03.光あふれる塔
前回までのあらすじ:帝都デビューしたマリエラ、秒で迷う。
(人がいっぱい。あの格好、学者さんかな?)
ついさきほどまでは人の気配などなかったというのに、急に現れたたくさんの人影に、とっさに庭木の影に身を隠すマリエラ。
ここが部外者が立ち入ってよい場所でないことは、一目でわかった。
なぜなら、ここは今まで見た帝都のどこよりも光に満ちていたからだ。中央にそびえる塔は、マリエラの目には虹色に輝く光の噴水のように映った。
ここが帝都の中心だ。きっとそうに違いない。
ならばここにいる人たちは何者なのだろうか。全員が学者のような風体で、塔の様子を固唾を飲んで見守っているように見える。
ということはあの塔で何かが起こっているのだろうか。
塔から溢れる光が一層増した。
おぉ、と声を漏らす人もいるから、集っている人の中にはマリエラと似た光景が見える者もいるのだろう。
けれどそうでない者もいたようで、代わり映えのしない光景に飽きて周囲を見渡した一人が、庭木の影に身をひそめるマリエラを見つけてしまった。
「何者だ、どうやってここに入った!」
侵入者を見咎める声に、その場にいた大勢がばっとばかりに反応し、マリエラを取り囲むように近寄ってくる。不健康そうな顔いろの一団が、奇異なものを視る眼差しでにじり寄ってくる様は、不気味な恐怖心を駆り立てる。
「えっと、あの、すいません。迷っちゃって……」
マリエラのしどろもどろの返答は、当然ながら聞き入れてはもらえない。
逃げたほうがよさそうだと駆け出そうとしたけれど、こんな危機的状況を乗り越えられるほどマリエラの筋肉は彼女の味方になってはくれない。
あっという間に退路を塞がれ捕まりそうになった瞬間、広場の別の方向から思わぬ声が聞こえてきた。
「それは我が家ゆかりの者です。私を訪ねてきたのでしょう」
少しだけ癖のある高慢そうな声には、その後に「ファイヤー!」の幻聴が聞こえそうなほどに聞き覚えがある。思いもよらない声に振り向くと、そこに立っていたのは、なんとキャロラインの兄、ロバート・アグウィナスだった。
「ロバートさん!?」
「ゆかりの者とはな。ではもしや“始まり”の……?」
マリエラの驚きの声を無視してロバートに答えたのは、眼鏡をかけた得体の知れない老人だった。周囲の反応を見る限り、彼がこの集団で一番偉いと思われた。
流石はえらい人たちの中のトップというべきか、冒険者ギルドの受付嬢さえ騙されたというのにマリエラを前にして鋭いところをついてくる。
「まさか。ただの遣いっぱしりですよ」
さらりとしらばっくれるロバート。さすがは悪役経験があるだけあって、息を吐くような滑らかな嘘だ。
ロバートの返答に「ふむ……」と老人は一瞬だけ考えるそぶりを見せたものの、貴族であるロバートに対して忖度する様子も見せずに話を続けた。
「ここは只人が踏み入れることは許されぬ禁足地。お主は先代様の形代を輩出したアグウィナス家に連なる者ゆえ特別に見学を許したが。そうでなければ今この時、この場所にいるということは、招かれた者であるのか、咎人であるかのいずれかしかない。
そして招かれた者ならば、資格を持っているはずだ」
侵入はよほど重い罪なのか、それともこの人物はよほど偉い人なのか。
この老人の語る言葉はマリエラには理解できないけれど、貴族であるロバートであろうと覆しようのない決定事項を告げているのだろうと感じられた。つまり、マリエラが助かるためには老人の言う『招かれた者』だと示せなければならないのだろう。
それを理解したのだろう、あのロバートが苦々し気に「資格なら、ある」と答える。
「ほう、地脈と契約せし錬金術師であるというか。ならば証を」
「私が証明する。なんなら鑑定紙を使ってもいい」
(え……)
ここで、錬金術師が出て来るのか。
思いもかけない展開にマリエラは目を見張る。しかもロバートが鑑定紙を使うとまで言うなどと。
鑑定紙というのは、血液を垂らした者の能力を示してくれる魔法紙だ。
マリエラの場合は錬金術しか適性が無いにもかかわらず魔力値が振り切れているという異常さゆえ、見せない方が望ましい代物だ。
ちなみにマリエラ個人としては、3しかない賢さが少しコンプレックスになっている。賢さ3というのは世間一般では平均より賢い部類になるのだが、マリエラの錬金術師の実力を知る者は「えっ……、3?(察し)」となるので、心情的に見せたくないのだ。
