02.煌めく街並み
「バレないものですねー」
「ははは、実際はこんなものだろうね」
冒険者ギルドを後にしたマリエラとヴォイドは顔を見合わせる。
この二人、帝都で噂の錬金術師と、半ば伝説のSランカー『隔虚』なのだが、ひよっこ採取師と無名の冒険者としてあっさりチーム登録できてしまった。隣のカウンターの受付嬢など、エドガン――のかざすAランクの冒険者証に目を奪われていたのだから見る目がない。
「真偽判定系のスキル持ちはいなかったようだな」
「まー、そんなレアスキル持ち、普通は冒険者ギルドになんかいねぇけどな」
心配しすぎだったかと安堵するジークに、軽い調子でエドガンが返す。
「いたとしても、嘘はついてないもんね。私、商人ギルド所属の錬金術の先生だもん」
"先生"を強調してえへんと胸を張るマリエラ。
マリエラ達が提示した身分証は、迷宮都市発行の本物だ。
マリエラは、迷宮都市に新たにできた学校で錬金術の教鞭をとっているから身分証は本物なのだ。
「僕の冒険者証も、エルメラと出会ってから取得したものだから本物だよ」
迷宮都市で作ったヴォイドの冒険者証も本物だ。取得してからの経年変化によるくたびれ具合も合わせて疑いようがない。
超回復力を持つ彼は、その代償に記憶を失ってしまう。迷宮都市でエルメラと出会ったころの彼は、記憶喪失だったのだ。むしろ彼が『隔虚』だなんて証明する方が大変だろう。
その後は日々、主夫業に勤しんで、エルメラと二人の息子を支えている。主夫の忙しさを舐めてはいけない。ランクを上げる暇などないのだから、Bランクでも仕方ない。仕方がないったら仕方がないのだ。
とはいえ、帝都ではヴォイドの顔を知る者もいるだろうから、この依頼を受けるにあたってフレイジージャ印の認識阻害の魔法陣付きスカーフで口元を隠している。
洗濯しても消えないように特製の染料を使って、洗い替えと予備も含めて5枚も魔法陣を描いたのは、当然ながらマリエラだ。そんな面倒くさいことを師匠がするはずがない。久しぶりの「転写ァ!!!」はやっぱり痛かったけれど、それ以上に魔法陣を描くのが面倒だった。
この魔法陣はマリエラのマントにも施してあるが、効果はそう強いものではない。顔を隠していれば気付かれないとか、平凡さに磨きがかかるとか、顔を覚えられづらくなるとかその程度で、知り合いが見れば見間違うことはない。
「それにしても、さすがは帝都だね、キラキラ輝いている」
帝都の空を見上げて、「わぁ」とばかりにマリエラは歓声を上げる。
「……そうか?」
ジークが見上げる空はあいにくの曇天で、むしろ曇っているのだが。精霊的な何かだろうかと思って眼帯を外して精霊眼で見てみても、人の多い場所にありがちな精霊の少ない空にしか映らなかった。
かつて、絶望とともに見上げたのと変わらない、高い建物に切り取られた狭くてどこか薄暗い帝都の空だ。
マリエラの様子を見る限り、無難な話題で話をそらしたわけではないらしいのだが、マリエラには一体何が視えているのだろうか。
「まだ時間もあるしさ、あっちの方行ってみたいな」
そう言ってマリエラが指さしたのは帝都の中心方向だったが、約束の時間にはまだあるのも確かだ。
「そっちは帝都の中心方向だぜ、目的地とは逆方向なんだけど。ま、今のうちに慣れとくのもいいかもな。
この中央区画だって安全な場所ばっかじゃない、裏道――言い方は悪いけど、小汚い格好した連中がいるような場所にはマリエラちゃんは行かない方がいい。今まで通ってきた道で、小汚ねぇガキとか見なかったろ? 壁とかはないけどさ、はっきりと分かれてんだよ。迷宮都市より広いぶん、そういう場所はたちが悪かったりもするんだぜ」
エドガンの同意もあって一行は、行政区画と呼ばれる帝都の中心へと歩みを進めた。
帝都は非常に大きな街だ。端から端まで馬車で1日ではたどり着けないほどで、ざっくりと3層で構成されている。
