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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
外伝 生き残り錬金術師と魔の森の深淵
193/299

11.2階へ

今回は接戦でしたが2になりました!

 たぶん、焦っていたんだと思う。


 魔物に相対する力がない。それは、ユーリケの鞭や火炎瓶でどうにもならない魔物が現れた場合、逃げるしかないということだ。

 マリエラだって魔の森で暮らしてきたのだ。そんなことは、誰よりも分かっていたから今まで慎重に行動してきたというのに、不気味で数は多いけれど、火炎瓶ファイヤーで倒せてしまう黒い魔物ばかりだったから、ここには黒い魔物しか現れないのだと、そう思い込んでいた。


「西の塔の散策は後回しにして、とにかく2階へ急ごう」

 北西の塔でマリエラとユーリケがそう話し合ったのは、フランツの記憶がだいぶ抜け落ちてしまっていたからということもある。

 マリエラが持っていた記憶の珠の分、フランツは記憶を取り戻したけれど、それは彼がなくした記憶のほんの一部でしかなかったのだから。


 けれどそれ以上に。

「フランツ! その顔……!」

 ユーリケの動揺した声にマリエラが振り向くと、ユーリケがフランツの仮面を外しているところだった。降ろされたフードから流れる髪は、記憶の珠と同じ青色ですっきりと切られて後ろに流れている。

 離れた場所から顔の細かい造りを見ることはできないが、マリエラが思っていたよりもずっと若い雰囲気で、ジークやエドガンと同じ年頃に見えなくもない。


 いや、随分と落ち着いた雰囲気だから、非常に落ち着きのないエドガンと並べるとずっと大人びて見えるのだろうが。


 けれどマリエラを驚かせたのは、フランツの落ち着いた雰囲気などではなくて、その額や鼻筋を覆う髪と同じ青だった。遠くからでも硬質に思えるその色合いは、鱗なのではなかろうか。


 マリエラの視線に気づいたフランツはさっと仮面をつけてフードを被って顔を隠してしまったけれど、いつもは人と変わらない仮面の下から覗く素肌に、青い鱗がほんの少しのぞいて見えていた。


(フランツさんは亜人の特徴がある人だって……。でも、あの顔。鱗、拡大してるんじゃ……?)


 フランツは、この場所が自分の根源に連なる場所だと言っていた。守らねばならないからここを離れられないのだと。

 その根源が亜人の血だとして、それがフランツを蝕んで、ここで黒い魔物と戦わせ、彼の記憶を失わせていく。


(まるで、作り変えられていくみたい……)

 その考えにマリエラは心底ぞっとした。


 もし記憶を全て失ってしまったら、フランツはどうなってしまうのだろう。

 もし自分が記憶を失ったなら、それでも自分だと言えるのだろうか。


「ユーリケ、急ごう」

「わかってるし」

 フランツに火炎瓶を半分と当面の食料を渡すと、二人の少女は夜の訪れと共に北西の塔を飛び出したのだ。



 南へ、南へ、南へ。

 火炎瓶で黒い魔物を燃やし尽くしながら、ユーリケはラプトルを南西の塔へと走らせる。

 途中、西の塔を通り抜け、南西の塔に飛び込む。


「マリエラ。火炎瓶を!」

「うん!」


 火炎瓶の扱いも手慣れたものだ。マリエラたちにはサラマンダーが付いているのだ。マリエラが大量に込めた魔力で立ち上がる火柱も、マリエラたちの髪一筋さえ燃やしたりはしない。


 南西の塔の3階に火炎瓶を放り込み、炎に包まれた部屋へと飛び込む。

 3階は、ユーリケが話していた通り壁の一部が崩れていて、外から黒い魔物が侵入し放題の状態だった。塔の外から見ていたならば、崩れた壁から炎が噴き出す様が見えただろう。

 マリエラの放り込んだ火炎瓶の炎はサラマンダーのお陰かすぐに鎮火して、マリエラたちは呼吸に困ることさえなかったのだけれど、南西の塔3階には魔物どころか木箱や棚らしきものも燃えカスしか残っていない。それと、床に幾つか丸い物。


