29.捕鯨
「武器は専門外なんだが、それなりに使えると思うぜ」
“首飾り”の木材を使ってドニーノが作ってくれたのは、攻城戦にでも使えそうなバリスタだった。これを作るために1晩費やしてしまったけれど、大量の火炎瓶を携えたジークやエドガン、それにフランツ、グランドルが中庭で戦ってくれたおかげでいつもより早く夜が明けたくらいだった。
このままここで戦い続けていれば、いつかは全ての穢れを祓えるのかもしれないけれど、そんな日々を繰り返すわけにもいかないだろう。
「やっぱり、これが一番いい方法だと思う」
そう語ったマリエラの作戦は決め手に欠けるものではあったが、特に強い反発もなく受け入れられた。ほかに代案がなかったこともあるけれど、マリエラが何かを分かった上でこの作戦を提案しているように見えたことが大きかっただろう。
実行に必要な素材を手に入れるために作られたバリスタは、南西の塔の天辺、マリエラが最初に流れ着いた場所に据え付けられた。
大きな窓から外をのぞくと、透明な水に光が射す中、大きな魚がゆったりと横切っていく。なんだかとても気持ちがよさそうだ。
「不思議な光景だな。この水は淡水のようだが、あれは海の魚じゃないのか?」
ジークが真っ当かつロマンのないことを言う。
横ではグランドルとドニーノが、あの魚は焼くと旨いだの、この魚はキモを溶かしたソースで食べると絶品だのと、主に食材として魚たちを品評していて、こちらはこちらで風情がない。
「ジークよー、もっとファジーに考えようぜー。ちっさな蛇がボインボインのラミアになるイカした世界だぜ? 塩味が付いてよーがなかろーが、魚で魔物なんだからオッケーってもんさ。つーか、人魚ちゃんはいねーかなー」
エドガンにとってここはイカした世界らしい。半人型に進化した魔物はラミア1体だけのはずなのだが。
「ボインって最近言わないよね?」
「エドガンはおっさんだし。臭うし」
「まぁ、人が猿に退化する世界だからな……」
未だつるりとした直線美を誇る少女二人は棘のある言葉を吐いていて、ファジーなエドガンのファジーな意見に、何だか納得してしまったジークは、余計な一言を言いながらバリスタに矢、というより銛に近い物をセットしながら調整を始めた。
「ちょっとお魚遠くない?」
「おびき寄せるから大丈夫だし。あ! エドガン、あそこに人魚がいるし!」
わざとなのか天然なのか。マリエラの一言にユーリケが応じる。
「マジで!? どこどこ~ってうお! お約束過ぎんだろー、がぼがぼ」
「ギャウ!」
エドガンは分かってお約束に乗っているのか、それともたとえ嘘でも人魚と言われて探さずにいられないのか、窓に駆け寄りユーリケの指し示す方向を覗いた瞬間に、ラプトルのクーに押されてザボンと水中に押し出された。
楽しそうに見えたのか、ラプトルのクーまで尻尾を窓の外に出して、お尻フリフリ、尻尾バシャバシャ、グギャギャグギャギャと鼻歌交じりで魔物魚を挑発し始める。水流がかき回されて、水中のエドガンはぐるぐる回転しながらじたばたともがいている。
撒き餌だ。実に生きがいい。
もがくエドガンが美味しそうに見えたのか、バッシャーと、数匹の魔物魚がすごい勢いで突進してきた。
「はい、ジーク。よろしく?」
「わかった」
突進してくる魔物魚に向けて、バリスタの照準を合わせるジーク。
黒鉄輸送隊の装甲馬車のメンテナンスを行うドニーノは、手先の器用な男であるし、装甲馬車にはボウガンも備えてあったから、おおよその構造は理解している。“首飾り”の木材を削って組み上げ蔦を弦にしたバリスタは、一見するとそれなりのものに仕上がっていた。
あくまで一見すると、である。
人が持てるサイズではないバリスタは、高さや角度の調節機構や弦を引く機構など、単純ではありながらも細かい機構が組み込まれている。
もちろん、武器職人でもないドニーノがたった1日で作れるものではないから、そういった細かい機構は、ジークのAランカーとしての筋力と、『精霊眼』で補う予定で作られていた。
「結構、癖があるな。だがこの威力なら……」
