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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
外伝 生き残り錬金術師と魔の森の深淵
206/299

23.血の記憶

 

 かつては緑豊かな土地だったのだと、村の長老は語った。

 それがどれほど昔の事か、この乾いた土地に最後に生まれ落ちたその男には分からなかった。


 真っ青な空と乾ききった大地の織りなす果てしもない地平。

 それが男の知る世界のあり様だった。


 この前、雨が降ったのは一体いつのことだったろう。

 乾ききった大地に、今日も男は種を蒔く。

 がりがりと乾いた大地を傷つけて、そこに己の血を垂らす。


異常回復(サーフェット・ヒール)

 細胞を過剰に増殖させる回復魔法で、大地に垂らされた血液は増殖し、腐敗し、ごくわずかだけ植物に恵みをもたらす土へと変わる。


 蒔かれた種は、文字通り男たちの血潮を糧に成長して、僅かばかりの実を結ぶ。


「ここも、もうすぐ砂漠に呑まれる……」

 男たちの血を吸って、緩慢な死を迎えた周囲の大地は、赤い砂漠に変貌していた。

 この辺りも、じきに砂に変わるのだろう。

 作物のつける実はやせ細り、いくら蒔いても魔力を込めねば芽吹くことさえできない。


 男たちの一族が、乾いた大地に還るのは最早時間の問題だった。


「いつまでこの土地にしがみ付くのか。この土地は見放され、我らは見捨てられたのだ」

 男の言葉に長老たちは力なく首を振るばかり。

「だとすれば、何か我らに咎があり、これは我らの罰なのだろう。

 我らの肉はこの地に芽吹き、我らの命はこの地より湧き出た。ここで朽ちるが我らの定め。すべてはこの地脈を統べる水の精霊の御心のまま」


 水竜の血を引く男たち一族は、その血ゆえに長命で、その血ゆえに頑強だった。

 並の生き物では生きられぬ乾ききった大地を己が血と魔力で潤して、乏しい糧で命を繋いだ。

 赤い砂漠は彼らの墓標。

 緩やかに、飢えて死に、乾いて赤い砂へと還る、信仰という鎖で己をしばりつけた一族たちの最後の地。

 かつて男の一族は、この地の地脈を統べる水の精霊を信仰し、その加護を受けていたという。この地から水の精霊が失せたのが、一体いつのことだったのか一族で最も若い男は知らない。

 この地と一族を統べた水の精霊が、どこへどうして消えたのか、一族の誰も知りはしない。いつか戻って来るのだと、信じてこの地にしがみ付き、一族は最早絶えるを待つばかりだった。

 弱い女性は絶えて久しく、男には朽ちかけた老人たちの他に共に生きる相手もいなかった。


「赤い砂漠は我らが一族の血の証。ここに還るが我らの望み。

 だが若者よ、お前はこの地を旅立つがよい。

 末に生まれたお前だけなら、水の精霊さまもお許しになられよう」

 最後の長老の命が大地に還るのを見送った後、男は赤い砂漠を後にした。


 歩いても、歩いても、変わることなく地平は続く。

 雲一つない真っ青な空は、話に聞いた海というものよりはるかに青く澄んでいるのだろう。

 遮るもののない空の青は、冷酷な太陽の神の衣なのだというおとぎ話を男は思い出していた。

 透き通る美しい青い衣の裾を大地が汚してしまうから、太陽の神は怒って大地を焼き尽くすのだと。

 この地では死を司る月の女神が太陽よりもはるかに優しい。

 凍てつくほどの冷たさで、生という辛苦から解き放ち永久の眠りを与えてくれる。


 最早世界に水の精霊の加護はなく、この乾いた大地と冷酷な空が世界のすべてなのだと男が思い始めた頃、遥かな地平は変化を見せた。


 山だ。

 遥かなる山脈の、山間からは水ではなくて砂が川となって砂漠へと流れ込んでいたけれど、その上空に漂う雲に、男は力を取り戻した。


 雲がある。つまり、あの地に雨が降るのだ。


 幾日歩いたことだろう。

 乾いた岩の山を越え、さりさりと足元で音を立てる乾いた塩の湖を踏み分けて、男は前へと進んでいった。塩の湖は白く乾ききっており、周囲に草木は無かったけれど、掘ると容易く水が湧き出た。

