだから利益は大きいというわけだ。
「今の帝国は広すぎる。領土拡大を是としてきた過去の皇帝には困ったものだ。始祖たるヨハンはただこの地だけを望んだというのに」
皇帝ヨハンは、この部屋に自分と腹心しかいないのをいいことにため息を吐いた。
「与えられる恩恵は有限で、しかも年々減少している。ゲニウスの恩恵なくば成り立たぬなら、相応の規模に縮小するのが身の程というものであろうに……」
皇帝らしからぬ本音を漏らすヨハン。普段は見せない本心を漏らす皇帝に、まだ幼い声がかけられた。
「迷宮を家畜のように飼いならす前提で、身の程なんてよく言うよ」
「ロキか。どこへ行っていた?」
「どこって? 僕が帝都以外のどこへ行けるっていうのさ」
ついさきほどまでは、この執務室にはヨハンと腹心の二人しかいなかったはずが、いつの間に入ってきたのかロキと呼ばれた少年が立っていた。
30代半ばの皇帝と10代前半の少年は、砕けた口の利き方も相まって親子のようにも思えるが、もちろん二人に血の繋がりはない。
皇帝が明るい栗色の髪で、少年が暗い栗色と、髪色の類似性があるのも全くの偶然だ。
皇帝の執務室に無断で立ち入り、横柄な口を利くこの少年を咎めるものは皇帝も含めて誰もいない。先ほどまでは皇帝の近くにいた執務官も、今は二人の会話を邪魔しないよう扉近くまで下がっている。
帝国のトップは皇帝だ。この少年の方が高い地位に就いているわけではないし、そもそも行政権を持ってはいない。
強いて言うならばこの少年は、帝都の大地、そのものだ。
それ故に、この少年を知る者は彼のことをこう呼ぶのだ。「ゲニウス・ロキ」と。
「それで、新しい石で一体どこの迷宮の機嫌を取ろうっていうのさ?」
「……アルアラージュだ」
「へぇ。それはちょうどいいね」
ロキの問いに皇帝ヨハンは重い口を開く。隠したとしてどうせすぐに知られることだ。ならば、ロキが何を画策しているか聞いた方が得策だろう。
「迷宮都市の錬金術師を呼び寄せたことといい、一体何を企んでいる?」
「僕がすることなんて、ヨハンの望みを叶えることに決まってるじゃないか」
「方法を聞いているのだがね」
「言えないよ。だって、この国には邪魔をする者がたくさんいるから。本当に面倒くさいよね、人間て」
「だが、我が臣民だ」
「本当にそう思ってる? この広い帝国の端から端まで全員を? 形代なんてものを付けなきゃ、まっとうでいることもできないのに?」
執務机に腰かけたロキが、ヨハンの顔を覗き込む。瞬き一つしないその目は真っ暗だ。
(このような目を、詩人どもは底なしの穴のようだと表すのだろうな)
心の奥底をのぞき込むようなロキの視線を見返しながら、ヨハンはそのようなことを考える。ロキとの付き合いは長いのだ。心のありようを量ることはできても、思考までは読めないことをヨハンは承知している。
(だがこの底のない暗闇は、まるでこの帝都の闇のように思える……)
なぜならば、この少年は『ゲニウス・ロキ』。
――この地の精神ともいえる存在なのだから。
「いたずらに我が民を傷つけてくれるなよ」
「もちろんさ! それが本当にヨハンにとっての民ならね」
年相応の屈託のない笑顔を見せるロキ。けれどその表情は作りもので、瞳は闇をたたえている。
「余はお前に心からそのような表情を浮かべて欲しいと願っておるよ」
ヨハンはこの地の精神ともいえるロキに、帝国の現状を、民の姿を幻視する。ヨハンはこの地に住まう帝国の民全員に、心から笑って欲しいと願っているのだ。そしてその中には、ヨハン自身にも意外なことだが、ロキすらも含まれている。
皇帝ヨハンのその呟きに、ロキは珍しく困ったような顔を見せると、「強欲だなぁ」と答えた。
■□■
その数日後、帝国評議会よりトゥユール迷宮に“管理型迷宮の指定を外す”旨の通達が下された。同時に迷宮討伐の進行が芳しからぬバハラート迷宮に、査察団を派遣するとの通達がなされる。
“管理型迷宮の指定を外す”という通達は、迷宮討伐命令と根本的には同義で、自領の産業の衰退が余儀なくされるということだ。
関連する産業に携わっていた民たちが路頭に迷い、餓えることもあるだろう。領主として唯々諾々と従えるものではない。
けれど、ここは帝国で、帝国評議会の決定は絶対だ。
そしてこの命令は、迷宮討伐しろと言われたのではなく、管理に必要なある物の提供を取りやめるというものなのだ。領主にとれる方策は迷宮を討伐するか、自力で迷宮を管理するか。迷宮を管理するなどという芸当がただの人間には不可能であることなど、まともに頭の働く者なら誰だって分かることだ。
そんなことも分からない愚かな領主は、ぐずぐずと迷宮討伐を先送りにして状況を悪化させるだろう。だから当然、討伐の進まない迷宮に対しては、魔物の氾濫の危険が無いか、討伐進捗の報告が求められるし、場合によっては査察団も派遣される。これがバハラート迷宮を有するゼントン伯爵領への通達だ。
もし、討伐どころか迷宮の成長が著しいと判断されれば、領主であるゼントン伯爵はその責を問われ、領地を没収の上、爵位を剥奪されることだろう。
だがしかし、金の卵を産む鶏を殺せと言われて、大人しく従う者がいるのだろうか。
実際は金の卵を産む鶏などは幻想で、鶏でなく人など容易に食い殺すコカトリスであると気付くことができようか。
与えられた超常の奇跡によって長らく容易に迷宮を管理してきた領主たちが、どのように判断するかは、間もなく知れることだろう。
【帝都日誌】帝国ではね、ある『石』を使って迷宮を手懐けているんだ。どんな石かって? さぁて、どんな石なんだろうね。byロキ
ちょっぴりダークな異世界転生ストーリー、『俺の箱』を改定&更新中!
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