そんなことをつぶやいたジークであったが、放った銛はようやく水流から解放されて塔の中に入ろうと窓枠に手をかけたエドガンの横すれすれを通り抜け、見事迫りくる魔物魚を口腔から尾まで貫通し、無残な肉片に変えた後、さらに先へと飛んでいった。
「『精霊眼』ってのは、ほんっと、デタラメだな」
呆れたように言うドニーノ。こんないい加減なつくりのバリスタでさえ、『精霊眼』を使って射れば、水中射撃も百発百中。水が銛の勢いを殺さないように流れを変え、方向を修正しているのではないかと思うほどだ。
「まぁ、まぁ。そのおかげで、あれを捕れるのですから、結果オーライというべきですぞ」
作り甲斐がないと嘆くドニーノをグランドルがなだめる。
「はぁはぁ、溺れるかと思った……。ジーク、何もあんなすれすれ打つことなくね!?」
「水も滴るいい男になったな! エドガン」
さすがにムッとした様子のエドガンを、ジークが笑顔で誉めてサムズアップをかます。ボインも古いがこちらも古い。二人の気が合うのもうなずけるレトロさだ。
「……二人ともその辺にしておけ、来たぞ。魔力を消せ」
いつものじゃれ合いを始めそうになったエドガンとジークは、窓からじっと上方を伺っていたフランツの声で窓へと視線を移した。
先ほどの試射でずたずたになり、丸める前のツミレのようになってしまった魔物魚に引き寄せられて、たくさんの魔物魚が群がっている。
撒き餌エドガンはただの前座で、こちらが本番の撒き餌である。ツミレの魚肉ではなくて、それに群がる魔物魚が。
塔からはかなりの距離があるけれど、もともと普通の魚より巨大で数メートルはあるような肉食の魚が何匹も餌に群がり、互いにけん制し合いながら貪る姿は、かなり迫力のある見世物だ。
けれど、そんな魔物魚さえ、餌にしてしまう巨大な影が、無限の水の向こうから急速に迫ってきた。
「デッケー。マジであれ、やんのかよ?」
エドガンが思わず漏らしたのも無理はない。
魔物魚の狂乱に誘われて近づいてきたのは、外洋を航海する船のように巨大な鯨であった。
しかしその姿をよく見ると、図鑑で見かける普通の鯨とはずいぶんと異なる姿をしている。
特に特徴的なのは、体の3分の1ほどもある深海魚のように巨大な口だろう。
通常の鯨が海水を濾して微細な生物を摂取するのに対し、この鯨の魔物、グラドエールは海中に存在する魔力を摂取して生存している。巨体を維持するために必要な魔力量は膨大で、それ故に海水中に溶け込む魔力の濃い海域にしか生息できず、また、魔力を持たない普通の魚を襲うことはない。
そうでなければ、世界中の海からは、あらゆる魚が消えてしまっただろう。
ギュウっと腹をへこませるように体全体が縮んだと思うと、ぐんっと異様な勢いで一気に潜水してくるグラドエール。巨体からは想像もつかない運動性能だ。そしてその巨大な口は、急な潜水に餌を貪る魔物魚たちが散り散りに逃げるより早く、すべてを呑み込んでしまった。
このグラドエールの恐ろしいところは、この運動性能と何でも喰らい、分解してしまう口である。
急速潜行を可能にするのは皮下に蓄えられた特殊な脂肪層で、グラドエールの魔力によって急激な密度変化を可能とする。浮上するときは膨張して浮力を得、潜水時には鉛のような高密度に変化して、恐るべき速度で潜水してくるのだ。
頭上から、あるいは水底からの急速な接近に気が付いた時にはすでに巨大な口の射程内。グラドエールの口蓋から逃れられる海の生物はそうはいない。
しかも、グラドエールは魔力しか糧にできない魔物だけれど、分解するだけならば生物も植物、つまり木片さえも呑み込むだけで分解してしまうのだ。
グラドエールの巨大な口に見合った飛び出した大きな魚眼が、ギョロリと動く。
次の獲物を見つけたのだ。
ぐあぁっと大口を開けて、塔へと突進してくるグラドエール。なんでも分解してしまう、その口が生きて動く様子を視認したのは、ジークたちが初めてかもしれない。
「うげー、キモ!」
思わずエドガンが悲鳴を上げる。
鯨というよりは深海魚のようにがばりと開いた口の中には、さらにいくつも口があった。人間に例えるなら、がばりと開いているのは唇で、口の奥、のどの近くに歯が何列も生えているようなものだ。しかも、ギザギザとしたその歯はかみ合わせごとに関節が複数あるようで、それぞれ別個にガジガジと噛み合わさっている。
