04.お留守番の二人
「マリエラ嬢一行は、無事に帝都へ着いたらしい」
「ま、あのメンツじゃ、危険の方がよけてくだろうけどね。それに、テオレーマだっけ、爆速の馬車まで使ったんだろ?」
迷宮都市のシューゼンワルド辺境伯邸。
その応接室にレオンハルトとフレイジージャが酒杯を傾けていた。
正確には、真昼間から酒を飲んでいるのはフレイジージャだけで、レオンハルトの前には紅茶のカップが置かれている。
世界の記憶にアクセスし、未来を見通すかのような言動をする彼女の助言と、炎を操る力を求める者は多い。その全てを厭うように、迷宮が討伐されたのち、何処かへと姿を消した炎災の賢者フレイジージャ。
その住み家は魔の森の深淵にあるとも、精霊たちの集う神秘の場所ともいわれており、精霊の導き無くばその場所ヘたどり着くことは何人たりともできないという。
……のだが、意外と簡単に呼び出せることは、一部の間で周知の事実だ。
元精霊の性なのか、それともただのアル中か、お供え物がかなり効くのだ。
具体的な方法は超がつくほど簡単だ。
『木漏れ日』の酒棚に高いお酒を満載するだけでいい。急ぐ場合は晩酌すればさらにいい。お酒がなくなってしまうと慌てるのか、それとも匂いにつられてくるのか、数日のうちに、フレイジージャが遊びに来るのだ。
ちなみに、フレイジージャを召喚すると『木漏れ日』の、正確にはジークのお酒は根こそぎなくなる。
帝都から取り寄せたお気に入りのお酒だとか、コツコツ小遣いを貯めて買った高い酒だとか、サプライズパーティー用のマリエラが生まれた年……は流石に無理なので、同じ年数寝かせたワインだとか、そういうものに対する配慮も一切ない。いっそのこと燃料用の酒精でもいいんじゃないかと思えるほどだ。
代わりに魔の森の珍しい素材だとか魔物肉なんかを持ってきてくれるのでマリエラとしては不満はないが、ジークがせっせとお酒を集めてもコレクションできるのは空き瓶ばかりだ。
『木漏れ日』の酒棚は今やフレイジージャ召喚用の祭壇だ。おかげでAランク冒険者になって「いい酒でも揃えてみるかな」なんて考え始めたジークの財布は、再び紐が硬く締まることになった。深酒は体に悪いしお腹も出るから、健康的で大変宜しい。
話はそれてしまったが、そんな感じでやってきたフレイジージャは、マリエラ達が帝都に旅立った後も『木漏れ日』の留守番を勝手にしつつ日々飲み歩いていて、レオンハルトらの招待にも快く応じてくれている。
「……」
「何か引っかかるって顔だね」
フレイジージャに促され、レオンハルトが重い口を開いた。
「帝都中枢の思惑が読めんのだ。『始まりの錬金術師』が高位の錬金術師であることは誰もが知るところ。たとえポーションが作れなくとも迎え入れようとたくらむのも分かる」
ポーションというものは、地脈からくみ上げる《命の雫》の力で人の力をはるかに超えた癒しをもたらす魔法薬だ。その効果の高さと引き換えに、ポーションには制約も多い。
まず、ポーションを錬成できる錬金術師は、地脈と契約しなければ《命の雫》を汲み上げられない。
錬成されたポーションも時間とともに《命の雫》が抜けていき、じきにただの薬草水になってしまう。しかも、その地脈から持ち出せば、《命の雫》が抜けるのはあっという間だ。
地脈契約した錬金術師が、その地脈で錬成し、その地脈で使用することでのみ奇跡の力を発揮する。地産地消型の魔法薬、それがポーションというもので、そんなことは子供でも知っているこの世界の常識だ。
帝都と迷宮都市はそもそも地脈が違うのだ。
迷宮都市の錬金術師は、帝都で《命の雫》を汲み上げることができず、結果ポーションを錬成できない。
