16.災厄の記憶~疫病~
「ワシが目覚めたのは西の塔だな。その日のうちに北西の塔に行ったんだが、フランツの奴がてこでもあそこを動こうとせんから、神殿を目指すことにしたんだ」
ドニーノを紐蔦のロープで引っ張り上げ、無事に合流出来たマリエラとユーリケは、安全だと思われる南西の塔に一旦戻って食事を取りながら情報の交換を行った。
フランツと別れたドニーノは南西の塔を2階に下りた。自分が目覚めた西の塔を中心に探索しようとしたのだろう。先に北上して西の塔に辿り着き、ロープで1階におりたのは、偶然にも正午頃だったそうだ。
「あんな、なんでも喰っちまう化け物がいるとはな。もうちっと慎重に動くんだったぜ」
ドニーノの話によると、あの飢えた黒蜘蛛はほかの魔物を見境なく喰らうらしい。ほかの魔物もあの黒蜘蛛が現れると、ドニーノを無視して黒蜘蛛に襲い掛かる。
恐るべきはその食欲で、どれほど魔物を喰らっても体が大きくなる様子も、飢えが満たされる様子もないらしい。
「あいつらが喰らい合ってくれたおかげで、ワシは生き残れたんだがな」
主だった魔物を喰らい尽くし、自身も魔物に喰われて動けなくなるのがちょうどこのくらいの時間なのだそうだ。
マリエラたちが見た、脚も体も欠けた姿は、魔物に喰われた成れの果てだったらしい。それでもあの黒蜘蛛は死ぬこともなく、あそこで魔物の残骸を喰らい続けて夜を待つのだ。
「逆に夜はやべえ。魔物は活動を止めやがるし、黒蜘蛛が復活する」
西の塔の1階には噴水が設けられていたけれど、その取水口を伝って軟体状の黒い魔物が湧き出してくるのだそうだ。そしてそれを吸収した黒蜘蛛は喰われた体や折れた手足を補って急速に復活する。復活した黒蜘蛛の速度は速く、その攻撃力は1階に溢れる魔物を一体で全て喰らいつくせるほどで、パワーはあるが速度に劣るドニーノでは分が悪い。何より、どれほど叩きのめし、すり潰してもまるで痛みを感じないようにいつまでも襲い掛かって来るから、とても相手などしていられない。
黒蜘蛛は部屋の扉は開けられるのだが、塔の扉や“首飾り”がいたエントランスの扉を開けることはできないらしい。しかし西の塔1階には扉がないから、西の塔の木や虫の魔物の残骸を喰らいつくした後は、廊下添いの部屋を喰い荒らしていたそうだ。
「“首飾り”も夜の間は眠っているし、あの部屋の扉も開けられねえようだから、夜の間に“首飾り”の生垣に穴開けて、抜け出すつもりだったんだが硬いのなんの」
マリエラたちが聞いた打撃音は、ドニーノが“首飾り”の生垣を壊そうとしていた音だった。もっとも“首飾り”の表面を覆う蔦は鋼のように強靭で、破壊することもできずにいたそうだが。
夜が終われば“首飾り”は目を覚まし、毛虫の魔物が襲い掛かる。際どいタイミングではあるのだが毛虫と黒蜘蛛を鉢合わせにすれば、喰らい合っている間にどこかの部屋に逃げ込める。
夜が終わってしばらくの間に、木々の魔物は急激に芽吹いて大樹へと成長し、虫の魔物は卵からかえったり羽化して1階に溢れかえるのだそうだ。そして、魔物たちと黒蜘蛛は喰らい合いを始める。毎日、この再生と捕食を繰り返していたらしい。
「いやぁ、久々のまともなメシは旨いな」
そう言いながら、マリエラが調理した魔物肉にかぶり付くドニーノ。
二人の少女はしばらく顔を見合わせたあと、食べ物にシフトしそうになった話題を逸らした。
木と虫の魔物ばかりの場所でドニーノが何を食べていたのか。
30代後半らしいが50歳と言われても違和感がないほどおっさん臭く、ワイルドな感じのドニーノだ。いざとなればなんだって食べるのだろうが、そんな話は聞きたくはない。
「ともかくドニーノさんが無事でよかった。あとはグランドルさんが見つかれば……」
まだ見つかっていないのはグランドルだけだ。それぞれ別の塔で目覚めたのなら、グランドルは東の塔にいたはずなのだが、一体どこにいるのだろうか。
「グランドルなら、たぶんあそこだ」
ドニーノが下げた道具袋から折り畳み式の望遠鏡を取り出して、窓から西の塔のあたりを示す。
「わ、ほんとだ……」
「外、水だし? 呼吸できるし?」
マリエラとユーリケが交互に確認した東の塔付近の中庭には、グランドルが乗り込んでいた、ラプトル積載用箱型鎧が水の中に沈んでいて、巨大な蛇のような生き物が箱型鎧の周りを取り囲むようにとぐろを巻いていた。