「また、珠……。煤けてよく見えないけど、これは……」

「マリエラ、確認は後でいいし。2階に急ぐし」


 外壁上の通路とここで、いくつめの珠だろうか。確認するのは後でいい。進めるだけ先に進もう。

 マリエラたちは拾った珠をポーチにしまうと、さらに下の階、2階へと歩みを進めた。



「下への階段は、ないね……」

「そう簡単にはいかないし」

「グギャァ……」


 南西の塔2階には北と東に続く扉があるだけで1階に続く階段はなく、神殿を目指すには再び下り階段を探さねばならない。

 そうすんなりと進めるとは思っていなかったから、マリエラとユーリケに落胆はなかったけれど、困惑気味にもじもじしているものが約1匹。


「ん? クー、どうしたし? あぁ、絨毯か。大丈夫だし。汚したって怒る人はいないし」

 この塔の2階にはとても高そうな絨毯が敷かれていて、普段室内に入ることのないラプトルのクーはふかふかとした足元の感触に、どうしようかと困惑していたのだ。


「ギャア!」

 踏んでもいいとユーリケに許可をもらったクーは、嬉しそうにその場で絨毯をふみふみしては、ふかふかとした感触を楽しんでいる。


「随分と雰囲気が変わったね」

 絨毯だけではなくて、床や扉の材質や作りも3階とは変わっている。古い時代の宮殿か神殿かという感じだろうか。マリエラの知っている一番豪華な建物はシューゼンワルド辺境伯家なのだが、それより豪華で重厚な造りのようだ。


「この部屋は豪華だけど何もないし。先に進むし」

 絨毯のふかふか具合を楽しんでいるのはクーだけで、ユーリケは素早く扉に走り寄ると、そっと東に続く扉を開ける。


「マリエラ、部屋があるし……。見える範囲に魔物はいないみたいだけど、明かりはまばらで安全かは分からないし。……北側も同じだし」

 両方の扉を開けて続く廊下を確認するユーリケ。3階までは塔と塔を繋ぐだけの廊下だったのに、2階には内壁側に部屋が幾つもあるようだ。

 そして、部屋のある内壁側にまばらに灯っている灯り。扉が照らし出されていることから、扉の近くにだけ松明が灯っているのだろう。

 廊下にも豪華な絨毯は敷いてあって、濡れているようには見えないからどちらの廊下も水没したりはしないようだ。


「扉のそばに明かりがあるってことは、部屋の中は安全なのかな?」

「さあ? でも扉のサイズから、ラプトルに乗ったままでは部屋に入れそうもないし」

 ユーリケは最初に開けた東側の扉から東西の廊下に一歩踏み出す。北側、つまり左手側には扉が並んでいて、数歩進めば最初の扉を開けられそうだ。


 とりあえず扉の向こうを確認しようかと、あたりの様子を伺いつつ進むユーリケ。マリエラとクーも安全だろう南西の塔からユーリケの後に続いて廊下に踏み出す。


 右手側は一定間隔で窓が開いていて、外は暗く夜はまだ明けてはいない。ここまで来た様子から、外は黒い魔物で溢れているはずなのに、南西の塔にもこの廊下にも黒い魔物は影も見えない。


 ここは、安全なのかもしれない。

 そんな風にマリエラたちが思った時、遠くで何かを叩くような音が聞こえてきた。


 コーーン、コーーン、コーーン。


「!! 今の音! きっとドニーノだし」

 外は暗く、廊下の灯りは心もとない。東へ伸びる長い廊下の果ては薄暗がりにかき消されて、南東の塔まで続いているのか、それとも途中に何かあるのか見通すことはできない。


 けれどその廊下の向こうから、何か硬い物を叩く規則正しい音が聞こえたのだ。


「行こう! ユーリケ。出口があるかも! 夜のうちなら外にも出られるよ!」

 二人は並ぶ扉のどれも開けずにラプトルの背に飛び乗ると、全速力で音のした東の方に走り出す。


 真っ直ぐな、けれど暗くて見通しの悪い廊下を走ると、所々に灯る松明の灯りがぐんぐん後ろに流れて行って、まるで幻の世界のようだ。

 この世界は、まるで誰かの悪い夢の世界のようにも思える。


 コーーン、コーーン…………。

 進むにつれ大きさを増した打撃音が急に途切れた。


「音が……! あの扉の向こうだし!」

 長い廊下の終わりは、東西に続く廊下のおよそ半分ほどの距離で訪れた。突き当りでは両開きの大きな扉がマリエラたちを出迎える。他の扉とは違って、ラプトルに騎乗したままで十分通れる高さも幅も十分な、立派な扉だ。