それでも、エリクサーの錬成に至った錬金術師の価値は、その知識だけでも計り知れない。帝都の中枢が手駒に加えたいと画策するのも当然だろう。
もっとも、迷宮都市としてもむざむざマリエラを手放すつもりはない。
いまだ迷宮都市において、特級ポーションを作れる錬金術師はマリエラしかいないし、何よりマリエラ自身が迷宮都市でのんびり暮らしていくことを望んでいる。レオンハルトらからすればマリエラに適当な爵位を与えてシューゼンワルド辺境伯家の寄子にしてしまった方が庇護しやすいのだが、迷宮討伐に多大な貢献をしたマリエラが平凡な暮らしを望むのだから、迷宮都市での暮らしを全力でサポートするつもりでいる。
「皇帝陛下がじきじきに謁見しようってマリエラを呼ぼうとしたのを、シューゼンワルド辺境伯家が阻止してくれたのは知ってるよ」
「だが結果として、マリエラを帝都に派遣する羽目になった。不徳の致すところだ」
――『始まりの錬金術師』に皇帝陛下に謁見する栄誉を。
表向きは非常に名誉な申し出だったが、マリエラを引き抜く気マンマンの帝都中枢の申し出を、「婚約のご挨拶も兼ねてウェイスハルトと一番弟子のキャロラインが代理で」というところに落ち着かせたのはシューゼンワルド辺境伯家だからこそできた芸当だったろう。
しかし、妥協案として加えられた「『始まりの錬金術師』が錬成した品を献上する」という条件に、落とし穴があったとは。
――迷宮都市では《命の雫》を使わない薬の製造が盛んだったとか?
そんな前振りをされれば、薬だとかレインボーフラワーのような《命の雫》を使わない錬成品を想像するのは当然だ。そもそも、迷宮都市の錬金術師は帝都で使えるポーションを作れない。それが常識なのだから、前振りなどなくともそう考えるだろう。
「あんなものがあるなんて考えやしないだろ。とくに、200年の長きにわたって迷宮都市を治めてきたシューゼンワルド辺境伯家はさ」
「『レビス』だったか。ポーションの錬成ができるほどの《命の雫》を蓄えた素材が帝都にのみ存在するなどと。……ちょうど帝都にいたとはいえ、確認を任せたロバート・アグウィナスには酷なことをした」
「そんなもんがもし迷宮都市にあったなら、もっと早くに迷宮を倒せてただろうし、新薬なんて禁忌に手を染めることもなかったろうからね」
献上案を受けた後で、ポーションが錬成できるほどの《命の雫》を蓄えた素材が、帝都にのみ存在すると知らされたのだ。
その名を、『レビス』というらしい。
確認を行ったロバート・アグウィナスの報告書によると、見た目は白い石材だが、確かにポーションを錬成するのに十分な《命の雫》を含有していたという。
それを手にしたロバートが必死の形相で「これは何だ」と問いただしたのは想像に難くない。けれど、サンプルを届けた使者は何も知らされてはおらず、その採取情報あるいは製造方法については全くの不明のままだった。極めて貴重かつ高度な守秘を伴う物質だということで、《命の雫》の含有を確認した後はそれ以上調べることも許されず持ち帰られてしまったらしい。
「ポーション保管に似た魔道具に納められていたと言っていた。帝都の地脈から離れれば《命の雫》が抜けてしまうとも。その辺りはポーションと似ているな。だから錬金術師がいなければそもそも作れないものなのかもしれぬ。帝都で開発されたものならば、知られていないのも納得がいく。だがレビスとやらが一体何で、なぜ帝都だけにあるかは今はどうでもいい」
レオンハルトは自らに言い聞かせるように話す。迷宮をついに倒した彼であっても、いや、その苦難ゆえにこそ、迷宮都市では手に入らないものだったのだと納得したいのかもしれない。