その横を一匹の魔物魚が泳ぎ寄る。
ぐわ、ととぐろを巻いていた蛇の上半身が水を切ってその魚の胴に喰らい付く。
「うわぁ、ユーリケ、あれ」
マリエラから望遠鏡を受け取ったユーリケはとぐろを巻いた蛇の上半身を確認して溜息をもらす。
「うん。あれ、ラミアの亜種だし。腕6本とか、結構な上位種だと思うし……」
下半身をグランドルのいる箱鎧に巻き付けたままでもゆうに2階に届くであろうその体長。ラミアとはあれほど巨大な魔物だっただろうか。
「魔物は夜の間に黒い奴らに喰われていなくなるんだが、あのラミアはグランドルのシールドで守られてあそこまでデカくなったみてえだ。未だに巻き付いてるってことは、グランドルは無事なんだろうが……」
「ドニーノ、あいつ殺れそう?」
「一人じゃ、無理だな。動きを止める奴が要る。エドガンがいりゃあな」
考え込むユーリケとドニーノ。あのラミアは相当強い魔物らしい。
エドガンがいれば何とかなるらしいのだが、エドガンが北東の塔を離れれば守りが手薄になった北側から大量の黒い魔物が押し寄せるだろう。フランツ一人で持ちこたえられるだろうか。
「蛇なら、助けになりそうなポーションがいくつかあるんだけど……」
マリエラが提案したポーションは、蛇の嫌う臭いを出したり、振動を検知する蛇の器官を狂わせたり、体の熱を奪って動きを鈍くするものだ。
どれも陸上に生息する蛇の魔物用の物だけれど、このラミアは恐らく水陸共に生息可能だし、顔があるから振動だけでなく視力で獲物を識別しているかもしれない。それに上位種だから、どれだけ効果が見込めるかは未知数だ。
何より、材料が少しずつ不足していて、西側では入手できそうもない。
「いずれにせよ、東側に移動しなけりゃ始まらねえな。日が暮れるまでここで休んで、夜になったら移動すんぞ」
「分かったし」
食べられる時に食べ、眠れる時に眠る。
戦士らしい判断力で、その場に寝転がり眠りに就こうとするドニーノに、マリエラは慌ててポーチの珠を取り出した。
「ドニーノさん、これ。ドニーノさんの記憶の珠だと思うんだけど」
マリエラが取り出した記憶の珠は、エドガンの物より落ち着いた色合いの、茶色とこげ茶のシックな珠だ。二つほどある。
「記憶の珠? なんだそりゃ」
マリエラは今までのことを話して聞かせる。記憶を取り戻す条件がまだはっきりとは分かっておらず、皆で固まって眠った方が確実に記憶が戻るだろうこと、その場合、ドニーノの過去をマリエラたちが覗いてしまうことも。
「なるほどな。でもな嬢ちゃんよ、人の記憶なんざ見ねぇに越したことはねぇんじゃねえか? 余計なもんをしょい込んじまうぜ」
記憶の珠をマリエラから受け取り、ポケットへしまい込むドニーノ。
「ワシは一人で適当な部屋で休むぜ。なに、記憶ったっていいもんばかりじゃねぇんだ。一つや二つ戻らなくてもワシに変わりはねえからな」
彼はそう言うと、北の扉を開けて近くの部屋へと消えていった。
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(これ、ドニーノさんの? ……違う、これは、あの夢だ……)
ユーリケと二人、西の塔で眠りに就いたマリエラは、再びあの森の中にいた。
――やあ、ひさしぶり。――
――飽きもせず、よく来るものよな。――
湖の精霊に会うのは、これで何回目だろうか。
ほかの炎の精霊たちは、ランプに宿って森を抜けるこの仕事を退屈だと嫌うけれど、この炎の精霊はそんな風には思わなかった。
いつだって、あの水の精霊に会えると思うと、暗い森をのろのろと進むのだってあっという間に感じられたし、帰り道は水の精霊の姿を思い出している間に、街へと帰り着いていた。
この頃には人間たちの住む場所は、村と呼ぶには人が多くなり過ぎていた。
どれだけの時間が流れたのか、そんなことは炎の精霊にとっては全く意味のないことだ。
糧が得られなかったり、存在することに飽きてしまえば、この世から消えて地脈に還る。それが精霊というもので、生じることも、存在することも、消え去ることも、全てに等しく価値があり、同時に等しく価値がない。