 そのままでは塩辛く、とても飲めるものではなかったけれど、昼の暑さに蒸発した水は夜に冷やされ真水に変わった。


 雲の落とす影を追い、まばらに生える草を、岩陰を走る獣を食らってさ迷う男が、河へとたどり着けたのはまさに奇跡だったろう。


 細く土に濁ったその河を遡り、起源をたどり、辿り着いた源流で男は故郷の真実を知った。

 源流に棲んでいたのは、一族が待ち焦がれた水の精霊。出会った瞬間に、男にはそれが己が血に刻まれた信仰の対象であるのだと理解した。


「慈愛の主、清浄の君、生命の源たる水の精霊よ、何故我らを見捨てたもうたか。今一度、そのお力にて我らの大地を癒やしたもう」


 ようやく見つけた水の精霊に、言葉を尽くしてあの地に戻って欲しいと請う男に、男の故郷を守護していた精霊は遥か昔に消え失せたのだとその精霊は告げた。


 ――水の末裔、我らが末の子。

 苦難の末に、よくぞここまでたどり着きましたね。

 けれど、私は貴方たちの知る水の精霊ではないのです。


 我らは生まれては消え、変転として定まらぬもの。

 私はこの水源に生じて、ひと時存在する一個に過ぎません。


 その地の過去を伝え聞いてはいないけれど、地脈の変動があったのでしょう。

 大地の寿命に比べれば特段に珍しいことではありません。

 地脈の流れが変わったら、精霊は力を失うものだから、水だって枯れてしまうでしょう――


「では、我らの水の精霊は一体どこへ行ったのか? どうすれば戻ってきてくれるのか?」


 ――あの地の精霊は、既に世界に存在しない。

 人だって生まれてやがて死ぬでしょう? それと違いはないのです。

 水の血を引く人の子よ、留まってはなりません。

 この地の水もじき枯れる。水を求めて行きなさい。

 あの地の精霊がいなくなっても、水の慈愛は尽きぬのだから――


 一族を緩慢な死へと導いた土地の干ばつ。

 そこに一族の咎はなく、あれは罰でも何でもなかったのだ。

 地脈の変動、地震や嵐と変わらない、ただの自然災害で大地が枯れただけなのだ。


「ならば、何故我が一族は、あれほどあの地に囚われたのか。捨て去られ忘れ去られて尚、この心のうちを焦がす、この感情は何なのか」

 男の旅は終わらない。

 これは、血に刻まれた遥かな記憶――。



 *****************************



「俺には竜人の血が流れているらしい」

 目覚めたフランツはマリエラとユーリケにそう語った。


 水の精霊を求める男の記憶は、先祖の記憶なのだと話すフランツの顔は、目深にかぶったフードで隠されていてはっきりとは見えないけれど、僅かに見える首元まで青い鱗で覆われている。ブーツはつま先が破れて鋭い鉤爪が伸びているし、手だって装甲の付いた手袋の指先を破って鱗に覆われた指と鋭い爪が見えている。


 恐らくは、フランツとして生きた記憶を失って、竜人の血が暴走したのだろう。


「不思議なことに、ユーリケと帝都で過ごした記憶は残っていたんだ。だから完全に自我を失うことは無かったのだと思う」

 フランツが忘れなかった記憶というのは、数日前にユーリケとマリエラがフランツの元を訪れた時に取り戻した記憶だという。一度取り戻した記憶が再び失われることは無いらしい。あの時、北西の塔を訪れなければ、フランツは完全に竜と化していたかもしれない。


 竜巻に巻き込まれたマリエラたちを助けてくれたのはフランツで、竜化の影響か水の中でも長く過ごせるフランツが、マリエラとユーリケ、ラプトルのクーまで北西の塔の最上階へと運んでくれたらしい。マリエラの肩にへばりついていたサラマンダーも、外套の中に潜り込んだのか無事な様子でよじよじとラプトルのクーの体によじ登っている。