帝国建国当初の最も古い時代に作られたのが行政区画で、今いる場所は中央区画というらしい。貴族の屋敷や商店、中流から上流階級が住まう住居もあれば、冒険者や商人のためのギルドもあって、面積としては一番広い。行政区画と中央区画が都内として登録されている区画だが、その外側に広がる畑や牧場、大型の工房、そしていわゆる貧民が暮らす貧民窟も今では帝都の一部と認識され、外縁部などと呼ばれている。
帝都の中央にある行政区画には、皇帝のすまう宮殿や古い家柄の貴族の屋敷、それに文字通り行政にまつわる建物や貴族御用達の学校、国家研究機関などがあり、歴史を感じさせる城壁で囲まれている。
行政区画を囲う城壁は、帝国がまだ一つの地脈分しか領土を持たない、ただの国であった頃の名残だ。繁栄を謳歌する帝国も、魔物や周辺地域からの侵略の危険にさらされていた時代があったということだろう。今では遺跡のような扱いなのか、崩れて撤去されているところもあって、防壁としての機能は求められていない様子だ。
そんな状態だから、行政区画へと続く門は開かれていて、衛兵はいるものの身分証の提示を求められることもなく、人々が往来していた。マリエラたちがキョロキョロしながら通り過ぎても知らぬ素振りだ。
「わぁ、ここすごい」
その中心あたりに高い壁に囲まれた古めかしい建物が建っていた。
風格のある門扉には、『イリデッセンス・アカデミー』とある。
広々とした敷地と整えられた庭木。開かれた雰囲気のその建物は、どうやら高等教育機関、おそらくは研究機関を併設した大学校であるらしい。
今日は休校日なのかそれとも授業中なのか、門は開かれているのに見張りの一人も立っていないし、生徒らしき姿は見えない。
その門を、マリエラ以上にきょろきょろしながら、一人の少女がのぞき込み、そのまま中へと入っていくのが見えた。
おそらく孤児か貧民か。継ぎの当たった質素な服を着たその少女は、『ヤグーの跳ね橋亭』のエミリーちゃんよりも幼い。もしかしたら片手で年齢が数えられる程の幼女だ。場違いにもほどがあるだろう。
「ねぇ、あの子。見つかったら怒られちゃうんじゃないのかな」
門の開かれ具合を見るに、ここは一般人が立ち入ってもいい場所のようだが、誰にでもというわけではないのだと先ほどエドガンに言われたばかりだ。あんな幼い子供が手ひどく追い出されては可哀そうだとマリエラは心配になった。
警備の兵に見つかる前にあの子を連れ出したほうがいい、迷宮都市で教鞭をとるマリエラならば、もし見つかっても教育機関を見学に来たと言い訳もたつ。そう思ったのが大半ではあったけれど、この場所に対する好奇心が抑えられなかったのも確かだ。
(行政区画って呼ばれてる帝都の中心部分は、昔見たエンダルジア王国みたいにキラキラ輝いてる。特にここは《命の雫》が濃くって虹色に輝いてる!)
他の者には視えないものを口に出すのは良くないことだと知っているから口に出してはいないけれど、マリエラの目にはこの場所が、光り輝く帝都の中心のように視えていたのだ。勘の鋭い者なら、生命力に満ちたいわゆるパワースポットのように感じられたことだろうし、並みの錬金術師であっても筋の良いものならば、明るく温かい場所だと感じたことだろう。
地脈が豊かな土地というのは、えてしてそう言う印象を与えるものだが、ここはそれが度が過ぎて顕著だった。マリエラが気になるのも仕方がないだろう。
「休講日なのかなぁ」
「さぁ」
「なんか、オレ眠くなってきちゃったよ」
「ほのかに本の香りがするね」
やはり休講日なのだろうか。奥に向かって駆けていった幼女を除いては人っ子一人見当たらないけれど、広く人を招き入れるような開かれた雰囲気の建物を通路越しに覗くと、大きな部屋の中にたくさんの机と椅子が並んでいて、部屋の前側には大きな黒板がしつらえられていた。
建物の格式の高さと言い、ここは帝都の最高学府なのかもしれない。
――知識のもたらす恩恵を、遍く帝都の万民に。
耳触りのいい理念を謳う帝都のアカデミーは、身分による入学の制限はないと聞く。しかしその授業料は高額で、実際のところは貴族であるとか豪商であるとか、極めてまれなスキルを持った者が奨学金を受けて通う場所だ。