もともと肉の体を持たないものだ。生じやすいし、変じやすいし、消えやすい。その度意識は変わるのだけれど、それは、人間に例えるならば、昨日の食事を覚えているかいないかと言った程度の事なのだ。
けれど稀に拠り所となる物を見つける精霊も存在する。
例えば聖樹の精霊などは、芽吹いたばかりの聖樹の双葉に宿って共にこの世に存在する。
精霊が宿らなければ聖樹は成長することがなく、聖樹が枯れれば精霊もまた存在を消す。稀に成熟した聖樹の精霊が、聖樹から離れて単独で存在したりもするけれど、それは極めてまれな例で、並の精霊ではありえないことだ。
特に炎の精霊は、移ろいやすく気まぐれで、火という事象の示すが如く、延々と存在し続けるものは数少ない。その少ないわずかな精霊は、燃え尽きることない火山の火口や、地下深くにあるマグマの川に棲むものだから、街の灯火を転々としながら存在を続けるその炎の精霊はとても珍しいものだった。
普段は小さな町の灯火に身を潜めているものだから、炎の精霊自身気が付いてはいなかったけれど、長い時間、存在し続けて炎の精霊は、以前のような水の精霊の一息で消えて無くなってしまうような儚い存在ではなくなっていた。
だからこうして、人間たちが儀式を行っている間、水の精霊と言葉を交わすことさえできる。
――人の街っておもしろいんだ。――
精霊にとって、人も他の動物も2本足で歩くか4本足で歩くか程度の違いしかないから、大人と子供くらいの区別はつくのだけれど個々人を見分けることは難しい。けれどその炎の精霊は、この水の精霊に会うために存在し続けるうちに人の暮らしにも興味を持つようになっていた。
ついこの間まで簡単に燃やし尽くせるような、隙間だらけの木の家に住んでいたと思ったのに、今は木だけではなくて石や漆喰を塗り固めた家に住んでいて、炎の精霊が宿れる場所はランプやかまど、暖炉のそばしかない。少し離れた山の方では、いつのまにやら鉄を溶かす大きな窯もできていて、最近、炎の精霊たちの間で人気のスポットになっている。
パンを焼く竈に宿って、ぷにぷにとした生地がふわふわに膨れて美味しそうなパンに焼きあがる過程や、大きなかがり火を人々が囲んで盛り上がる祭りの様子、松明を片手に街を襲う魔物を撃退する戦士たちの戦いぶりを、炎の精霊は楽し気に語る。
そんな炎の精霊の話を、この湖に住まう水の精霊は穏やかな表情で聞いていた。
――お前がそれほど愛しく思える者たちならば、私も慈しむことができようよ。――
そう微笑んで、水の精霊は人々の運んできた真黒な穢れを湖へと引き寄せる。
『イ……。……タ……。……ナイ』
人間の暮らしはとても賑やかで、その変化は目まぐるしいものだ。喜びも、悲しみも、怒りも、苦しみも、今の炎の精霊にとっては感情の変化としか理解できない。季節が移ろいゆくのを眺めるが如く、人々の変遷をただ興味深く見つめていたのだ。
勿論、人間の感情には良くないものもたくさんあった。そういうものは寄り集まって、穢れとして人間たちにも世界にも良くない影響を及ぼすのだ。作物を枯らしたり、天候を狂わせたり、疫病を招いたりもする。
人間たちは穢れが余程濃いか、特別な能力を持った者しか穢れを見ることはできないようで、そういった者が穢れを祓う時には、炎の精霊はいつも力を貸していた。
勿論、力が及ばないことはある。
今日の穢れだってそうだ。
恐ろしい病がはやり、人が血を吐き死んでいった。
血を吐きながら、残される幼い子供を案ずる母親。
死にたくないと、震える病人。
いかさまの薬を売る商人や暴利をむさぼる治癒魔法使いに、身ぐるみ剥がれる家族たち。
治癒魔法が病魔さえ回復させると知らぬ人々は、病人の残り少ない体力を治癒魔法で引きずり出して、上辺だけ病人を回復させてはその苦しみを長引かせる。
やがて、いつまでも治まらず猛威を振るう疫病に、人々の不安は怒りに変じて病人へと牙をむく。
生きたまま焼き殺される病人に、病魔の子として、撲殺される幼い子供。
病人を診た治癒魔法師や錬金術師さえ、病魔付きと石撃たれる。
「痛い、痛い、死にたくない」
そんな阿鼻叫喚を、たかが術師が、精霊が、何とかできようはずはないのだ。
穢れを乗せた箱舟は、水の精霊の足元で、湖の中へ沈んでいった。
底の見えない深い水底で、ゆっくりと世界に還って行くために。
ざっくりまとめ:グランドル、ずっと沈んでた。.。o○ブクブク




