05.辺境伯邸にて
前回までのあらすじ:マリエラの帝都デビューは、「始まりの錬金術師」が呼び出された結果だった。
帝都におけるマリエラ達の宿泊先は、シューゼンワルド辺境伯の帝都の屋敷だ。
マリエラとしては黒鉄輸送隊が定宿にしている宿屋でもよかったのだが、警備の問題から皇帝陛下謁見の関係者一同は全員ここに宿泊することとなっていた。木を隠すなら林というやつなのだろう。
とはいえ林に例えるならマリエラ達は雑木林で、美しく手入れされた庭木が集うようなこの屋敷は少々どころかかなり落ち着かない。
流石は領地も権限も大きい辺境伯というべきか、帝都の屋敷は城かと見紛うほどに広大で立派なものだった。迷宮都市にあった邸宅もものすごく立派だと思っていたのだがこちらはその比ではない。
ちなみにマリエラは立ち寄っていないから知らないことだが、領地にある住居は文字通りのお城だ。今はキャロラインが滞在し、ちょうどいいからとウェイスハルトの母やレオンハルトの妻から社交やらなにやらマリエラにはよくわからない教育を受けている。キャロラインも古い家系の貴族ではあるが、錬金術師の一族と領主の一族とでは、いろいろと勝手が異なるようだ。
(辺境伯ってすっごい偉いんだ……)
帝都邸が領地の城に比べれば小さいとはいえ、マリエラは森の小屋育ちの庶民である。
屋敷を前にしたマリエラが、驚きのあまり口をぽかんと開けて固まってしまったのも無理はない。
本当にひらひらのドレスを着た貴族がたくさん集まって、舞踏会を開いていそうなお屋敷なのだ。帝都に建てられた貴族の屋敷というものは権勢を誇るために贅を尽くすものだから、マリエラのリアクションはむしろ大成功と言っていい。
しかし、マリエラがふっかふかのソファーに居心地が悪そうに座っているのは、この邸宅の豪華さ云々よりも、その向かいに座る人物のせいである。
「長旅ご苦労だったと言いたいところだが……。早速やらかしてくれたようだな」
苦笑いを見せるウェイスハルトはまだいいのだが、問題は隣に憮然とした表情で座る人物だ。
「あれは一体どういうことだ!!!」
ウェイスハルトの前だというのにこの剣幕は、数時間前マリエラを助けてくれたロバートである。帝都の行政区画でマリエラを助けてくれた後、残りの予定をすべてキャンセルして、ここへやってきたらしい。
「あれというのは……」
「《命の雫》だ! ここは帝都だぞ、なんで出せる!」
分かってはいるけれど、あの時の詳細を知らない一同の手前、念のため聞いてみるマリエラにロバートが間髪入れずにかみついてくる。どうやら誤魔化されてはくれないようだ。
「あー……」
何と言って説明しようか。マリエラがちらちらと様子をうかがうと、ウェイスハルトばかりではなくジークやエドガン、ヴォイドまでもが「え、できんの?」といぶかし気な表情を浮かべた。
それはそうだ。ここは帝都で、迷宮都市とは地脈が異なるのだ。
異なる地脈では《命の雫》は汲み上げられないし、ポーションも作れない。ほかの地脈で作られたポーションも効果が失われて使い物にならないからこそ、人は他の地脈に易々とは侵略できず、国家間のバランスは比較的穏やかな今の状態に保たれている。
ポーションという人知を超える癒しの魔法薬が人と人との争いに持ち込まれたなら、敵国の錬金術師は真っ先に殺されるだろうし、戦線にしても敵を殺しつくすような凄惨なものになるだろう。
その可能性を師匠に教えられていたからこそ、マリエラも帝都で《命の雫》を汲みだすつもりはなかったし、できれば隠していたかったのだけれども、ばれてしまったなら説明しておいた方がいい。
「これ、迷宮都市の《命の雫》なんです。いつでもどこででも汲めるわけじゃないんです」
汲めちゃうのは確かなのだが、マリエラだって万能というわけではないのだ。
《命の雫》を汲んで見せながらマリエラは説明を始める。ちょろりちょろりと手のひらから零れ落ちる《命の雫》は、床に落ちる前に大気に解けて消えていく。
「迷宮が滅びた迷宮都市の地脈は今不安定な状態にあるんです」
迷宮都市の一帯は、もともと地脈が豊かな場所だ。《命の雫》は動物や植物に宿る生命の源のような力だけれど、水や風、大地や炎、その地に存在する森羅万象すべてにあまねく存在し、世界を循環している。
地脈が豊かな場所というのは動植物が豊かなだけでなく、精霊も多く存在する。世界に存在する《命の雫》をエネルギーにして、精霊は存在を強めるのだ。その結果、人間に視認できるような力のある精霊にまで育つこともある。
だからかつてのエンダルジア王国では精霊公園などの場所で精霊の姿を見ることができたのだけれど、迷宮ができてしまうと《命の雫》は迷宮を維持する魔力源に使われてしまうから、精霊の乏しい場所になる。
「今までは迷宮の主が《命の雫》をたくさん食べて魔物とか生み出してたんですね。でも、その迷宮の主が倒されて、しかも迷宮の跡地っていう地脈近くまで続く深くて大きな穴が物理的に開いているわけですよ。なので、そこから時折どっぱーんと《命の雫》が噴き出したりするみたいで。そうなると噴水のヘリがなくなっちゃった感じで、溢れて周りに広がっちゃって」