鑑定紙に過剰反応してしまったマリエラであるが、それより注意すべきは「地脈と契約せし錬金術師」というところだろう。確かにこの塔は《命の雫》が異常に濃い場所ではあるがそれと関係あるのだろうか。
「ロバート・アグウィナスよ。ここは神秘の中枢ぞ。ゲニウスは気まぐれだ。我らを翻弄するために部外者を招くこともあるやもしれぬし、そうであるならアグウィナスの名に免じ、罪には問わずにいてやろう。
だが、ゲニウスに招かれるのは錬金術師に限られる。そしてゲニウスが招くのは “始まりの錬金術師”か帝都の錬金術師以外ありえぬ。“始まりの錬金術師”でないというなら、証を立てるは容易。
娘、今ここで《命の雫》を示すがよい」
「く……」
老人にマリエラを脅すような様子はない。「さもなくば」などと、この先の運命を示唆したりもしない。この老人の言葉には一切の感情も含まれていない様子で、マリエラに向けられた言葉は、雑草か薬草かをより分けるような単調なものに感じられた。
薬草であるならば見逃すが、雑草であるならその時は……。
マリエラが自由な意志と命を持った人間であることは、一切顧みられない。そのような冷淡さをこの老人と、老人を囲む学者たちからマリエラは感じた。
それをロバートも分かっているのだろう。
マリエラを殺させるわけにはいかない。けれど、マリエラが“始まりの錬金術師”だと明かすのもまた……。その苦悩が滲んで見える。
迷宮都市と帝都とは、地脈が異なるのだ。錬金術師が《命の雫》を汲みだせるのは、地脈契約した地脈だけ。迷宮都市の錬金術師であるマリエラが、この帝都で《命の雫》を汲みだせるはずがない。
マリエラの腕を掴もうとした者が、再び拘束しようと、じり、と近づく。
「その者は……!」
ここで捕らえられるよりは、“始まりの錬金術師”だと知られる方がまだましだ。そのように考えたのだろう。ロバートが口を開いたその瞬間。
「《命の雫》」
ちょろちょろちょろり、ぽたぽたり。
ものすごーく微量の《命の雫》が、マリエラの両手から湧き出して、指の間を伝って零れ落ちた。普段のマリエラから見れば、考えられない少量だ。節水にもほどがある。
けれどここは帝都で、マリエラが地脈と契約した迷宮都市ではないのだ。
「……ハァ!!?」
思わずあんぐりと口を開けて、驚愕の声を上げるロバート。態度から、イレギュラーだと公言しているようなものである。
だがロバートの様子をこの場の学者たちは《命の雫》の少なさ故と勘違いしたようだ。
「ふむ……随分と浅いようだ……」
「”量産型”か」
「だとしても規定量にも満たぬのでは?」
「数世代前より結脈式典の成功率は100%に近いと聞いておるが」
「これほど浅いものが招かれた? やはりゲニウスの悪戯か」
ざわめく学者たち。どうにもバカにされている気がするのだが、少なくとも眼鏡の老人はマリエラに対して興味を無くしてくれたらしい。
丁度その時、塔から放たれる七色の光がいっそう強く溢れかえった。
「成功だ」
誰かがそう漏らし、ここに部外者であるマリエラがいることを思い出したように口をつぐむ。先ほどまで捕縛すべき罪人のように視られていたのに、今は早くどこかに行ってほしそうな雰囲気だ。
「あ、証は立てられた、これは連れていく。おい、行くぞ。早くしろ!」
おそらく、この光が視えていないのだろう。老人とそれを倣うように学者たちの注意が塔へ向けられたのを幸いと、ロバートはマリエラの腕を掴むと未だに状況がつかみきれないマリエラを引っ張って速足で塔の広間を後にした。
■□■
見張りのいる門をいくつか抜けると、少し前まで散策していた庭園まで戻ってこられた。どうやらあそこはぐるりと壁に囲まれた、普通では辿りつけない場所らしい。庭園とあの広場の間には壁があり、マリエラが通った道は跡形もない。まるで夢でも見ていたようだ。
庭園の近くではジークとエドガンが、数人の衛兵と口論になっていた。行方不明になったマリエラを探そうとするジークを衛兵たちが「出て行け」と咎め、エドガンが「まぁまぁ」となだめていたようだ。
「マリエラ! 無事か? そちらはロバート殿、これは一体……」
マリエラの姿を認め駆け寄るジーク。
衛兵たちはロバートの顔を見知っているのだろう、マリエラを連れたロバートが「そいつらは我がアグウィナス家ゆかりの者だ」と言うと、「早く出ていくように」とだけ告げて解放してくれた。
「お前たち何を考えている。ここは帝都だぞ、こいつが大事なら目を離すな! 貴様も貴様だ、フラフラするな!
