10.獣人人化の変身薬
前回までのあらすじ:獣人が珍しいなら人間に変身すればいいじゃない。
「ポーション作るって言っても時騙しの花蜜とオーロラの氷果、あとクラーケンの粘液は薬晶にしちゃってるから簡単なんですけどね。《錬成空間、命の雫》――、あー、すっごく溜まりが悪いや。溜まるまでの間にお茶でもどうですか」
「……相変わらずデタラメな錬成ですね。それに新しいポーションを作り出そうというのに工房でもないこんな会議室とは。装置や手法にこだわるイリデッセンスの石頭どもに見せてやりたいものです」
会議室の空中に人頭大の《錬成空間》を10個も浮かせて同時に《命の雫》を溜めながら、お茶を飲み始めるマリエラにロバートは苦笑する。新しいポーションを生み出す場所が、工房ではなく借りた会議室と言う時点で、錬金術を特別視するイリデッセンス学派からすれば冒涜的な行為らしい。
「私、イリなんとかじゃないですし」
じわりじわりと水位の上がっていく《錬成空間》を確認しながら、マリエラがお茶うけのクッキーをぱくりとかじる。
フレイジージャが教えてくれた錬金術は、持たざる者――平たく言えば貧乏庶民の味方だとマリエラは思っている。お高く御大層な装置なんてなくても《錬成空間》でポーション作成どころか料理や洗濯だってこなせてしまうのだ。迷宮の深くに潜る未来を見越してか、それとも単に貧乏なだけだったのかは分からないが、錬金術スキルを使い倒す教育を施してくれたおかげで、貧しい割に生活の質は高かったように思う。
「師匠流……炎災流かな、炎災流の錬金術は庶民の味方なんですよ。あ、《命の雫》溜まった。まずはケンタウロスの鬣からいこうかな。これはジェムストーン貝の上で燃やした灰を紫糸藻の乾燥粉末と一緒に溶かすのか。むー、ジェムストーン貝、持ってないや。なんで貝の上で燃やすんですかね?」
「ジェムストーン貝なら浄化の目的でしょう」
「なるほど。だったら《サラマンダー、来たれー》。これ、燃やしてくれる?」
「キャウ」
「わ、ちょっと臭いや、ナンナが出ていくわけだね。でも、イケたっぽい。えぇと、紫糸藻の乾燥粉末と混ぜる割合は……こんなもんかな。《錬成空間》に入れてー、混ぜ混ぜー。《残渣分離》からのー……」
《命の雫》の溜まりの遅さをあらかじめ複数の《錬成空間》に貯めることでフォローしながら、同時進行でテキパキと錬成を行うマリエラ。ロバートはその様子を助言しながら興味深く観察する。
どうやら制限を受けるのは《命の雫》を汲み上げる速度と量だけで、他の錬金術スキルは帝都でも変わらず使えるらしい。問題の《命の雫》も、マリエラの場合は複数の《錬成空間》に汲み上げながら別の作業をするマルチタスクが可能だから、迷宮討伐軍全員分なんて量を作るのでなければ問題はない。本人はやりづらそうにしているが、マリエラの錬金術師としての腕前は帝都も含めロバートの知る誰よりも高い。
もっともイリデッセンス・アカデミーに在籍し、贄の一族と交流のあるロバートでも重鎮たちが錬成するところを見たことはないから、この帝都にマリエラを越える錬金術師がいないとも限らないのだが。
「……あとは《命の雫》入りの水に溶かして、分離、濃縮っと。うん、抽出はこれでいいね。ケンタウロスの鬣ってこんな感じかー。後は薬晶化できるかな、溜めといた《命の雫》を使ってー、《薬晶化》。うん、できたできた。深緑色になるのか、キレイー」
薬晶化とは素材の薬効成分を結晶として直接取り出す技術である。
ポーションの錬成工程は、それぞれの素材から薬効成分を抽出するのに煩雑な手間と長い時間がかかるのだが、それをたったひと手間で済ませてしまえる非常識な技だ。
錬金術の素材はかさばるし、適切な温度や湿度で管理しないと変質してしまう管理の難しい物も多いが、薬晶にしてしまえばポーション1本分の素材が砂粒ほどの欠片に変わる。非常にコンパクトで持ち運びに便利だし、劣化の速度も大きく下がる。ポーションを作る工程も簡略化され、場所を選ばず短時間で作ってしまえる。それこそ、戦闘の行われる迷宮の中でも錬成が可能になるのだ。
(秘儀や奥義に当たるものだと思うのですが、未だに“キレイー”などとのんきなことを言っているのですか。こんな技を身につけなければ、迷宮の最奥などという危険な場所に行かずに済んだかもしれないというのに……)
薬晶化という技術は、ポーションは工房で時間をかけて錬成するものというパラダイムをシフトするものだ。その素材の何たるかを理解しないと薬晶化できないし、作った錬金術師以外は使えないという制限はあるものの、緊急時における錬金術師の有用性を根底から覆すものなのだ。
だからシューゼンワルド辺境伯家はその存在を隠蔽するよう厳命しているし、マリエラやフレイジージャに対してはやんわりとしか伝えていないが、迷宮都市の錬金術学校の職員には習得に努めるようにとお達しが出ている。もっともマリエラの「素材のありように寄り添うんですよ」という意味不明の説明に皆首をかしげるばかりらしいが。
「次はケルピーの波紋花にしよっと。これはメルカン油に溶かすのか。メルカン油は保湿剤の材料だからあるんだよね。加熱してシャバシャバにしたところに《命の雫》を溶かして……。あとナニコレ、ミリフィカ・スネイル? これは違う気がするんだけど、面白そうだから使っちゃお」
「本当にとんでもないですね。……そうは思わないかな?」