「この辺りから、例の神殿に行く道があるんだったよね? ってことは、エントランスがあるのかも!」


 きっとこの扉の先に下に続く階段があるのだろう。そして、外に、塔と外壁に囲まれた巨大な神殿へ続く道があるに違いない。

 もしかしたら、夜が明けてあたりが水で満たされる前に、神殿に辿り着けるかもしれない――。



 マリエラとユーリケは、焦っていたのだ。

 記憶を失い、姿さえ変貌していくフランツを見て。

 そして油断していたのだ。今まで黒い魔物にしか襲われず、それらを火炎瓶で軽くあしらってこられたから。


 “ここは安全かもしれない”なんて、記憶を喰われるこんな世界で、あるはずはないのに。


 どうして打撃音が途絶えたのか、この扉の両脇に松明は灯っていたのか、廊下の窓から見える空の色は、夜の闇色かそれとも夜明けに白んでいたのか。


 そのすべてに意識を割くことさえせずに、マリエラとユーリケは扉を開ける選択をした。



 キィ……。

 クーの背中にマリエラを残してひらりと降りたユーリケが扉の取っ手に手を掛けると、重厚な佇まいからは予想もできない軽やかさで扉が開いた。


 そこは、マリエラたちの予想通り、中央の神殿へ続くエントランスのような場所だった。2階の廊下は扉の向こうで階段に変わり、南東の廊下側から続く階段と踊り場で合流して1階へと下っていく。本来はそういう作りなのだろう。


 けれど、マリエラたちの行く先は、階段の合流地点よりずっと手前で立派な大樹によって塞がれていた。


「木……? まるで壁みたいに……」

 1階から2階の天井に突き当り、そのまま左右に広がった巨木の周囲にも、天井に届く樹木が幾本も生えていて、階段は途中でふさがれ下に下りることはできない。木々の隙間を通り抜けられれば、外へも行けるのだろうけれど、うねうねと蔦が木々を繋ぐように生えていて、通り抜けられる隙間も見られない。

 扉を開けた瞬間に流れ込んできた緑の匂いと巨大な木々は森の中を思わせたけれど、一本の巨木を中心に不自然なまでに密集したこの大木はいびつな生垣のようにも思えた。


「これじゃ、外に行けないし。下に飛び降りることは……」

 ユーリケが階段のフロアに脚を踏み入れ、手すりから1階を見下ろす。


「おーい、誰かいるし?」

 とりあえず音の主を探してみよう。そう考えたユーリケが声を上げる。

 すると、階下の少しはなれた場所から、呼びかけに答える者がいた。


「その声、ユーリケか!?」

「ドニーノ!? 下にいるし?」

「よかった、ドニーノさん、無事だったんだね!」

 思わずマリエラも声を上げる。やはり、先ほどの打撃音はドニーノだったのだ。

 黒鉄輸送隊で装甲馬車のメンテナンスを行っているドニーノは、ハンマーを武器とし、向かう敵をその剛腕で叩き潰すのだ。スピードのあるタイプではないものの、決して弱いわけではない。

 けれど、そのドニーノは、2階にユーリケやマリエラがいることを察知すると、鋭い声でユーリケを制した。


「ユーリケ、今すぐそこを離れろ!」

 ドニーノの声に、マリエラのいる廊下側へと飛び退るユーリケ。その瞬間。


 ぶるり、とマリエラたちの行く手を塞いでいた樹木が身震いをした。巨木の表面を隙なく覆い、周りの木々と繋いでいた蔦がばらりと、まるで結い上げた髪がほどけて流れるように一気に外れて木々の表面が露になる。


「ひっ! 顔!?」

 マリエラが、短い悲鳴を上げるより早く、ほどけた蔦がまるで生き物のように蠢いて、ユーリケの居た場所に幾本も叩きつけられ、その反動で絡み合う。

 ユーリケの退避が一瞬でも遅かったなら、ユーリケは蔦に絡まれ引きちぎられていたかもしれない。

 露になった樹木の幹には、血のように赤い目と、肉を裂いた傷口のような鼻孔と口が穿たれて、じろりとマリエラとユーリケをねめつけていた。


「こいつ、“首飾り”だし!」

 退避した次の一歩でマリエラとラプトルのそばまで飛び退ったユーリケが叫ぶ。


 “首飾り”。

 それは人面樹と呼ばれる人の顔を持つ樹木の魔物の、とある品種に付けられた俗称だ。


 樹木に様々な種類があるように、樹木の魔物も多様性に満ちている。

 都の学者が付けた正式な名前もあるのだろうが、ユーリケたち冒険者にとっては名称などはどうでもよいのだ。それが、どのような魔物で、どう対処するべきか。それが端的に分かることこそ重要なのだ。