「ふむ、迷宮の討伐にはそのような弊害があるわけか」
顎に手をあて興味深そうに耳を傾けるウェイスハルト。視線で続きを促され、マリエラは話を続ける。
「迷宮都市の地脈は魔の森の地脈と繋がってるから、普段ならそこまで不安定にはならないんですけど、魔の森の地脈の主の方もその……」
魔の森は魔の森で、長く地脈を統べてきた深淵なる水の精霊が、あろうことかどっかの炎の精霊もどきに口説かれて、精霊辞めて駆け落ちしてしまったのだ。
この辺りのことは、マリエラも片棒を担いでいるからゴニョゴニョと言葉を濁さざるを得ない。それに、あの時はなんとかなるっぽいことを聞いていたのだ。
実際に、魔の森にたくさん棲んでいる精霊たちのおかげで、魔の森の氾濫のような多くの生命に影響があるような災害は、何とかコントロールできている。人間が実感できる弊害など、ある場所の作物だけが大豊作になったり、ある種の動物が出産ラッシュになったり、不定期にちょっとした魔物の襲撃イベントが発生する程度のものだ。
「今、魔の森には聖樹の苗木がどんどん増えていってるし、迷宮都市でも錬金術師が増えて、みんなでせっせと《命の雫》を汲んでいるから、そういう弊害みたいなものはじきに収まると思うんですが。帝都で《命の雫》が汲めちゃったのはですね」
「つまり?」
「つまり、どぱーっとあふれた《命の雫》が帝都あたりまで来ちゃってるみたいなんです。ここに来るまでに、だいぶ地脈の深いところまで浸透しちゃってて、ここで汲み出せるのは本当にこんなちょろちょろなんですが」
つまり、マリエラが汲んで見せたのは、溢れて帝都まで流れてきてしまった《命の雫》というわけなのだ。
「それは、ほかの錬金術師でも汲めるものなのか? その現象はいつごろまで継続する? 錬成したポーションは帝都でも使えるのか?」
「他の人はたぶん無理です。私、だいぶ深いところで契約したみたいなので、それでだと思います。期間は、はっきりとはわかりませんが、数か月かそれくらい。1年はもたないと思います。あと、錬成したポーションですが、帝都の《命の雫》と混じって同化しつつあるのか使えるっぽいです」
マリエラの説明を聞いて、ウェイスハルトはしばらく思案をしたのちに、大きな問題はなさそうだと判断したらしい。ロバートの方はというと、「まさか、そんな現象が? いや……それならば……」などとぶつくさ言っているけれど、こちらも納得してくれたようだ。
「だが、《命の雫》が帝都にまで流れてしまって、迷宮都市は大丈夫なのか? 後々《命の雫》が枯渇して不作になったりはしないだろうか」
「それは大丈夫です。地脈は深いところで繋がっていますから。地脈の豊かな場所は栄えるって言いますが、栄えている場所というのは《命の雫》の循環が盛んだから逆に地脈も豊かになっていくって師匠も言っていましたし」
「なるほど、好循環が生まれるわけか」
ウェイスハルトの為政者らしい心配に対して、師匠に聞いた話を返す。
よし、何とか納得してもらえたぞと、内心でガッツポーズをとるマリエラ。
ウェイスハルトなどエライ人とのオハナシは、いつもジークがしてくれるからちょっと緊張していたのだ。ちなみにロバートは『木漏れ日』で師匠にこき使われていた時期もあって、エライ人にカテゴライズされていない。本人はとっても偉そうにふるまっているが、マリエラ的には弟弟子的な感覚でいる。
これにてマリエラの《命の雫》汲めちゃった問題は解決で、テーブルに並べられたお菓子を食べてもいいかもしれない。きっと帝都の有名店のものだ。なんだかオシャレで美味しそうだ。
そんな風に思った矢先、それまで「なるほど、だから……」などとつぶやいたロバートが、マリエラに向かってばばーんとばかりに言い放った。
「一時的なものだというのは理解した。だが、余所の地脈でも《命の雫》が汲めるなどと知られれば一大事だぞ。グランドポーションが作れるなどと噂が立っては、シューゼンワルド辺境伯様の後ろ盾があろうとどうにもならん事態になりうる。今後は十分に気を付けるのだな!」
ロバートは今日も元気で高慢だ。偉そうだとむしろ安心してしまう。
ヨカッタ、ヨカッタと師匠やキャロラインに「ロバート様は帝都でも元気そうです」と安否確認のお手紙を書きたいくらいなのだが、こういう時にこそ、ロバートはやらかしちゃったりしちゃうのだ。
「グランドポーションって何ですか?」
「……ロバート」
「はっ! しまっ……」
ロバートは、マリエラを思って釘を刺してくれたのだろう。
けれど彼がぽろっと漏らした「グランドポーション」という単語は、マリエラのような一般人が知らない方がよいものだった。
余計なことに巻き込まれないようにという配慮から、なぜか地雷をばらまいていくスタイル。ポロポロ呪いをこぼしていた頃から進歩が無い人である。
「ファイヤー」
「ヒィッ」
マリエラの呟きにロバートは一瞬首をすくめた後、ジトッとした目で睨んだけれど、マリエラは素知らぬ顔でお菓子を食べた。話はまだまだ続きそうだから、腹ごしらえが必要だ。
【帝都日誌】命の雫が汲めちゃったことを納得してもらえてよかったです。byマリエラ