「フランツ、大丈夫だし?」

 フランツの鱗の生えた顔も、鋭い鉤爪もみじんも恐れる様子もなくフランツに寄り添い心配するユーリケ。その様子はいつもの少年然としたものではなくて、年ごろの少女のそれだとマリエラは思った。


「心配させたな、ユーリケ。過去の出来事を一気に思い出したせいか、少し混乱しているが、もう大丈夫だ」

 フランツの記憶の珠はマリエラたちも持ってきていたし、フランツ自身集めてくれていたらしい。すべての記憶が戻ったわけではないのだろうが、以前より姿の変わった今の方が余程フランツらしかった。


「その姿、戻らないんでしょうか……」

 おずおずと尋ねるマリエラ。

 ユーリケは全く気にしていないようだが、人間のサイズを超えてしまった手足や、恐らく輪郭も変わっているであろう顔は、今の帝都や迷宮都市では暮らしにくいものだろう。


「恐らく一時的なものだと思う。記憶に残る先祖の竜人もこのような姿はしていなかったしな。しかし、こちらの方が攻撃力がある。今はこのままでいいだろう」


 戻せると話すフランツに、マリエラは先ほど見た夢を思い出す。

 マリエラが垣間見たフランツの記憶は、血に刻まれた先祖の記憶だけではない。


 恐らくは先祖返りというやつなのだろう。彼の家族にも、少なくとも口伝される範囲において、顔に鱗を持つ者はフランツの家系には現れなかった。

 フランツの父は彼の治癒魔法の才を愛したが、腹を痛めたはずの母親は彼の姿を『蜥蜴もどき』と疎んじた。


 マリエラが覗いた記憶の中には、母の愛を乞う幼い少年が、己の顔を刃物で削り魔法で再生する痛ましい記憶も含まれていた。

 異常回復(サーフェット・ヒール)は、ただの治癒魔法ではない。竜人の血に刻まれた特殊なこの治癒魔法は、術者の意思を反映して対象を癒やす。

 勿論それは自然な姿ではないから、幼いフランツが血を流して得た常人と変わらぬ肌は、彼の強靭な肉体が備える治癒力によって、数週間もするうちに再び鱗が生えそろった。


(フランツの記憶を、ユーリケは見たのかな……)

 蜥蜴と蔑まれて育った男が、人より獣に愛を注ぐ少女との暮らしに安らぎを得たのは、自然な流れだったのだろう。


 フランツに寄り添うユーリケの様子は、心配と安堵以外はいつもと同じように見えて、マリエラが覗いてしまったフランツの記憶をユーリケが見たのかを推し量ることはできなかった。


(フランツの記憶なんて、ユーリケには必要ないのかもしれないな)

 必要なことならば、きっと伝えあうのだろう。彼らはそうやって二人で暮らしてきたのだから。そんな経験は、マリエラにだってあるのだ。


「それにしても……」

 あの時助けてくれたのは、僅かに正気を取り戻したフランツだったのだけれど、そのきっかけになった衝撃と、いきなり訪れた夜明けは一体何だったのだろう。

 マリエラはいつまでもイチャコラしているユーリケとフランツから視線を逸らすと、窓の方へと歩み寄る。


(たぶん……だけど)

 想像はついているのだ。というか、あれから一体何日たったことか。

 勿論、ここと現実世界の時間の流れが違うことだって十分に考えられるのだけれど、そんな事は関係ないのだ。理屈で感情がどうにかなるなら、世界はきっとずっと平和で退屈だ。


「あった、七本目」

 北側の東西をつなぐ通路は壁ごと大きく崩れて断絶している。夜になるとそこから黒い魔物が雪崩のように押し寄せるのだが、その崩れ去った外壁の丁度中間あたりに、新しい塔が立っていた。


(今なら、言い訳を聞いてあげなくもないんだからね!)

『木漏れ日』を飛び出した時の激おこぶりは一体どこへ行ったのか。ツンケン女子ユーリケのデレっぷりにあてられたとでも言うのだろうか。

 二人の世界を醸し出すフランツとユーリケをちらりと見たマリエラは、7本目の塔に向かって心の中で呟いた。








ざっくりまとめ:チョロイン マリエラ、ジークと合流する前にデレ始める。

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