 “首飾り”という俗称もこの樹木の魔物の特性を端的に表している。

 幹に現れた表情やこの名前が表わすとおり、この樹は最も虚栄に満ちた種族と言われている。この樹の魔物と意思の疎通を行った者はいないから、真意のほどは定かではない。

 ただ、一般的な人面樹が時折、醜悪な花や果実を付けてその身を飾るのに対し、この樹だけは花を咲かせることも果実を実らせることも無い。


 その身を飾る何ものをも持たないこの樹の表情は、どの人面樹よりも妬みに満ちたように見え、充血した目や生き血をすすった後のような真っ赤な口は、嫉妬に狂った生霊に取りつかれたようにも思える。


 そしてこの樹は、己が身を食い破らせて取り込んだ蔦を手足の如く用いて、通りがかる人や獣を無差別に襲うのだ。その首を触手で釣り上げ、まるでペンダントを掛けるが如く己が身を飾るために。


 それ故に、付いた通称が“首飾り”。

 根を使って移動することはできないが、蔦は鋼のように固くて攻守に長け、意のままに動かせる。

 好戦的で厄介な樹木の魔物である。


「ユーリケ、反対側で落ち合おう。いいか? 昼だ。ちゃんと昼になってから来るんだぞ! 分かったな!?」

 ドニーノの姿は確認できない。けれど聞こえてくるのは、ガキン、ゲィンという、鈍器同士が打ち合うような硬い音で、階下でもドニーノが“首飾り”と交戦していることが伺える。“首飾り”を引き付けて、ユーリケたちが逃げる隙を作ってくれているのだろう。


「ドニーノ!? 分かったし!」

 ユーリケはドニーノに返事をすると、マリエラとクーのそばまで退避する。


 “首飾り”はドニーノだけでなくマリエラたちも獲物とみなして、捕捉しようと蔦を動かす。

「ギャギャ!」

 その攻撃を軽やかに避けるラプトルのクー。


「早く行け! そいつの武器(エモノ)は蔦だけじゃねぇぞ、気を付けろ! こっちも離脱する!」

 ドニーノはそれだけ叫ぶと、離脱を始めたようだ。打撃音が少しずつ遠ざかっていく。


 ドニーノの警告。その意味はすぐに知れた。

 捕まらないマリエラたちに、まるで癇癪を起したように“首飾り”がぶるぶると体を震わせたのだ。


 ぼだ、ぼだ、ぼだん。

 天井いっぱいに広がった“首飾り”の枝葉から、何かが幾つも落ちてきた。


 うねうねと、身を捩るその体が、白くつるんとしていたならば、……もちろんそれでも十二分に悲鳴を上げるに値するものではあるのだが、まだ、視覚的には優しかったかもしれない。


 遠くから見れば、ふかふかしていると思える者は、それの魔物ではない通常種を触ったことがないのだろう。


 毛と、棘と、毒。

 たくさんある、けれどひどく短い脚に、強靭な歯。

 こちらを向いた頭部の黒は、眼なのかただの模様なのか。

 判別は付かないけれど、「目が合った」と、マリエラとユーリケはそのように感じた。


「ひゅっ」

 思わず息を呑んだのは、マリエラか、それともユーリケか。


 脊髄反射のようなスピードでラプトルに飛び乗り全速力で来た道を走らせるユーリケと、こちらに向けて異様な速度で突進してくる、巨大なそれら。

 人の頭など一口で喰い千切れそうな巨大なそれらが、扉の向こうから溢れ出し、床を、壁を、天井を縦横無尽に這い進んでくる。


「いいいいいいぃぃぃぃやあああぁぁぁぁぁぁ!!!!! 毛虫イィィィィィイイイ!!」


 ようやくたどり着いた2階の廊下に、少女たちの絶叫が響いた。






ざっくりまとめ:癶( 癶;:゜;益;゜;)癶 カサカサ 癶( 癶;:゜;益;゜;)癶 カサカサ 癶( 癶;:゜;益;゜;)癶 カサカサ


少し分岐を減らして、スピード感上げていこうかなと思います。癶( 癶;:゜;益;゜;)癶 カサカサ

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