「そんなものがあるならば、なぜ『始まりの錬金術師』を強引にでも謁見させない? 地脈違いの問題を解決できるのに。勅命で宮廷付きの錬金術師に任じれば、我がシューゼンワルド辺境伯家とて断ることは困難。まさか、逃げられぬよう帝都に呼び寄せたところを誘拐でもする算段か? それはあまりに早計だろう」
レオンハルト、そして今は帝都にいるウェイスハルトが腑に落ちないのはここなのだ。
そもそも帝都には高位の錬金術師が複数存在する。レビスなどという希少な素材を使って『始まりの錬金術師』にポーションを作らせなくても、特級ポーションだっていくらでも手に入る。だとしたら、『始まりの錬金術師』を帝都に呼ぶことが目的なのか。それともレビスを使わせること自体に何らかの意図があるのだろうか。
「ま、そう悩むことはない。謁見を断られた意趣返し――ただの嫌がらせって可能性もある。目的があるんなら、そのうち分かるだろうしね。
嫌がらせだってなら今回は、護衛も豪華絢爛だから、問題ない。マリエラも今頃は帝都観光付きの楽しい出張を楽しんでることだろうよ」
「たしかに、ヴォイド殿が護衛に加わったのは意外だったが……。これは賢者殿の仕込みなのだろう? とすればやはり危険を見越しておられるのでは」
「心配性だねぇ。そりゃ危険はあるさ。マリエラは弱っちいし錬金術を除いたら何のとりえもない娘だ。だから幼いあの子が魔の森で暮らせるように知恵を授けた。一人でも稼いで食っていけるように錬金術の弟子にして、迷宮のあるこの街で暮らしていけるように鍛えあげた。
魔の森の氾濫の夜を越え、迷宮の最奥に同行し討伐を助けたあの子のこれまでが、安全だったとでも思ってるのかい?」
「確かに彼女には、少女の身にふさわしからぬ逞しさがあると思うが……」
「帝都行きの件だって、マリエラが行くと決めたんだ。つまりはね、あの子がなすべきことが帝都にあるということさ。だからあたしらは、あの子が使命を果たせるように手助けしてやればいいんだ」
「マリエラ嬢がなすべきこととは一体……?」
「それはあたしにも、たぶんマリエラにもまだわからない。でもね、地脈の深くで契約するということは、そういうことなんだよ」
フレイジージャという女性は、時折こういう物言いをする。なぜそうするのか理由も筋道も分からないのに正しい答えだけを知っているような口ぶりで話をするのだ。そして、こういう場合にフレイジージャが示した道は、たいてい最短で最良に至る道だ。だからこそ、人は彼女を“賢者”と呼ぶのだろう。
「……理解はできぬが納得はした。だが、名を変えるとか変装するとか、もう少し秘密裏に動いた方がよかったのではないか?」
「それこそいらない心配だよ。マリエラの凡庸さを舐めちゃいけない。あたしが炎の化身なら、あの子は庶民の化身だね」
「庶民の、化身……」
褒めているのかいないのか。
フレイジージャは、ふふん、とばかりに笑っているから自慢しているのかもしれない。こんなところがあるものだから、“賢者”の前に“炎災”なんて物騒な言葉が付けられるのだろう。
「確かに、マリエラ嬢の平凡さには一定の評価があるが……」
庶民の化身とはあんまりな気がするし、なによりそれは、ノーガード戦法というのではないのか。
「やはり、賢者殿も帝都に行かれてはいかがか」
「やだよ。昔ちょーっと燃やしたのを根に持ってる奴がいるんだ。リューロにさんざんワリ喰わしといて逆恨みとかねちっこいよね。あ、そろそろリューロが迎えに来る頃だ。帰るわ」
ちょっと燃やした昔って、それは、いったいいつの話だろう。
いろいろと問い詰めてみたくなったレオンハルトだったが、帝都行きの話から逃げるようにフレイジージャは席を立ち、お土産の酒を片手に帰っていった。