塔ごとジークたちをかみ砕こうと突進してくるグラドエールの口先を、虹色の輝きを放つ一本の矢がかすめていく。
『精霊眼』でたっぷりと魔力を込めた精霊の矢だ。
このために、“首飾り”と戦った時も昨夜の戦いでも魔力を温存していたのだ。
精霊の力は魔力とは少し異なるものなのだけれど、グラドエールにとっては甘美な餌であったらしい。その矢を捉えようと、巨大な口の向く先が矢を追ってずれた瞬間。
ドシュ。と銛のように巨大なバリスタの銛がグラドエールの顎関節あたりに突き刺さった。
オオオオオ。
水を介して塔を揺らすほどのグラドエールの叫びが伝わってくる。
「きゃあっ」
「マリエラ! 大丈夫か!?」
「あー、マリエラは大丈夫だし。さ、一緒に避難しとくし。ジークはよそ見しないでとっとと仕留めるし?」
マリエラの珍しく可愛らしい悲鳴に、戦闘中にも関わらず、ぐりんと後ろを振り返るジーク。
いいところを見せて点数を稼ぎたいという思惑が透けて見えて情けない。
ジークが迷宮都市でもたついている間に、マリエラと友情を深めたユーリケが、マリエラをラプトルの背に乗せ安全な下の階へと避難していく。
相乗りだ。ジークの視線に気付いたユーリケが、意味ありげにニヤリと笑うと、
「ほら、マリエラ、しっかりつかまってるし」
とマリエラに声をかける。
「うん!」
ジークの視線もユーリケの思惑も気が付かないマリエラは、すっかりなかよくなった女友達の腰に手をまわして、振り落とされないようにぎゅっと抱きついた。
「ぐぅ……」
うなるジークに笑うユーリケ。
“小僧めが……”
そんな台詞を理性でギリギリ抑え込んだジークの表情は、どう見たって悪役だ。
すっかり、奴隷になる前のジークズに戻ってしまっている。
実際は、少女二人がくっついてラプトルに騎乗している微笑ましい絵づらなのだが、ユーリケが女の子だと気づいていないジークからすると、ちょっと目を離した隙にマリエラを盗られたようにしか見えない。ユーリケのマリエラとどっこいなスレンダーボディーはこんなところで大活躍だ。
ちなみにジェラシーが顔に現れているジークをエドガンが放っておくわけはなく、ものすごーく嬉しそうな顔でジークの周りをうろちょろしている。先ほどの仕返しのつもりかもしれない。
「ほれほれ、ジーク君。見えないところでこそ頑張るのが男前というものだぞぉー」
「黙れ、エドガン。お前に言われたくない」
「二人とも遊ぶな。来るぞ!」
愉快な会話を続けるジークとエドガンをフランツが制した瞬間、ドォンと塔を震わせる大音響が突き抜けた。銛を射かけられたグラドエールが塔へと体当たりしてきたのだ。けれど響いたのは音ばかりで、あれほどの巨体の体当たりを受けても塔はピクリとも動かない。
「ほっほ、《シールド》はお任せあれ」
装甲馬車に始まり、傘、土壁から塔の壁面まで、手が触れられる固体ならば、なんでも盾にしてしまうグランドルが余裕の表情で笑う。
「ドニーノ、今のうちに綱を引け!」
「おうよ!」
ドニーノとフランツは、その剛腕を発揮して、銛に付けられた綱を引き寄せグラドエールが再び距離を取らないように引き寄せる。
「しゃあねぇ、やるぞ、ジーク」
「……すぐに終わらせる!!」
しぶしぶといった様子で銛を掴むエドガンと、ぎらぎらと殺意に満ちた目で銛をバリスタにつがえるジーク。
海の悪魔とさえ言われ、苦戦が予想されていたグラドエールは、体中の関節や急所にジークのバリスタで銛を撃たれ、あっという間に針山のようになって息絶えた。
「ジーク、容赦ねーな……」
「マリエラ! 終わったぞおおおおおぉ」
グラドエールを倒すなり、エドガンも獲物もほったらかしてマリエラとユーリケが待つ下の階へと駆け下りていくジーク。
ユーリケが実は女の子だと知ったジークが、マリエラにまで面白い顔をさらしてしまうのは、もうすぐ先のことだろう。
ざっくり:そういえば、名前が「撒き餌ら」になりかけた錬金術師がいましたね。