……それから、先ほどの件は後で話を聞かせてもらうからな! 私にはまだ用事がある。お前らはさっさと帰れ、まっすぐにだ!」
マリエラをジークたちに引き渡したロバートは、ようやく肩の荷が下りたとばかりにジークとマリエラに向かって超早口で文句を言うと、再び学舎の奥へと戻っていった。
「説明は後でするよ、とりあえずヴォイドさんと合流しよう」
迷子の女の子を連れて行ったヴォイドは、そのまま門の外へと案内されてしまったらしい。マリエラたちが門へと戻ると、開かれていたはずの門は閉ざされていて、内側には大きな「立ち入り禁止」の看板までたっていた。
こんなもの、来た時はなかったはずなのに。
やはり、マリエラは何者かに招かれてしまったのだろうか。それはあの老人が口にした“ゲニウス”というものなのだろうか。だとしても、マリエラは招いてくれた何者かに結局会うことはなかったのだが。
「ヴォイドさん、お待たせしました」
先ほどの失踪を警戒してのことだろう、マリエラの肩を抱くようにジークが隣を歩き、エドガンが後ろに続いて通用門を外に出る。
マリエラたちがアカデミーの敷地を出た丁度その時、ヴォイドと一緒にいた女の子、リリアがマリエラたちの後方を見つめてぱっと顔を輝かせた。嬉しそうに駆け出して、閉ざされた門扉を掴んで声を上げ手を振っている。
「にいちゃーん!」
どうやら彼女の兄は、本当にあのアカデミーの中にいたらしい。
(良かった、会えたんだ)
そう思ってマリエラが振り返ると、リリアがしがみつく鉄格子の門扉の向こう、マリエラたちが出てきた方角に一人の少年の姿が見えた。あれが女の子の兄なのだろう。
不思議なことにマリエラの目に噴水のように映っていた光は消えて、このアカデミーを包む光は辺り一帯と変わらなくなっていた。
リリアの兄も見つかったことだし、ここにはもはや用はない。マリエラはジークたちに向き直る。
「心配かけてごめんなさい、気を抜きすぎだったみたい」
「いや、俺たちこそ迂闊だった」
「何かあったのかな? だが無事なようで何よりだ」
「そーそー。終わりよければってやつ」
反省するマリエラとジークの様子に何事かあったのだとヴォイドが察し、エドガンが場を和ませつつ、一行は大通りに向かって去っていく。
歩きながらもしばらく警戒していたけれど、特に追われることはないらしい。アカデミーから少し歩いた距離にある大通りは広く、行きかう人のざわめきにマリエラはようやくほっと息を吐いた。先ほどまでの非日常から離れて、日常の世界に帰ってきたように感じられた。
大通りの喧騒にリリアたち兄妹の再会は掻き消され、マリエラたちには届かない。兄に再会できたのだから、大丈夫だろうとさえ思っただろう。
危機を脱したという安心感と、強まった警戒感からマリエラたち一同は、出会ったばかりの少女の兄があのアカデミーにいた違和感に気付くことができなかったのだ。
「にいちゃん? ……誰? 兄ちゃんはどこなの?」
「……家族がいるようなのを使ったのかい?」
門扉の鉄格子越しに伸ばされたリリアの手を握ったまま、兄と呼ばれた少年が背後から近づいて来る眼鏡の老人に尋ねる。
「ほかに適合者がおりませんでしたので。ですが、やはりそのお体で間違いなかったようでございますな」
「にいちゃん? にいちゃん! にいちゃーん!!」
兄のただならぬ様子にリリアは泣き出し逃げ出そうとするけれど、少年はその手をしっかり握ったまま、「しーっ」と静かにするように諭す。
「その子をどうするおつもりで?」
「こんなとこまで尋ねに来てさ、可哀そうじゃん。妹なんでしょ、お兄ちゃんになってあげるだけさ」
「また、お戯れを……」
そう言いつつも老人は、後ろに続く学者の一人に手を上げる。先ほどマリエラを捕らえようとした男だ。男が懐から瓶を取り出して布に含ませると、リリアの口にあてがった。それだけで、リリアはくたりと動かなくなるけれど、その小さい体は男の身体に隠されて大通りから見えることはない。
「にい……ちゃん……」
リリアを連れて学舎の最奥へと戻っていく一行。
呟く少女の声は、通りの喧騒に掻き消され、マリエラたちに届くことはなかった。