とはいえここで学ぶ学徒たちにとっては、伸びやかに過ごせる場所なのだろう。校舎の間には広々とした庭園があり、トピアリーのように手入れがされた庭木や花々が、学びの間の散策に来訪者を誘っている。そこここに咲き乱れた花が濃密な芳香を放ち、その蜜を求めたくさんの蝶が飛び交っていて、小鳥のさえずりが耳を楽しませてくれる。憩いの場所だ。
「あ、いた。お嬢ちゃん、ここは遊び場じゃないよ。見つかったら怒られちゃうよ」
「ひゃっ。ごっ、ゴメンナサイ……」
ようやく捕まえた少女も、ここが入ってはいけない場所だと分かっていたのだろう。初めは警戒する様子で体を固くしたのだが、マリエラたちに怒る様子が無いのをみると、小さな声で「にいちゃんをさがしてるの」と教えてくれた。
「迷子かよ」
「かもしれないな。兄さんというのはここに入っていったのか?」
「……」
「お嬢さん、お名前は? お兄ちゃんと一緒に来たのかい?」
「……リリア。にいちゃん、ここに入っていったって、トニーがきのう言ってたの」
眼帯とチャラ男は怖いのか、エドガンとジークの問いには答えず、ヴォイドの質問にだけ答える幼女。ヴォイドもスカーフをしているから似たようなものだと思うのだが、パパさんオーラでも出ているのだろうか。
「昨日? お兄さんはずっと帰ってきていないのかい?」
「うん。せんせいが、行くところがきまったからバイバイだって。でもリリア、にいちゃんにあいたくて……」
リリアちゃんの話から察するに、おそらく孤児の兄妹で、進路の決まった兄を探してここまで来てしまったのだろう。しかし、ここはアカデミーだ。年の離れた兄弟というわけでもなさそうだし、リリアの兄はいないだろう。どこか別の場所と間違えたに違いない。そのように説明しても、リリアが納得する様子はない。
「でもね、トニーが見たっていうの……」
「とりあえず守衛のところまで連れて行って、この辺りにこの子の兄がいそうな場所がないかを聞いてこよう。一度一緒に顔を見せておけば、また紛れ込んだとして無下な扱いはされまい。だが4人組と記憶に残るのは得策ではない、君たちはここで待っていてくれ」
説明しても納得しないリリアをヴォイドは抱き上げる。さすがは子供が懐くだけあって、実に優しい提案だ。守衛にここに子供はいないと言われればリリアも納得するだろうし、万一再び潜り込んでも、強そうな冒険者と知り合いだと認識されれば手ひどく追い出されたりはしないだろう。
ここで待つのも気の利いた提案だ。赤い土壁と緑が織りなすここは素敵な庭園なのだ。休憩するには最適だろう。
ヴォイドが戻って来るまでの間、庭園を満喫することにしたマリエラ。
マリエラを先頭にジーク、エドガンの3人が庭園を散策していると、遠くから二つの声が同時に聞こえた。
――こっちだよ。
一つは木々に整えられた小道の先から。
――そこで何をしている、ここは立ち入り禁止だ。
もう一つは一行を追うように、後ろから。
同時に聞こえた二つの異なる声。
マリエラが聞こえたのは招くような前者だけで、ジークとエドガンが聞いたのは後方から現れた衛兵のものだけだった。
いざなう声にマリエラは前へと歩を進め、呼び止める声にジークとエドガンは立ち止まって振り返る。
その一瞬。ほんの数歩だけ開いた距離。
たったそれだけだったのに、振り返ったマリエラの背後には赤い土壁が連なっていて、ジークたちの姿はどこにも見えなくなっていた。
「え、なんで? ジーク、エドガンさん? ……もしかしてはぐれた?」
綺麗な庭園の様子に、一人で進みすぎてしまったのだろうか。
とはいえ、塀に囲まれた敷地の中だ。じきに合流できるだろう。探してもらうにしても、ここは壁もあるし並木の背も高い。もう少し見通しのいい場所の方が見つけてもらいやすいだろう。
そう思ったマリエラは歩みを進め、並木のアーチをくぐった先で、古い塔を囲むように開けた場所に辿り着いた。
「輪環の短編集」も更新してるのでこちらもどうぞ。
https://book1.adouzi.eu.org/n9801gu/