薬晶化の重要性も、自身の錬金術の特異さもまるで気付いていない様子で、ちゃっちゃかと錬成を進めていくマリエラを横目に、ロバートがジークに話しかける。先ほどから黙って扉の近くに佇んでいるジークが所在なげに見えて、ロバートなりに気を使ったのかもしれない。
「俺には錬金術は分かりませんから」
しかしジークはそう短く答えると、再び黙り込んでしまう。護衛というのはそういうものかもしれないが、この2人は恋人同士ではなかったか。
(腕の立つ冒険者と錬金術師ですか。この組み合わせで本当にうまくいくのでしょうか)
人の心配をするより先に自分の心配をした方がいいのだが、ロバートが余計な心配をしているうちに複数のポーションが完成したらしい。
「できたー! でも、いきなりナンナに使うわけにはいかないよね」
「それならテディラットで試したらいいでしょう。あれなら大抵の屋敷で飼っています」
「テディラット?」
テディラットは帝都で残飯処理に飼われている大型のネズミだ。帝都にもスライムを使った残飯、汚物処理はあるのだが、人口が多く、さらには廃棄される食材も多いからスライムだけでは増えすぎてしまう。そこでスライムの前にテディラットに残飯処理をさせるわけだ。
油まみれだろうが塩分が多かろうが、なんでも食べる悪食ながら、臭いが少なく鳴きもせず、小型犬程度と飼いやすいサイズ感で帝都のあちこちで飼われている。ちなみに大量に食べる食事はすべて毛皮に変わるらしく、毛とは思えない剛毛は掃除用のスポンジ代わりに重宝されている。
早速、屋敷で飼っているテディラットを借りて新作ポーションを試したところ、ケルピーの波紋花が正解らしく、昼食の前には『人間の変身薬』は完成してしまった。これで明日はナンナも連れて帝都観光に行けるだろう。
ちなみにケンタウロスの鬣を使ったポーションは体毛がすべて顔面も含めた頭部に集まって毛玉ボールから体が生えているようになってしまった。柄付きブラシみたいで面白いなと笑っていたらテディラットが窒息しかけて大慌てで毛刈りした。ミリフィカ・スネイルに至っては毛並みが良くなりタワシのような剛毛がつやさらになる程度の変化しかなかった。やっぱりポーションの仕組みはよくわからない。
「ロバートさんの読みが見事に当たりましたねぇ。これ、ロバートさんの名前で《ライブラリ》に登録しときますね」
「はっ!? な……。わた、私は錬金術師どころか錬金術スキルを持っていないのですよ」
「うーん、でもこういうのって発案者の名前を載せるものだと思うので。あ、もちろん匿名でも大丈夫なんですが。匿名にします?」
「……ぃゃ…………」
「あ、やっぱり名前が出るのって嫌ですよね、マイナーポーションだし」
「誰が嫌なものですか! “いや、構わない”と言ったのです!」
それまで鷹揚に構えていたロバートがいきなりぷるぷるし始めた。目がいつもより開いているし顔もちょっぴり赤いから、怒っているのではなかろうか。
錬金術史に残るようなスッゴイポーションならいざ知らず、『獣人人化の変身薬』みたいなマイナーポーションの発明者として名を残すのが嫌なのかと思ったら、そうではないらしいのだが。
「この2本の失敗作も効果の検証が必要でしょう。預かります」
そう言って、失敗作2種を持ってさっさと部屋を出ていくロバート。
「あの、素材のお代……」
「そんなもの、受け取れるはずないでしょう!」
やっぱり怒っているんじゃないか。
つんけんしてても親切なロバートに甘えすぎて何か失礼でもしてしまっただろうかと、少し心配になったマリエラだったが、後日、アグウィナス家の爺やこと家令の方から極めて丁寧なお礼の手紙つきで、錬金素材の詰め合わせを頂いた。
『貴族言語』とでもいうべき、とっても長くて持って回った言い回しのお手紙だったが、要約すると、「新しいポーションの誕生に立ち会えただけでなく、その発案者として名を残せたことは、錬金術師の家系に生まれながら錬金術師のスキルを持たないロバート様にとって、望外の喜びでございました」ということらしい。
怒らせたのかと心配したら、あれは嬉んでいたらしい。
ロバートが怒っていなくて安心したが、彼が持ち帰り、人間で効果を検証した2種のポーションは安心できない結果になった。
テディラットの頭部に毛を集め、毛玉ブラシみたいに変えたポーションは、毛生え薬になるのではという期待通りに見事頭髪をふさふさにしたのだが、効果時間が過ぎるともとより毛が減るという悪魔のような結果をもたらした。
一時の幸福と引き換えに、少しずつ毛髪を失う悲劇の薬。こんなものが出回ったら大変だから、当然レシピは抹消だ。
そして、ミリフィカ・スネイルを使った、テディラットの毛をつやさらにした変身薬については、ロバートが検証を重ねた結果思いもよらない結果が得られ、後の世に残ることとなったのだから、マイナーポーションというのは奥が深い物である。
【帝都日誌】我がアグウィナス家の栄光をライブラリに記せるとは。このロバート、感無量です。byロバート
ミリフィカ・スネイルを使った変身薬の詳細は、次週、『輪環の短編集』に掲載です! ロバートやジークがキレイ可愛く、おさるはボインボ……。マテ来週!
↓ 『輪環の短編集』はコチラ
https://book1.adouzi.eu.org/n9801gu/
長らく放置していた『俺の箱』を改訂しました! 全部削除し、ほぼ全面書き直しています。
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