22.ユーリケの決断
圧倒的フランツ。
「僕一人でもフランツを助けに行くし。……ごめん、マリエラ」
ユーリケが口にしたそれは、提案でも希望でもなく断定だった。気持ちはとっくに定まっていたのだろう。
例え依頼の最中だろうと、フランツを優先するとユーリケは決めたのだ。
「一緒にいくよ、ユーリケ。足手まといかもしれないけど、その分きっと役に立つから」
依頼を全うできないと謝るユーリケの手をマリエラは握る。
「ありがと、マリエラ。でも、これは僕らの問題だし。依頼の途中で、僕の都合でマリエラを危険にさらすわけにはいかないし」
黒鉄輸送隊のメンバーとして、依頼主を巻き込むわけにはいかないと断るユーリケ。
「何言ってるのよ! ほっとけないよ、友達じゃない!」
危険にならとっくに巻き込まれている。というか、むしろ巻き込んだのはマリエラの方だ。そう思ったままを口にしたマリエラ。けれどユーリケはきょとんとした表情でマリエラを見た。
「…………友達?」
「…………え? 違うの?」
もしや友達だと思っていたのはマリエラのほうだけだったのだろうか。
張りつめていた空気が微妙な感じに緩む中で、マリエラはマッハで思考を巡らせる。
マリエラはユーリケとフランツの事をほとんど知らない。
迷宮都市で黒鉄輸送隊と出会ってからの短い時間と、この世界で覗いた二人の記憶、それだけだ。
特にフランツの記憶は、ユーリケと帝都で暮らしていた頃の、何気ない日常の様子ばかりで、フランツが一体どういう人物なのか、先ほど咆哮と共に巻き起こった竜巻が、治癒魔法使いであるはずのフランツとどう関係しているのかなど想像もつかないし、そんなフランツをユーリケがどう思っているのかだって、マリエラが勝手に想像しているだけだ。
けれど、良く知る必要などないのかもしれないと、マリエラは思っている。
この不思議な水の世界をユーリケと二人でさ迷った時間は、そう悪いものではなかったのだ。危険さえなかったならば、楽しいとさえ思っただろう。
相手を良く知らなくても、共通点さえなくたって、一緒にいるのがなんだか楽しい。そういう相手を“気が合う”というのだと、マリエラは迷宮都市で暮らすようになって知ることができた。
「そういう相手とは1回飯を食えば、もう友達だよ」
師匠はそう言っていたけれど、あれはやはり師匠のオリジナルルールだったのか。
続く沈黙になんだか少し気まずくなったマリエラが、ちらちらとユーリケの表情を伺うと、ユーリケのほうもなんだかもじもじしながら、小さい声で「違わないし」と答えてくれた。
「よかったー」
変にユーリケが間をおくものだから、マリエラのちょっぴり恥ずかしい勘違いかと思ってしまった。
「……よくないし」
ちょっぴり口を尖らせたユーリケが目配せする先に視線を移すと、ドニーノとグランドルのおっさん二人が、ニヨニヨと生暖かい笑顔全開で、二人の少女の友情劇を見物していた。
そんなおっさん二人に、エテコウならぬエドガンを頼んだマリエラたちが、南西の塔3階の入り口に辿り着いたのは、日の落ちる少し前だった。
途中で少し眠って、黒の戦禍に関する記憶を仕入れておきたかったのだけれど、グランドルを回復させるためのポーションや、使い切ってしまった火炎瓶の補充、その他必要になるであろうポーションを材料から集めて作るのに、思ったより時間がかかってしまったのだ。
エドガンの様子ももちろん気にはなるのだが、記憶を片っ端から失ったエドガンは、野生が目覚めてしまったようで、肉体的にはむしろ絶好調のようにも見えたから、全員が「なんか大丈夫そう」という意見で一致して、手分けをして採取や食料調達、治療や通路の確保を優先して夜の訪れを待つことにした。
「マリエラ、全速で行くし。しっかり捕まってるし」
「うん、わかった!」
「グギャ」
夜の訪れとともに南西の塔を4階まで駆け上がり、防壁を通って北西の塔へ向かう。室内の廊下は安全だけれど、天井が低く装飾品も多いからラプトルで駆け抜けるとどうしても速度が落ちてしまう。黒い魔物を蹴散らして進む方が余程早く着くとの判断だったが、今までならば黒い魔物で溢れていたはずの北西の塔の付近はおどろくほどに魔物が少なく、マリエラたちは苦も無く塔へと接近できた。
嫌な予感がする。
進路を阻まれることなく駆けているのに、焦燥感がじりじりと胸を焼く。
マリエラはもう直ぐ到着する北西の塔のその先へと目を向ける。
この景色は何度目だろう。
塔から洩れる松明の灯りが、防壁の輪郭を闇夜にうっすらと描き出している。
その薄暗い防壁に、光さえ呑み込むように蠢いているのは、夜より暗い魔物たち。
防壁の向こう側には潮が満ちて来るように、黒い魔物が押し寄せているのだろう。
大きく崩れた北の防壁の、東側では時折炎が立ち昇る。
エドガンか、それとも駆け付けたドニーノとグランドルが火炎瓶を使ったのかもしれない。
そしてそれに呼応するように、マリエラたちの向かう北西の塔の少し先からは――。
「フランツ!!」
ユーリケには、暗闇に浮かび上がるその影が、フランツに見えたのだろうか。
前傾の姿勢から繰り出される拳は、マリエラの目ではとらえられないほど早く、素手で繰り出されているはずの攻撃に、黒い魔物は切り裂かれて霧散していく。ひと時も立ち止まることない二足の脚が生み出す跳躍は、マリエラの知るどの冒険者より高く鋭い。
遠く離れて見ているからこそ見失わずに済むだけで、詳細を視認することも困難な、力強くも俊敏なその動きは、人の域を凌駕しているようにマリエラには思えた。
(……まるで、獣)
ユーリケの声が届いたのだろうか、こちらを振り向いたその顔は隔てる距離に見ることは叶わないけれど、何か得体の知れないものに見つめられたような、そんな気がマリエラにはした。
その背後から、せり上がり、津波のような黒い魔物がフランツを押しつぶそうと襲い掛かる。
「フランツ、危ない!!」
声の限りに叫ぶユーリケ。その声をかき消したのは、黒い魔物を巻き上げ渦巻く竜巻と、その中心で人とは思えぬ咆哮を上げるフランツだった。
「オオオオォ、ガアアアァ」
「フランツ! フランツ!」
「危ない! ユーリケ!」
ラプトルから飛び降りてフランツへと駆け寄ろうとするユーリケをマリエラは必至に止める。
「離して、マリエラ! フランツが!!」
ユーリケを止めようと服を掴んだマリエラ。騎手の制御を失ったラプトルが戸惑うように速度を緩めた瞬間に、フランツを中心に幾つも生じた竜巻が、ラプトルごとマリエラとユーリケを宙へと巻き上げた。
「きゃあっ」
竜巻に巻き上げられたマリエラの脚元に広がっていたのは、壊れた北の防壁の外の光景。
果て無き地平のごとく広がる森を真っ二つに切裂くように、神殿へと続く黒い道。
あたり一面を埋め尽くし、壊れた防壁の隙間から神殿へと流れ込もうとする真黒な禍の奔流だった。
その一部は、竜巻に巻き上げられながらも、身動きの取れないマリエラたちを呑み込もうと生き物のように迫りくる。
禍々しい濁流に呑み込まれそうになった時、マリエラは“怖い”と本能的にそう感じた。
それは魔物を前にした命を奪われるような、恐怖心ではない。
即座に命を奪われるわけではないけれど、じっとりと絡みつき、内側から命を蝕まれるような、死よりもつらい生を強制されるような、そのような恐怖心であった。
マリエラにそのような経験は無いけれど、誰かを楽しませるために、長く生かされながら拷問を受け続ける、そんな定めを前にした囚われ人の心境に近いのかもしれない。
まるで定められた水路のようにこちらへ向かって流れ込んでくるそれは、怒りであり、痛みであり、哀しみであり、苦しみであり、誰かを虐げたいと、呪わしく、狂わしく、願い祈る歪んだ人の心だと、マリエラはそのように感じた。
歪んだ黒い流れがうねる。
黒い魔物の集合体が竜巻にまき上げられ足場を失ったマリエラとユーリケに手を伸ばす。
己に関係のない人間の、不幸は甘くかぐわしい。
それを味わいたいのだと、喜びも悲しみも、その者が心に抱く、その者をその者たらしめる記憶を全てなめ尽くそうと、黒い腕を二人に伸ばす。
「怖い、怖い、怖い。助けて、助けて……ジーク!!」
その時。
世界を変革するように、空が、大地が揺れ動いた。
始まったばかりに思えた夜は、眩しいほどの光と共に突然に終わりを告げた。
清い水が世界に溢れ、激流が黒い魔物を押し流す。
激しく揺れ動く世界の中で、マリエラとユーリケは、なにかに抱えられたと感じた。
目まぐるしく変貌する状況の中、マリエラが認識できたのは、
「フランツ……」
とつぶやくユーリケの安堵を含んだ声と、破壊された北の防壁を塞ぐように現れた、7本目の塔だった。
(……遅いよ)
少し憎たらしく思いながらも安堵を覚えたマリエラは、流れ込んでくる誰かの記憶に意識を委ねた。
ざっくりまとめ:マリエラの友達が増えた! そしてエドガンの友達は……





